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第14話 悲劇の記憶

 蒼い月光が冴え冴えと射し込んでいる。  夜は静かだった。沈黙が重く肩に圧し掛かった。 「――申し訳ない」  声を荒らげたあと、うつむいて黙り込んだ詩鸞(しらん)に対し、次に令雅(れいが)かかけたのは詫びの言葉だった。 「え?」  意外な言葉に紫黒の目を瞠った詩鸞は、思わず顔をあげて、令雅の顔をまじまじと見た。  令雅は何ともいえない、複雑な表情を浮かべている。 「どうしてあなたが謝るのですか? いえ……何のことを、謝っているのですか?」  詩鸞には令雅の謝罪の意図するところがわからない。それでありのままにその疑問を口に出すと、相手はますます眉をひそめた。 「あのとき……東の辺境に未知の妖魔が出たとの一報が入ったとき、陛下の命を受けて東へ向かったのは、俺の父母だ。同道したのは、鳳凰旗を(かか)げた禁軍……率いていたのは、俺の伯父だった」  いまも、その頃も、禁軍――皇帝直属の軍――を率いているのは、前皇帝の長子、今上皇帝の異母兄である人物である。なるほど、皇帝の姉の子である令雅にとって、母方の伯父にあたる人物だというわけだ。 「禁軍が芝蒼(しそう)(むら)を焼いたのは、妖魔の群れをそこまでで食い止めるためだったと聞いている」 「ええ。――あれよりほか、仕方がなかったのでしょうね」  詩鸞はちょっと皮肉っぽく、(あざけ)るような笑みとともに言った。 「いや……それはそうなのだとしても、住人の退避が間に合わないままに作戦を決行し、民に数多の犠牲を出したことは、責められて然るべきことだと……すくなくとも、俺は思う。よその(むら)(まち)への被害を最小限にするために仕方のないことだったというので、済まされることでは、ない。――申し訳なかった」  令雅は再び謝罪して、詩鸞に向かって(いさぎよ)く頭を下げた。  詩鸞は何かを言いかけて、けれどもその言葉を探し(あぐ)んだ。宙に視線を彷徨(さまよ)わせている。  詩鸞は普段、自分の身分を明かすときに、(しん)()利陶(りとう)の出身だと言うことにしていた。だが、本当は、利陶の更に東に存在していた芝蒼(しそう)という廬こそが、詩鸞の故郷だった。  でも、いまはもう、その廬はない。  いまの地図を見ても、かつて廬があった場所にはもう、芝蒼という名は記されることがない。  廬は消滅したのだ。いま、国の東の外れの廬は利陶で、そこから先は監察使の資格を持つ者か、あるいは、一定以上の等級の兵卒の鳥行師でなければ、足を踏み入れることも許されない場所となっていた。  妖魔の(うごめ)く、人外魔境。  詩鸞の故郷は、人智の外にある、黒い森に呑みこまれてしまった。  十五年前、東の辺境に妖魔の大群が出た折に、国の掃討作戦で廬ごと焼かれ、消滅したのだ。  詩鸞はぐっとてのひらを握りしめた。  それから、きりりと令雅を睨み据えた。  だが、べつに、国への怒りを令雅にぶつけようというのではない。 「それ、どうして、あなたが謝るんですか?」  詩鸞は言った。 「皇帝陛下か、あのときの禁軍将軍が頭を下げるというなら、まだ、わかりますけれどね。あなたは、そうじゃないでしょう。それなのに、詫びるだなんて……思い上がりも(はなは)だしくはないですか」 「いや、しかし」 「だって、あなたはあなたでしかなくて、あれはあなたがやったことでもなんでもないんですよ。なのに、簡単に、謝らなくていい。むしろそんなことをされたら、わたしは頭に来てしまうんですけどね」  詩鸞が啖呵(たんか)を切るようにきっぱりと言うと、令雅は一瞬ぽかんとして、目を瞬いた。 「だが……俺は、皇室と縁ある身だし」  それでもまだ、まるで自分には詫びる義務があるのだとでも頑固に主張するように、令雅は口にする。けれども詩鸞は、はん、と、鼻を鳴らした。 「だから?」 「え?」 「だから、それがなんなんですか。さっきも知ったように話していましたけど、あなた、あの頃、せいぜい五歳とかでしょう? 五歳の幼童だった人間に、あの出来事についての、いったいどんな責任があるというのですか。ばかばかしい」 「そうは言うが、俺の縁者がやったことだから……かわりに、俺がと」 「だから! それが要らぬ気遣いだって言ってるんです! あなたは、本当にあなた自身に責任があることだけ、謝りなさい。他人(ひと)の責任まで背負っていては、それこそ、身がいくつあってももちませんよ」  詩鸞はひと息にそこまで言って、ぜい、と、荒く息をついた。  それから、こほん、と、ひとつちいさく(せき)払いをする。 「その、つまりね……ほら、先日の、わたしに無理やり口づけしたこととか、あれはあなたがやったことなんだから、悪いと思ったなら詫びて然るべきでしょうよ。でも、わたしの廬を焼いたのは、あなたではないのだから……それをあなたに謝られても、わたしは気持ちの持って行き場に困るだけです。――わかりましたか?」  眉を顰めてそこまでを言い切った詩鸞は、それから、まったくもう、と、呆れたように大きく溜め息をついた。 「わかりましたか?」  令雅は無言である。 「わかったかって訊いてるんです。はい、返事!」 「…………わかっ、た……」  しばらくの沈黙の後、令雅が気圧(けお)されたかのように、ぽつ、と、答えた。  その口許に、ふと、ほのかな笑みが浮がぶ。  令雅が笑っているのを見つけて、詩鸞はなんだか、妙にそわそわした気分になった。 「――ひとつ、言っておいていいですか」  また、こほん、と、咳払いをする。 「別にわたしは……国を、恨んではいませんよ。――いえ、まあ、ちょっとは、軍属なんてろくでもないんじゃないかとか、思ったりしてたのは否定しませんけど。でも、それも……偏見だったのかなって、あなたを見てたら、思いましたし」  言い分けでもするときのように、歯切れ悪く、ぼそ、と、言った。 「たしかに、禁軍が、わたしの廬を灰にした。でも、一方で、わたしを助けてくれたのもまた、国でしたから。妖魔の体液を浴びて倒れていたわたしを、通りかかった監察使の方が救ってくれたのも、そう。それに、故郷を失い、孤児にはなりましたけど、国はわたしたち芝蒼の生き残りに、ちゃんと生活の保障をしてくれました。おかげさまで、わたしはいま、こうして無事に長じることができていますしね。――恨んでいません」  自分自身の心をたしかめるか、あるいは自分自身に言い聞かせるかのように、詩鸞は繰り返した。 「――あんたは……強いな」 「そうですか? 普通ですよ」 「強いよ。あと、人が()い」 「は? なんですか、それ」 「お人好しだといったんだ」  令雅はすこしだけ喉を鳴らすようにして笑った。詩鸞は返す言葉に困ってしまって、ただ口をぱくぱくとさせた。 「()めても(ほだ)されたりしませんよ」  そう意地を張ると、三角に立てた膝を抱えて、そっぽを向く。  令雅はまた、はは、と、笑った。 「ほんとうは、あんたの身の上に勘付いて、ちょっと後ろめたかったんだ。俺はあんたの(かたき)みたいなもんなのに、そのことを黙ったまま、だまし討ちみたいに協力を取り付けてしまったと……卑怯なことをしている気がしてた」 「考え過ぎです」 「うん。――すこし、気が楽になったよ」  令雅は夜空を仰ぐと、ほう、と、息をつく。  詩鸞はそんな令雅の整った横顔に視線をやった。 「芝蒼のことを話したら、あんた、俺に協力するのを嫌がるかもしれないと思っていた。もしあんたが嫌なら、治療役を降りてくれていいと、言うつもりだったんだ。――故郷を滅ぼした人間の血縁者となんて、関わりたくないと思っても不思議じゃない」 「……失礼な。わたしはそんな小さな人間じゃありません。恨んでないって言ってるでしょ」 「そうだな。あんたの心の強さを、俺は見誤ってたみたいだ」  (てら)いなくそんなことを言われて、詩鸞は居心地が悪くなった。膝を抱えて、ちいさくなる。 「わたし、そんなに強くなんて、ないです。だってほんとうは……恨んでいないと、自分に言い聞かせているだけかもしれない。そんな負の気持ちにとらわれて、一生を台無しにしたくないから……だから……それだけです」 「うん。それでもあんたは強いと思うよ」  令雅の言葉に、詩鸞は一瞬、黙り込んだ。  それから、隣にいる相手のほうに、眼差しを向ける。 「……さっき……」 「ん?」 「さっき、あやまってくれて……ありがとう、ございます」  ぼそ、と、詩鸞は言った。 「さっきはああ言いましたけど、わたしも……なんだか、気持ちが楽になった気が、します。わたしの廬、わたしの家族、その犠牲を、仕方がなかったのひと言で片付けないでくれて……ありがとう」  詩鸞が真っ直ぐに言うと、令雅は目を瞠った。  詩鸞は、ふ、と、わらう。 「でも、もう、そのことで謝るのは今夜っきりでいいですから。――あなたの治療、いまさら断ったりなんかしません。乗りかかった舟ですし……誰に二言があろうと、わたしには二言はないんですよ」  詩鸞は立ちあがって言い、敢えて令雅の前で仁王立ちの恰好をした。軽く胸をそらせるようにして言うと、瞠られていた令雅の金茶の目が、すっと細まる。 「うん」  痣の浮かぶ腕が伸びてきて、詩鸞の手を引いた。 「え?」  詩鸞は身体の均衡を崩して、蹈鞴(たたら)を踏むように令雅のほうへと倒れ込む。(たくま)しい胸が、詩鸞を受けとめた。

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