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第15話 願い

「ちょっと……なんですか?」  唐突に抱き寄せられ、詩鸞(しらん)は面食らった。(うかが)うように、怪訝(けげん)な顔つきで令雅(れいが)を見ると、相手はちらりと苦笑めいた笑みを口許に()く。 「いや」  彼は言いながら軽く首を横に振った。 「初めて会ったときみたいに……急に、あんたが綺麗に見えたものだから」  恥ずかしげもなく続けられたのは、そんなことばだった。 「なっ……!」  詩鸞は絶句した。 「またあなたは、わけのわからないことをっ! そんなこと言ったって、(ほだ)されないんですからね」  真っ赤になって言い募ると、はは、と、笑いながら、令雅はすぐに腕をゆるめてくれた。  詩鸞は体勢を正して、令雅の隣に座り直す。まったくもう、と、口を曲げた。 「――あんたが監察使を目指すのは……やはり、芝蒼(しそう)のことがきっかけなのか?」  しばらくして、令雅がすこし口籠りつつそう訊ねた。 「俺はあのとき、灰燼(かいじん)に帰した芝蒼の光景を見て、幼心にも、あんな理不尽は二度と繰り返されるべきではないと思った。妖魔退治を生業(なりわい)とすることを選んだのは、たぶん、それがきっかけだったと思う。――あんたも? いや、俺なんかよりもっと、あんたのほうが想いは切実なんだろうが……」  同列に語ったことを申し訳ないとでもいうように令雅は言葉を足す。この人はほんとうに真面目だな、と、詩鸞は紫黒の眸を(またた)いた。  先程、令雅は――何を血迷ったのか知らないが――詩鸞を綺麗だなどとのたまった。けれども、ほんとうに澄んで気高いのは令雅の心根のほうこそではないのか、と、おもう。  でも、そんなことを口に出せるはずもないから、むう、と、押し黙り、またしても三角に折り曲げた膝を抱えた。 「……べつに……わたしのは、あなたみたいに()大層(たいそう)な理想なんかじゃありませんよ」  令雅は――……妖魔によって滅びた(むら)を見て、妖魔の害を(にく)み、誰しもの平穏を望んで、日々身を(てい)して戦っている。  それに対して詩鸞の場合は――……そんな令雅のような、高らかな理想のために努力していたわけでは、たぶん、ない。  詩鸞の望みは、ごくごく、個人的なものだった。 「監察使の資格があれば……故郷のある森へ、行けるので」  詩鸞の廬は、妖魔の進行を防ぐ目的で火をつけられ、焼き払われてしまった。逃げ遅れた住人は、廬ごと、妖魔とともに火に呑まれた。  その後、廬はそのままに放置され、朽ちて、いまでは廃墟(はいきょ)となっていることだろう。きっともうすっかり、黒い森に侵食されている。妖魔の跋扈する人外魔境に成り果てているかもしれない。 「十五年も経ってるし、きっと荒れ果ててるんでしょうけれどね。お墓参りというか……親兄弟や親類縁者、それから、近所のやさしかったおじさんやおばさん、おじいさんやおばあさん、仲の良かった友だち……みんな、みんな、あそこで、いまも、眠っているんです。――その場所で祈ることくらい……せめて、したいじゃないですか」  抱え込んだ膝の頭に額を擦りつけるようにしながら、ぼそ、と、つぶやく。  芝蒼という廬が地図から消えて、国の東の外れは利陶(りとう)ということになった。  そこより先は、人が簡単に足を踏み入れることの出来ない魔境。立ち入るにも資格がいる。  監察使か、それとも一定等級以上の兵卒か。そうでなければ、利陶の東に張られた結界を越えることができなかった。  だから詩鸞は、どうしても監察使の資格がほしいのだ。  それがあれば、故郷の廬へ帰ることが出来る。帰って何ができるわけでもないのはわかっていたが、それでも、大切なものたちが眠る場所に、再び、この足で立ちたかった。  それが詩鸞の唯一の、譲ることのできない願いだ。  難関だとされる試験に挑めるだけの準備を整えるのにずいぶんかかってしまったが、ようやくあとすこしのところまで来た。あとすこしで、手が届く。 「すみませんね。一生苦労しない暮らしを保障してくれるんだし、はいはいって言って、何も気にせずあなたに抱かれてあげられれば簡単だったのにね」  しんみりとしてしまった空気が気まずくて、冗談っぽくそう付け足した。肩をすくめ、へら、と、笑う。  わざと明るい声を出したつもりだったが、それでも令雅は深刻な顔で、こちらに金茶の眸をじっと据えたままで黙っていた。  そこで黙られても困るんだけど、と、詩鸞は再び顔を伏せて膝に(なつ)く。  詩鸞がちいさく息をついたとき、試験、と、令雅がふいに言った。 「試験は、明後日だったな」 「ええ、そうですが」 「うまくいくことを祈っている」 「……それは、どうも……」  なんとなくくすぐったいような気持ちがして、詩鸞は顔を上げないままに、素っ気なくそう答えた。  そのときである。夜の中に、ピュゥウィ、と、かすかに高い鳴き声が響いた。 「あれは……あなたの霊鳥(とり)?」  音がしたほうへ視線を向けた詩鸞は、そちらはたしか鳥小屋があるほうだったはずだと思って、令雅に訊ねた。 「そうだ。――俺たちの話し声を聞きつけて、構いに来いと言ってるな」 「え? あなた、鳥と会話ができるんですか?」  詩鸞は目を丸くした。  霊鳥は総じて頭がよく、人の意をよく汲むとは言われている。が、だからといって、人語を介しての意思疎通ができるとは聞いたことがない。 「いや。ただ、そんな気がするだけだ」  令雅は苦笑して、ちいさく首を振った。  なんだ、と、詩鸞は溜め息をつく。 「でも、ずいぶん仲が良いんですね。構いに来いだなんて」 「あいつが(ひな)の頃から一緒だからな」  「そうなんだ。――でも、じゃあ、もしかして、あの子はまだ子供ですか?」  霊鳥の寿命は人間よりもはるかに長いとされていた。まだ二十歳(はたち)そこそこ令雅の口から雛という言葉が出るくらいなら、令雅の(はやぶさ)は、霊鳥の中ではまだまだ幼い部類だろう。 「たぶんな。仕事のときは信頼できる相棒だが、普段はまだまだ甘えただ。――ちょっと構いにいってやるかな」  そう言って、令雅は立ち上がった。

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