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第16話 天翔

 自らの霊鳥について口にする令雅(れいが)の、その口許が、ほんのすこしゆるんでいる。その表情を見ただけでも、彼が己の乗騎の霊鳥を可愛がっているのが詩鸞(しらん)にも伝わった。  詩鸞は、令雅が出撃する際にいつも彼を背に乗せて飛ぶ、(おお)きな鳥の姿を思い浮かべる。 「あの子、名前はなんていうんですか?」  つられたように立ちあがり、気づけば令雅の背を追い掛けながら、そんなことを訊ねていた。 「ない」 「え?」 「名前はない」  きっぱりと言われて、詩鸞は目を(みは)った。  可愛がっているふうなのに名をつけていないというのが不思議だった。 「どうして……」  詩鸞はびっくりして、ついつい、そう声を上げてしまった。 「軍では乗騎の鳥には名をつけないのが慣習なんだ」  振り向いた令雅が、苦笑めいた笑みとともに付け足した。 「そうなんですか? ……まあ、愛玩動物とは、違うのでしょうけれども」  そう口にしつつも、やはり名をつけてやらないというのは、すこしさびしいことのような気がした。納得がいかない、と、こちらのそんな感情を読み取ったのか、令雅は肩を竦める。 「名などつけては、死んだときに余計つらいからな」  前を向き直り、今度は詩鸞のほうを見ないで、令雅は言った。  詩鸞は、は、と、言葉を呑んだ。 「俺たちが相手にするのは人外の妖魔。本来なら人間の(かな)う相手じゃない。兵卒だって……今回、太風を追って遺骸で戻った俺の部下もそうだが、殉職だって、決して珍しいことではない。そしてそれは、霊鳥(とり)も、同じだ」  小屋の戸を開けながら、令雅が何でもないことのように言った。 「奥に霊鳥が一羽いるだろう?」  言われて小屋の奥を覗き込むと、手前にいる令雅の隼以外に、もう一羽、巨躯を誇る鷹の霊鳥の姿が見えた。どうやら怪我でもしているらしく、翼には布が巻かれている。 「死んだ部下の鳥なんだ。冷たくなった主の身体を背に乗せて戻った。こいつ自身も、ひどい怪我だった。なんとか一命を取り留めはしたが、な」  対妖魔の戦闘を主任務とする京城衛である。その危険は、考えるまでもなく、大きなもののはずだ。詩鸞はあらためて、令雅たちの就いている職、京城衛というものを思った。  目にした令雅の戦いぶりがあまりにも人並み外れていたから意識されていなかったが、妖魔討伐を行う彼らの仕事は、本来、いつも命の危険と隣り合わせなのである。京城の人々の安寧のため、日々、身命を()して臨んでいる。 「情の深い鳥だと、騎手の盾になって死ぬこともあったりするからな。名なんかつけて可愛がっていると、亡くしたときにしんどい。だから、軍では、あえて自分の霊鳥(とり)に名をつけないことが慣習なんだそうだ」  詩鸞は目の前の隼を見る。令雅を背に乗せ、空を切って颯爽と飛んでいた霊鳥だ。  けれどもいまは、近づいていった令雅に甘えるように頬を寄せていた。  令雅が手を伸ばすとその手に懐く。令雅はとろりと金茶の目を細めて、ゆっくり丁寧に乗騎の隼を撫でてやっている。 「――……名前……つければ、いいのに」  そんな一人と一羽の様子を見て、詩鸞はぼそりとつぶやいた。 「そんなに可愛がっているなら、ちゃんと名前をつけて、呼んであげればいいのに……軍の単なる慣習で、べつに、絶対につけてはいけないわけではないんでしょう?」 「まあ、それはそうだが」  令雅が驚いたように答えた。  詩鸞は言葉を続ける。 「だって、名前なんかなくたって、可愛いのは一緒でしょ。名前をつけようが、つけまいが、その子が亡くなったりしたら、どっちにしろ、あなた、ぜったい、悲しいでしょう?」 「まあ、な……いちおう、死なせるつもりは、ないが」 「そりゃ、そうでしょうけれどね。――でも、だったら余計に……慣習なんか放っておいて、名前をつけて、呼んであげたらいい。めいっぱい、可愛がってあげたらいいのに。だって……」 「……詩鸞?」  どうしたんだというふうに、令雅がこちらの顔をじっと見た。  なんでもない、と、詩鸞は首を横に振った。 「だって、ね。あなたはそんなつもりはないでしょうけれども、それでも、もし、万が一、その子を失くしてしまうようなことがあったとして……失くしてしまった後になって、こんなことならもっともっといっぱい大事にしておけば良かったって後悔したって……遅いん、だから」  ぼそぼそ、と、ちいさな声で、そんなふうに詩鸞は言葉を継いだ。  帰ることすら出来なくなってしまった故郷を、その地に眠るはずの親しいたくさんの人たちを、思っている。  十五年前にすべてを失くしたとき、詩鸞はまだ幼かった。大切なものをめいっぱい大切にすることなど、まだ、わからないほどに幼い頃だった。  大事なものは、大事だと意識する前に、失われてしまった。ちゃんと大事に出来るよりも先に、この手は届かなくなってしまった。  そして、心に、いまも喪失の穴だけがある。 「大事なものは、できるときに……いっぱい大事にしたほうがいいんです、きっと」  わずかにくちびるを引き締めて、最後は独り()ちるように口にした。 「……なるほど。考えたこともなかった」  令雅が言って、詩鸞を見た。  金茶の眸が、いたわるような眼差しをこちらに向けている。その表情に、詩鸞は一瞬、どきりとした。 「な、なんですか……?」  しどろもどろになる。令雅は穏やかに笑んだまま、ゆるく(かぶり)を振った。 「いや。――よければ……あんたがつけるか?」 「え?」 「こいつの名。あんたが考えれば、俺が慣習を破ったことにもならないし」 「で、でも……この子は、あなたの大事な鳥でしょう?」  それなのに出逢ったばかりの詩鸞に大切な名付けを任せていいのだろうか。ぽかんとすると、令雅は、いいんだ、と、笑いながら言って肩を(すく)めた。 「近づいてみろ」 「え?」 「ほら、手を出して」  令雅は詩藍の手を取り、隼に触れさせた。  あたたかい。  思ったよりも、ふわふわする。  恐る恐る撫でてみると、隼は目を閉じ、クルル、と、可愛らしく喉を鳴らした。  思わず表情がゆるんでしまう。 「ほらな。こいつもあんたを気に入ったようだから……佑祥(ゆうしょう)なんかは、最初の頃、よく(つつ)かれていたのに」 「そうなんですか?」 「うん。割と人の選り好みが烈しいんだ。でも、あんたのことは、気に入っている。そんなあんたがつけたなら、こいつも文句は言わないと思う。――良い名をやってくれ」  詩鸞は戸惑う。けれども令雅がどうにも退()く様子がないのを見て、諦めて考えてみることにした。  目の前の隼を見る。金と黒の眸が詩鸞を真っ直ぐに見詰め返してきた。まるで期待しているかのような眼差しだ。  鋭い爪、(くちばし)をもった、立派な体躯の霊鳥。大きな翼を広げて、悠々と天空を舞う。主を背に乗せ、虚空を切り裂き、矢のように真っ直ぐに飛翔する。 「――天翔(てんしょう)」  思いついた名を、口にする。  ありきたりだろうか。それとも、(おお)袈裟(げさ)にすぎるだろうか。  詩鸞が窺うように令雅を見ると、相手は目を細め、己の隼をゆっくりと撫でた。 「天翔か……いい名だ」  ほう、と、吐息するようにつぶやく。 「おまえもそう思うだろう? 天翔」  さっそくそう呼びかけると、隼――天翔は、あたかも(うべな)いでもするかのように首を揺らして、クルル、と、喉を鳴らした。

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