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第18話 治療

 門を越え、前庭を抜けた先の花垂(かすい)(もん)をくぐると、そこが屋敷の中庭だ。令雅(れいが)の屋敷は、普段の静けさとはうって変って、ひどく騒々しい有様だった。  京城衛の兵卒らしき者たちの姿が、幾人か見えている。彼らはめいめいに手当てを受けていた。  怪我をしているのは人ばかりではなく、彼らが操る巨鳥もまた、血を流してくったりと地伏せているものが幾頭か見えた。  おそらくはいま、京城衛の屯所のほうも、同じような有様なのに違いない。  被害はどれほどなのだろう。令雅は無事なのだろうか。詩鸞(しらん)は血の気の引く思いを味わいつつ、中庭のほうへふらりと足を踏み入れた。 「令雅……?」  この屋敷の主であり、京城衛の長でもある人の姿を探す。奥に彼の乗騎である(はやぶさ)が見えた。 「天翔(てんしょう)!」  詩鸞は己でつけたばかりの隼の名を口にする。天翔は、体こそ血で汚れてはいたが、羽を折りたたんで凛と立っていた。  どうやら無事のようだ。  けれども、天翔のいるあたりに視線を巡らせてみても、そこに令雅の姿は見えない。いま霊鳥の手綱を取っているのは令雅の副官の佑祥(ゆうしょう)だった。  ちら、と、佑祥の視線が詩鸞を捉えた。  令雅のことを訊ねようと、詩鸞が相手のほうへ駆け寄ろうとしたときである。それよりも先に、目を怒らせた佑祥が、つかつかと詩鸞に歩み寄ってきた。 「っ」  腕を掴みあげられる。 「お前、どこへ行っていたっ?!」  佑祥は声をふるわせて、責める調子で言った。  どこへ行っていたかだと。監察使の試験だ。佑祥だって知っていたのではないのか。そうは思ったが、とてもではないが、そんなことが言えるような雰囲気ではなかった。  相手の剣幕に圧されて、詩鸞は言葉を呑みこむ。 「お前がいなかったせいで、将軍が……それで大勢が、怪我までして……!」  ぎり、と、詩鸞の腕を掴む相手の手指に力が籠った。  詩鸞は痛みに顔を(しか)める。だが、己の苦痛(そんなもの)よりも、いまは令雅のことが気懸かりだった。 「佑祥どの……」  令雅は、と、問おうとしたとき、奥の部屋の扉が開いた。 「佑祥、いまはそんな場合ではないでしょう! 早く詩鸞さまに、旦那さまのところへ来ていただいて!」  (きざはし)を上った先、部屋の扉のところに蓉香(ようか)が顔を出したのだ。  佑祥ははっとしたように詩鸞の腕を握る手の力をゆるめ、けれども放すことはせずに、詩鸞をひと睨みする。そのまま、ぐい、と、こちらの腕を引いた。 「来い。将軍の治療を」 「令雅は……咆號(ほうごう)にやられたと、道で……」 「ばかを言え。将軍がやられるわけがない」 「それじゃあ……無事なんですね」  ほ、と、吐息とともに言ったが、佑祥は顔を(しか)めて答えなかった。 「咆號の群れとの戦闘の途中で、倒れたんだ……討ち切れなかった咆號は、京城衛(おれたち)でなんとか片付けたが」  それでずいぶんと負傷者を出して、いまのこの有様ということらしい。 「それで、令雅は……?」 「瘴気(しょうき)がひどくて、そのときは誰も近づけなかった。将軍の隼が守ってたから、咆號に咬まれたり、爪に掻かれたりは、されずにすんだが……そのあと、瘴気の放出がおさまってからも、まだ意識が戻らないんだ。こんなこと……これまでに、なかった」  どうやら令雅が妖魔にやられたというのは誤報だったようだ。京城衛の敗走という報についても同じくで、彼らは実際のところ、妖魔の害から京城を守護するという役をきちんと全うできたらしい。  それでも、令雅ひとりを欠いただけで、これだけの怪我人が出る。一騎当千という言葉があるが、まさにそのごとく、令雅の力は人並外れたものなのだ。 「でも、将軍は……いつかこうなるかもしれないって、たぶん、わかってたんだ」  佑祥がぽつりと続けた。 「だからいつも、最後まで身体がもたなかったときのために、おれたちに援護を命じるんだ」  それは、援護くらいしか出来ない無力な自分を心から口惜(くや)しがるような口調だった。  佑祥がいま詩鸞に理不尽に怒りをぶつけるのも、言葉にならない忸怩たる想いが原因だと思えば、相手を責める気持ちも(しぼ)んだ。 「詩鸞さま、旦那さまは奥の寝台に……どうか、旦那さまをお助けください」  部屋の中へ入ると、蓉香に懇願された。  詩鸞は無言のまま、足早に寝台に近付いていく。そこには令雅が横たわっていたが、彼の肌に浮き上がった痣は、いままでになく色を増していた。  赤黒く痛々しいほどの(あざ)に、詩鸞は無意識に指を伸ばした。  触れると熱を持っている。令雅に口づけているとき肌を刺す、疼くような、熟むような、熱にも似た痛みを思い出す。きっとあれよりももっとひどい感覚が、いま、令雅を襲っているのだ。 「なんで……もっと早く呼びに来なかったんだ、ばか……」  こんなになって、と、詩鸞は意識のない相手に向けて悪態(あくたい)をつく。眉を顰める。  寝台の傍に(かが)むと、身体を傾け、答えない相手のくちびるに、己のそれを押し当てた。  熱が流れ込んでくる。  身体が燃えるように熱い。  ついで、何かが引き()がされるような感触とともに、(ほととぎす)の高い啼き声が辺りに響いた。  ちいさな羽音が幾重にも聞こえる。小鳥は部屋を旋回する。甲高い(さえず)りが増した。  生じた鳥たちはやがて、扉から点々と空へと舞い出て行く。 「はっ、ぁ……」  詩鸞は荒い息を吐いた。  そのとき、令雅が薄っすらと瞼を持ち上げる。 「……詩、鸞……」  こちらに、ぼう、と、金茶の眸を向けた。 「あんた……試験、は……?」 「あなたね……そんなひどい状況のくせに第一声がそれとか、ばかですか」 「で、も」 「ちゃんと受けてきた後ですから、安心して……」  きっと令雅の頭には、今日も妖魔の襲来があるかもしれない可能性など、最初から想定されていたはずだ。それでも、詩鸞が朝、試験を受けに貢院へ出掛けていくそのとき、彼は一言もそれについて言及しなかった。  わかっていて何も言わずに見送ってくれたのは、詩鸞が試験に集中できるようにだったのではなかったか。こんなときでもまず最初に詩鸞が試験を無事に受けられたかどうかを(おもんぱか)ってくれるのだから、きっと、そうだったのだ。  ばか、と、詩鸞はこころの中でだけ、再び令雅を(ののし)った。  じわ、と、目頭が熱くなった。知らず、眸が潤んでしまう。 「……まだ……痣、ずいぶん、濃いから。もうすこし、続けましょう」  詩鸞は泣きそうになっている己を誤魔化すようにしながら言った。 「……わる、い……迷惑を、かけて」  令雅が途切れ途切れに答える。 「いいえ。おかげさまで、試験も無事に終わりましたから……別に減るものでもないですし、遠慮なく……あなたが楽になるまで、して、いいですから」 「うん……すま、な……」  また()びの言葉を口にしかけたらしい相手のくちびるを、詩鸞はくちびるで強引にふさいだ。  令雅の腕がゆっくりと持ち上がり、詩鸞の背中に回される。かと思うと、器用に身体を(すく)い上げられ、返され、寝床に横たえられていた。  ちぅ、ちゅ、と、音を立てて口を吸われる。深く重ねられる。  舌が這入り込み、口中を撫でまわした。 「ん、ん、ぅ……ふぅ……」  ちゅく、ちゅく、と、粘度の高い音が響く。舌を絡め取られて、吸い上げられると、頭の奥が(しび)れるようだ。同時に、胸の奥がひどく熱く、切なくもなっていた。

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