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第27話 決断

 夢を見た。  目の前が真っ赤に燃えていた。  夜空を舐める巨大な赤い舌のような(ほのお)を前に、詩鸞(しらん)は血を吐かんばかりに泣いていた。  否、泣いているのは、詩鸞ばかりではない。はたして、泣き続けて声も()れんかという頃に、巨大な鳥が詩鸞の前に現れた。  禍々(まがまが)しいほどにうつくしい鳥だ。身体には無数の矢が突き刺さって、巨鳥は血に(まみ)れていた。  その巨大な鳥もまた詩鸞と同じように、この世の終わりかというような悲痛な声で、カァン、カァアァン、と、高く切なく()いていた。  やがて鳥は(くちばし)から血を吐いた。八千(はっせん)八声(やこえ)を啼き続け、ついに血を吐いて死ぬという(ほととぎす)の伝承のようだった。  鳥は、ばさり、と、最後の力を振り絞るようにひとつ大きく羽ばたくと、そのままその場に座り込んでしまった。  風が()ったのを覚えている。  詩鸞は鳥の血を全身に浴びた。  身体が熱かった。全身に、なにか、いままでになかったものが宿ったかのような感覚だった。  焔が詩鸞の(むら)を焼く。  大切な場所を、ものを、人を、全て()み込み蹂躙(じゅうりん)しながら燃え盛っている。  そして、詩鸞の近くには、この悲劇の元凶となった男が立っていた。 「くそっ」  男は毒づいた。 「近づけん。太風(たいふう)を得るまで、あとわずかだというのに……」  そんな声が聞こえたかと思うと、また、ばさり、と、大きな羽音がした。紅い巨鳥が必死に立ちあがり、そして、必死に飛び立とうとしていた。  風が起こる。  鳥の身体が宙に浮き、舞い上がった。  大きな紅い鳥は、そのまま真っ直ぐに天を指して飛んでいく。けれどもその途中で、身体の輪郭がぐにゃりと歪んだ。  やがて、空に()けるかのように、その姿は消えてしまった。  あの鳥はどこへ飛び去ったのだろう。  天上だろうか。あるいは、彼岸へと渡ってしまったのだろうか――……本来出逢うべきだったかたわれに、巡り逢えぬ無念を抱いたままに。   *  はっと目を覚ましたとき、詩鸞はどうやら自分が令雅(れいが)の寝台に寝かされているようだと気が付いた。  治療中に気を失って、そのまま、誰かがここへ寝かせてくれたのだろう。反射的に身を起こそうとすると、けれど、それをやさしく押し止める手があった。 「れい、が……」  令雅は目覚めて寝台の横に腰掛け、ひどくつらそうな、あるいはすまなそうな眼差しで、詩鸞を見詰めていたのだった。 「すまん。また、迷惑をかけた」 「……いえ……へいき、です」  部屋は暗い。令雅の顔が良く見えない。  詩鸞はちゃんと令雅の身を(むしば)呪詛(ずそ)を和らげてやれただろうか。  でも、きっと、今回も気休めだ。  呪詛の影響は、日々、確実にひどくなっている。このまま太風討伐に出て、はたして、令雅は無事に戻ってきてくれるのだろうか。   やがて薄闇に目が慣れてきた。詩鸞はじっと令雅を見た。  肌を()う、鎖のような(あざ)が見える。暗闇の中でもそうとわかるほどそれは赤黒く、令雅の肌の上を縦横にのたうっていた。 「痣……消えて、ない」  詩鸞は愕然(がくぜん)とつぶやいた。  令雅が諦念をふくんだちいさな苦笑を見せた。 「たぶん、限界なんだろう。――遠からずこうなるとは、思っていた」 「そんな……っ!」  詩鸞は起き上がって、令雅の頬に手を伸べる。 「口づけ……もう一度、治療、しましょう。すこしはましになるかも……!」 「いや、もう大丈夫だ。だいぶ楽にはなったから」 「うそ。そんなはずないです。わたしなら平気だから……だから、もうすこし……!」  言って詩鸞は、強引に令雅にくちびるを寄せた。相手の首の後ろに腕をまわして引き寄せ、ふたりして寝台に倒れ込む。  いつもなら令雅が――たぶん呪詛をやわらげるため、無意識がそうさせているのだろうが――すぐさま舌を入れてくる。けれどもいまは、詩鸞のほうが、焦るように令雅の口に舌を差し込んで絡めた。 「ん……ん、ぅ……はぁっ」  ちゅく、くちゅ、と、くちびるを深く重ね合う湿った音が夜の中に響く。もっと、と、詩鸞は必死になって、令雅のくちびるをむさぼった。  相手から痣がこちらに移るたび、身の奥に火がともる。その熱が、じわ、と、表皮へと浮かび上がるような感覚とともに、プゥルゥグゥイ、プゥルゥグゥイ、と、高啼く鳥の声がする。  (ほととぎす)は数を増し、いつの間にか部屋中を飛び交っていた。  そしてやがて、一羽、また一羽と、わずかに()かされている窓の隙間から外へ飛び出して行った。 「ん……楽になったよ。ありがとう」  もういい、と、令雅が詩鸞の上から退()く。ふ、と、笑う。  詩鸞は相手の顔を、薄闇の中で再びじっと見つめた。 「……うそ、つかないで」  眉をひそめて、相手を責める。 「痣、まだぜんぜん、薄くなってない。――楽になんて、なってないんでしょう?」  詩鸞は、きり、と、紫黒の眸で令雅を睨んでいた。  相手が、ちら、と、苦笑する。やっぱりそうか、と、そう思った。 「まだ、痛むのですよね。呪詛、だんだんひどくなってる……どう、したら……どうしたら、いいんですか」  初めて令雅と接吻した後、痣は肌にうっすら残るという程度まで薄くなっていた。それがいまは、そのときよりずっと長くくちびるを合わせあった後だというのに、ほんのすこし薄まったという程度なのだ。  浄化が、まるで、追いついていない。  いつからこうだったのだろう。  そして、いつまで――……令雅は、大丈夫なのだろう。 「――あなた……その状態で、まともに戦えるの……?」  詩鸞はたまらなくなって、己のうちにある不安を口にした。すると令雅はまた、ちらり、と、ちいさく笑って見せた。  その、どこか老成したような、諦めを(にじ)ませた笑みに、詩鸞は息を呑む。 「……戦えないと、思っているのですか……?」  愕然として、つぶやいた。  令雅は、いま己の身体の状態が、とてもではないが太風と対峙できる状態にないことをわかっている。わかっていて、それでも当たり前のように出撃しようとしているのだ。  あるいは、なんとか差し違えるつもりでいるのかもしれない。 「できれば、最後までもってくれるとありがたいとは……思っているんだが」  自嘲するような相手の言葉で、詩鸞は己の想像が正しいことを知った。  令雅は京城の安寧のために、自らを犠牲にしようとしている。太風を倒すつもりはあっても、その後、生きて戻れるとまでは考えていないのだ。 「……死ぬつもり、なんですか……?」 「どうかな……太風を倒して無事で済むと思えないのは確かだ。討伐できたとしてもこの命はないものと覚悟している。――たぶん、最初から。相打ちに持ち込めれば御の字……そこまでなんとか、身体がもってくれればいい、と」 「なに、それ。最初から……死ぬつもりでいたってことですか?」  それでは詩鸞は、何のために令雅と共にいたのだろう――……苦しみの果てにいつか死なせるために、治療を繰り返していたのだろうか。 「俺は、京城衛の将軍職にある者だから」  なんでもないことのように令雅は言った。  命を(なげう)つことなど当然だ、と、そのことに対してすこしの迷いも感じさせない調子だった。  そんな令雅の態度に、詩鸞はなぜかひどく腹が立った。  そしてなぜか同時に、悲しくなった。くやしくもなった。馬鹿やろう、と、思い切り罵ってやりたい気持ちだった。  ()い交ぜになったさまざまな感情が、詩鸞の腹の底で蜷局(とぐろ)を巻く。そしてふいに、喉から迫り上がってくる。  湧き起こった衝動のままに、詩鸞は令雅の身体に()しかかるように乗り上げていた。そして、再び相手のくちびるにむしゃぶりついた。 「っ、詩鸞……!」  令雅が驚いたような声を出す。そして、詩鸞の身体を押し戻そうとした。 「もういい。これ以上は、あんたの身体に負担がかかりすぎる。さっきだって気を失ってからぜんぜん目覚めなくて、心配したんだ」 「人の心配なんかしている場合?」 「だが」 「べつに……気を失うくらいのこと、何だっていうんですか」  命を捨てる気でいる人間に比べたら、何のことはない。負担どうこうと、令雅に言われる筋合いはないように思った。  こちらの烈火のごとき怒りを感じるのか、令雅は困ったように眉を下げる。 「だが、あんた、じきに実技試験じゃないか。それまでにもし身を損ないでもしたら……」 「ははっ、そんなの……」 「大丈夫だ。試験までに太風の件は片づける。なんの憂いもなくあんたが試験に臨めるように、俺が必ずなんとかするから」 「っ、でも!」  詩鸞は叫んだ。 「そのときには、ぼろぼろの身体で太風に挑むことになったあなたは、伝説の妖魔と差し違えて、死んでるって?! ふざけるな……っ!」  顔を(しか)め、泣きそうに言ってから、詩鸞はまた令雅に口づけた。 「ん、んぅ、うんっ」 「っ、おい、詩鸞、あんたなにして……!」  令雅が慌てた声をあげた。相手の身体に(また)がったままの詩鸞が、接吻しながら令雅の短袍の帯に手をかけたからだった。 「なにって? まぐわうのです。だってそうしたら、あなたの呪詛、解けるのですよね? 鳳凰の神託だと言って、最初にあなたがわたしに求めたことじゃないですか」  なにを今更、と、()わった目をして、詩鸞は有無をいわさず令雅の帯を解いてしまった。そして、自らも着物をはだけた。

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