28 / 40
第28話 選択*
「詩鸞 っ、詩鸞……!」
令雅 が慌てた声を出す。
「あんたには、純潔の誓いが……!」
「ええ、そうですね。でも、それが何?」
せせら笑うように言いつつ、詩鸞は顕 わにしてしまった令雅の性器をてのひらで包み込んでこすり立てる。
「っ……だって、神気 を失えば、あんたは監察使になれない。故郷に帰れなくなるんだぞ」
悲願を果たせなくなる、と、令雅は詩鸞を必死で押し止めようとした。
けれども、詩鸞は今度もやはり、令雅の言葉を聞き流した。
「だから、それが何だっていうんですか」
今度は、己の後ろの蕾を指で探って無理にほぐしながら言う。引き攣 れるような感触に顔をしかめつつ、それでも、やめる気などなかった。
「っ、詩鸞……! 俺はあんたに犠牲を強いたくないんだっ!」
令雅が詩鸞を強引に押しのけようとしてくる。けれども詩鸞は暴れて拒み、き、と、令雅を睨み据えた。
「そんなのっ!」
声を荒らげる。
「そんなのね、わたしだって同じなんですよ! もう……ひとごとじゃ、いられない。ほうってなんて、おけない……だから……」
詩鸞はさすっていた令雅のものを、自分の後ろに宛 がった。
「や、めろ……詩鸞……そんなことしたら、だめだ」
「黙って……わたしの、好きに、させて」
ぐぅ、と、体重をかけようとする。歯を喰いしばる。
腰を落とそうとするのに、でも、ぜんぜん、うまくいかなかった。それでも、詩鸞はふるえながら、必死で令雅とつながろうと努めた。
「やめ、ろ……だめ、だ……あんたにそんなことをさせたら、俺は……」
令雅が呻 くように言った。そんな令雅を詩鸞はちらりと窺 った。
相手はひどくつらそうに顔を顰 めている。
眉を寄せ、くちびるを引き結ぶ相手に、詩鸞はふと、自嘲みたいにわらっていた。
「だって……仕方がないじゃ、ないですか。わたしがどれだけ願ったって、もう、故郷は、もとにはもどらない。どうやったって、過去は戻らないんです……でも……現在 なら……未来 なら……わたしは、大事にできるんだ。――あなたの、命なら……っ」
だから仕方がないじゃないですか、と、詩鸞は泣き笑った。
「ね、令雅……して。ちゃんと、して……呪詛 が、消えるまで……朝まででも、わたし、つきあいます、から」
「詩鸞」
「だってね、ここであなたを死なせたら、わたし、きっと、後悔する……一生、です。たとえ監察使になって、故郷へ帰れる日がきても、もう、心からは、喜べない。もう……むりです。わたしにはいま、あなたを助ける手段が、あるのに……それを、しないで、それでもし、あなたが死ぬようなことがあったら……あなたを、見殺しになんて、したら……」
後悔する、と、詩鸞は声をふるわせた。潤んだ紫黒の眸で令雅を見詰める。
令雅は金茶の眸 でこちらを見返した。
「詩鸞、聞け。あんたに見殺しにされたなんて、俺は思わない。だいたい、最初から、あんたは勝手に巻き込まれただけなんだから」
「っ、あなたがどう思うかなんて関係ない! わたしが思うんですよ! あなたを見殺しにしたって! わたしが……」
詩鸞は声を荒らげた。
感情が昂 る。それは、ほろ、と、熱い滴になって、ついに眦 からこぼれおちた。
「いま、あなたを、放っておいたら……あなたをこのまま、死なせたりなんかしたら……わたしには、救う手段があるのに、あなたの犠牲を、容認してしまったら……わたしの廬 が犠牲にされたのと、同じ、だ。百を救うために一の犠牲は仕方がないって……納得しなきゃ、ならなく、なる……仕方なくなんかなかったって言ってくれたあなたの言葉を、わたしは、うれしいと思ったのに……その、わたしが……」
「詩鸞、聞くんだ。それは……ぜんぜん、ちがうことだから」
令雅の宥 めるような言葉に詩鸞は頭 を振った。ぽろぽろとこぼれおちる涙は止まらなかった。肩をふるわせ、嗚咽 する。
「詩鸞……詩鸞、泣くな」
令雅の手が伸びてきて、詩鸞の目許をそっとこすった。涙を拭 ってくれるそのやさしい仕草さえも、いまの詩鸞にはなぜかひどく頭に来た。
「泣かせてるのは誰ですか!? あなたですよ、あなた! 責任とれ! 抱いて! 抱きなさい、わたしをっ! それで神気を失って監察使になれなくても、あなたが生きて帰ってくれるなら……わたしは、後悔なんかしない。ぜったいに、しない……令雅……おねがい……わたしを、だいて」
詩鸞は令雅の胸に額を押しつけて――……声を殺して、呻 くように泣いた。
令雅は詩鸞の背中に腕をまわして、宥めようにそこを撫でさすった。
そのおおきな手のやさしいあたたかさが、詩鸞を堪らないきもちにさせた。また、嗚咽がもれる。
しばらく部屋には詩鸞がすすり泣く声だけが響いた。いつも鵑 が不如帰 としきりに啼き続けるときのように、詩鸞は泣き続けた。
その間、令雅はずっと詩鸞の背を抱き、やさしく撫でていた。そのやさしさが、かえって悲しかった。
「――俺は、京城衛だ」
どれくらい時間が経ったろう。やがて令雅が静かに言った。
「京城の民のために身を擲つのが俺の職責だ。京城に暮らす誰かのために命をかけるのが、俺の仕事だ」
しんとした声だった。
詩鸞は答えなかった。答えられなかった。
ただ、だめなのか、と、思った。やはり彼の心を変えることはできなかったのだろうか、と、そう思って、またひとつ、しゃくりあげた。
その途端、ぐるりと視界が回転する。
「……え……?」
詩鸞は戸惑った。涙に濡れた目を瞬 く。
視野はひっくり返っていた。天井が見えている。そして、こちらの身体を抱 え込み、褥 に押し付けている令雅の、詩鸞を見下ろす金茶の眸が見えていた。
逞 しい身体に、覆いかぶさられている。
「……れい、が……?」
凛々しい眉が苦しげ顰 められているのを見付けて、詩鸞は痣 の浮く彼の頬に手を伸ばした。そっとそこを包み込む。
令雅は詩鸞のてのひらにすこしばかり懐 いた。
それから、何かを堪 えるかのように、つらそうに歯を喰いしばった。
「覚悟は、ある。誰かのために命をかける覚悟は、とうに、あった。でも……」
令雅はそこで、ひと度、言葉を切った。
「でも、いままで……誰かのために……」
呻くように、もらす。
ぜい、と、ひとつ、わずかに荒い息を吐いた。
令雅は己の頬に添えられた詩鸞の手指の先を握った。
詩鸞は瞬きながら、じっと令雅を見詰めていた。
「……誰かの、ために、生きて帰りたいと思ったのは……はじめて、だ。――詩鸞……詩鸞、泣くな」
そう言うや、令雅は詩鸞に深く口づけた。
「ゆるしてくれ。いや、ゆるしてなんてくれなくてもいい。俺はいまから、あんたに犠牲を強いる。取り返しのつかない犠牲だ。その犠牲の分は……一生かけて、詫びるよ。――生きて……帰って」
熱っぽく言うと、令雅は再び詩鸞に接吻した。
詩鸞は呆然としたままそれを受けた。
ともだちにシェアしよう!

