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第35話 皇帝

 いま近くには佑祥(ゆうしょう)をはじめ、京城衛の兵卒たちがいる。その彼らもみな、一様に顔を蒼白にして、禁軍の錚々(そうそう)たる威容(いよう)を眺めていた。  令雅(れいが)もわずかに眉根を寄せて、くちびるを引き締め、ひどく厳しい表情を見せていた。  羽姫(うき)は先程、彼の父親が率いる禁軍がまもなくやって来ると言っていた。その通りになったということだ。  こちらには京城衛の兵卒がいるにはいるが、そもそも京城衛は少数精鋭の部隊だった。一騎ごとの実力はあちらよりも勝っているにせよ、いま目前に並んだあの数の禁軍兵卒を相手にして、とてもではないが、適うとは思われなかった。 「鳳凰……手にすれば、皇位は我がもの」  霊鳥に(またが)った男が、詩鸞たちのいるほう――否、男の目には、いまこちらの傍らにたたずむ鳳凰しか映っていないのかもしれないが――騎首を巡らした。高く手を掲げるのは、我が配下の禁軍に、何らかの合図を送ったのだろうか。  郭壁の上から何頭か、巨鳥が飛び立つのが見えた。 「お父様」  羽姫が父親を補助せんとするかのように、こちらに霊鳥の頭を巡らせた。  もうだめか、と、思った。自分たちはここで始末されてしまうのだろうか。そして、この男が鳳凰を手中におさめ、皇位すら手にしてしまうのだろうか。  詩鸞が口惜しさにくちびるを噛みつつ、ぎゅっと目を瞑った、まさにそのときである。  (くう)を切る音がした。  はっとして目を開けると、飛び立った霊鳥を操る兵卒が、矢を放ったようだ。頭上を跳ぶ鳥船からも、弩弓(いしゆみ)から()が放たれる。  そして山なりの軌跡を描いて飛んだそれらの向かう先は、禁軍将軍の男と羽姫、そして、朱家の私兵たちだった。  乗騎の羽に(やじり)が当たり、彼らの霊鳥は均衡を崩した。そのまま落下していく。 「……どうし、て……?」  詩鸞は突然の出来事に呆然とした。  なぜ禁軍が、その将軍や、彼の娘の羽姫を攻撃するのだろう。わけがわからない。けれども、あれよあれよという間に、乗騎を駆って地面に降り立った禁軍の兵卒たちが、将軍や羽姫たちをすっかり拘束してしまったのだった。  令雅を窺うと、彼はじっと城郭のほうを見据えていた。  そのとき、それまで傍らに佇んでいた鳳凰が、ばさり、と、大きく羽ばたいた。  神鳥がふわりと上空へと舞い上がる。そのまましばらく空を旋回すると、それから、鳳凰はゆっくりと郭壁のほうへと向かった。  やがて神聖な巨鳥は郭壁の上へと舞い降りる。  詩鸞はそちらへと視線を巡らせた。ちょうど鳳凰が舞い降りた辺りに、いま、もうひとり、男が姿を見せていた。 「あれ、は……?」  男は、赤毛に幾筋かの白い房髪の混じる髪を高く結い上げていた。ちら、と、こちらへと向けられる眸が、遠くとも、まるで猛禽類を思わせる。  その眼差しを、詩鸞はどこかで見た覚えがある気がした。 「あ……」  思い出して、声を上げる。あれは、監察使の一次試験の合格発表の後、廟堂の神像の前で出逢った男ではないだろうか。  男は自らの隣に降り立った鳳凰の優美な首に、ゆっくりと手を這わせるようだった。最高神とされる気高き霊鳥は、けれど、おとなしく男にされるがままになっている。 「……陛、下……」 「え?」 「あれ……皇帝陛下だ」  令雅のつぶやきに詩鸞は目を瞠った。再び、男のほうへ視線をやる。  すると、それまで鳳凰を撫でていた彼は、あろうことか、そのままその鳥の背に跳び乗ったではないか。  それでも鳳凰は暴れるようなこともなかった。ばさ、と、大きく羽ばたく。男を背に乗せてゆっくりと飛び上がった至高の鳥は、やがて、詩鸞たちの目の前に再び降り立った。 * 「陛下」  令雅が皇帝の前に平伏しようとする。詩鸞も慌ててそれに(なら)おうとしたが、その前に、鳳凰から降り立った男が張りのある声でそれを止めた。 「礼はよい。楽に」  「陛下……おそれながら、これはどういうことでしょうか?」  説明してほしい、と、血筋の上では叔父にあたるのだという皇帝に対し、令雅は問いを投げた。  男は、ふ、と、目を細めてこちらを見た。それから、己の隣に依り添うように立つ紅い霊鳥を見て、その首のあたりをゆるく撫でてやっている。 「鳳凰は、代々の皇帝に依り添ってきた最高神だ」  鳥は、皇帝なのだというその男に撫でられ、鬱金(うこん)の眸を細めていた。ちいさな顔を、男のほうにすり寄せる。それは乗騎の天翔が、主の令雅に対してしてみせるような仕草だった。 「だが、鳳凰にもまた、寿命があるようなのだ。神託で鳳凰によって選ばれ、(おれ)が皇位を継ぐことになったとき、もうひとつ、告げられたことがあったんだ。(おれ)の在位のうちに、鳳凰の寿命が尽きる、とな。――結界が弱まっていたのは知っていただろう」  皇帝は令雅のほうへ眼差しを向けた。令雅がちいさく頷いた。 「あれは、当代の鳳凰がついに寿命を迎えようとしていたがために起こったことだ。十五、六年も前からかな。――だが、鳳凰の死は同時に、新たな鳳凰の誕生をも意味する。そも、鳳凰が司るのは、生と死、破壊と再生なのだからな」  どこか令雅に似た面差しの皇帝は、甥に向かって、ゆったりと笑んで語った。 「本来なら、鳳凰再生は十五年前、東の辺境に太風……太凰(たいおう)が姿を(あらわ)した際に行われるはずだった」  太風とは、まだ雌雄が別個体の状態の、鳳凰の雛だと思われるのだそうだ。京城の東に顕現するものを太鳳(たいほう)といい、国の東の端に顕れるものを太凰というのだ、と、皇帝は語った。 「鳳凰の代替わりに際してそれぞれ降臨し、人に我が血を与えて形代(かたしろ)とする。形代同士のまぐわいを(もっ)て合一し、雌雄同体の鳳凰と成る、と……まあ、伝説にはそう語られていたわけだが、なにしろ鳳凰の寿命は長い。代替わりの前例は、有史以来これまで、一度もなかった。おかげで実際に何が起こるのかはよくわからないまま……図らずも形代となったそなたらには、苦労をかけた。心から詫びよう」 「ど、ういう、こと……ですか」  形代などと言われても、何が何だか、まるでわからなかった。詩鸞の問いに、皇帝はちいさく息を吐いた。 「本来の血の形代は、令雅、そなたの父母が務めるはずだった。十五年前、東に太風が出現したという報告があってすぐ、(おれ)はそなたの父母を芝蒼(しそう)へと向かわせた。護衛に、禁軍をつけて、な。だが、それが失敗だった。なにを思ったか、愚かにも、我が兄は禁軍を以て、太風を殺害してしまったわけだ。――今回のことで明らかになったが、兄はどうやら、伝承の解釈を誤っていたようだな」  太風の血を得る時、鳳凰を得る。この文言は皇家にて言い伝えられてはきたものの、詳細まで知るのは皇帝に限られるのだそうだ。血の形代による鳳凰の再生をいうものだということを知らなかった皇帝の異母兄は、太風を手に入れれば皇位を得られると思い込み、それを捕えようとした。その挙句に、誤って殺してしまった。それが、十五年前、詩鸞の廬が焼かれたときのことだったのだという。 「十五年前の段階で、令雅の父母によって、鳳凰再生の儀は行われるはずだった。が、太凰が失われたことによって、予定が狂った。――今月に入って、京城の東に太風が現れたという話を聞くまで、鳳凰の再生も、半ばあきらめていたんだが……」  太風との戦闘の結果、令雅はその血を浴びた。そこへ折しも、十五年前、幼くして太風の血を浴びた詩鸞が上京した。 「偶然ではないのだろう。――宿命が動いた、と、いうべきか」  皇帝は鬱金色の眸を細めた。  太凰は再生を司るのだという。太鳳の血を受けた令雅を癒すたびに詩鸞の身から生じていた(ほととぎす)は、つがいの帰還を待ちわびる太鳳の想いを彼岸へと運び続けていたのかもしれない、と、皇帝は語った。  そして、十五年前にひとたびは失われたはずだった太凰を、再び此岸へと呼びもどした。ついには、鳳凰の再生を為さしめたのだろう、と、ゆっくりと息を吐いた。 「国を預かるものとして……そなたらの献身に、心より感謝する」  最後に皇帝は――さすがに立場上、膝を折ることこそしなかったが――令雅と詩鸞とに深々と頭を下げてくれた。

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