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#20 ミンチン専属秘書への配置換え〜ラビニアが仕掛ける悪魔の誘い〜
ネオンが濡れた路面を妖しく照らすロンドンの歓楽街、ソーホー(Soho)。
重低音のクラブミュージックが響くゲイバーの奥まったボックス席で、アーメンガードは祈るような面持ちで、ノートパソコンを開いたラムダスを見つめていた。
「そのUSB、ちょっと貸してみな」
ITスペシャリストであるラムダスの長い指が、キーボードの上で滑らかに踊る。
「あー、この持ち主、もしかしてLinuxユーザーだったりした?」
「え? りなっくす? いや、そこまでは知らないけど?」
「このUSB、『ext4』っていう形式でフォーマットされてるんだ。今変換してやるよ」
「え、マジで直るの?」
ラムダスがフッと微笑む。画面を確認すると、そこにはパスワードロックされたファイルが一つだけ入っていた。
「あぁ、ほらよ」
アーメンガードはひったくるようにUSBメモリーを受け取ると、すかさず自分のスマートフォンへと差し込んだ。画面がパッと明るくなり、これまで頑なに拒絶されていたフォルダがするりと展開される。
「あ、本当だ。中身が見れるようになった……!」
歓喜に震え、スマホ画面を食い入るように見つめるアーメンガード。その時、ラムダスの目が一瞬だけ鈍く光った気がしたが、目の前の興奮がすぐにそれをかき消してしまった。
「サンキュー、恩にきるぜ!」
「えっ、ちょっとアーメンガード!? もう帰るの!? まだ一杯も飲んでないじゃない!」
「ごめん! 急いで渡さなきゃいけないんだ! 今度必ず奢るから!」
夜のソーホーの街へ一目散に駆け出していくアーメンガードの背中を見送りながら、ラムダスは「はぁ!?」と大げさに肩をすくめた。
「ほんっとに付き合い悪いわねぇ! あんた、私に特大の貸しができたんだからね!」
◇
夜風が冷たく吹き抜ける歓楽街の路上。一刻も早くセーラにこのUSBを届けようと足早に駅へと向かっていたアーメンガードだったが、ふと、ある残酷な現実に気づいてピタリと足を止めた。
(……待てよ。俺、処分が決まるまで自宅謹慎じゃん……)
街灯の下で焦燥に駆られ、考え抜いた果てに、アーメンガードの脳裏に浮かんだのは、激しく掴み合い、罵り合ってしまったあの新入社員の顔だった。
(……ロッティー。あいつに頼むしかないのか)
アーメンガードはその場で会社支給のスマートフォンを取り出し、ロッティーの番号をタップした。指先がわずかに震えていた。セーラのためなら、何度でも頭を下げられる——その想いが、彼を突き動かしていた。
◇
電話を切ってから小一時間後、急な呼び出しに息を切らせて駆けつけてきたロッティーの手に、アーメンガードは漆黒のUSBを無言でぎゅっと握らせた。
「これ、頼む。誰にも見つからないように、セーラさんに渡してくれ」
突然呼び出されたロッティーは、渡されたものの重みに目を丸くしながらも、気まずそうに視線を彷徨わせた。
「あの……アーメンガードさん、この前は、ぶったりしてごめんなさい……」
「いいんだ、その話は。俺も頭に血が上ってた。それより、今の俺じゃ会社に入れないから、君に託すしかないんだ。……頼んだよ」
まだ何か言いたげなロッティーの後ろ髪を引くように、アーメンガードはそれだけを告げると、すぐに踵を返してその場を立ち去った。
しかし、彼らは知らなかった。
アーメンガードが使っていたのは、会社から支給されたスマートフォンだということを。端末のすべての通信ログや位置情報は、セキュリティシステムによって最初から完全に掌握されていたのだ。昨夜、不用意にUSBを直挿しした瞬間から、彼らの通信も動きも、すべては手のひらの上で「泳がされていた」に過ぎなかった。
◇
翌朝、ミンチン・コーポレーションのロンドン支部。
いつもと同じように出勤し、通用エントランスへと足を踏み入れたロッティーは、背後から不意にかけられた声に心臓が跳ね上がるのを覚えた。
「おはよう、ロッティーくん。随分と大事そうに何を握りしめてるのかな?」
背後からぬっと現れたのは、ラビニアとその取り巻きのジェシーだった。
「ひぃっ……! ラ、ラビニアさん……っ!?」
ラビニアが「おやり」とばかりに顎でしゃくると、ジェシーが待ってましたとばかりにロッティーの細い腕を乱暴に掴み上げた。
「痛っ……! やめてください!」
「大人しく渡しな。痛い目を見たくないだろ?」
ラビニアが冷たく見下ろす中、ジェシーはロッティーの指を無理やりこじ開け、あっさりと漆黒のUSBを奪い取った。恐怖に震えるロッティーを嘲笑うように突き飛ばし、ラビニアたちは足早に去っていった。
◇
数時間後、社内の情報システム部。
奪ったUSBの解析を行わせるため、ラビニアは社内のシステム部の一角に足を踏み入れた。
「……どう、ガートルードくん。例のUSBの中身は引っ張り出せそう?」
ラビニアの問いかけに対し、モニターを見つめていたガートルードは、ラビニアと目を合わせようともせず、早口でボソボソと喋りだした。
/*
【ガートルード】
情報システム部所属の居座りインターン。量子コンピューター開発において社内最高峰の知能を持つ天才的な青年。自身の興味を原動力とするマッドサイエンティスト気質。ややコミュ障気味だが、ラビニアの承認欲求を刺激する言葉には脆い。
*/
「これ、強固なパスワードロックがかかってますね。普通の総当たりじゃ何百年かけても無理。僕の個人的な解析アルゴリズムを走らせても、かなり時間がかかるか……もしかしたら解けないかもね」
「ふーん……」
ラビニアは腕を組み、つまらなそうに目を細めたが、ふと思いついたように尋ねた。
「こういうのって、今時何が入ってたら『お宝』って感じがするわけ?」
「お宝? ククッ、そうですねぇ……」
ガートルードはモニターから視線を外さないまま、不敵な笑い声を漏らした。
「暗号資産の秘密鍵とかかな? 億単位の莫大な資産が、この中に眠ってたりしたら、ロマンがあるよね」
暗号資産の秘密鍵。その言葉を聞いた瞬間、ラビニアの瞳に鋭い独占欲と野心がギラリと灯った。
(もし本当にそんな大金が入っていて、俺の手で解読できれば……セーラを完全に足元に跪かせられる……!)
「あ、それとこれ。面白い痕跡が残ってますよ」
ガートルードは画面のバイナリデータを指さした。
「1つは、最近『ext4』から『FAT32』にフォーマットしてますね。クイックフォーマットでやったみたいだから、ファイルの残骸が丸見え。普通のWindowsやMacじゃ読めない形式だから、誰かがわざわざ書き換えたんだろうね。それと……」
ガートルードは少しもったいぶるように続けた。
「……これぇ、スパイウェアが仕込まれてましたね」
「えっ!? 嘘でしょ……!」
ラビニアはガタタッと立ち上がった。
「もしかして、社内ネットワークに挿しちゃった!?」
「いやいや、僕がそんな初心者みたいなミスするわけないでしょ。隔離PCで作業しましたから、社内ネットワークは無傷ですよ」
ガートルードはククッと不敵に笑った。
「これを最初に何も考えずに挿しちゃった『誰かさんの端末』は、今頃中身が丸裸でしょうけどね?」
ラビニアは彼のデスクに身を乗り出すと、甘いコロンの香りを漂わせ、ガートルードの耳元で囁くように微笑んだ。
「しかし、いろいろわかっちゃうんだね、 スゴイじゃん!」
「てへ。……で、どうします?」
「それさぁ、中身バックアップ取ったら、そのext4っていうのでフォーマットし直してくれる?」
「了解ですあります。( ̄^ ̄)ゞ」
ラビニアは中身を抜き取ったUSBメモリを受け取ると、にやりと笑った。
「今度、飲み行こうよ、奢ってあげる〜」
ラビニアはひらひらと手を振りながらその場を後にした。
◇
地下の薄暗い資料室。特にすることもなくデスクの前に座っていたセーラの前に、ラビニアが嫌らしい笑みを浮かべて現れた。
「探してるのはこれかな?」
ラビニアが漆黒のUSBをチャラチャラと指先で揺らして見せた。セーラの瞳が鋭く見開かれる。
「……ラビニア、貴様。それをどうした」
セーラが立ち上がり、掴みかかろうとした瞬間、ラビニアはポンッとあっさりそのUSBをセーラの胸元へ投げ渡した。
「そんなに大事なら、返してやるよ」
予想外のあっさりとした返却に、セーラはUSBを両手で受け止め、強い警戒心を露わにした。ラビニアはニヤニヤと笑いながら、まるで罠を仕掛けるように甘くねっとりとした声を出した。
「別にタダで返すわけじゃない。それはお前への『前金』だ」
「……前金、だと?」
「ああ。明日からお前は、ミンチン支社長の『専属秘書(付き人)』として働くんだ。お前が今まで積み上げてきた功績を評価した、支社長の寛大な処置さ。こんな地下でいつまでも清掃員をやらせておくより、元エリートのお前にはお似合いの仕事だろ? ……働き次第では、元のポジションに戻してくれるかもな?」
ラビニアの言葉に、セーラは手の中のUSBをきつく握りしめた。
わざわざ支社長の付き人にするなど、ろくでもない罠であることは火を見るより明らかだった。何が寛大な処置だ。中枢に引きずり出し、さらに惨たらしく嬲り、屈服させるための新たな企みにに決まってる。
(だが……地下でただ泥水をすすっていても、父の死の真相には一生辿り着けない)
どんな罠が待ち受けていようと、敵の懐に飛び込まなければ反撃の糸口は掴めない。セーラは冷たく光る瞳でラビニアを見据え、その屈辱的な命令を真っ向から受け入れた。
「……分かった。明日から支社長室に上がる」
ラビニアの唇が、満足げにゆっくりと弧を描いた。その瞳の奥には、セーラを再び自分の視界の中に閉じ込め、好きに嬲れるという歪んだ喜びと、抑えきれない執着が燃えていた。
中枢 へ近づくための、決死の逆襲劇が、今ここから始まろうとしていた。
つづく
—
【次回予告】
お茶汲みの恥辱から逃れるための方便が、いつの間にか「女装して化ける」という、さらに倒錯した最悪の手段へとすり替えられていく。
次回
#21 「セーラに完璧な仮面をつけてやってくれ」〜悪魔の話術によって退路を断たれるセーラ〜
「……分かりました。俺がやれば、アーメンガードのことはお咎めなしってことでいいんですね?」
お楽しみに!
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