21 / 65
#21 「セーラに完璧な仮面をつけてやってくれ」〜悪魔の話術によって退路を断たれるセーラ〜
ロンドン支社の最上階。重厚なマホガニーのデスク越しに、ミンチン支社長は葉巻の紫煙をゆっくりと吐き出した。
「今日、午後イチで我が社に大切な来客がある。例の深刻なナフサ不足の件で、最大融資元となっている大口のクライアントだ」
支社長室の中央に立たされたセーラは、無言でその言葉を聞いていた。昨日から「専属秘書」という名目でこの中枢フロアに引きずり出されたものの、それが自分を嬲るための新たな罠であることは明白だった。
「お前もよく知っている男だ。お前が『ダイヤモンド◇プリンス』として華やかにバルク取引を仕切っていた全盛期に、何度も会食をした仲だろう?」
ミンチンの唇が、サディスティックに歪んだ。
「その、今日の逆人のお茶汲みだがな、——お前がやれ」
セーラの背筋が凍りついた。
(あの男の前に……今のこの、すべてを失った惨めな姿を晒せというのか……!)
かつて対等、いやそれ以上の立場でビジネスを交わした相手。その男の前に、お茶汲みとして頭を垂れろと言うのか——。それはセーラの残された僅かなプライドを、根元からへし折るに等しい屈辱だった。
だが、セーラは本心を悟られまいと必死に表情を押し殺し、あくまで実務的な理由を装って退路を探った。
「……お断りします。俺はお茶など淹れたことがない。粗相をしてクライアントの機嫌を損ねては、会社に泥を塗ることになります。俺にはできるわけがない」
もっともらしい言い訳。しかし、ミンチンは待ってましたとばかりに、パチン、と指を鳴らした。
「心配するな。できないというなら、優秀な先輩秘書が手取り足取り教えてくれる」
執務室の奥のドアが開き、カツン、カツンと高いヒールの音が響いた。
現れたのは、タイトスカートを蠱惑的に穿きこなし、完璧なメイクアップを施した驚くほど美しい「謎の女」だった。彼女は滑らかな足取りでミンチンの傍らへ寄ると、その広い肩に親しげに顎を乗せた。
(誰だ……? 新しい秘書か?)
セーラは訝しげに眉をひそめた。
だが次の瞬間、その美女の口から紡がれた「声」に、セーラの心臓は激しく跳ね上がった。
「なんだセーラ、お茶が淹れられないんじゃない。あの男に面 が割れるのが恥ずかしいんだろ?」
聞き覚えのある声——。それは、夜毎抱き潰し、耳元で何度も喘がせた、あのラビニアの声だった。
「……まさか、ラビニア……お前だったのか!?」
セーラは驚愕に目を見開いた。
目の前にいる美女が、かつての部下であり元恋人のラビニアだったとは。骨格の線を消す巧みなメイク、仕草、そして身に纏う空気までが完全に書き換えられており、本当に声を聞くまで、全く気がつかなかった。
ラビニアは愉悦に瞳を細め、艶っぽく嗤った。
「ふふっ、気がつかなかったでしょ? まるで他人のように成りすませてるよね。……なら、顔が割れるのが嫌だったら、ワタシ がやってるみたいに『仮面』を被ればいいんじゃないの?」
図星を突かれ、セーラは息を呑んだ。
ラビニアはセーラの周囲をゆっくりと歩きながら、サディスティックな誘惑を囁き続ける。
「あなたはワタシ がメイクしてその辺を歩いてる時、すれ違っても気がついてなかったのよ。今日、声を聞くまではね」
その言葉は、セーラにとって決定的な真実だった。実際にオフィスですれ違っても、この女装したラビニアに気づくことはなかったのだ。それはつまり、「この仮面は完璧である」という証明に他ならない。
「なんならメイクしてあげるよ。セーラだったらきっと似合うよ。誰も気がつかないよ、完全に化けられるって」
退路を塞がれ動揺するセーラをよそに、ミンチンが大げさに手を叩いた。
「——そうだ、それがいいじゃないか! ラビニア、よろしく頼むよ。セーラに完璧な仮面をつけてやってくれ。元プリンス様だ、無様な素顔のままじゃ恥ずかしいもんなぁ」
お茶汲みの恥辱から逃れるための方便が、いつの間にか「女装して化ける」という、さらに倒錯した最悪の手段へとすり替えられていく。
悪意に満ちた二人の連携トークの前に、セーラは完全に言葉を失い、硬直した。
(女装だと……? 俺に、そんな格好をしろというのか……っ)
激しい拒絶感が胸をよぎるが、口を開く前にミンチンが冷酷なトドメの脅迫を放った。
「それとも、お茶汲みそのものが嫌だと言うのか? なら仕様がないな。君の可愛いお友達のアーメンガード君には、会社の備品を漁った泥棒として、ムショで臭い飯を食ってもらうしかないな」
「……ッ!」
セーラの拳が、爪が手のひらに食い込んで血が滲むほどに強く握りしめられた。
アーメンガードは、セーラの亡き父が遺したUSBメモリを奪還するために、自らのキャリアを犠牲にして動いてくれた恩人だ。その彼の人生を、自分のつまらないプライドのせいで終わらせるわけにはいかない。
すべての退路は塞がれた。言い訳も、反論も、もはや何一つ残されてはいない。
圧倒的な絶望と屈辱のなかで、セーラは震える唇を噛み締め、ようやく声を絞り出した。
「……分かりました。俺がやれば、アーメンガードのことはお咎めなしってことでいいんですね?」
お茶汲みだけでなく、「女装の仮面を被る」という条件まで完全にひとまとめのパッケージとして、自ら首を縦に振らされてしまったセーラ。
悪魔の話術によって退路を断たれたかつてのプリンスは、こうして逃れられない「硝子の仮面」の檻へと引きずり込まれていったのだった。
つづく
—
【次回予告】
ラビニアの手で男の尊厳を少しずつ削り落とされ、されるがままにされていくセーラ。ゆっくりと瞼を開けた彼の前に、残酷で甘美な変貌の瞬間が訪れる。
次回
#22 「……目を開けてごらん。これが、今のあなたよ」〜鏡の中に映る艶やかで儚い『見知らぬ果実』〜
「なっ……何だそれは」
「まつ毛を上げる器具よ。動かないで」
お楽しみに!
ともだちにシェアしよう!

