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一『ポジションとは』
「今夜の議題は僕たちの性行為について、ということでいいでしょうか」
半額のエビチリと、某有名食品会社のタレを豆腐にからめただけの麻婆豆腐、卵スープに白米の食卓を前に、真っ赤な顔をしながらそう言った男。
この家の家主、名を八月一日来夏という。
御歳二十九。ちなみに六月産まれである。
「恥ずかしがるくらいなら言わないでよ」
即座に突っ込みを入れたのは、友人よりは確かに上、恋人よりは僅かに下、いわゆる、友達以上恋人未満、という絶妙な距離に身を置く男、山田大輔、三十歳。
この物語の登場人物は今のところ彼らのみ。
ここで少々補足を一つ。
八月一日と書いて、ほづみ。
来る夏と書き、らいか、と読む。
彼は自分の名前を非常に嫌っているのだが、仮名を使うのはこちらとしても非常に面倒なので、ここではそのまま、来夏と呼ばせていただこう。
話題が逸れたようだ。
二人の人となりは後々記するとして、今夜の話題は夜の営みがメインだ。
個人的な意見を言わせて貰うと、合意の上ならば朝でも昼でも好きに営めば良いとは思ってはいる。
ここからまた余談にはなるが二人が現在まで同じ寝具で睡眠を共にしているのを見た事はない。
口付け的なものは知らない。
見てないところで済ませている可能性はある。
この来夏の部屋の、ここからすぐ右手にある来夏のベッドは狭いシングルサイズ。成人男性二人が収まるにはあまりに無体なサイズであり、山田が持ち込んだ布団といえば、これ以上ないほどに薄っぺらな煎餅布団。勿論狭い。
そして今彼らが食事を摂っているのもこの部屋にある座卓だ。寝る時にはその座卓を避けて布団を敷く訳だが、家具で四隅がどこかしら折れ曲がってしまう。
そんな八畳の居間が舞台の全てである。
「来夏コーラ取って」
そんな部屋の中、閑話から現実に連れ戻すかのような山田の声。平然とした顔のままそう言った山田は、冷蔵庫の近くに胡座をかく来夏へコップの縁を向けたのだった。
「ご飯の時ジュース飲んだらダメ」
「母さんみたいなこと言うなよ」
コーラを諦めた山田はコップを手から離し、不満の残る子供のように口を尖らせて来夏をジトリと睨む。三十にもなる男がして良い仕草ではない。
来夏はその態度を意に介す事なく無反応で箸を進めた。
「だったら聞くけどそっちはどっちが良いの?」
そして、来夏の耳が未だほんのり赤いままな事に気付き、スープに口をつけながら仕返しのようにそう聞いたのも山田だ。
数秒体を硬くして箸を置き、指を組んで額を置き俯く来夏。ハーフアップにしている伸びた髪が、ほんの少しだけ前に垂れた。
「ええ……」
山田は項垂れた来夏を覗き込むように顔を傾ける。そこまで真剣に悩むことかと思ったのは山田も同じであろう。
あまりに真剣に悩む来夏の様子を横目で気にしつつ、意味もない頷きを二、三度見せて、山田は木目調のスプーンで麻婆豆腐を頬張った。
咀嚼を終えた山田は幾分柔らかく穏やかに先を促す。
「じゃあ、今までは?」
来夏がどんな気持ちでこの議題を今夜の食卓にあげたのかはわからないが、それなりの考えと悩みがあったからな訳で、とでも考えたのではないだろうか。
「どっちも。どっちもしたことあるよ。山田くんは?」
そう言った来夏が顔を上げたことに安心したのか、表情が緩む山田。
「俺もどっちも。でもタチの方がなんとなく多かったな。全体的に下やりたい人が多い印象ある」
二人の間にある、いまだ相手の顔色を伺ってしまう微妙な距離感。
「どっちがよかった?」
「いや、そっちは?」
数秒間を開けて再び始まった、あっちそっちどっちというなんとも間抜けな会話。
問いかけを問いかけで返すなと言いたいところではあるが、残念ながらこちらは声を発する事ができない。
黙って二人を眺めるだけというのもつまらないので、今一度もう見飽きたまである来夏の部屋を、この窓辺の定位置から観察してみようと思う。
一人暮らし用の冷蔵庫が置いてある正面の台所の左隣には、ここからは見えないが洗面所と風呂場がある。初めて風呂を借りた山田が、広いね、と言って、来夏は、古いけどね、と笑っていたと記憶している。その反対側には玄関。そして完全に隠れた場所にお便所。
そして二人が現在座している居間の隣の畳の部屋には来夏の趣味である楽器が置かれている。
そこまでオシャレに飾られている訳でもなく、かといって全くの無頓着でもない、ごくごく普通の成人男性の部屋だ。
「正直あんまり覚えてないんだよね。毎回結構必死でさ。そこまでの経験もないし。田舎だと出会いもないでしょ。どのアプリも大体同じ人じゃない?」
「え、去年別れたばっかって言ってたじゃん」
何故か責めるような来夏の口ぶりに、山田は何度か軽く頷いてみせた。
「まぁ、ぶっちゃけるとそいつ既婚者だったんだよね」
顔を顰め首を掻いた山田に、来夏は神妙な顔を作り「…おお…」と意味のわからない相槌を打つ。若干引いている。
「来夏は?何人か付き合ってた人いるんでしょ?」
「いや確かにいたよ?いたけど結構身体目的っていうか、そういう付き合い方が多くてさ。はっきり言えばちゃんと続いた事ない」
「ああ、まぁそれ隠さない人もいるしね。の割にクローズだから二人で店とか行きたくないとかさ」
「会ったらすぐホテルみたいなね。気にしすぎな気もするけどね」
「まあねぇ」
どこぞのOLのような会話になり、こちらとしては非常にコメントがしずらい。
話は途切れ、夕食が再開されると思いきや来夏は眉を寄せる。ううん、と唸るような声を出して眉間に皺を刻み首を傾げ、口を尖らせた。
何度かの瞬きをする。一点を見つめた先は指に絡んだ箸先のようだった。
「俺はあんまり、ちょっとなぁって。あ、いや、やったよ?そういう時は。ノリ悪いとか思われんのもイヤだし」
ぶつぶつと口ごもる来夏の言葉に山田も瞬きを繰り返す。ふむ、と一度大きく頷いた。箸を置いてさらに考えるように腕を組む。
そうして一度大きく息を吐くと、来夏を正面から見つめた。
来夏が、何、と言うように瞬きで問いかけると山田はゆっくりと口を開いた。
「確かにそう思われるのが嫌だって気持ちもわかる。男同士なんて結局最終的なゴールがどうしても曖昧になるから、そういうものって思いこもうとしてた時期が俺もあるよ。正直。でも本当はノリでするものじゃないよなってずっと考えてた。これに関しては」
そう言った山田は鼻で息を吸って吐いて腰を上げて、来夏の言いつけを破り冷蔵庫からコーラを取り出す。
グラスに移される炭酸飲料。
無数の気泡がシュワシュワと音を立てた。
同罪だとでもいうように来夏の分も注がれていく。
山田は一口飲んで拳の下で小さなゲップを溢す。失礼、と一言断りを入れ呼吸を落ち着かせるよう今度は咳払いを一つして、俺の持論だけどさ、と口を開いた。
「俺たちは男同士で、はっきり言っちゃえば挿入を伴うならお互いにリスクがあがるし、スタンダードなセックスって訳じゃないと思ってるんだ。コンドームを使えば問題ないって訳でもないし。勿論男同士じゃなくたって試す人達はいるだろうし、そういうプレイが好きな人だっているだろうけど俺達はそうする場合は選べないじゃない。じゃあ、そこに生産性がないとなればさ、あとは性欲、スキンシップっていう名目になる。だから俺たちはセックスする前にきちんとした話し合いをするべきじゃないかと思うんだよね。体のコンディションもそうだけど、気持ちのコンディションもね。あとこれはNGっていうのも確かめておかなきゃいけないし、ルールを二人で決めなきゃいけない。まぁこの辺の事は男も女もないと思ってるけどね」
展示会を開催できるほどの大量の理屈が並べられいく。
山田の言葉に抑揚はない。けれど澱みなく出てくる山田の持論というやつは、なかなかどうして聞きやすく、なるほど首を縦に振ってしまいそうになる。
いつのまにか居住まいを正していた来夏は再び数度瞬きをして「はぁ」と曖昧な返事を返すことしかできないようだった。
「あ、別に身体の関係を否定してる訳じゃないからそこら辺は誤解しないで。それからさっき言ったみたいに、それだけが目的の人だっているだろうし、セックスをしてから付き合いを決める人だっているのもわかってる。それを批判するつもりも否定もしないよ。俺が少し違うかなって思ってただけ」
出すものを出してスッキリとした顔の山田は、箸を再開して半額のエビチリを白米にワンバウンドさせてから口に運んだ。半額助かるよね、などと言いながら。
来夏は未だ、正座した膝に両の拳を乗せている。
「あ、で?来夏はどっちが良いの?」
よくもまぁ、つらつらと語っておいて言えたものだ。
「なんか、らいいかな、まだ。なんだろう。せっくすとは、一体……」
確かに来夏はこの部屋に存在しているが、彼は虚空を見つめ、壊れたレコードのように「せっくすって、何……」と呟くだけだ。
「え、哲学?」
限りなく着地の遠い応酬が続きそうだ。
そんな折、背後の少しだけ開けた窓から春の夜風が部屋に届いた。
「寒くない?」
直に受けるとまだまだ身震いするくらいの冷気に、来夏は我に返り膝立ちをして腕を思い切り伸ばし窓に手をかけたが、山田は部屋に満ちた遅い早春の香りを楽しむように思い切り息を吸い込んだ。
ゆっくりと吐き出し「いや、外の空気好きだから」と笑ったので、それには同感だ、と風の流れに乗って頷いておいた。
して、ポジショニングの議題がどうなったかは皆様の想像通りである。
この数秒後には夏に上映される映画の話題で宵の営み会議は、半額のエビチリと簡単麻婆豆腐のごとく、テーブルの上から綺麗さっぱり消え失せた。
二人の進展は暫くは望めないだろう。
こちらとしても今更同居人達のあれこれを見せられちゃたまったもんじゃない。
気の済むまで話し合いを続けてほしいと願うばかりなのである。
◆◆◆◆
それは夜半過ぎの出来事でした。
「来夏はしたいの?」
小さな町が寝静まった真夜中、ベッド脇のライトだけが付けられていたのです。
「していいならしたいけど」
「けど?」
そう聞き返した山田に来夏はクスクスと笑いました。
「なんか、勿体無いなって」
と、そう言って。
誰にも聞こえないというのにひどく小声で話す二人の声を耳が拾いましたが、どうにもこうにも夜は苦手で、ここはあえて聞こえないふりをさせていただこうと決め込んだのでございます。
草々。
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