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『山田大輔の特記事項』
山田大輔。三十歳。
しがない市役所職員である。
このご時世、地方都市とさえ呼べなくなった北の町で、公務員である彼は「勝ち組」に分類されるのかもしれないが、本人は至って普通に日々を過ごしている。
地元の公立小中学校を普通に卒業し、工業系の男子高をこれまた普通に卒業した。勉強は嫌いじゃないが好きでもない。大学へ進学するほど人生への熱意もなく、親に勧められてなんとなく受けた公務員試験を高卒枠で合格し、そのまま就職。
実家から職場まで徒歩二十分弱。特に不便も不満もなく、ずっと実家住まいを続けている。
現在は来夏の家に泊まりっぱなしではあるが、この家から職場までが更に近い。徒歩十五分という距離らしく、山田の車は実家の駐車場で眠っているらしい。
月に一度の散髪と顔剃り。眉毛あたりまであるセンター分けの前髪が、癖毛でいつもくるりと外にハネている。
本人は自分の容姿にさほど興味がないように見える。
スーツを着た時でさえ、どこか薄らぼんやりとして見えるのがその証拠かもしれない。他人に不快感を与えないような最低限の身支度だけで、鏡をじっくり見ることもしない。
けれど来夏がその顔を綺麗な顔と言うのだから、人の感性や好みというのは実に不思議なものである。
あ、そういえば確か眼鏡をかけていたはずだ。
特技はなんだろう。特にないと思う。
趣味の将棋も最近は指す相手がおらず、ルールも知らない来夏の横でたまにアプリのAIを相手にする程度だ。
本は読むがこだわりはない。古本屋での表紙買いで事足りる。
テレビの音を「うるさい」と子供のように嫌がり来夏を心配させたかと思えば、スマホのショート動画をぼんやり眺め続け、来夏にスマホを取り上げられたりもする。
全て中途半端にできて、全て中途半端にできない。そんな男だ。
特に親しい友人もいないようだが、本人は気にしていない様子である。子供の頃から一人の時間が嫌いではなかったらしい。
それゆえかはわからないが、恋愛経験もあまり豊富ではないようだった。
初体験は二十一。マッチングアプリで知り合った男に会う為に初めて一人で札幌へ出かけ、一度寝て終わったと以前自ら言っていた。
一年ほど続いたという既婚者の男とのことは、本人が語りたがらないからこちらが知る由もない。
来夏の家に住み着いた事に一番驚いているのは実は本人ではないだろうかと思う。
泣くほど辛い目にも、跳ねるほど良い事にもあわず、気付けば三十になっていた。
それが山田大輔がこの部屋で語った自分史だった。
山田は現在、市民部戸籍住民課という部署にいる。
どんな業務も、可もなく不可もなく影薄く、淡々とこなしているに違いない。
山田大輔の日常は、特記事項特になし以外に書きようがないほど、この国のこの時代に埋もれてしまうだろう。
◆◆◆
「そうかな」
こちらの独り言に気づいたようにそう言って眉を寄せたのは来夏だ。山田の足がぶつかった拍子にこちらの身体がふるりと揺れたのとほぼ同時だった。
勿論、あいも変わらず来夏の部屋である。
夕食を終えたばかりだというのに、山田の手にはカップに入ったスナック菓子がある。
ボリボリと菓子を噛み砕きながら部屋を横切って、ベッドの縁に背を預け胡座をかいた拍子に、山田の足が窓辺のカラーボックスに当たったという訳だ。
「痛っ」と呟き体を丸め自分の足の小指を眺める た山田は、自身の指に何事も起きてない事を確かめるとようやく来夏に振り向いた。
来夏は山田の手に収まるカップから、スナック菓子を一本頂戴するとそのまま口へと運び込む。
ベッドの上に座り込み、だらしなく壁に頭をつけ伸びた身体のその腹にギターが乗せられていた。
来夏は何を弾く訳でもない。
なんとなく肩にかけたのだろう。
思い出したように来夏の指が弦の上を滑る。
その度にキュキュキュと音が鳴る。フィンガーノイズというらしい。随分と心地の良い音だ。山田が好きだと言ったら来夏がそう教えたのを覚えている。
「そうだよ」
せっかくの良い音は、スナック菓子に手を伸ばされた事でまた消えてしまった。
山田の不服そうなその声に、来夏はベッドの上に座り直し、ギターを肘置きにして頬杖をつく。
「俺はそう思わないけど」
首をかしげる来夏だが、山田はどこか納得のいかない様子だ。
「そうかな」
「そうだよ」
また始まったとりとめのない二人の会話だ。毎晩毎晩よくもまぁ話すことがあるものだと感心すらしてしまう。
外はあいにくの春の雨で、今夜は窓が開けられていない。室内では除湿機代わりのエアコンがつけられていた。
ずるずると鼻をかむ来夏と、咳払いをして喉を鳴らす山田が、さらに鼻を啜った。おそらく、暫くの間手入れされてないだろうエアコンが埃まで排出しているのだ。不快感極まりない。
二人の些細な仕草にまでケチをつけたくなるのは、閉めっぱなしの八畳間で一日いっぱい自然の風を浴びる事ができなかったくさくさとした気持ちのせいだろう。
こんな時は黙って聞かないふりをするのが一番ではあるが、いかんせんこのせまい部屋では嫌でもこちらに届いてしまうのだから致し方ないのである。
「例えば?」
そんなこちらのことなど気にする訳もなく進んでいく二人の戯言。
「まず公務員。誰でもなれる訳じゃない」
「なれるよ。医者だってパイロットだって誰にでもなれる。受かれば」
「屁理屈禁止」と切り捨てた来夏に、ごもっとも、と同意する。
「それからねえ、可もなく不可もなくって一番難しいと思うよ」
「来夏は可の方だからそう思うんだよ」
「どこが。不可でしょ」
「国立大学出てるでしょ?音楽できるでしょ?あと接客業?俺にはできない」
今度は来夏が顔を歪める。
「山田くんはできるよ」
「できないって。俺高校の頃ラーメン屋のバイトクビになったの言ったじゃん」
「聞いてないけど」
「言ってないっけ?まぁ、クビって訳じゃないんだけど、君には合わないかもって遠回しに言われたって感じ」
「例えば?」
「ええ。例えば」
会話の合間に、ボリボリと間抜けな効果音が流れている。
山田は咀嚼しながらそう言って、ハーフパンツで指を拭くと「例えばさ、ラーメン美味しかったよって言われたら作ったの自分じゃないですって言っちゃったり?今ならありがとうございますって一言言えばいいのはわかるんだけどさ」と続けた。
「それだけで決めるのおかしくない?」
「けど接客する人って相手を気持ちよくする素質を持ってるんだと思うよ」
「そんなの俺だってできてるかわかんないよ」
「来夏はできてると思うけど」
山田は、来夏が働いているその姿を思い出すように目線を天井へ向ける。
「俺は山田くんのそういうとこいいなぁって思うけどな」
「ええ?」
「山田くんから嘘みたいなもの感じないっていうかさ。それだけで合わないとかちょっとどうなんだろう」
山田は、来夏の言葉に虚を突かれたように目を見開く。一拍遅れて、顔を赤くした。
「そう、だよね」
山田は未熟だった頃の自分を自ら肯定してやるようにぽつりと溢す。うんうんと頷きながら、来夏の腕が再び菓子を摘んだ。
「そうだよね、一晩でメニュー全部覚えたんだよ、俺」
笑い混じりにそう言った山田に、来夏の方こそ笑い顔なる。
「え、マジ?」
「そりゃあ、やるならちゃんとやりたいし」
「ほら、勿体無い」
「ま、味噌ラーメン四種類とチャーハンと餃子しかない店だっただけなんだけど」
「なにそれそれ逆に行きたいんだけど」
「辞めてすぐ潰れた」
「ええ。あと何かバイトしたりしたの?」
「スーパーのレジ。あれはよかったな。ある程度マニュアルがあって。就職ここでもいいなとか思ってたし」
「なんで辞めちゃったの?」
「潰れた」
山田の短い一言で、途端に来夏は腹を抱えて笑い出す。
その笑い声は壁に反響して、山田まで笑ってしまう始末だ。
「絶対嘘。スーパーなんて簡単に潰れないでしょ」
「本当だって。潰れる時マジで一瞬だから。だから親が市役所とか病院なら潰れないんじゃないかって勧めてきたんだもん」
「うそだ」
「本当なんだって」
ぽんぽんと言葉を投げ合う度に、蛍光灯の太陽の元、部屋中に笑い声の花が咲く。
外では変わらずしとしとと、水の糸が垂れているというのに。
◆◆◆
雨は止みそうになかった。
雨粒が何かに当たる一定のリズム。
電気を消して、あとは眠りにつくだけの八畳間で、急に来夏がクスクスと笑い出す。
「何」
つられて山田も笑って聞いた。
「山田くん、絶対浮気できないタイプだね」
「浮気なんてしないのが当たり前だと思うんだけど」
山田の言い分に、来夏は再びクククと声を出して「確かにそうなんだけどさ」と、同意したのだった。
人間というのは本当に不思議な生き物である。
外見と中身がまるで一致しない人間もいるし、心体同一を地でいく人間もいるだろう。
そしてその人間の印象も、人に寄って変わるのだからなかなかどうして興味深い。
ここはひとつ、山田の備考欄には言わぬが花とでも書いておくのはどうだろうか。
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