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第43話

「洸くん? 入っていい?」 コンコン、とドアをノックして様子を伺う。奥から少しバタバタと足音が聞こえた後、そっとドアが開いた。 「あらたせんせ、もう話終わったん?」 思っていたよりも不機嫌そうではない洸くんの様子に、ホッと胸をなでおろしながら「うん」と頷く。 「今、弦くんが下でサプライズ用意してくれてるんよ。一緒に降りひん?」 ドアの隙間から声をかけると、ガシッと力強く腕を掴まれ、そのまま部屋の中へと引き摺り込まれた。 「……まだ、学習机置いてあるんや」 あの頃からあまり変わっていない部屋を、ゆっくりと見回す。普段オシャレな服に身を包んでいる洸くんやから、リビングのように洗練された大人の空間にしているものとばかり思っていた。 「……俺の気持ちは、あの時で止まってるから。あらたせんせとの大切な思い出がある物は、全部捨てられへん」 そう言って、洸くんは丁寧に使い古された机の天板をそっと撫でる。 そういえば、俺の部屋にもずっと捨てられずにいる、洸くんとの思い出の品が飾ってある。洸くんは前に俺の家へ来た時、それを見つけることはできなかったみたいやけど。 「ん、」 「ん?」 椅子に座った洸くんが、俺に向かって両腕を伸ばしてきた。 さっきから普通に話してくれるせいで忘れていたけれど、そういえば、俺たちはこの前「気まずいこと」をした仲やった。 「……下に連れて行きたかったら、俺の機嫌とって」 唇を噛み締めながら、少し恥ずかしそうに甘えた声を出す。 これは、幼い時のままの洸くんとして受け止めていいのか。それとも、こないだのような一歩進んだ「大人の関係」を望んでいると捉えるべきなのか。 「……じゃあ」 少し迷ってから、そっと洸くんの背中に腕を回した。一度だけギュッと力を込めて抱きしめ、すぐにまた、名残惜しさを残して離れる。 「……どう? 機嫌なおった?」 年甲斐もなく少し照れながら尋ねると、洸くんは「えへへへ」と耳まで真っ赤にしながら、笑いを堪えきれない様子で崩れた。 丁度いい中間地点。どうやら選択肢は間違っていなかったようで、ホッと安心する。 「……弦くんが待ってるから、行こか?」 洸くんに両手を差し出すと、彼は素直にその手を重ねて立ち上がった。 けれど、安心したのも束の間。洸くんは俺のしたことを真似るように、今度は自分の腕を俺の背中に回し、そのままぴったりと動かなくなってしまった。 「……洸くん?」 「……俺な? あらたせんせがおらんなって、めっちゃ悲しかってん。毎日なんもする気おきひんくて、入学したばっかりやのに、学校も行けへんくなって。……初めは3人ともドアの前まで様子見にきて声かけてくれててんけど、その内みんな来うへんなって」 「……そっか。ごめんな、俺のせいで辛い目に遭わせて」 そんなことになっていたなんて、全然知らなかった。でも、心の奥底では、そうなるかもしれないと分かっていたのかもしれない。そして同時に、そこから洸くんが這い上がれる強い子だってことも、どこかで信じていた。 「……ううん。だって、あらたせんせにはあらたせんせの生活があるから」 そう言って、洸くんは少し鼻を啜った。 「……そしたらある時、弦が来たんよ。ショートケーキ持って」 ふふっ、と当時の光景を思い出したように、洸くんが小さく笑う。 「『俺が新先生の代わりになるから。やから、洸も頑張ってよ。お兄ちゃんも頼りないかもしれんけど、頑張るから』ってヘナヘナの声でさ」 「……俺の代わり?」 「そう。その時、いっつも元気やった弦が、俺がおらんだけでこんなに弱々しくなるんやって、衝撃で。……『俺がおらな、この人もあかんくなるかも』って思って部屋を出たんよ。その時はまだ、あらたせんせの代わりの意味はわからんかってんけど」 「……もしかして、弦くんが保育士になったのって」 ふふっと嬉しそうに俺から身体を離した洸くんが、悪戯っぽく笑う。 「弦はあほみたいに分かりやすくて、真っ直ぐな人やから。でも、ちゃんと有言実行な人なんも分かってる」 「……そっか。洸くんは、寂しかっただけなんやな?」 「そう……あらたせんせがおらんなった時のこと思い出して、ちょっとイライラしてしまった。……せっかくあらたせんせが来てくれたのに、おめでたい空気壊してごめんなさい」 少し涙を浮かべて謝る彼を、今度は俺からもう一度そっと抱きしめた。 次は、機嫌取りなんかじゃない。ただ愛おしくて、たまらなくなった本能のままに。 「ううん、……じゃあ下で弦くんが待ってるから、降りよか?」 身体を離し、洸くんの瞳を見つめると、不意にそっと唇が重ねられた。この前のキスよりももう少し重たくて、気持ちの籠もった、温かい熱。 「……俺も、弦を見て頑張りたいと思った。まずは一人暮らしから始めて、きちんと自立したい。仕事ももっと頑張って、いつかあらたせんせにカッコよくプロポーズしたい。その時まで、俺のこと待っててくれますか?」 俺の手を強く握りしめ、真剣な眼差しで気持ちを伝えてくれる。 その姿に、いつの日か、まだ幼かった洸くんがリビングで俺に渡してくれた、折り紙の指輪が脳裏をよぎった。 「……わかった。俺ももう、下手な言い訳で逃げへん。洸くんと大人の男同士として向き合うって決めたから。……やから、これからも頑張って、俺のことオトしに来て?」 ニヤリと冗談めかして微笑むと、予想外の返答に洸くんは目を丸くして驚いた。それからみるみる顔を赤くしながらコクコクと頷き、俺の手をしっかりと引いて、階段を降りていく。 「お兄ちゃん! さっきはごめんな! 俺、お兄ちゃんに結婚のお祝いいっぱい出来るようにお仕事頑張るな!」 リビングに入るなり、洸くんはそんな甘えた声を出し、テーブルのケーキとミルクティーを見つめた。「美味しそぉ! ありがとうね、お兄ちゃん」なんて、さっきまでの嵐が嘘のように穏やかに微笑んでいる。 「……新先生、どんな魔法使ったん?」 「……流石、新先生やわ」 「え、もしかして、俺らに言えんようなことした?」 目を丸くして驚いている弦くんと、感心して疑うことを知らない元宮さん、そして、何かに感づいている鋭い空。 「ふふっ、仲直りできて良かったですね?」 俺は少し先の未来へと思いを馳せ、それを楽しみに変えながら、これからもこの愛すべき家族と一緒にいたいと、心から願った。

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