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第45話

あの引っ越し当日、洸くんの新居で彼の「合鍵」を受け取ってから数週間。  お互いに徒歩数分という至近距離での生活が始まったものの、現実はそう甘くはなかった。俺は新しく赴任した保育園の園長業務に追われ、洸くんは会社員として新しいプロジェクトの真っ最中。 「大人の男同士として向き合う」と決めたものの、お互いに忙しく、なかなかゆっくり会えないもどかしい日々が続いていた。  そんな、ある日の夜11時を回った頃のこと。 「……ふぅ、やっと今日の書類仕事が終わった」  自宅のリビングで、スウェット姿のまま大きく伸びをした、その時だった。  カチャリ、と静かな夜の部屋に、玄関の鍵が回る音が響く。 「あらたせんせぇ~!!」  リビングのドアから入ってきたのは、ネクタイを少し緩め、ジャケットが半分脱げかけている、少しヨレヨレになった洸くんだった。ふわっと部屋の空気に混ざったのは、少し苦いお酒の匂い。 まさかとは思っていたけど、そういえば。あの引っ越しの時、どさくさに紛れて俺の合鍵を持って帰ってたんやな……? 「洸くん!?ちょっとご機嫌がすぎるなぁ、大丈夫なん?」 「ん……職場の、コンペがやっと終わって。先輩に捕まった。……で、この通りベッロベロ」  くくくと、何がおかしいのか笑いながら、床にゴロンと寝転がっている。ほんまにこの状態で、よく俺の家まで辿り着いたな。まぁ、その先輩とやらの家に持ち帰られへんかっただけ、ええとしよう。 「洸くん、スーツ皺いくで? 脱いどこか?」  少し身体を起こして、モゾモゾしている彼を手伝ってあげる。ほんま、大人になって。俺に会いに来る暇もないくらい、外で必死に頑張ってたんやろな。 「ん、あらたせんせ、ありがと」  俺が隣にいることを確認した彼は、俺と目が合うと、本当に嬉しそうに笑った。  自分も忙しかったとはいえ、「忙しくても洸くんの方から会いに来てくれるかな」なんて少しは期待してしまっていた。やけど、こんなに頑張っている人に対して、そんな我儘なことを考えるだけでも失礼やな、と自分を戒める。 「……シャワー浴びる? スッキリするで?」 「ん、浴びたい。ちょっと気持ち悪い……」  ネクタイを外そうと、長い指でいじいじと触りながら、どうしようもなくなっている彼を「可愛い」と思ってしまう。普段はあんなにしっかりしているのに、お酒が回りすぎるとこんなことになるんやな。 「……かわいいな、あらたせんせが取ってあげよか?」  ふふっと笑いながら、ネクタイをそっと外してあげる。自分的には親心のつもりやったけど……ちょっと待て。このシチュエーション、冷静に考えて危険じゃない?と気づいた時にはもう遅かった。  いつものように、彼の顔が吸い寄せられるように近づいてきて、俺の唇を奪おうとする。 「こら、無許可のキスはもう禁止」  手のひらで彼の顔を制すると、「うぐっ」と可愛い声を出して洸くんは目を瞑った。 「……洸くんは、恋人同士でもない人にそんなことする人なん? あらたせんせ、ちょっと悲しいで?」  これは当たり前になったらあかんことや。きちんと教育して抑止力にせんと。だって、こういうのが洸くんの中で当たり前になってしまったら……俺以外の誰かとも、平気で出来てしまうってことやろ? 「……やって、あらたせんせが誘ってきたんやんか」  唇を尖らせて、子供みたいに怒っている。でも、まだ酔いからは冷めていないようで、どこかポヤポヤとていて怖いどころか、可愛らしい。  ……でも確かに。軽率に「可愛い」と言ったり、距離を詰めてネクタイを外したり、俺のした行動は勘違いさせるものやったかもしれん。 「……誘っては無い。……つもりやったけど。そう見えてたなら……そうかも知れん」  そんな言葉を返して、しまっと思った。洸くんにもう嘘はつきたくないという俺の本能が、今一番言ってはいけない答えを吐き出してしまった。 「……ん~……あらたせんせの授業はむずかしいなぁ……」  幸い、俺の言葉は酔った頭に上手く伝わらなかったようで、彼は少しトロンとした目のまま、ウトウトとし始めた。 「……洸くん、今日はシャワー諦めてもう寝よっか」 声をかけても、返ってくるのはすうすうという静かな寝息だけ。どうやら本格的に眠りについてしまったらしい。 「……さぁ、これは大仕事やぞ」  あの頃の洸くんなら、軽々と抱き上げてベッドまで運ぶなんて余裕やった。やけど、今はもう、俺とそんなに変わらへんデカさの大人や。 「……よっこい、しょっと」  我ながらおじさんくさい掛け声に口元が緩む。俺、今、一体何してんねやろ。そのおかしさを噛み締めながら、洸くんの腕を自分の首に回し、膝裏に腕を滑り込ませて一気に持ち上げる。  案外、上手く持ち上がった。成人男性をお姫様抱っこできるだなんて、流石に毎日たくさんの子供を抱っこしているだけはあるな、と自分自身の筋力にびっくりしてしまう。

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