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第二章 仕組まれた婚姻-1

「あの王子をどう思う」  寝室で寝間着に着がえながら、海竜の王であるオーディルはそばに控えるふたりの人間にたずねた。  時刻は真夜中。王の自室にいるのは三人だけだ。他にはもらすことのできぬ内密の話を、潜めた声で話しあった。 「とても純粋でお優しい方のようです」  そう答えたのは側近のヘンリクだった。ヘンリクはオーディルが最も信頼する家臣であり、忠誠心が厚く、どんなときも王の利益のために働く優秀な人間であった。 「それは単純で騙されやすいということか」  空々しい褒め言葉にオーディルが片頬で笑う。二十五歳のオーディルよりひとつ年上の腹心は、ほんのわずか口元をゆるめて無言で肯定した。 「まあいい。そのほうが扱いやすいだろうからな」  言いながら羊毛の長衣を着てベッドに向かう。熊や(じゅん)鹿(ろく)の毛皮を敷きつめた寝台に腰かけると、今度はもうひとりの人物、大占星術師のテュコに問いかけた。 「あれは本当にお前の占い通り、きたるべきときに役に立つのか?」  疑いを含んだ声音に、テュコの細い眉があがる。この男は国一番の腕を持つ占星術師で、人間でありながら魔族に劣らぬ精神力を有していた。オーディルの知る限り、今まで預言を外したことは一度もない。しかしその星見に疑問を抱かずにはいられないほど、送られてきた妖精族(エルフ)は幼く貧弱だった。 「占いの結果はいつも同じです。あの王子は黒大陸の魔族の侵略を退け、ヒルドスキルフに勝利をもたらす存在です」  腕にかけた何重もの銀の腕輪を鳴らし、紫色の長衣の袖を翻して五十すぎの痩せた男が答える。その目には自分の占いに対する自信が満ちあふれていた。 「では具体的に、どのように役に立つのだ」  オーディルが腕を組んでたずねる。テュコは表情を変えず、平然と返した。 「それは、そのときになればわかります」 「星見には何もあらわれていないのか」 「以前も申しました通り、預言はいつも同じです」  テュコが腕輪をしゃらりと鳴らし、鷹揚に片手をあげてみせる。預言の結果を知らせるときのお決まりの仕草だ。初老の占星術師は低い声で厳かに告げた。 「──宝石妖精族の第二王子をヒルドスキルフに迎え入れよ。その者は将来、我らに勝利を呼びこむ大きな力となる。だが、同時にその力で王子は命を落とすことになるであろう」  オーディルはヘンリクと顔を見あわせた。この預言を知るのは、ここにいる三人のみである。 「あの王子は(にえ)です」  声を最大限に潜めて、テュコがささやいた。 「あの妖精族(エルフ)の命と引き換えに、我々は黒魔族に勝る力を得ることができます。あの方の死が、我らに未来を与えるのです。彼の協力なしに、ヒルドスキルフの繁栄はあり得ません」  はっきりと言い切ると、テュコはいささかの同情を(にじ)ませて目を伏せた。王子に対して哀れみを感じたらしい。  オーディルはそれに薄く笑った。 「では、協力してくれるように、この国に馴染んでもらわねばならないな。我々の思惑を悟られて、逃げられたら元も子もない」  ヘンリクが横から助言する。 「あの王子は、ジェマールではひどい扱いを受けていたようですから、ここで我らが歓迎する様子を見せれば、恩を感じてヒルドスキルフのために働いてくれるようになるでしょう」  オーディルがうなずく。 「ならば存分に甘やかし、うまいものを食わせて、楽しみを与えてやれ。単純であれば扱いもたやすいだろう」 「わかりました」 「でなければ婚姻する意味がない」  寝台の横にある獣脂の蝋燭が音を立てて揺れる。そのあかりを受けて、オーディルは自分でも残忍とわかる表情を浮かべた。 「黒魔族との戦は難航している。やがて決戦のときもくるだろう。奴らに勝つためには利用価値のあるものは何でも使わねばならぬ」  前のめりになり、膝の上で手を組んであかりの届かぬ漆黒の闇を見つめる。そうしながら、宝石妖精族の痩せた青年の姿を思い浮かべた。  あの腐り手(フォル・ハント)と呼ばれる軟弱な妖精族(エルフ)。  何も知らず、この地に嫁いできた哀れな魔族。  オーディルにとって一番大切なのは、この国の行く末だ。  だから痩せた青年ひとり犠牲にしたところで、胸に痛みの欠片さえ生じない。  頭の中には、どうやってあの妖精族を使いこなそうかと、そればかりが渦巻いていた。      *** ◇◇◇ ***  婚礼の儀は、翌朝早くから執り行われた。  ヨルクは故郷から持ってきた礼服を着て、エルミナールと婚姻見届け人の小人族と共に馬車に乗りこんで海辺へと向かった。昨日、王と出会った海岸とは城を挟んで反対方向の海辺へと案内される。そこには、生まれて初めて見る光景が広がっていた。 「あれは何なの?」  同行したエルミナールに問いかける。 「あれは船着き場というものです。たくさん停泊しているのは船という乗り物で、あれで海の上を進むのです」 「ふね……」  船は大小あわせて三十ほどあった。それが海辺に張り巡らされた桟橋という木の板に、きれいに鼻先を(そろ)えて並べられている。周囲では人々が忙しなく働いていた。  馬車をおりたヨルクは、迎えにきたヘンリクの案内で十人ほどが乗りこめる船に乗せられた。そこには礼服姿の海竜王もいた。  王は複雑な刺繍の入った胴着を着て、腰には精緻な模様の刻まれた太いベルトをはめていた。(あお)銀色(ぎんいろ)の髪は銀色の(ひも)を織りこんで編まれ、波打って背中に垂れている。昨日の戦装束とはまた違い、彼の美しさが引き立っていた。ヨルクもそれなりに着飾った装いだったが、隣に立つのが恥ずかしくなるほど、王の姿は煌めいて見えた。 「よく眠れたか」  王がゆったりと微笑みつつ聞いてくる。ヨルクは頬が熱くなるのを感じた。 「はい。とても」  緊張しながら答える。実際それは社交辞令ではなかった。ヨルクが泊まった客間のベッドは毛皮が敷きつめられ、夕食も今まで食べたことのないほど豪華なものだったから、ヨルクは物心ついてから初めてお腹一杯料理を食べてふくふくと温まって眠ることができた。 「それはよかった」  ヨルクの目に(うそ)がないのを見て取ると、王は満足げに笑った。その表情がまた魅惑的で、胸をときめかせてしまう。相手は同じ男性なのに、話しかけられるとまるで乙女のように気持ちが弾む。ヨルクは自分の中に生まれてくる感情に戸惑った。  しかしこんなに端整で立派な王が、本当に自分の伴侶になってくれるのだろうか。何かに騙されているのではないか。そう思わずにはいられないほどの夢のような待遇だ。 「そろそろ日が昇ります。出発しますか」  ヨルクが考えに浸っていると、ヘンリクがやってきて王に許可を取った。王がうなずけば、ヘンリクは慌ただしく走っていって、周囲の人間に出発を伝えた。  ほどなく数隻の船が桟橋から出発する。(かい)という棒で()がれる船は、ゆっくりと海へ出て、城を頭上に望む高い崖を回りこんでいった。冷たい海風が心地よい。ヨルクが初めて見る光景に目を見はっていると、やがて船は崖の下にある大きな穴に到着した。穴の入り口には海面に刺さるようにして、頑丈な鉄柵が取りつけられている。その鉄柵を数人の兵士が厳かにあけた。 「この奥の洞窟に、儀式用の祭壇が設けられています」  ヘンリクが説明する。船は順番に岸壁にあいた穴に入っていった。  洞窟の中は大きな広間(ホール)のようになっていて、奥には平らな陸地部分があった。そこに布のかかった台がおかれている。台の上には蝋燭や、装飾品らしきものが飾られていた。  広い空間は天井が高く、上部にはいくつも穴が空いていたので、そこから太陽光が注ぎこみ、海面は瑠璃色に輝いていた。  船が陸地部分に横づけされると、皆は順次船をおりて上陸した。ヨルクも岩でできた地面に足をおろし、洞窟の奥に目をやった。陸地部分はずっと中まで続いているようだ。暗くて先は全く見えなかったが、不気味な気配だけは感じられた。あの先に何かがある。そんな予感がした。 「では、王妃となられるヨルク王子はこちらに」  声をかけられて我に返る。台の前には、皆と違う服装をした男が立っていた。紫色の長衣に、金や銀でメッキされた玉の首飾りや腕輪を幾重にもかけている。頭にも紫色の布を巻いていて、長い髪は縛らずに背中に流されていた。  不思議な出で立ちの男は、次に王を手招いた。 「王はこちらに」  言われて海竜王がやってくる。ヨルクと彼は向きあう形で台の前に立った。  ふたりの周囲には、婚姻を見届ける者が三十人ほど整列していた。皆、それなりに着飾った服装をしているので家臣や身分の高い者たちと思われた。そして海上には小舟がいくつも浮いていて、そこでは普通の格好をした人々が式を見守っていた。  多くの眼差しにさらされながら、ヨルクが緊張に喉を鳴らす。  本当に婚姻するのだ。この眉目秀麗な海竜族の王と。  未だに信じられなくて、ソワソワと目を泳がせてしまう。その視線が、つと目の前の人を捉えた。  美しい海竜王は、こちらを悠々たる面持ちで見おろしていた。群青色の瞳には、この婚姻に疑問を感じる様子は欠片も存在していない。  では、本当に、この人はヨルクとの婚姻を望んでいるのだ。  全身がカッと熱くなる。  自分のような者が、誰かに歓迎されて伴侶となる日がくるなんて思いもしなかった。自分はあの故郷の小部屋で死ぬのだとばかり考え、全てを諦めていた。なのに、人生にこんな転機が訪れるとは。何という僥倖(ぎょうこう)なのだろう。  ヨルクは海竜王の瞳を見つめた。  この人が、自分の運命を変えてくれた。  この地に呼びよせ、温かな食事と寝床を与え、さらにここで生きていいと許してくれた。  美しく(たくま)しい海竜の王。  命の恩人。新たな生を与えてくれた人。  たとえどんな理由があろうとも、この婚姻の目的が定かではないとしても、感謝はせねばならない。 「それでは、天と地と海のもとに。ふたつの魔族の婚姻の契約を交わします」  紫色の長衣を着た男が、式の開始を高らかに宣誓する。  それを聞きながら、ヨルクはこの恩に報いようと、固く心に誓った。  婚礼の儀は滞りなく行われ、式が終わると皆はまた船に乗って入り江へと戻った。それから城に帰り、今度は祝いの宴がひらかれた。それは日没まで延々と続き、人々は飲んで歌って踊って、自分たちの王の婚姻を祝福した。  やがて夜の帳がおりるころ、ジェマールからやってきた三人は召し使いにいざなわれて大広間を後にした。  召し使いの先導で、屋根つき通路を客間に戻りつつ、見届け人の小人族がやれやれと肩を()みながら話しかけてくる。 「これで無事に婚礼の儀は終わりましたな」  それに侍従エルミナールが、前をいく召し使いに聞こえないように声を潜めて答えた。 「まだ床入りの儀があります」  ヨルクは初めて聞く言葉に、隣の侍従に聞き返した。 「床入りの儀?」  エルミナールがうなずく。 「両魔族が確実に婚姻したということを、白大陸七魔族連盟に見届けてもらう儀式です」 「……」  ヨルクは首を傾げた。 「わからずともよいでしょう。そのときがくればことはなされます」 「それはやはり儀礼的に終わるわけにはいかないのか」  見届け人が憂鬱そうな声で聞く。 「金剛王からの命令ですから」  エルミナールは小人族の太った小男に身体を近づけ、ささやくように言った。 「金剛王が連盟に多大なる貢献を約束していることは、あなた様もご存じのはず。一見届け人の思惑でそれを反故になされませんよう、よろしくお願いいたしますよ」  エルミナールの言葉に、見届け人が眉を持ちあげる。 「人間の侍従ごときに言われんでも、よくわかっておる」  太った小男は嫌そうに顔をしかめた。 「私も早く帰りたい。こんな仕事はうんざりだ」  そう言って会話を打ち切る。後はもう、ふたりとも黙々と通路を歩くだけだった。  意味がよくわからなかったヨルクも、ふたりの不穏な様子に口を挟むことができず、黙って歩を進める。  床入りの儀が何なのかは想像もつかなかった。      ***

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