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第6話 「好きなだけ入れてあげる」

いつか政宗を拾った公園を横切り、見慣れた夜道を歩く。街灯のあかりに引き延ばされた自分の影が頼りなく見えて、歩幅を大きくした。 「透ー」  後ろから聞き慣れた声がして振り返ると、ジェイクが俺よりさらに大股で歩いてきた。カットソーの胸元の絵に視線が嫌でも引き寄せられる。見たことのない二次元の女の子がパンツがぎりぎり見えない角度のミニスカ姿で振り返っている。何だそのダサい服は。どこで買うんだ。ていうかその女誰だ。 「お疲れ様です。バイト帰りですか?」 「そうだよ」  俺は大学の近くのコンビニでバイトをしている。南斗とは違う店だ。 「ジェイクは大学行ってたの?」 「今日はアニメサークルの活動日でした」  つまりその格好で大学行ってたんだな。すごいなジェイク。自分の好きを全面に出せる人間は、それがどんなものであれ尊敬に値する。 「そっか。ねえ、ジェイクはコンビニの会計とかで店員に英語使われたり、逆に無言で対応されたりする?」 「しますね。見た目が外国人ですから、気をつかって英語で話してくる人は多いです。特に都内だとコンビニバイトも留学生ばっかりで、中には英語の方が流暢な人もいますし。だから初手が大事です」 「え、戦いなの」 「そうです。僕がはるばる海を越えてきたのは、英語でからあげクンを買うためじゃないんですから。だから、コンビニに入った瞬間から「えーと」とか「おでん美味しそうだな」とか独り言をつぶやいて、レジではまず「お会計よろしくお願いします」とご挨拶させていただくんです。相手は百パーセント日本語で対応してくれますよ」 「めんどいね」 「めんどくさがっていては、望むものは手に入りません」  たいていの日本人にはそんな努力は必要ない。いろいろなバックグラウンドの人間が集まるこの東京でさえ、日本人の両親を持つ人間は圧倒的多数で、彼らは無意識のうちに自分たちと異なる者に印をつける。印をつけられた者は、溶け込む努力をするか、諦めるかの二択をせまられる。うんざりする。 「透は外国人がお店に来たら、英語で話しますか?」 「いや、ここは日本だから日本語で話すよ。俺英語苦手だし。っていうかさ、俺も子どもの頃は知らない人にいきなりハローとか言われて、嫌だったから」 「ああ、いますよね、主観が強い人。英語の練習をしたい人も、僕は全く困ってないのにMay I help youと英語で話しかけてきます」 「悪気ない奴が一番タチ悪いよね。今日レジ入ってる時、初めてのお客さんにハーフかどうか聞かれた。よく分かりませんって言ったら、むすっとされたよ。あとで一緒に入ってた中国人のバイトの子が、僕はそういう個人的なこと聞かれたことないって言ってた。俺って何なのって、余計へこんだよ」  たばこを買いに来ただけの客に対して、自分が一体何者なのかという説明義務なんかない。久しぶりに裸眼で接客なんかしたのがいけなかった。 「透は声をかけやすそうな見た目ですから。でも人と知り合うきっかけがたくさんあるって、いいと思いますよ。だってもしそのお客さんが透の好きなタイプだったら、嫌な気分にはならなかったのでは?」 「初対面でお前の親外人だろって決めつけてくるような人はタイプ以前に、人間として好きじゃない」 「透こそ、知らない相手のことをそんなふうにファーストインプレッションだけで決めつけてはいけません」  確かに。それじゃあ相手と同レベルだ。 「僕は声をかけてきたのが女の子だったら、ライン交換しますよ。声、まだかけられたことありませんが」 「ははっ……。服のせいじゃないかな。とりあえずアニメのシャツはやめた方が」 「何を言ってるんですか。彼女が笑顔で僕と一心同体でいてくれたから、今日一日僕は頑張れたんです。それにですね、これがあれば同胞が集まってくるんです。僕はアニメのシャツ以外持ってないですし」 「え、ないの?」 「ないです」 「そっか……。ついたね」  入り口の鍵を開ける。電気がついていないので、俺とジェイクが最初の帰宅者だ。  俺はジェイクのように声高に自己主張することはできない。でも、相互理解はどちらかが諦めた瞬間に終わるというのもわかる。きっとみんな誰かをわかりたくて、わかってもらいたい。なのに、こんなに人がひしめき合っている東京でも、本当に理解し合える人はなかなかいない。それは田舎では感じなかった種類の虚しさだ。  ほどなくして、隣の扉が開く音がした。ひんやりとした壁に頬をつける。わずかな足音と、小さな咳払い。  雨宮さんだ。  気がついたら、彼の部屋の前に立っていた。小さく二回ノックする。どんなに小さく叩いても、必ず「どうぞ」と返事がくる。俺が来ることを、ノックする前から知っているように。 「また見にきたの」  雨宮の、胸元までざっくりと開いた黒いカットソーからのぞく幾何学的なブラックラインを目で追いながら、うなずいた。  最近、彼のタトゥーを見せてもらうことが習慣になっている。わずか数分。けれどその短い触れ合いに、俺はとりつかれている。つやのある髪や、くっきりと浮かび上がる鎖骨や、盛り上がった肩の筋肉。それらに寄り添うような模様は、彼の一部だ。ただの墨だったものは彼の真皮に侵入して半永久的に留まり、今やまるで生まれたときからそこにあったもののように、雨宮の形を形成している。きれいとか、かっこいいとか、そういう次元の話ではない。まばたきすら忘れてしまうほど、それは俺の心をつかんで離さない。 「雨宮さんは、自分が周りと違っててしんどいとか、めんどいとか思ったことはありますか?」  さっきのジェイクの話を思い出していた。俺は、みんな違ってみんないいとは思わない。その正論が成り立つのは、自分の居場所を持っている場合だけだ。人間は社会的な生き物なんだから、どのグループにも属せなければ、自分を肯定なんてできない。自分ではどうにもできない大多数との違いが、ときどきひどく醜く感じる。 「あるよ全然」  意外だった。自らグループの外に出て行ったはずの雨宮さんにも、そんな後ろ向きな気持ちがあるなんて。同時に、この大きな翼が必要だった理由も、分かったような気がした。なんだか少しうれしい。 「あの、」 「ん?」  雨宮の背中の羽根を指先でなぞりながら、そこから落ちていく雨のしずくを追いかける。背筋から腰、そしてさらに下へとしたたっていく。とん、と人差し指が、ゆるいスウェットパンツからのぞく下着のゴムにぶつかったところで、「この先はどうなってるんですか」と訊ねた。 「下も脱いでほしい?」  振り返った彼が、いたずらっぽく笑う。それが妙に色っぽくて、はっとする。 「いや、あのっ、やっぱいいです」 「見たいんじゃないの? いいよ、脱ぐよ」 「なんかそれは恥ずかしいから、ちょっとのぞいてもいいですか?」 「え、パンツの中を? そっちの方がやらしくない?」 「確かに」  背中の羽から滴る雨粒は、腰よりさらに深いところに溜まり、波紋を作っていた。黒一色で描かれたとは思えぬほど水面はきらめいて、どこまでも澄んでいる。雨の匂いに包まれたような気がして、ここがどこだか一瞬忘れてしまう。 「この人の彫る生き物には魂が宿るんだよ。ほんとに飛べそうでしょ」  背中の羽を含め、雨宮の身体のタトゥーの多くは彼の師匠によるものらしい。口数の少ない雨宮が他人の話をするのは、こうしてタトゥーを見せてくれる時だけだ。それもたったの一言二言。けれどそれ以上に、やわらかい声のトーンや、細めた目の奥に浮かぶ郷愁に、彼がどんなに師匠の作品を愛しているのかが伝わってきて、なぜだか切なくなる。 「透くんの身体も見せてよ」 「え……? 俺ですか? タトゥー入ってないですよ」  下着とスウェットパンツを同時に上げながら、入ってないから見たいんだよ、と雨宮がこちらに向き直った。上半身は裸のままで、骨や筋肉の流れを彩る黒い模様が迫ってくる。 「前から見たかったんだよね」  長い指が、俺のゆるいカーディガンの裾をつかむ。脱げとうながすように軽く何度か引っ張られたので、脱ぐことにした。自分は散々相手の裸を見せてもらってるわけだし、別に減るもんじゃない。  カーディガンのボタンを外さず、シャツごと下からがばりと脱いだ。もたもたするのはダサいと思って。 「ほら、何もないですよ」  言いながら裏返った服を元に返していると、雨宮の手が伸びてきた。自分より低い体温が鎖骨をゆっくりなぞる。 「このへんに」  トライバルとか入れたらかっこいいかも、と呪文みたいに雨宮が唱える。「やってみていい?」と言いながらベッドを降り、引き出しからペンのようなものを見つけて戻ってきた。肩を軽く押され、俺はベッドに横たわった。 「これ、ボディペイントのペン。三日くらいで消えるから」  細いペン先が触れているのかいないのかも分からないが、雨宮のまっすぐな視線が皮膚の上に刺さっていくのを感じる。息を吸って、吐く。それだけの動きにためらってしまい、さりげなく顔をそむけた。この壁の向こうに自分の部屋がある。しんと静まりかえった家で、時間の流れに二人で取り残されてしまったようなちぐはぐな気分だ。 「できたよ」  雨宮の両手が左側から離れ、俺は起き上がる。「そこに鏡あるよ」と言われ、ベッドから降りた。 「おお、雨宮さんみたい」  鎖骨のすぐ下に、翼の骨格にも似た黒い模様が描かれている。自分が急に別人になった気がして、強くなったような気がして、鏡から目が離せない。 「気に入った?」 「うん」  振り返って、「もっと入れて」と言った。興奮で敬語が抜けてしまった俺に、雨宮さんは「好きなだけ入れてあげるよ」とにやりと笑って俺を招く。再び仰向けになった俺は真上から見下ろされ、顎に指をかけられ、斜め上を向かされる。 「ここに、」  首筋を撫でられて、産毛がぞわりとした。こんなに優しい触れ方をする指が、毎日誰かの身体に消えない傷をつけているなんて不思議だ。 「入れてもきれいだろうね。透くんは首筋がセクシーだから」  そんなこと今までの彼女にだって言われたことがない。返事に困っていると、「大丈夫、学生さんだからね。見えるところには描かないよ」となだめられた。 「あとはこの辺もいいね。ちょっと脱がしていい?」  言い終わる前に下着ごとチノパンをずらされ、左側の腰の骨が外気にさらされた。思わず力が入る。完全に脱がされるのかと焦ってしまった。 「ごめんごめん、ここら辺に落書きしたいだけ」  ここら辺、と言うとき、雨宮は俺のへその左下に触れた。股間を見られているわけではないけど、そんなところを他人に触られた事がない。意識して意識しないようにするのは、禅問答みたいになかなか難しかった。 「何かリクエストある?」 「雨宮さんの好きにしてください」 「透くん、前から言おうと思ってたんだけど、言葉には気をつけたほうがいいよ」 「どういう……んっ……」 「動かないで」  そんなことを言われても、かなりくすぐったい。息を止めたり、天井のしみを数えたりしてみたが、十秒ほどであきらめた。 「ああっ、は、あっ、あのっ、も、むり……ですぅ……くっ」  堪えようとすればするほど、震えてしまう。ふ、ふはは、とついに笑い出した俺の太ももを押さえていた雨宮が、「ぐわあ」と彼らしからぬおかしな声をあげる。 「あはは、俺もうだめ……雨宮さん、そこは勘弁して」 「好きにしてって言ったじゃんかー」  あと一秒解放が遅れていたら、彼の顔を蹴りあげてしまうところだった。

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