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第7話 偽物は消える

雨宮のスタジオは、彼と初めて会ったメインストリートからさらに数百メートル歩いたところにある雑居ビルの二階だった。  予想とは違い、受付は都会のヘアサロンのような洗練された雰囲気で、隣に座っている南斗(みなと)は呼吸すらしにくそうに顔をしかめ、さっきから何度止めても貧乏ゆすりをやめない。ここでミントグリーンのトラッドジャケットはかなり目立つが南斗には似合っているし、おそらく一番場違いなのは自分だろうと思いながら、袖口でめがねを拭いた。  南斗に「雨宮さんに彫ってもらうからお前も見に来れば」と言われたとき、即座に断った。仕事場に友達を連れてくるなんて迷惑に決まっている。けれど昨夜、雨宮に「南斗はびびってるんじゃないかな、初体験だし。明日泣かれると困るなあ」と意味深な視線を送られ、ここまで付いてきてしまった。南斗には素直さが足りない。  雨宮はいつも通り全身黒の出で立ちプラス黒いマスクで迎えてくれ、ソープとインクの混ざったような独特の匂いのする小部屋へ案内してくれた。 「やっぱここに入れてえんだけど」と南斗がジーンズの前をくつろげ、下着ごと下へと押し下げると、マシュマロみたいに真っ白な肌が現れた。つい目を逸らせたが、「ここ?」と遠慮もいやらしさもない雨宮の声が聞こえたので、意識的に視線を戻す。もうちょい下、と南斗が言うままに、黒くて薄い手袋に包まれた指が下っていく。そこは俺にとっては、かなりくすぐったい場所だ。でも針を入れるとなると、絶対痛い。横で震え上がる俺を置いて、二人の会話は順調に進んでいった。だがデザイン転写も終了し、施術台に横たわり、いざ彫ろうという時になって、南斗の目がうるみ始めた。 「やめる?」  雨宮の言葉に、「止めるわけねーしっ」と語気荒く南斗が口をとがらせる。 「みんな思ったより痛くないって言うし、首とか脇腹よりは痛くないから。何か違うこと考えててね。じゃあいくよ」  雨宮の手の中で、タトゥーマシンが起動する。そろそろ俺の出番か。爪を噛む南斗に、何か話しかけなくては、と口を開いた。 「何か面白い話してよ、南斗」 「それお前の役目だしっ……」 「どう? ちょっと引っ掛かれてるなっていうぐらいの痛みじゃない?」  雨宮の問いかけに、南斗は無言で天井をにらんだ。俺は「南斗、つまんない話して」と言いながら、南斗の口から左手をはがす。不安だからって爪噛むな。子どもかよ。せっかくの丸い爪が台無しだ。 「あ、意外と痛くねーかも……いや痛えわ。つまんねー話とか聞いてどうすんの」 「だって面白い話できないんでしょ」 「いやだからお前が面白い話しろし……っ、バカ透っ、くそが……ッ」  痛みが襲ってきたらしく、南斗は泣きそうな顔で悪態をつき、俺の手を握りしめた。何で俺、怒られてんの。 「ごめんね南斗、もう止まんない。覚悟して」  そうささやいてすぐ隣でひっそりと笑った雨宮を、そっと見つめた。獲物をとらえる動物のような眼差し。ゆっくりと、けれど確かに進んでいく針先。南斗に「慣れてきた?」と声をかけながら作業に没頭する雨宮は、全く知らない人のようだ。毎晩のように俺の身体にペンで模様を描くときとは桁違いの真剣さ。当たり前だ。これはプロの仕事なのだから。  俺の羽をあげるよ、と昨夜胸元に描いてもらった羽根が、うずく。風呂場で鏡に映す自身の上半身は今や雨宮のキャンバスだ。そのほとんどが幾何学模様みたいに黒くてとがった線の集まりだったけど、昨夜の羽根はそれまでのタッチとは全く異なっていた。雨宮はペンじゃうまく描けない、と不服そうにしていたが、俺は気に入っていた。雨宮さんの一部が、自分のものになって。  でも今はよく分かる。  雨宮さんは彫り師だ。彫って初めて、彼の作品は呼吸を始めるのだ。俺の胸に刻まれた羽根は三日もすれば色褪せてしまう。しっかりこすれば今日にだってとれるだろう。羽根一本ではどこへも行けない。何にもなれない。 「なんか、慣れてきたかも」 「アウトラインはほぼ終わったから、これ以上の痛みはないと思うよ」  雨宮の優しい声。南斗の赤みを帯びた肌に、黒いラインが浮かび上がっている。俺は、三日前の夜、同じ場所に彼が描いてくれた模様について思い出していた。何度目かの挑戦でようやくくすぐったさを我慢できるようになった俺を、雨宮さんは褒めてくれた。今はもう、跡形もない。  偽物は消える。そういうものだ。

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