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第12話 ライバル

シャカシャカという引っかき音と、政宗の鳴き声で目がさめた。 「やばっ、もう十一時!」  開けっぱなしのクローゼットから最初に目についたジーンズに片足を通しながら、こけそうになる。今日は昼前に教授と面談があるのだ。 「政宗、雨宮さんはいませんよ。Ouch! やめてくださいっ」  部屋を出ると、雨宮の部屋に入りたい政宗とジェイクが格闘していた。 「気がすむまで鳴かしとけば? 逆にかわいそう」  政宗の鳴き声は小さい。それなのに何度も呼びかけ、短く整えられた爪で健気に扉をこすっている。 「そうですねえ。独眼竜には上杉さんしか敵いませんし。ああ、そういえば透、手紙が届いていますよ。台所のテーブルに置いておきました」 「手紙?」  もしかして、雨宮さんからだろうか。いや、今夜帰ってきたら話せるわけだし、わざわざ郵便受けに手紙を入れたりしないだろう。 「送り主の名前がありませんでしたから、どうでしょう。透、まるで歌舞伎役者みたいなクマですね。大丈夫ですか?」 「ありがと。昨日あんま寝れなくて。あ、ジェイク、今朝雨宮さんと会った?」 「会ってはないですけど、九時ごろ玄関で音がしていたので、雨宮さんは仕事に行ったのだと思いますよ」  俺が寝ている間に帰ってきて、すぐ出かけたのだろうか。  時間がない。  とりあえず朝食はあきらめて、身支度を整えると台所にあった俺宛ての白い封筒をつかみ、家を出た。  ラッシュを過ぎた電車内は空いていた。かばんを抱えて座り、封筒を取り出す。表の「とおるくんへ」という字はとても繊細で、まるで印字されているような丁寧さだ。だけど俺の名字もないし、名前もひらがなで書かれているのが引っかかる。出てきたのはたった一枚の名刺だった。  見た瞬間に、心拍が上がる。  細く癖のないゴシック体でつづられたInfinity.というのが企業名だろうか。それともファッションブランド名? そのすぐ下の控えめな大きさで書かれた英語を読む。 「デザイナー、ディレクター、橋本(はしもと)結稀(ゆき)」  昨夜雨宮を待ち伏せしていた人。  正直、今すぐ燃やしてしまいたい。  顔も知らない人に対して、自分がこんなに強い嫌悪感を抱けるなんて思ってもみなかった。どうやら俺は、自分のことを買いかぶっていたようだ。いい人だとみんなに言われて生きてきたのに、ちっともいい人なんかじゃないと、これではっきり証明されてしまった。  会社の住所や電話番号の下に、ボールペンで直接書かれた十一桁の数字が並んでいる。深みがかった紺の背景色。裏には明るすぎないゴールドで、無限のマークが刻まれている。いかにもアパレルといったデザインの名刺を指の間に挟んだまま、俺は考える。  もし橋本結稀が雨宮の元カレで、雨宮ともめていて、俺と直接話したいのなら、雨宮が俺について何か言及したのだろう。  好戦的な人だ。嫌いだな、と思う。  ごくり、と唾を飲み込んだ。  夜まで待てば、うちで雨宮にこの事を相談できる。そうした方がいい。そう思う一方で、知りたいという気持ちを無視できない。  もし雨宮とこの人がまだ別れていないなら。  もし雨宮との夜が、ただの遊びなら。  橋本結稀ってどんな人だろう。どんな服を着て、どんなふうに笑い、どんなふうに雨宮を見つめ、どうして浮気を繰り返したのか。  知りたい。でもやっぱり知りたくない。猜疑心と好奇心のはざまで、俺は揺れる。黙って目をつぶっていれば目的地に着いた途端に目覚めるように、自分が行きたいところに行けるだろうか。 「無理だな」  橋本結稀の電話番号を携帯に入力する。意を決して作ったメッセージを送信すると、すぐに返信がきた。彼の手書き文字と同じ、とても丁寧だが簡潔な文面。今夜八時に大学の最寄り駅で待ち合わせることになり、俺は小さく息を吐いた。まさか会うことになるなんて。南斗は俺のことをバカバカ言うが、あながち間違いではない。  結稀は待ち合わせ時間ぴったりに現れた。 「あの、透くん、ですよね?」  振り返ると、自分より少しだけ低い位置に視線があった。想像との違いに、俺の口はぽかんと開いていたと思う。くっきり二重は少し垂れ気味で、あどけない。アパレル業界に勤めているんだから、上から下まで抜け目のない雑誌の切り抜きみたいな人間が来るに違いないと構えていたのに、橋本結稀はよくいる大学生のような格好だった。小指にはめている指輪やスニーカーが何十万もする限定品なんてこともあるかもしれないが、量産品ばかりセールで買っている俺にそんなこと分かるはずもない。はいそうですと言うと、何度もお辞儀をしながら礼を言われた。  この瞬間にすでに俺は、自分の仮説を疑いはじめていた。雨宮の非道な元同棲相手としては、目の前の男は毒気がなさすぎる。  二人で入ったのは、チェーン店の居酒屋だった。あまりお高いところに連れて行かれそうになったら断ろうと考えていたが、金銭感覚まで学生並みの相手に、俺の警戒心はさらに緩んだ。

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