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第14話 ユキの正体

窓から入る自然光が頼りない。植え込みの緑が雨水を絶え間なくしたたらせ、向かいの家のベージュの壁も、すっかり濡れている。大学の図書館で借りてきた本をぱたりと閉じ、重たい雨雲を見上げた。  最後に雨宮を見てから、一週間が経とうとしている。  毎日彼を探しに来ていた政宗も、最近はもう来ない。一度、結稀にも雨宮の居場所について聞いてみたが、不機嫌な顔で「知らないし、雨宮について話す気分じゃないです」ときっぱり言われてしまった。結稀なら雨宮の連絡先を知っているかもしれないが、聞いたところで教えてくれるわけもない。  あれから二回結稀と会った。一度は夕飯を共にし、また別の日、コーヒーを飲みに行った。雨宮の話を聞き出せるわけでもなく、当の本人は煙のように消えたままで、どこまで続くのか分からないあいまいな線の上を歩いている気分だ。  結稀と向かい合っているとき、彼がスパゲティを口に運んだり、コーヒーにたっぷりと砂糖を入れたりするのを見つめてしまう。かつての雨宮の視線をたぐり寄せるように。雨宮に飢えている俺は、もしかしたら結稀の中に雨宮を探しているのかもしれない。 「なあ透、雨宮さんって最近帰ってなくね?」  冷たい水で顔を冷やしていると、すぐ隣のトイレに入っている南斗が聞いてきた。話は出てきてからにしてほしいが、何度注意しても聞かないので諦めている。 「うん」  少し大きめの声で、扉越しに答えた。流水音と共に出てきた南斗が鏡の前に割り込んできて、手を洗う。 「お前雨宮さんのラインとか知らね?」 「知らない」 「雨宮さんのヨーグルト賞味期限切れてっから食っていいか聞きたかったんだけど、勝手に食うしかねえか。つかさ、お前最近順調そうでむかつくわ」 「は? どこが」  見当外れも甚だしい。俺はもうずっと、最先端技術を搭載したどんな潜水艦にも負けないぐらい、深くまっすぐ海底を目指して沈み続けている。 「お前急におしゃれじゃん最近。ぜってー相手の影響だろ」 「ああ……、これは……」  結稀くんだ。  頼んでもいないのに、会う度にアドバイスをくれる。決して上から目線ではなく、熱心に身振り手振りで話しながら、時には携帯で画像を見せてくれながら。この間はファッションの話に熱くなりすぎて、危うく電信柱にぶつかりそうになった結稀を、慌てて歩道に引き寄せた。盲目的に服が好きなんだろう。  服がまとまり過ぎてる時はスニーカーの方がいいとか、地味なトップスを着るなら内側からチラ見せする色を足した方がいいとか、小物の色を統一した方がいいとか。家にあるものですぐ実践できるような簡単なことばかりだ。ちなみに一番気に入っているめがねは依然として雨宮が持っており、二番目に好きなめがねをかけて結稀と会ったら、めがねはない方がいいと言われた。雨宮と同じことを指摘され、少しだけ傷ついた。 「服のことは結稀くんがうるさくて」 「は? えっ、ええ⁉︎ おまっ、ちょっとこっち来い!」 「あぐっ」  開けっぱなしだったトイレの扉の奥に押し込まれた。バタンと戸が閉まると、南斗の顔が眼前に迫る。 「お前、雨宮さんのユキと付き合ってんのかっ。雨宮さんは承知かよ?」  押し殺した声で聞かれ、つられてひそひそ声で違うよ、と返す。 「結稀くんとはただの友達だって。でも雨宮さんの連絡先は知らないから、会ってることは言ってない」 「はあ? 何でお前だけダチになってんの。俺も混ぜろや」 「じゃあ結稀くんに今度聞いとく」 「お前さあ……」  めずらしく南斗がためらっている。いつでもずけずけとものを言う南斗が。 「気ぃつけろよ」  南斗の伏せた目。視線は俺のあごのあたりをさまよっているように見える。 「なに急に」 「ツレから聞いたんだけど、ユキはゲイだ。それはいいんだけど、あいつ男癖悪いって。千歩譲ってそれもいいとして、問題は性格も悪いってことだ。俺、雨宮さんの前付き合ってた奴って実はユキなんじゃねえかと思って」 「いまさら……」  笑うところじゃないのかもしれないが、俺は笑ってしまった。南斗はモテる。この見た目で今まで男と付き合ってこなかったことの方が俺には不思議なのだが、コンスタントに彼女が変わる。そんな奴がフツメンの俺より疎いということがおかしかった。 「んだよ、知ってたんなら言えクソが」 「南斗はハウスメイトが自分のいないところで南斗の元カノの噂話してたらどう思う」 「ぶっ殺す」 「うん、だから雨宮さんだって同じだろ」 「お前の説得力はひろゆき並みかよ」 「それ褒め言葉じゃない。ひろゆきは説得力に定評はないから」 「褒めてねえよクソが。お前、まじで気ぃつけろ。お前とだけユキが仲良くする意味とか不明すぎるし、あいつがガチでお前にちょっかいかけてくるやべえ奴だったら、恋リア並に荒れるぞこの家」 「俺も結稀くんが俺なんかに構うのは、雨宮さんがらみの事だと思ってる。でも……、結稀くんがそんなに悪い人だとも思えなくて」  俺は、少し、いや、けっこう困っていた。最初の憶測どおり結稀が嫌な奴ならばよかった。だけど会う度に、違う気がする。それを否定すべき雨宮の不在も長引いて、結稀の言っていることが正しいのではないかという不安にかられている。 「てめえ、俺のツレが嘘ついてるっていうのかよ」  南斗が胸ぐらをつかんできた。 「そうは言ってない。でも、結稀くんも嘘をついたりごまかしたりしなきゃいけないくらい追い込まれてたのかもしれないじゃん」 「お前犯罪者の肩持つのか」 「浮気は道徳的に間違ってるけど、犯罪ではないよ」 「言い訳すんな。お前は何でユキなんかに会いにいくわけ?」  それは、雨宮さんのことが知りたいからだ。そんな真っ黒な事情を言えるはずもない。 「結稀くんは俺と仲良くなって、俺に雨宮さんを嫌ってほしいんだと思う」  少し迷って、それっぽいことを思いついた。 「俺は結稀くんの思う通りに動かないけど、話だけは聞いてあげられるじゃん。そうやってくうちに、結稀くんの気持ちも落ち着くんじゃないかと思って」  雨宮の右手のカバーアップみたいに、俺の嘘は黙っていれば善意ですっかり隠れてしまう。 「だったら何で俺とジェイクは呼ばれてねえの? 味方の人数多いほうがよくね?」 「見ず知らずの男三人に元カレとのいざこざ話すのはしんどいんじゃない?」  俺を選べよ、と文句を言う南斗は完全には納得していない顔だ。 「透、言っとくけどお前を騙すのなんて赤子の目をつぶすのより簡単なんだからな」 「怖いんだけど」 「ユキのことなんか、別にお前が助けてやる必要ねえんだから。雨宮さんにも言っとけ。あーそっか、連絡先知らねえのか」  振り出しに戻る。  南斗はポケットから携帯を取り出し、SNSを開いた。雨宮のタトゥースタジオのページに載っている店の電話番号にかけると、雨宮は大阪へ出張中で、来月からは東京のスタジオに戻ると教えてくれた。事件や事故に巻き込まれたのではないことにひとまずほっとしたが、同時になぜそれを事前に教えてもらえなかったのかという不信感が湧き上がってくる。  結局、俺も南斗も同じ扱いってことだ。  個人情報保護のため、店は雨宮の連絡先を教えてくれない。上杉さんに聞けばわかるだろうが、あいにく彼女は伊豆へ旅行中だ。そんな中わざわざ連絡するのは気が引ける。  待ってみるしかないか、と二人でため息をついたとき。  バタン。  扉が開いて、大きな影が目の前に現れた。 「What a……!」  竜巻でも起こしそうな勢いで扉が再び閉まる。一瞬だけ見えたジェイクが、見てはいけないものを見てしまったという顔をしていた。向こう側から「失礼しました!」と声が聞こえ、二人でトイレから飛び出した。 「待ってジェイク!」 「やってねえし!」  デジャブだ。ちょっと前に、台所でもこういうことがあった。  不本意極まりない。二人で両手を意味もなくばたばたと振り回しながら、必死にジェイクの誤解を解いたのだった。

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