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I ヴァイヤル教授の歴史的邂逅-1

「ふむ……」  魔法考古学者ユーリス・ヴァイヤルは、使い古した野帳を手に、周囲を見渡した。魔法考古学者の相棒ともいうべき野帳には、記号や略語で埋め尽くされた地図が書き込まれている。  だが、どれほど辺りを見回しても、今自分がいる場所の見当がつかない。  周囲に広がるのは、一般的な遺跡によく見られる光景──円形競技場ほどの広さがある地下空間だ。()(せん)状の道が地下深くまで続き、壁面には無数の立像と古代文字が刻まれている。  ユーリスは少し前、ここを荒らしていた盗掘者の一団を、煙幕と番犬の魔法で追い払った。そのどさくさに紛れて、本来のルートを大きく外れてしまったらしい。  遺跡に眠る品々は、歴史的価値に敬意を払わない輩には、埋もれた金貨にしか見えないのだろう。だが、それらは何百年もの時を経た、文字通りの宝物だ。一度損なわれればどんなに金を積んでも二度と元には戻せないし、失われれば、それは歴史の空白として残り続ける。  そんな事態を防げたのだから、多少の苦境に陥っても悔いはない。  だから、恥ずかしげもなく『迷った』とは言うまい。代わりに、ユーリスは矜持(きょうじ)を込めて(つぶや)いた。 「もうしばらく、ここに留まる口実ができたな」  ユーリスは、改めて辺りを観察することにした。  ここは、七百年ほど前に生まれたとされる地下遺跡(ダンジョン)だ。深層までには三十近い階層があると推定されているが、そこまで到達できた者は誰もいない。ここが墓なのか、かつての図書館なのか、それとも宝物庫なのかは、最深部に辿(たど)り着かない限り断定できない。  遺跡の壁面には、古代の世界に君臨した偉大な魔術師の像が並んでいるが、その半分が惜しくも崩れてしまっていた。崩れ落ちた頭部や断面には、(こけ)羊歯(シ ダ)が降り積もるように茂っている。  立像と立像の間の壁面には、いくつもの象形文字が刻まれている。じっと目をこらしていると、時折いくつかの文字がゆっくりと明滅する。この遺跡が生きている証しだ。  ユーリスは(たが)を締め直すように深く息を吸い込んだ。生きている遺跡ほど危険な場所はない。  陽の光が届かない地下でも周囲を見渡せるのは、空気中に漂う微生物のおかげだ。陽虫と呼ばれる微生物は、遺跡に満ちる魔力を餌に酸素を生み出す。その過程で発せられるわずかな光が集まるおかげで、遺跡は常に薄暮のようなほの明かりに照らされている。  とはいえ、いくら視界が良好でも、見覚えのない場所であることには間違いない。  遺跡の実地調査は悲劇と隣り合わせだ。遺跡の崩落に巻き込まれて命を落とした父のように、死亡が確定するならまだいい。生死さえわからない場合の方が圧倒的に多い。  所属するカレルヌ大学の掲示板に『行方不明者』として掲示されている者が何人いることか。ユーリスは、自分の似顔絵が掲示板に加わるところを想像した。  失踪者──シャルルノー遺跡にて消息を絶つ。年齢三十歳。身長一五九センチ、中肉中背。伸びかけた金の癖毛を無理に()でつけたような髪型。榛色の目に金縁の丸眼鏡。  目つきは鋭く、愛想がない。いかにも、人間嫌いの偏屈学者といった風情だ。内面は外見に表れるというが、まさにその通りだった。  服装は生成りのシャツ、オリーブ色の(した)穿()きに、古びた編み上げブーツ。所持品は、くたびれた牛革の採集(さいしゅう)(かばん)……穴が開いたものを、何度も修理して使っている。大学の上層部に居座る愚か者たちが研究費を出し渋るせいで、新品を買う余裕がないからだ。  ただし、それもユーリスが自説の正しさを証明するまでの話だ。  ──だからこそ、こんなところで野垂れ死んでいる場合ではないのだ。  ユーリスはため息をついた。  この遺跡が生きている以上、ここにはまだ、発見すべき謎が残されているということだ。  古代文明の名残である遺跡には、強い魔法の力を持つ遺物が眠っている。水の中で呼吸できる首飾りだとか、炎に巻かれても火傷しない衣だとか、さまざまだ。  遺跡は、そうした遺物に宿る魔法によって命を吹き込まれる。ある遺跡は魔物を引き寄せ、またある遺跡は自らを成長させる。たちの悪い遺跡は、時に部屋を入れ替えたり、道を閉ざしたり開いたりもする。 『人食い遺跡』として名高い、このシャルルノー遺跡もその一つ。道に迷ったのもそれゆえだ。だからこそ、大切な遺物が数百年にわたって悪辣な盗掘者どもの手から逃れてこられたわけだが。  ユーリスは、シャルルノー遺跡が、かつての墳墓であったという仮説を立てていた。仮説が正しければ、最深部には、国中の研究者が求めるあるものが眠っているはずなのだ。  とはいえこの様子では、百年粘っても到達できそうもない。 「ここで考え込んでいても(らち)があかない」  ユーリスは深く息を吸って背筋を伸ばし、自分の現在位置を把握する手がかりを探すことにした。  遺跡の壁面には、さまざまな幾何学模様や動植物を(かたど)った象形文字が並んでいる。この象形文字は魔術文字(ルーン)と呼ばれ、魔法を使用するために古くから使われてきた。  建築当初に刻まれた文字もあれば、遺跡が自ら壁に出現させたものもある。その中には遺跡の由縁や、魔法の呪文が含まれている。  今まで、この文字で書かれた文章を完全に解読できた者はいない。発音の方法もわからず、いくつかの単語の意味を推測するのがせいぜいだ。それでも呪文学者は、失われた古代語の文章中から、役立つ呪文をいくつも発見している。  壁面を覆い隠すように蔓延る植物の根を払いのけると、いくつかの見慣れた象形文字が見えた。 「(みつ)(うろこ)の魚……百合の花弁は、五枚か」  ユーリスは野帳を開き、そこに書き記した表と壁面の文字とを見比べた。  長きにわたって使用されてきた象形文字は、時代によって微妙に形が変わる。いわば、遺跡の年輪だ。  もし『人食い遺跡』に閉じ込められたとしても、文字の年代を判別できれば、遺跡のどの階層にいるのかを推測できる。遺跡は地表から地下に向かって成長するから、時代を遡るように文字を辿ってゆけば、地表に出られるはずなのだが……。 「うん?」  ユーリスはその壁画に、見覚えのある文字列が刻まれているのに気付いた。自分が道に迷っている状況も忘れて、ユーリスの胸中に興奮が湧き上がる。 「このカルトゥーシュは……」  カルトゥーシュとは、魔術文字(ルーン)の文章中にある、高位の人名を取り囲む枠飾りのことだ。枠飾りの中には神や天使、そして王の名前が記される。  カルトゥーシュが重要なのは、それが古代語解読の鍵となるからだ。歴史に伝わる人物の名や地名を示す象形文字の記述を見つけられれば、文章が意味するところを解き明かし、魔術文字(ルーン)の完全解読へ、また一歩近づける。  ユーリスは、背負った鞄から試験管を取り出した。コルクで栓がされた管には、微光を放つスライムが入っている。 「さあ、仕事の時間だぞ」  栓を抜き、中身を壁の上にそっと垂らすと、スライムは表面張力に従う水さながらに、文字が刻まれた壁面を伝って広がる。隠れるための亀裂を探す習性がそうさせるのだ。  スライムの膜が十分な範囲を覆ったところで、ユーリスは手にしていた魔石でスライムに触れた。すると、魔石が接触した場所から波紋のように光が走り、スライムが硬直する。  魔石を離すと、スライムは再び弛緩(し かん)してどろりと溶けた。試験管を近づけてやると、スライムはそそくさと瓶の中に戻ってきた。 「よし、ご苦労」  大学に帰ってから、このスライムにもう一度魔石をあてれば、覚え込んだ壁画を再現してくれる。  スライムで拓をとる手法は、ユーリスの父が確立したものだ。ユーリスは、馴染(なじ)みの寂しさと誇らしさを感じた。父は有能な魔法考古学者だった。今も存命だったら、どれほど偉大な発見を成し遂げられただろう。  ──いや、考えても詮無いことだ。  ユーリスは、未練を断ち切るようにコルクを閉め、試験管に貼られた白紙のラベルに日付と収集地を書き記した。  ここで発見したカルトゥーシュと、以前他の場所で採取したものとを比べれば、シャルルノー遺跡の正体に迫ることができるはずだ。  興奮を抑えつつ、試験管を革のケースにしまい込むと、不意に上から降ってきた細かい砂がユーリスの顔にかかった。 「何だ……?」  顔をしかめて頭を振る。  ──風もないのに、どこから砂が?  不思議がっていると、ブーツの下に微かな振動を感じた。  遺跡が、揺れている。  地下遺跡(ダンジョン)を研究対象にする学者たちは、あらゆる『揺れ』に敏感だ。どんな種類の振動であれ、命に関わる危険に直結しているからだ。  ユーリスの背中にも、嫌な汗が(にじ)んだ。 「これは、まずいぞ……」  揺れはどんどん大きくなる。けれど、それは地震や崩落の前触れとは違っていた。ズシン、ズシンと、何かの足音のようなものが近づいてきているのだ。  遺跡で出くわす災難は、枚挙に暇がない。生き埋め、滑落、毒ガスに盗掘者……都会の裏路地よりもよほどたちの悪い脅威がここにはある。中でも最も怖ろしいのは、遺跡に巣くう魔法生物(クリーチャー)の存在だ。  身を隠す場所なんて見当たらない。揺れはどんどん大きくなる。迷っている時間はなかった。  とにかくここを離れようと足を踏み出した次の瞬間、今まで目の前にあった壁がぶち破られた。 「うわぁ!!」  ユーリスは地面に身を投げ出し、間一髪、飛び散る岩の直撃から逃れた。降り注ぐ土砂や小石が瞬く間に背中に積もり、窒息しそうになる中で、ユーリスはどうにか振り返った。  せめて、足の遅いスケルトンか、粘液(ウーズ)系の魔法生物(クリーチャー)であってほしい。だが、祈りながらもユーリスにはわかっていた。壁をぶち破るほどの力が、そんな低級の魔法生物(クリーチャー)に備わっているわけがない。  土煙のベールが晴れた先にいたのは──。 「なんてことだ……!」  ユーリスは思わず(うめ)いた。  重い足音を響かせつつ、壁面に開いた穴から姿を現したのは、魔法によって命を与えられた巨人、ゴーレムだ。岩を組み合わせて作られた、その身の丈はおよそ四メートル。手足の太さは教会の円柱ほどもある。ゴーレムがユーリスを見ると、額に刻まれた魔術文字(ルーン)が、チカチカと光った。  ゴーレムは決して俊足の持ち主というわけではない。けれど彼らは、遺跡そのものを破壊するほどの力を持っているし、侵入者には容赦しない。『遺跡の守人』という通称は飾りではないのだ。  巨体が一歩踏み出すと、岩と岩がぶつかるすさまじい足音が響く。そして、(もろ)くなっていたらしい遺跡の床にひびが入った。 「この事態は、極めてまずい!」  ユーリスは慌てて身を起こして駆け出した。  どこに逃げるあてもないけれど、とにかくあの巨人の目から隠れなくてはならない。ところが走っている途中で、さっきまで手にしていたはずの野帳が見当たらないことに気付いた。  ユーリスの血の気が引く。  実地調査(フィールドワーク)を行う学者にとって、野帳は命と同じくらい大切なものだ。これまでの調査で得た情報や着想が、全てそこに収まっているのだから。  ──戻るべきか? いや、危険すぎる。  一瞬の迷いが、ユーリスの足をもつれさせた。 「──っ!」  足が絡まり、地面に倒れる。強く頭をぶつけた拍子に、眼鏡に亀裂が走る。頭がくらくらして、手足に力が入らないが、おとなしく踏み潰されるのを待つわけにはいかない。  ユーリスは鞄の中から使い古した魔導書(グリモワール)を取り出し、急いでページをめくった。 「これで……どうだ!」  くしゃくしゃのページを開き、そこに書かれた魔術文字(ルーン)を魔石でなぞると、本から猟犬の幽体が飛び出してゴーレムに()えかかった。こけおどしの技だが、目くらましにはなるだろう。その隙に体勢を立て直せば、まだ逃げられるかもしれない。  だが、頼みの綱の〈番犬の魔法〉は、ものの数秒で蹴散らされてしまった。  ──ああ、万事休すか。  ユーリスは迫る足音に身を震わせながら、ゴーレムを見上げた。  死を目前にしたこの状況で、おそらくは無意識に現実逃避していたのだろう、ユーリスはゴーレムに施された装飾を見つめた。  胸元に埋め込まれた宝石に、頭部を飾る金輪。ゴーレムの多くは権威ある死者の副葬品として作られた。目の前の彼もまた、名のある人物の副葬品にふさわしい、豪華な威容だ。つまり……。 「シャルルノー遺跡が、元は墳墓だったという僕の仮説は正しかった、ということだな……」  死に際に抱くには、あまりにちっぽけな達成感だ。  できることなら、自分の研究を世に出したかった。道半ばで死んだ父の無念を晴らしたかった。だが、魔法考古学者たるもの、遺跡で死ねるのなら本望だと思わなければ。  ──父さんも、最後の瞬間には同じことを考えたのだろうか。  そう思って目を閉じた瞬間、遺跡に一つの声が響き渡った。 「だめ!」  ──だめ?  それ以上頭を働かせる前に、きつく閉じていた(まぶた)を透かして見えるほど目映い閃光(せんこう)が、ユーリスの頭上を走った。空気が焼け焦げるような匂い、次いで聞こえたガラガラという轟音(ごうおん)に、思わず身が(すく)む。 「……っ」  やがて、周囲が静まり返る。  ユーリスが恐る恐る目を開けると、今まで目の前に(そび)え立っていたゴーレムの姿がなくなっていた。いや、そうではない。岩石を組み合わせて作られた身体が、バラバラに崩れているのだ。 「なんと……」  これは、紛れもなく魔法の仕業だ。けれど、一撃でゴーレムを粉砕するほどの威力を持つ魔法など、聞いたことがない。  もっと近くで調べてみたいと、ユーリスは身体を起こそうとした。ところが、両手を地面に突いたところで、背後からいきなりシャツの襟首を摑まれた。 「うわ!?」  そのまま、ユーリスはボロ人形のように引っ張り上げられ、立たされた。  振り向くと、そこには見知らぬ男が立っていた。身長は、ユーリスよりも頭一つ分大きい。  もつれた黒い長髪は、一度も(くし)を通したことがないかのようだ。上半身は裸で、下半身はボロボロの下穿きだけの姿だ。靴さえも履いていない。露わな肌のあちこちに刻まれた文身(いれずみ)も、どういうわけか、元の意匠から何かが欠けているような印象を抱かせる。  よく鍛えられた肉体と、それを包む白く滑らかな肌は、地下に蔓延る凶暴な種族とは似ても似つかない。むしろ、高貴な存在を思わせる。  顔立ちは、美しいとしか言いようがない。薄汚れていても、彼の容姿は少しも損なわれてはいなかった。凜々(りり)しい眉に、すっと通った鼻筋。形のいい唇。琥珀(こ はく)(いろ)の瞳……作り物なのではないかと疑いたくなるほど、見事な造形だ。  けれど、小首を傾げてユーリスを見つめる彼の表情は、どことなくあどけない。初めて出くわした珍しい昆虫をつつき回す子供みたいな顔をしている。 「君は、いったい──」  男は質問には答えず、崩れたゴーレムを指さした。 「ん」 「え?」  促された方向に視線を向けると──ゴーレムが、ゴツゴツと不気味な音をさせている様子が見えた。 「再生しようとしているのか……!」 「こっち」  男はそう言うと、ユーリスの服の襟に手を掛けたまま、問答無用で歩き始めた。 「待ってくれ、あそこに僕の野帳が! 戻らないと──」  引き返そうと足を踏ん張ってみるものの、男の力にはまったく(かな)わない。 「放せ! あれは大事なものなんだ!」 「だめ」 「だめだと!? 一体何の権限があって──」 「だめ」 「しかし──」 「だめ!」  こちらの言葉は理解できるらしい。けれど、話が通じないのでは意味がない。ユーリスはおとなしく男について行くしかなかった。

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