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1-2.

「兄さん、これ、すっごくおいしい!」 「……よかったな」 ニコは華やかな花菓子を頬張り、無邪気に微笑んだ。だが、それでも兄にぴったりとくっついて離れようとはしない。 テオはそんな弟を受け入れながら、部屋の中に次々と運ばれてくる化粧箱を見てさらに胃を痛めていた。   「兄さん、食べないの?」 「兄さんはな、今それどころじゃないんだ」 「じゃあ、これ、もらってもいい?」 「……どうぞ」 「ニコラスさま、たくさんございますからっ」 兄の皿に手を伸ばしたニコに、控えていた侍女が慌てた様子で声をかけた。 ニコは咄嗟に兄の腕にしがみついたが、お菓子のおかわりが自分の皿に置かれると表情をパッと明るくした。   「わあ……、こんなにいいの?」 「ええ、ユリウスさまからの贈り物です」 「ユリウスさま、思ったよりいいひと」 「お前な……」 その間にも荷物は運び込まれ、まるで山のように積み上がっていく。家紋が入った包みも多い。 さしずめ、諸侯からの成婚祝い品といったところか。テオの胃が、またギュッと締まった。 するとその時、朗らかな声が響いた。    「お待たせ、ニコ!」 声の主は、ユリウスだった。 正装に身を包み、王太子らしい輝きを放っている。 「なんだか派手で、声が大きい人だね」 「……まあ、そう言ってくれるな」 ニコはそう興味なさそうに言うと、菓子を口に放り込んだ。 一方で、テオはすぐに立ち上がり、深く頭を下げて王太子を迎えた。 「テオドール、弟君の付き添い、ご苦労だった」 「いえ。 弟のことですから、当然のことをしたまでです。 殿下こそ、この度のご配慮、誠に——」 「あぁ、堅苦しいのはここまでにしよう、テオ。 俺とお前の仲じゃないか」 ユリウスはそう言うと、テオに座るよう促した。 そしてまた、自身も侍女が用意したニコの隣席に腰を下ろす。 「ずいぶん顔色が悪いな。馬車に酔ったか」 「いいや、いつものだ」 「難儀だなあ、お前は」 「余計なお世話だ……って、こら、ニコ。 もうやめておきなさい、食べ過ぎだ」 「あとひとつだけ」 「だめだ、兄さんみたいに胃を悪くするぞ」 「兄さんみたいにおなか弱くないもん」 「はは、気に入ってもらえて良かった。 君は、昔からこれが好きだったものね」 「……むかし?」 ニコは首を傾げながら、ユリウスを見つめる。 「ユリウスさま……は、僕を知っているの?」   その言葉に、ユリウスとテオは顔を見合わせた。 ニコは立ち上がり、兄の後ろに隠れてしまう。 「……ニコ、おいで」 テオがそう声をかけるが、ニコは動かない。 仕方なく背を撫でて促そうとしたが、するりと逃げられてしまった。 「いや、いい。いいんだ」 ユリウスはニコに合わせて屈む。 テオの後ろから半分だけ顔を出したニコと目が合うと、にっこりと微笑んだ。 「兄さんの後ろが、安心だね」   ニコは何も言わずに、じっとユリウスを見つめるばかりだった。 するとユリウスは、内ポケットから何かを取り出して、ニコに見せた。   その瞬間、ニコが緑色の瞳を大きく開く。 同時に、いつも首にかけているロザリオに触れた。 「僕のと、おんなじ……」 「うん。おそろい。大事にしてくれて、嬉しいよ」 一番驚いた顔をしたのは、ニコだった。 ロザリオをぎゅっと握りしめながら、眉を寄せる。 だが、すぐに首を横に振ってため息をついた。 「……いいんだよ。 贈ったのは、八年も前のことだ」 「八年前……」 「……ちょうど、お前が隔離された年だな」 テオが、低い声で続ける。 ニコは目を伏せて、本当に申し訳なさそうに言う。 「ごめんなさい。 僕、そのくらいの時のこと、ちょっとはっきりしなくて……」 「謝ることはないさ」 ユリウスはそう言うと、再び微笑んだ。 「夏のたび、俺は君たちの領地で過ごしていたんだ。王都よりも、ずっと涼しいからね」 「……」 「君はいつも一番に駆けてきて出迎えてくれたね。 俺はそれが毎年楽しみでたまらなかった」 「確かに、ニコはユーリによく懐いていたな」 そう言う兄を、ニコは不思議そうに見上げる。 本当に覚えていないようだった。 テオの胸が痛む。 「君は、いろんなことを教えてくれたんだよ。 山の歩き方、川での遊び方……」 「……川?」 「そう。沢蟹を取ったり」 「カニ……」 「珍しい虫を見つけたりね」 「……あっ」 「何か思い出したか?」   ニコは、ユリウスを指さした。  「ユーリ!泣き虫ユーリだ!」   そして、ふふっと笑ってから続ける。 「背中に毛虫を入れたら、大泣きしちゃったユーリだ!」  「……ちょっと余計なことまで思い出しちゃったね」 「すまん、弟がとんだ不敬を……」 ようやくニコが、兄の後ろから出てきた。 ユリウスがさりげなく横に立っても、怖がる素振りはない。その様子にテオも安心し、いつものようにニコの頭を優しく撫でてやった。 すると、今度は侍女たちが大きな衣装箱を運んできた。祝い品の前に置かれた掛け台に、次々と衣装を掛けていく。 その数、十着。   どれも仕立ての良い、白を基調にした美しい礼服だった。   テオの胃が、再びキリキリと痛み始める。 小ぶりなそれらが、ニコのために用意されたと察してしまったからだ。 さらにユーリは、侍女から手渡された箱を開き、ニコに見せた。   「わあ、きれい」   初めて間近で見る美しい装飾品に、ニコはすぐに関心を寄せる。ユーリは微笑んだ。 「気に入ったのがあったかな? ニコが好きなのを選んでいいよ」 ニコは、首を傾げてユーリを見た。 「……僕がつけるの?」 「そうだよ」 「なんで?」 「花嫁は、着飾るものさ」 「じゃあ、花嫁さんが選んだほうが……」 「ユーリ」 そこでテオが前に出た。 守るように、ニコを背中に隠してしまう。 「勝手に話を進めるな。 王宮が安全に保護してくれるというから、ニコを連れてきたんだ。結婚だなんて、聞いていない」 テオが声を荒げたが、ユーリは一つも気にしない。 肩を竦めて小さく息を吐くと、さも当たり前のことのように返した。   「何がそんなに不満なんだい? 王太子妃……この国で一番守られるべき存在。 安全だよ」 「そういうことじゃない」 「じゃあ君は、これ以上安全な場所をこの子に用意できるっていうの?」 「論点をすり替えるな。お前は王太子だぞ。 こんなことで軽々しく結婚を決めるなんて、馬鹿げている」 「八年間、迎え入れる準備を整えてきた」 「八年?! 聞いてない!」 「中途半端に言ったら、君は余計に胃を痛めるだろう」 「……」 ニコは言い合いを始めた頭上の二人を交互に見つめたあと、するりと兄の後ろから抜け出した。 そのまま元いた椅子に座り直し、残っていたお菓子に手を伸ばす。 一口頬張って、呟いた。 「……おいしい」 「だから、大事なのはニコ本人の気持ちで……ん?」   言い合いの途中、テオはふとニコがいなくなったことに気がついて、辺りを見渡した。 「あっ、兄さん」 近づいてきた兄の気配に気がついたニコはすぐに振り返って、満面の笑みを見せた。   「おかし、おいしいねえ」 テオはため息をつくと、ニコの肩に触れた。 同じ目線の高さで、諭すように話す。 「ニコ、今、お前の話をしていたんだ」 「むずかしくて、わかんない」 だが、ニコの反応は、思いのほか素っ気ないものだった。 「決まったら、おしえてね」 テオは、あまりにも他人ごとのようなその態度に苛立ち、語気を強めた。 「ニコ、お前の人生がかかってるんだぞ」 「……」 「ニコ、聞いているのか」 「……何でもいいよ」 ニコはやっとそう返し、また菓子にかぶりついた。   「ニコ、お菓子は後にしなさい」 「やっ」   テオが菓子を取り上げようとすると、ニコは身体ごと横を向いた。 「……僕はもう、ここから出られないんでしょ」 そう低く言って、俯く。   「なら、何でもいいよ。変わらないもの。 兄さんが困らない方に、決めていいよ」 「ニコ……」 すると、ユーリが初めて動いた。 ニコの前に跪き、優しく諭すように言う。 「王宮は、君を閉じ込める場所じゃない。 君を、守る場所だよ」 「父さまと母さまも、そう言った」 ゆらりと顔を上げたニコの顔は、驚くほど冷たかった。 「僕を守るためだって、何年も部屋に閉じ込めた。 兄さんにだって、会わせてもらえなかった。 ユーリも、同じでしょ。 守るって言って、僕をここに閉じ込めるんだ」 ユーリは「違う」と言いかけ、すぐに口を噤んだ。 そして静かに首を横に振り、ニコの瞳をまっすぐ見つめた。 「ニコがテオに会いたくなったら、いつでも会えるようにするよ」 ニコの指先が、ピクリと動いた。 「色々なところにも行こう。一緒に行こう。 ニコが行きたいところ、いっぱい教えてね」  ユーリは、ニコの手に自分の手をそっと重ねる。 「そして、ニコの部屋の扉に、外から鍵をかけることはない。誰も君を閉じ込めない。……約束する」 「やくそく……」  そう繰り返したニコは、下唇を噛み目を伏せた。 その手に、わずかに力がこもる。 ユーリは黙ったまま、ニコの次の言葉を待った。 やがてニコは視線を上げ、小さな声で返す。 「……おかしは?」  「もちろん。好きなだけ用意するよ。 君に食べてほしいものが、たくさんあるんだ」 ユーリは目を細めながら、ニコに小指を差し出す。  ニコはハッとした顔をした後、おずおずとユーリの小指に小さな小指を絡めた。   「……やくそく」 「うん、約束」 ようやくニコに、笑顔が戻った。   「なら、いいよ。僕、ユーリと結婚する」 「いや、待て。よくない。軽すぎるだろ」   「よし、そうと決まれば式だ。皆、準備を!」 「勝手に決めるな。ちょっと待て!」 「何だ君は。急にうるさいな」 「ニコ、本当にいいのか?結婚だぞ?!」 「往生際が悪いぞ、テオ。 ニコはいいと言っている」 「うん。ユーリが約束守ってくれるなら」 「いや、その約束、既に破綻してるからな?」 「何がだ」 「俺は、今夜には領に戻る。呼ばれたからとすぐに来られるような距離ではない。 いつでも会えるなんて、詭弁だ」 「あぁ……それなら問題ない。 君は本日付けで王宮付きの役人だ。 帰られては困る」 「……は?」 「仕事はニコの生活及び、公務の補助。特別にニコの部屋の隣に君の執務室兼、私室を用意した」 ユーリはニヤリとしながらテオを見据える。 「いやいやいや、横暴が過ぎるだろ」 「……ユーリ、こうむってなぁに?」 「お仕事だよ」 「おしごと?」 「そうだよ。ニコにも、俺の妃としてお仕事をしてもらわないといけないからね」 「僕の、お仕事!」 ニコは頬を紅潮させ、嬉しそうな顔をする。 「……それ、兄さんの役に立つ?」 「もちろん。 ニコが頑張れば、その分テオの成果につながるよ」 「せいか……」 「テオがたくさん褒められるってことだよ」 「じゃあ、がんばる」 「さすが俺の妃だ。期待してるよ」 「うん!」 ニコはやや興奮気味にテオの手を握った。 「兄さん、僕、こうむ、したい。 兄さんの役に立ちたい!」 「……」 弟があまりにも曇りのない眼でそう言うものだから、もはやテオは何も言えなかった。 するとその時、数人の侍女がニコを取り囲んだ。 「ニコラスさま、こちらへ。 式の準備を致しましょう」 「えっ?」 「大切な花嫁だ。丁重に頼むよ」 「かしこまりました」 「に、兄さぁん……」 「ごめんね、ニコ。 テオと少しだけ君のお仕事の話をしたいんだ」 「……話が終わったらすぐに迎えに行く。大丈夫だ」 ニコは半泣きで頷いて、侍女たちに手を引かれ別室へと向かっていく。 テオはみぞおちを押さえながら、弟の小さな背中を見送った。 

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