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2-2.
「ニコちゃん。あなたのこと、もっと知りたいわ。
他には、どんなものが好きかしら?」
急にそう問われたニコは、まず口の中のクッキーを飲み込んだ。
しかし、そのまま少しの間を置いたのち、黙ってマフィンに手を伸ばしたので、見かねたユーリが助け舟を出した。
「ニコは、川遊びが好きだよね」
「なるほど……。
ユーリ、さてはニコラスと遊ぶために城内に川を」
「いいえ、父上。夏場の水不足対策です」
「ユーリ。僕も川、見てみたいな。
行ってもいい?」
「もちろん、君のために作った川だ」
「ふふ、やっぱり」
「あ、しまった」
笑い声が響く。そんな中、ラウルだけが眉を寄せた。
お茶会が進むうち、ニコは国王のことが気になり始めた。
最初に紅茶を啜ってから、何も口にしていない。
それに、どこか元気がないようにも見える。
ニコは少しだけ考えた後、口を開いた。
「王さま」
「ん?何だい」
するとニコは、自分の皿からマドレーヌを掴んで差し出した。
「これ、おいしいです。どうぞ!」
「おや」
国王は一瞬目を丸くしたが、すぐにそれを受け取る。そしてほんの一口だけ口にしてから、柔らかく微笑んだ。
「本当だ、とても美味しいね」
「おいしいものを食べると、げんきになります」
「そうだね。ありがとう、ニコ」
国王が笑ってくれたので、ニコは満足そうに頷く。
その横で、ユーリがほんの一瞬だけ表情を曇らせた。
「お待ちください!」
するとその時、場にそぐわぬ大きな声が響いた。
異変を感じ取ったユーリが、即座にニコの前に立つ。
「ここから先は……!」
「何事だ」
国王も立ち上がり、低い声で制する。
ラウルは王妃の前に回り、剣の柄に手を添えた。
「陛下、申し訳ございません!」
植え込みの向こうから飛び出してきた衛兵が、跪き頭を下げた。
そして、無粋な足音が続いたかと思うと、黒衣の騎士たちが茶席を半円に囲むように立った。
その胸元には、銀糸で聖騎士団の紋章が縫い取られている。
彼らは一斉に中央を向き、拳を胸に当てた。
すると、奥から赤いマントの老司祭がゆっくりと歩み出てくる。
彼はニコの姿を認めると足を止め、目を細めた。
対する国王はそれらを一瞥し、皆の前に出る。
「招いた覚えはないが」
「神の御名に関わる急ぎの用でございますゆえ」
「神を言い訳に使うか。
いずれにせよ、その非礼を許す理由にはならぬな」
「非礼はそちらではありませんかな。
聖痕持ちを囲み、呑気に茶会とは。
王家の信仰も、ずいぶん地に落ちたものです」
国王は深く息を吐き出すと、静かに言った。
「茶会で話す内容ではないな。場所を変えよう」
老司祭はにたりと笑い、返す。
「構いませぬ。
ただし、聖痕持ちもお連れください」
ユーリが眉を寄せながら、さらに前に出ようとした瞬間、強く後ろから袖を引かれた。
振り返ると、ニコが瞳を潤ませながら、右手の紋を押さえていた。
ユーリは「大丈夫だよ」と優しく囁いて、ニコの小さな手を守るように、自分の手を添えてやった。
「ニコ!」
応接室に移動するや否や、大きな足音と共に駆け込んできた者があった。テオである。
「……失礼しました」
中を見渡しすぐに状況を察し、慌てて頭を下げた。
「兄さぁん⋯っ」
だが、ニコはそうはいかない。
ユーリから手を離し駆け出すと、そのまま兄の胸に飛び込んで、「わあん」と声を上げて泣いた。
テオは困った顔のままそれを受け止め、宥めるように背を撫でる。
その様子を見た老司祭は「ふん」と鼻で笑った。
少し遅れ、ベル司祭も駆けつけた。
老司祭の姿を認めると、顔つきが一変する。
「オーバンか……久しいな」
「ベルナール。アルヴェリアではずいぶん重く扱われているようだな」
「……用件を聞こう」
ベル司祭はそう言うと、まず初めに兄弟の方へと赴く。そしてニコには、
「大丈夫ですよ。お兄さまが、一緒ですからね」
と優しく声をかけ、テオには共に席につくよう促した。
国王がオーバンはじめ、来訪者に向かい言う。
「ご覧の通り、席が足りない。
神の御名を掲げる話し合いに、騎士は不要だろう。
下がってもらえないだろうか」
オーバンはわずかに眉を寄せたが、やがて片手を上げた。彼と、同行の聖職者二名だけが残った。
皆が席に着き終わると、真っ先にオーバンが口を開く。
「単刀直入に申し上げましょう。その聖痕持ちを、公国教会本部へお返しいただきたい」
「断る」
国王のはっきりとした拒絶に、聖職者たちが明らかに動揺し始めた。国王は迷いなく続ける。
「ニコラスは、大切な王太子の妃だ。
お前たちには渡せない」
「ご冗談を。
まだそのような知らせは受けておりませぬ」
「昨日、神前式を執り行った。
そろそろ貴国にも知らせが届くころであろう」
「何を仰る。
そもそも、男性が妃などと。戯言はいい加減に……」
「そちらの教義にも、わが国の法にも、夫婦の性別を限る定めはない。何の問題もない」
「気でも違ったか、アルヴェリアの王よ」
「こちらの台詞だ。ニコラスを"返せ"だと?
この子は元々我が国公爵家の息子。
それもわからぬほど、公国本部の枢機卿どもは耄碌したのか?」
オーバンはあからさまに眉を寄せた。
「聖痕は、神の裁きの下に置かれた者の証。
その者は俗世を離れ、魂の穢れを祓うため、教会の導きを受けねばなりません。
浅はかな拒絶は、その者のためになりませぬぞ」
その言葉に、テオの陰に隠れていたニコがビクリと震えた。
オーバンはそれを横目で見ながら、畳み掛けた。
「また、その者を庇うということは、王家が神意に背くということ。
その報いを受ける覚悟はおありか」
ニコは、そっとテオの手を離した。
俯いたまま立ち上がろうとするのを、寸前でテオが手を取り、強く握り直した。
ニコは顔を上げぬまま、小さく肩を震わせている。嗚咽が聞こえた。
テオはニコを引き寄せ、守るように抱きしめる。
ニコはほんの少しだけ抵抗を見せたが、やがてすがるように兄の胸に額を押し付けた。
一方で、国王は不快さを隠そうともせずに続ける。
「知らぬな。そもそも、お前たちは何を根拠に聖痕を悪と決めつける」
「聖痕の禍々しい呪いの力は、民を苦しめます。
事実、教会の記録にも、聖痕持ちによる厄災が数多く記されております」
「公開されぬ記録など、信用に足りん。
聖痕を神の断罪とする根拠とは言えぬ。
結局のところ、我々は聖痕とは何なのか、どのような力を持つものなのか。
教会へ差し出した者たちがどのような行く末を辿るのか、全く知るすべがない。
そのような曖昧な理由で、大切な国民を、子どもたちを渡すわけにはいかん」
そこでベル司祭が、静かに口を開いた。
「だからこそ、私はこの子の紋を調べたのです」
その瞬間、オーバンが衝動的に強く机を叩いた。
「痴れ者が!
ベルナール、貴様、禁を破ったのか?!」
「そう捉えて下さって、構いません」
「これは、重大な神への裏切りだ。
聖職位の剥奪も免れんぞ」
「承知の上。
この状況を見過ごす方が、よほど神への背きに値すると考えます」
ベル司祭は落ち着いた様子だった。
そのまま一呼吸置き、穏やかに続ける。
「ニコラス殿下の紋は、祈りに応じて光を返すもの。呪いというよりは、むしろ祝福に近い性質です」
「……何だと?」
「アルヴェリアには、よく似た性質の紋を持った方の公式記録がございます。
建国王妃、リュシアンさまです」
「……それが真実であったとしても、その者の紋と同じとは限りますまい」
「そのとおりだ」
苦虫を噛み潰したような顔で言うオーバンに、国王は冷静に頷いた。
「だが、昨日の神前式にて、リュシアン王妃の祝福を賜ったのもまた事実。
ならば、ニコラス王太子妃の紋は、呪いではなく祝福と捉えるのが妥当であろう」
ユリウスが静かに立ち上がった。
「本件を踏まえれば、紋が現れたというだけでその者を神敵と断じ、教会へ差し出すことはできない。
ニコラスを例外とはせず、今後我が国は、紋を持つ者を教会へ引き渡すことはない。
正式な調査を行い、呪いであれば抑える道を、祝福ならば生かす道を探す。いずれも本人の人生に寄り添い、この国での生活を保証する」
「痴れ者が!」
オーバンが声を荒げた。
「先ほどから勝手なことばかりを。
聖痕持ちを匿えば、天罰が下ります」
その言葉に、テオの腕の中のニコがびくりと震えた。顔を上げ、不安げにテオを見上げる。
「兄さん、僕……教会に行く」
そして必死に涙をこらえ、震える声で言った。
「僕のせいで、みんながけんかしてる。
僕のせいで神さまが怒って、迷惑かけちゃう」
「ニコ、それは違う」
「僕……教会でたくさんお祈りをします。
神さまに赦してもらって、必ず戻ります。
……だから、だいじょぶ」
「大丈夫なものか!お前が行く必要なんかない」
「けど……」
「ニコラス」
兄弟のやり取りを聞いていた国王が、ニコに向かい声をかけた。
茶会の時と同じ、優しく穏やかな声だった。
「アルヴェリアはな、すべての国民が幸福に暮らせる国を目指して建てられたのだよ。
そこに、紋があるかないかは関係ない。
皆、幸福に生きてよい——もちろん、君もだ。
さて、ニコの幸せは、どこにあるのだろう?
教会か、それとも……」
ニコは溢れる涙もそのままに、しばらく考え込んだ。
やがて国王、ユーリ、そしてテオの顔を順に見ると、立ち上がった。兄の服を掴んだまま、オーバンの方へと向き直った。
「……ごめんなさい」
そしてそう言うと、ぺこりと頭を下げた。
「僕、行けません。行きたくありません」
国王は一瞬だけ口許を緩めた後、深く頷いた。
「……アルヴェリアは、ニコラスの意志を尊重する」
「馬鹿な、神のご意思に背くのか?!」
「オーバン。
昨日、神前で祝福が示されました。
それこそが神意です。
ニコラス王太子妃を、誓いを交わしたユリウス殿下から引き離すこと。それこそ、神の御意思に反することではありませんか」
ベル司祭の言葉にオーバンは何も返せず、ただ口を噤むしかなかった。
国王もまた立ち上がり、明瞭に最後を締め括った。
「オーバン殿。
遠いところ、ご足労であった。お引き取り願おう」
応接室の扉が音を立てて閉じられた。
一気に場の緊張の糸が切れ、どこからともなく深く長いため息がこぼれた。
「まったく……せっかくの茶会が台無しだ」
「ええ。ラウルは今頃、母上を宥めるのに苦労しているでしょうね」
「ニコラスも申し訳なかったね。
代わりと言っては何だが、あとで美味しい菓子を部屋に届けさせよう。きっと元気が出るぞ」
「……王さま」
「ん?何だい」
ニコは緑色の瞳をまっすぐ国王に向け、拳を握った。そして、意を決したように尋ねる。
「もう、僕みたいに閉じ込められる子は、いなくなりますか?」
「そうだよ」
すぐさま国王はそう返し、目を細め優しく微笑んだ。ニコもまた、涙の残る顔をぱっと輝かせ、
「ありがとうございます」
と、元気よく頭を下げた。
その後すぐに、国王とユーリがそれぞれの従者に呼ばれ、ニコとテオだけが部屋に残された。
「ニコ」
するとテオは、ニコに向かい両手を広げて見せる。
ニコは、すぐに大好きな兄にぎゅっとくっついた。
すると兄が、そのままふわりと抱き上げてくれた。
ニコは嬉しくてたまらず、世界で一番安心な場所である兄の胸に甘えるように頬を押しつけて「ふふ」と笑った。
「……戻ろうか」
「うん」
兄が扉に手をかけたその時、ニコがぽつりと言った。
「これで、よかったんだよね」
「ああ」
テオはそう短く答えて、その手に力を込めた。
少し軋んだ音を立て、扉が開く。
そして廊下に出ると、そのままゆっくりとニコの部屋へと向かい始めた。
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