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2-3.

オーバンの来訪から数日。 その後特に教会本部からの接触もなく、テオをはじめ、ニコを取り巻く面々も穏やかさを取り戻していった。   そんな中、ユーリとニコの披露宴が盛大に執り行われた。 国内外から集まったたくさんの参列者、寄せられた祝福の言葉や贈り物にニコは戸惑いも見せた。 だが、ユーリの立ち回りのうまさにより、式が進むにつれて、次第にニコにも笑顔が見られるようになった。 披露宴の後に行われたテラスでの初のお手振りも、無事にこなすことができた。 手袋で隠していた紋を見せるよう宰相から言われた際は「不吉だと思われるのでは」「気持ち悪いと言われるのでは」と、かなり物怖じしてしまったが、実際はその真逆だった。   広場に集まった国民たちからの大きな歓迎と祝福を受けたニコは、まるで、日陰に隠されていた蕾がようやく日向で花開いたようだった。 「兄さぁん!」   テラスから戻ったニコは、いつもの通りすぐにテオの胸に飛び込んできて甘えた。 テオはそれを受け止めてやりながら、弟が皆に受け入れられていく喜びを覚えていた。 けれど同時に、ニコが自分の手を離れていく未来がすぐそこに来ているように思えて、言いようもない寂しさを感じていた。 ニコが自分だけを頼らず、たくさんの人の中で愛され、生きていけるようになること。 もちろん、それがあるべき姿だと理性では分かっている。 だが、感情が追いつかなかった。 そんな自分を情けなく思いながら、テオは「おめでとう」という言葉を飲み込んだ。 % それから、さらに数日が過ぎた。 ニコは新しい生活にも慣れ始め、兄と離れていられる時間も、少しずつ延びていった。 その日ニコは寝室でひとり、聖歌を口ずさみながら祭壇の掃除をしていた。 この祭壇は、ニコが登城する際、元の屋敷から持ち出すことができた数少ない私物のひとつだった。   白い陶器の神像を丁寧に磨いて、リボンで飾り付けをした空き瓶を花瓶に見立て、紙で作った花を飾る。 神像の背後の飾り板には、昔兄からもらったきれいなハンカチを下げた。 さらに小さな頃使っていたロザリオを神像の足元を囲うように飾ると、ニコは満足そうに微笑んだ。 するとその時、扉を叩く音がした。 駆け寄って扉を開くと、侍女の向こうに王妃の姿があった。意外な訪問者に、ニコは目を丸くする。 王妃は軽く挨拶を済ませ、ニコへ手招きをした。 ニコが言われるがまま寝室から出ると、王妃が後ろ手に隠していた花束を差し出した。 ニコは思わず「わぁっ」と声をあげた。 「ニコちゃんにプレゼントよ」 「僕に……?!」 ニコは花束を受け取り、顔を綻ばせる。 まるであのお茶会の時の庭園を小さくしたような、美しい花束だった。 ニコはぺこりと頭を下げる。 「ありがとうございます」 「どういたしまして。喜んでもらえてよかったわ」 すると、侍女が手際よく花瓶を用意し始めた。 「すぐにお部屋に飾りましょう」 「あっ、ちょっと待って……ください」 ニコは、花束を抱き込みながらおずおずと言う。 「あの、ちょっとでいいので……。 神さまのお部屋にも、かざっていいですか?」 「神さまのお部屋?」 王妃は繰り返し、首を傾げた。 「はい、こっちです」 ニコはそう返し、花束を抱えたまま寝室へと戻る。 その小さな背中を追った王妃は、すぐに壁際の小さな飾り棚に置かれた祭壇に気がついた。 きちんと手入れがなされ、丁寧に飾り付けられているそれは、まるでニコの宝箱そのものを見せてもらったような微笑ましさだ。 思わず笑みがこぼれる。 「ニコちゃん、とっても素敵だわ!」 祭壇を覗き込むようにしながら王妃がそう言うと、ニコが照れたように笑った。 「この可愛らしいお花は、ニコちゃんが作ったの?」 「はい」 「まあ!とってもよくできてるわ。 ニコちゃんは、手先が器用なのね?」 「そんなことないです……。 ずっと時間だけはあったから……」 「時間の問題じゃないわ。 ニコちゃん、あなたはもっと自信を持つべきよ。 とっても素晴らしいことよ」 「あ、ありがとうございます」 ニコは照れながらそう言って、再び頭を下げた。 祭壇を褒められたのは、初めてだった。 嬉しくて、誇らしくてたまらなかった。 王妃はすぐに侍女に言い付け、小さな花瓶を二つ用意してくれた。白い陶器と金の装飾が施されたそれは、ニコの神像と誂えたようによく似合った。 花瓶に花を活けて飾ると、より祭壇の華やかさが増す。 それを見つめながら、ニコがぽつりと漏らした。 「ほんもののお花は、もらえなくて……。 だから、つくるしかなくて……」 そこまで言って、ニコは袖口で目元を拭った。 それから王妃の方を向き、満面の笑みを見せる。   「けど、王妃さまのお陰で、やっと夢がかないました。神さまも、きっとよろこんでらっしゃると思います」 「もう、あなたって子は!」 王妃は胸が締め付けられるような痛みと、それ以上の愛しさに思わずニコを抱きしめた。 「ニコちゃんが作ったお花だって、本物のお花よ。 きっと神さまは、ずっとお喜びだったはずよ」 ニコは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに微笑む。 そして頷くと、王妃の胸の中で小さく「そうだったら、いいな」と呟いた。 その後、二人は寝室を出て残りの花を一緒に活けることにした。 いつの間にか王妃がお気に入りの花瓶を用意させていた。今度はニコの瞳と同じ、薄緑色の陶器で出来た可愛らしいものだった。   ——王妃さまは、一体何個花瓶を持ってるんだろう ニコがそんなことを考えていると、王妃が最後の一本の枝を切りながら、心配そうに話しかけてきた。 「今日は、テオちゃんはお留守だと聞いたわ。 待っている間、何か楽しいことができればよいのだけれど」 ニコは差し出された切り花を受け取り、花瓶に挿し込みながら返す。 「だいじょぶです」   王妃は少しだけ花の位置を調節しながら、ニコの話に耳を傾けた。   「兄さんは、夜には帰るって言ってたし……。 午後はユーリと川にいくんです。楽しみです」 「まあ、川へ? それなら、外でお茶をいただくのも素敵ね。 ちょうどさっき、アップルパイを焼いたのよ。 アップルパイはお好き?」 「だいすきです!」 「そう!なら、お茶と一緒に用意しましょう。 きっと、もっと楽しくなるわ」 「アップルパイ、たのしみです」 「ふふ。 ニコちゃんがそう言ってくれるのが一番ね」 王妃はそう言うと、安心したように微笑んだ。 ——その日の午後。 川は、王室私庭の一番奥にある木立の中にあるのだという。 ユーリに手を引かれ進んでいくうちに、ニコは昔の記憶が呼び起こされていくのを感じていた。 幼い頃、庭のように遊び回った故郷の林に、とてもよく似ていた。 私庭を抜ける頃には、ニコは少し息を切らし始めていた。だが、涼しい木陰に入り、川の音が近づくにつれて、足取りはまた軽くなっていく。   そしてとうとう川のきらめきが見えた瞬間、ニコは思わず声を上げた。 「わあっ」 ニコが急かすようにユーリの手を引く。 ユーリは目を細めながら、それに続いた。 川辺まで来ると、ニコはしゃがんで水面を見つめる。   「水に触ってごらん」 ユーリが促すと、ニコは恐る恐る手を伸ばした。   「ふふっ、つめたぁい」 指先が水に触れると、クスクスと笑う。 するとすぐ横で、衣が擦れる音がした。 ニコがその方を見ると、ユーリが靴を投げ出しているところだった。ユーリはニコと目が合うといたずらっ子のように微笑んで、裸足で川に入っていく。 「おいで」 そしてすぐにそう言うと、ニコに手を差し出した。 ニコも急いで裸足になり、ユーリの手を取った。 ニコは、最初こそこわごわとした様子だったが、一歩二歩と進むたび、どんどん調子が戻ってきた。 そこから十分ほど、共に上流へと向かう。 いつの間にか、ニコはユーリよりもずっと上手く川の中を歩けるようになっていた。 「ユーリ、こっち来て!はやく!」 「何かあったかい?」 途中の浅瀬でニコがしゃがみ込んだまま頷いた。 ユーリが隣から覗き込むと、ニコが抱えられるほどの丸石をひっくり返していた。 「カニだよ!」 ニコは水中に両手を突っ込み、砂利の中に隠れていくカニをむんずと掴む。 そして、そのまま持ち上げると、ユーリの目の前で手を開いてみせた。 小さなサワガニが、その手の中でモゾモゾと動いていた。ニコは得意げに「えへへ」と笑う。 その顔を見た瞬間、ユーリは何だか泣いてしまいそうだ、と思った。   ニコが今、ここにいてくれることが。 楽しそうに笑ってくれることが。 ただただ、嬉しくてたまらなかった。   そのままさらに上流へ進むと、少し開けた所に出た。 「こっちだよ」 ユーリが川から上がり、裸足のまま川岸を歩いていく。 ニコはその後を追い、ユーリの手を掴んだ。 そのまま少し行った先の景色に、ニコは息を呑んだ。 そこには、美しい青い花畑が広がっていた。 「おんなじだ」 ニコは小さく呟く。 「秘密基地と、おんなじ!」   そしてそう言うと、ユーリの手を引っ張って駆け出す。しかし勢いがつきすぎて、すぐに足がもつれてよろけてしまった。   「おっと……!」 ユーリは、咄嗟にニコを抱きとめた。 だが、勢いが強すぎてそのまま二人で草の上に転げてしまった。 「ごめんね、だいじょぶ?」 ニコは、すぐに顔を上げた。 そして、自分がユーリを下敷きにしてしまったことに気がついて、慌てて身を起こそうとする。 ユーリはそれを引き留めるようにそっと腕を回し、そのままぎゅっと抱きしめた。 それから、噛み締めるようにゆっくりと深呼吸をする。 「⋯⋯君と、また川で遊びたかったんだ」 「ユーリ?」  「ずっと、遊びたかった」   ユーリはそう言うと、右手で目を覆って黙り込んだ。しかし、左手はニコを離さない。   「泣いてるの?」 「⋯⋯」 ニコは小さく笑って、ユーリの胸に頬を寄せた。   「泣き虫ユーリだ」 「……泣いてない」 その時、ざあと音を立てて風が吹き抜けた。 美しい花たちが、優しく揺れながらそんな二人を見守っていた。 その夜のこと。 テオが自室に戻るやいなや、寝支度を整えたニコがやってきた。 ニコは、昼間に念願の川遊びをしたことを、興奮冷めやらぬ様子で話してくれた。   「それでね、カニがたくさんいてね……!」  王宮に来てから一番長く離れていたこともあり、テオは甘えられるがままニコを膝に乗せ、話を聞いてやっていた。 元々ニコは、外を飛び回って遊ぶ活発な子供だった。 その右手に突然現れた紋のせいで、八年もの間、部屋を自由に出ることさえ禁じられてしまったのだ。   今日の川遊びは、ニコがようやく解放された象徴のように思えた。 「お花畑で、王妃さまが焼いてくれたアップルパイも食べたんだよ。おいしかったなあ……」   ——またお菓子ばかりを食べさせて……。 テオは内心ユーリに毒づいたが、ニコがあまりにも嬉しそうなので何も言えない。 相づちを打ちながら背中を撫でてやると、ニコがこてんと胸に身体を預けてきた。そこでテオは、初めてその異変に気がつく。 「ニコ、お前」 「……?」 突然名を呼ばれたニコが顔を上げる。 テオは、ニコの額に自身の額をくっつけて確認した。   ——やっぱり。 しかもかなり熱いぞ、これは。 「兄さん?」 「お前、熱があるな」 テオはそう低く言うと、ベッドサイドに置かれた呼び鈴を鳴らした。 すぐさま駆けつけた侍女たちに、 「王太子妃が、発熱している。急ぎ、医師を」  と言いつけて、ニコを降ろして立ち上がる。   「僕、元気だよ?」 けろりとした顔で首を傾げるニコの頭を、テオは不安にさせないよう優しく撫でた。 「おいで。続きはニコの部屋で聞こう」 「抱っこだ、やったぁ」 ニコは手を広げた兄に抱き上げられると、その胸に頬をくっつけて嬉しそうに笑った。 痛み始めた胃を我慢しながら、テオはニコの熱い体温を確かめるようにぎゅっと抱きしめた。

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