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3-3.
ニコラスの隔離されてから、何かが大きく変わることもないまま、あっという間に八年が過ぎた。
テオドールは王立学校を卒業した後、ほかの上位貴族の子息たちと同じように、中央行政を学ぶ実務期間を過ごしていた。
その期間もこの秋で二年を迎える。
そろそろ領地へ戻り、公爵家の嫡男として家政と領政に携わる予定だった。
「なんだ、やけに外が騒がしいな」
広場に面する窓をのぞき込みながら、一人の事務官が顔をしかめる。
「ああ、例のお触れが出たんだろ」
「聖痕持ちのやつですよね。教会に引き渡す前に、王都で再判定を受けさせろっていう」
「そうだな」
「なんだかなあ。
教会の領分に踏み込むようで、少々危険というか」
「言葉に気をつけろ。
王太子殿下の肝入りの政策だ」
同僚に諌められ、彼は机に向かい直しながら肩を竦める。
「おかげで、貴族家の本人確認や血判判定が厳しくなったじゃないですか。てんてこ舞いですわ」
「まあ、あるべき姿ではあるが。
式典に出られない者について、使者を派遣してまで本人の意思確認をするってのは些かやりすぎではあるな」
すると、彼がピンと来た顔をして続けた。
「あー、そうか。俺、わかっちゃったかも。
さすが王太子殿下ですわ」
「何がだ」
「救済策であると同時に、隠している家への牽制でもあるんじゃないですか」
「……なるほど。それは一理あるな」
「どっかの貴族がなんかやらかしたんですかねえ」
「さあな」
するとその時、テオが二人の前に立った。
先輩事務官の机の上に、紙束を置く。
「お、テオ。何だ、もう終わったのか」
「相変わらず仕事が早い……って、ここまでやってくれたのか」
「……必要かと思いましたので」
「その通り。助かるよ、ありがとう」
テオは軽く一礼し、席に戻ろうとする。
それをもう一人が呼び止めた。
「そういえば、テオ。お前の弟殿だが……。
まだ成人の儀式典出欠の返事が来ないんだよ」
「ニコラスの、ですか」
「ああ。欠席なら欠席で構わないが、届け出がいる。だが、三度催促しても何の返事もない。
何かご家族から聞いていないか?」
テオの目つきが、一瞬だけ鋭くなった。
「……」
「テオ?」
テオは改めて上司である先輩事務官に向かい、深く頭を下げた。
「……すみません。
本日この後と、明日一日、休暇をいただけますか」
「あ、ああ。構わんが……」
「ありがとうございます」
そしてもう一度一礼すると、足早に執務室を後にした。
「急にどうしたんすかね?」
テオの背を見送りながら、先輩事務官が、もう一人へ問いかける。すると彼は、テオの書類を確認しながら何てことのない事のように答えた。
「弟殿の様子を確認しに行くんだろう」
「わざわざ、ですか?」
「ヴァレンティア公爵家のニコラス殿は、長く病床にある。社交界はおろか、王立学校にも入学すらできていない。できるだけ成人の儀に出席させてやりたい兄心は、何となく分かるよ」
「……あぁ、そうだったんですね。なら、明日までと言わず長く休みを取っても構わんのに」
「まあ、あいつ真面目だからな」
彼はため息まじりにそう言うと、テオが提出した資料に、承認印をトンと押した。
同日夕刻、テオはヴァレンティア公爵邸の門をくぐった。真っ先に本邸、父の部屋へと向かう。
父は急な息子の帰省に驚いた様子だった。
テオは挨拶もそこそこに、本題へと入る。
「ニコの成人の儀への出席について、確認に参りました」
「何のことだ」
「とぼけるのもいい加減になさってください。
当局が、こちらからの返信が全くないと困惑しています。」
「ニコラスは病床にある。欠席でよい」
「ならば、欠席の届け出をすれば済む話です。
かわりに、使者が本人の意思確認のために、派遣されます」
すると父は苛立ったように、わずかに声を荒げた。
「知っている。だが、それが問題なのだ。
お前もわかっているだろう」
「わかりかねます。
法に基づき、手続きを行うべきです」
「あれを役人に見せるわけにはいかない」
「見せるべきです。
王家のお触れに基づき、手続きを行いましょう。
公爵家なのですから、王家の定めには誠実であるべきです」
「だめだ、だめだ。そんなことはできない。
そんなことをしたら、この家が」
「お触れには、発見時期による罰則の規定はありません。まずは事情を説明すべきです」
「そういう問題ではない!」
「では、何が問題なのですか」
テオは冷静だった。
淡々と父の言い分を正論で潰していく。
「このまま隠し続けることこそ、問題です。この家のためにも、何よりもニコのためになりません」
「そんなことをしたら、お前の大切なあれも無事では済まないぞ。
神敵として、教会に捕らえられてしまう」
父は明らかに焦った様子で机を叩き、威嚇する。
だが、対するテオはわずかに目を細めただけだった。
「お触れには、必ずしも教会に差し出すという記載はありません」
「そんなこと、当てになるものか」
テオは目を伏せた。小さく息を吐くと、もう一度父の方に向き直った。
「私は、ユリウス王太子殿下を信じています」
そう言い切ると、テオは踵を返す。
「もう結構です。
私が公爵家嫡男として届けを行います」
そして歩き出したテオを、父が大きな声で制止した。
「血迷ったか、テオドール!」
テオは黙したまま振り返ることなく、出口の方へ歩を進めていく。
その瞬間、テオの背後から呼び鈴が鳴った。
同時に、扉が開いた。警備兵が駆けつける。
「それを捕らえよ!決して外に出すな!」
半ば吠えるように父が叫ぶ。
向かってくる警備兵を前に、テオは大きなため息をついた。そして父を振り返り、氷のように冷たい瞳で言い放つ。
「これ以上、私を失望させないでください——父上」
そこから先は、早かった。
テオがその手から放った魔力が、室内を強く照らす。目がくらんだ警備兵を魔力の鎖でつなぎ、扉へと放り投げる。
かと思うと、剣を向けてきた警備兵の腹を長い脚で蹴り上げた。そしてその剣を奪い、構え、光のような速さで父のもとへ一直線に向かう。
ダン!という大きな音が響いた。
壁際に追いやられた父の右頬に引かれた一線の傷から、血が滴った。
テオは何も言わずに剣を離すと、父を一瞥した。
そしてそのまま、静かに部屋を後にする。
だが、屋敷から出てすぐにテオは異変に気がついた。乗ってきたはずの馬車がないのだ。
厩舎に向かったが、馬が一頭もいない。
明らかな父の嫌がらせに、テオが舌打ちをする。
——幼稚なことを。
するとその時、テオの肩をそっと叩く者があった。
庭師のギルだ。
「……こちらへ」
彼はそうとだけ言うと、奥棟の方へと向かっていく。訝しげに思いながらもテオがその背についていくと、荒れ果てた庭の向こうに半分朽ちた厩舎があった。
そして、ギルが中から引いてきた芦毛の馬。
その額の星を見た瞬間、テオは息を呑んだ。
周りの毛に馴染み、だいぶ薄くはなっている。けれど、あの星形の白い斑——間違いない。
エトワだ。
ニコが大切にしていた馬のエトワだ。
ギルは深く頷くと、テオに手綱をそっと渡した。
「——あの時、処分しろと言われたんですが……。
坊ちゃまが大切にされておられた馬ですので……」
「……ギル、お前」
「どうかお使いください。
老いてはいますが、王都までは十分もちます」
そしてギルは帽子を脱ぎ、頭を下げた。
「坊ちゃま……ニコラスさまを、お願いします」
——夜道に、馬の蹄が響いた。
老馬とは思えぬしっかりとした脚力とスピードだった。
「エトワ、頼むぞ。
ニコの今後が、お前にかかってるんだ」
テオがそう語りかけると、エトワは答えるように力強くいななきを上げた。
——八年前とは、違う。
テオは手綱を操りながら、己を奮い立たせた。
——今度こそ、ニコを救ってみせる。
王宮の門が夜間の警備に切り替わる頃、泥と汗にまみれたテオが滑り込んで来た。
エトワはテオを降ろすや否や、俯いて耳を垂らした。テオはそんなエトワを気遣う余裕もなく、門番へと声を上げる。
「ヴァレンティア家嫡男、テオドールだ。
王太子殿下への謁見を許可願いたい!」
衛兵は戸惑い、明朝に改めるよう伝えた。
それでもテオが引かず、他の兵まで集まり始めた頃。
「おや?何の騒ぎかと思えば、テオじゃないか!
久しいな!」
王宮の入り口の方から、そう呑気なユーリの声が響いた。ユーリは、兵たちに軽く手を挙げて命じる。
「構わん、通せ」
すると衛兵たちは、すぐに蜘蛛の子を散らすように下がっていった。
「……無理を言ってすまない」
「はは、構わんよ。馬も厩舎で休ませた、安心しろ。年は取っているが、躾と手入れが行き届いたいい馬だ」
「……」
「それにしてもどうしたんだ、一体。
本当に酷い格好だな。賊にでも襲われたか?」
「……賊の方がどれだけマシだったか」
ユーリはテオの疲れ切った様子に顔を改め、一番近い応接室へと通してやる。
「……実は」
出された水に手を付けることもなく、テオは真摯に事の顛末を告白した。
八年前、ニコに現れた聖痕と思しき紋のこと。
その発覚を恐れた両親が、ニコを隠し続けてきたこと。
そして、お触れが出てもなお、ニコの成人の儀に関する本人確認を拒んで隠し通そうとしていること。
——自分は、そんな両親を止めることができず、これまで黙認してきてしまったこと。
最後にテオは、親友に向かい必死で頭を下げた。
「嫡男として、兄として、すべての罪は俺が被る。
だから頼む。頼むよ、ユリウス。
ニコを助けてやってくれ!」
ユーリはひと言も発することなくその話を聞いていたが、やがて静かに立ち上がり、踵を返す。
「ユリウス……?」
そして、扉に手をかけるとテオの方を振り返った。
「テオドール、話してくれてありがとう。
——薄々感づいてはいた」
ユーリは一度目を伏せて、深く息を吐いた。
だが、すぐに顔を上げると、迷いなく言い放つ。
「騎士団と魔法医、王宮司祭を出そう。
お前は共に、急ぎヴァレンティア邸へ戻れ」
「……すまない、助かる。だが、お前は?
独断でこんなことを行って、大丈夫なのか?」
「俺を誰だと思っている?問題ない。
本当はお前と向かいたいところだが……」
ユーリは、その手に力を込める。
扉が開く音が、やけに大きく響いた。
「俺はここに残り、準備していた保護令を前倒しで発効させる。再判定を受けた者を、王宮で一時保護できるようにする」
「しかし」
「明日には、決着をつけるぞ。――お互いにな」
そしてユーリは不敵に微笑むと、力強く扉を開け放って出て行った。
その力強い足音を見送りながら、テオもまた唇を結び立ち上がった。
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