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3-4.

翌朝、早朝。 テオと共に騎士団がヴァレンティア公爵家の門を叩いた。両親はこの来訪を予想していたかのように落ち着いた様子で、一行を迎え入れた。 「こんな早くに何事ですか」 「テオドール。 お前はまたそうやって大袈裟にして」 「ヴァレンティア公爵、早朝に申し訳ない。 ニコラス殿はご在宅か?」 「まあ、ニコラスですか?」 「まだ休んでいる、お引き取り願いたい」 「眠っておられても構いません」 すると母が父の後ろから、心配そうに申し出た。 「ニコラスは、昨夜ひどい発作を起こしましたの。 かわいそうなほど取り乱し、やっと落ちついたところです。どうか起こさないでやってください」 テオが眉を寄せる。 「発作だと?ニコに何をしたんだ」 「何って、薬を飲ませ落ち着かせたよ。 あの子は療養中だ。 こんなことは日常茶飯事なのだよ」 「薬……?」 ——嘘だ。 ニコは病気ではない。 薬なんて、必要ないはずだ。   両親のあまりにも飄々とした態度に、テオがギリリと奥歯を鳴らす。 「ええ、あなたが帰宅早々大騒ぎをしたからよ。 可哀想に、きっと不安になったんだわ」 「……俺はニコに会っていない」 すると父がすぐに口を挟んできた。 「馬を逃がしただろう。 あれはニコがお気に入りの馬だった」 テオは両親を睨み、爪が食い込むほど拳を握りしめた。そんなテオの肩に、騎士がそっと触れる。 目線をやると、首を小さく横に振った。 テオは息を吐き出し、静かに言った。 「ニコラスは奥棟です。ご案内します」 「テオドール!」 「いけないと言っただろう!」 食って掛かる夫妻の前で、騎士が巻物を解き掲げた。   「国王からの命を預かっております」 末尾の王家の印に、夫妻は息を呑む。 テオはそれを一瞥すると、静かに一行を奥棟へと案内し始めた。 敷地の一番奥、大きく繁った木に囲まれた奥棟は、薄暗く静まりかえっていた。 伸び放題の草木と、壊れた噴水。 朽ちた花壇の一角だけが、鮮やかな花で満ちている。テオはすぐに察した。   花壇は、ニコの部屋から見える位置にある。 庭師のギルが、花の好きなニコのために育てているのだろう。 だがテオは知っている。 庭に面した唯一の窓の前には棚が置かれ、重たいカーテンは開かない。 奥棟は、公爵家の子息が療養する場所とは思えない有様だった。 もう太陽はすっかり昇っているというのに、中はランプが必要なほど薄暗い。 軋む階段を上がり、色あせた絨毯の廊下を進む。 突き当たりが、ニコの部屋だった。 騎士団は再び息を呑んだ。 扉には、頑丈な鍵が外から三つもつけられていた。 「……暴れて、逃げ出すものですから……」 父は沈む空気を察したように言い、鍵を開けた。   応接間の向こうにある寝室へ繋がる扉にも、同じように外から鍵がかかっている。今度は五つ。 もはや皆、察している。   ——これは保護ではない、監禁だ。 ようやく扉が開かれる。 その瞬間、中から湿った空気が流れ出した。 古い布と埃、そして薬のにおいが混じった、ぬるく淀んだ空気だった。 皆が一様に眉を寄せる中、魔法医が声を上げた。 「換気を!窓を開けてください!」 「窓が、ありません!」 「まさか、外から見えていたでしょう?!」 「本棚で隠れている。おい、手を貸してくれ」 「すみません、お静かに。 息子が休んでおりますから……」   的外れなことを言う母を尻目に、騎士たちが室内に踏み入った。 即座に本棚が退かされ、窓が開かれた。 室内に漂うほこりが、陽を浴びてチラチラと光る。 そんな最中、テオは胸騒ぎを覚えた。 これだけ大騒ぎをしているというのに、ニコの反応がない。魔法医と共にベッドへ駆け寄り、その様子を見た瞬間、言葉を失った。 ニコは、真っ白な顔でベッドに横たわっていた。 「先ほど、薬を服用させたとおっしゃいましたね。 何を与えましたか?」 「こ、こちらです」 魔法医の剣幕に押され、母が薬瓶を差し出す。 ラベルを確認した魔法医は、ひゅっと息を呑んだ。 「何てものを!」 「医者の処方です、常用しているもので……」 「それは本当に医者ですか?!」 魔法医は怒りを押し込め、すぐに呪文を詠唱し始める。 「この量、濃度。もはや毒です!解毒します!」   テオはその横で、力なく膝をついた。 ——毒、だと? 血の気の引いた顔、真っ青な唇。 瞳は固く閉じ、ピクリとも動かない。 ——まさか、死……。 そう思った瞬間、魔法医が声を上げた。 「毛布と湯を!ともかく、体を温めるものを!」 テオは立ち上がる。 扉の前で項垂れたように佇む両親を無言で押し退け、駆け出した。 湯と毛布を抱えて戻った後は、祈るように見守るしかなかった。 だが、時折上げられる切迫した指示から、あまり状態が良くないことが察せてしまう。 そのたびに胃が締め付けられてギリギリと痛んだ。 やがて、小さく咳き込む音が響いた。 魔法医はすぐにニコの口元に耳を近づける。 何かを聞き取った素振りの後、小さく頷いた。 そして、テオドールの方を向く。 「テオドールさま、こちらへ」 テオはニコのベッドに駆け寄り、膝を折った。 「兄さぁん……」   すぐにそう、小さな声が響いた。 その震える指先がテオを探して彷徨う。 テオがすぐにその手を取って握りしめてやると、ニコはふにゃりと笑った。 テオはその笑顔に安堵し、つられて微笑むと、ニコが「ふふっ」と小さく声を漏らした。 「お兄さまがおられますからね。 心配いりませんよ」 魔法医はニコに優しくそう言うと静かに立ち上がった。騎士に目配せをし、両親を部屋の外へ促す。 テオだけが、それに続こうとはしなかった。 ニコの手を、決して離してはいけないと思ったからだ。 ニコはすぐに、再び眠りについた。 呼吸はしっかりとしており、顔色もかなり戻ってきた。氷のように冷たかった指先も、今はほんのり温かい。 「——しばらく、安静にさせてあげてください」 応接室から戻った魔法医が、テオに優しく告げた。 テオが頷くと、話し合いの結果を教えてくれた。 本日の昼前には、聖痕持ち疑いの保護令が成立する見通しが立ったこと。 その上で、王家はニコを王宮で一時保護する意向を固めていること。 ニコの意識が戻り次第、紋の簡易鑑定と本人への簡単な聞き取りを行うこと。 ——そして、両親が、ニコへの接触を完全に禁止されたこと。 夕刻頃、テオは目を覚ましたニコの紋を手で包みながら説いた。 「これが呪いかどうか、確かめてくれるそうだ。 もし呪いでも、ちゃんと王宮の人が治してくれるからな。もう、大丈夫だよ」 ニコが不安げにしながらも頷いたのを確認し、司祭が検査用の魔法具をニコの紋に当てる。 テオはニコの肩を抱き、寄り添った。 司祭が魔力を込めると、呼応するように紋が発光する。最初は淡い緑色、そして白く変わったその光は魔法具につけられた水晶に吸い上げられ、中でキラキラと光った。 まるで、星を閉じ込めたような美しさだった。 司祭は思わず息を呑み、小さく祈りを捧げた。 「——これは、呪いではありません」 魔法具を外しながら、司祭は言った。 「むしろ、もっと……いえ。 王宮で、正式な鑑定をいたしましょう」 ——王宮。 分かってはいたものの、いざそう言われると構えてしまう。テオは硬い表情のまま頷いたが、一方でニコの表情は明るかった。 紋を指でなぞりながら、兄を見上げる。 「僕……悪い子じゃないの?」 「……そうだよ」 「神さま、おこってない?」 「もちろん」 テオは、ニコを抱きしめた。 「誰よりも神さまの教えを守ってきたお前を、神さまが怒ったりするものか」 ニコはその瞬間、小さく顔を歪めた。 そして「兄さぁん」と声を震わせ、そのままワーンと泣き出した。 ——八年間の疑心と不安から解放された瞬間だった。 花に囲まれた神像の顔は、いつもより穏やかに見えた。 あの部屋にあった頃よりも、ずっと嬉しそうにしているように見えて、不思議だった。 テオの表情もまた、思わず柔らかくなった。   「兄さん……」   そんな時、背後から聞こえた小さな呼び声に、テオは顔を上げた。慌ててニコのもとへと向かう。 ニコは、テオに向かって手を伸ばした。 「どうした?どこか痛むか?」 その手を取りながらそう尋ねると、ニコは小さく首を横に振った。 それからふにゃりと微笑んで、またすぐに眠りに落ちていく。 「……早くよくなりますように」 テオはその手を握ったまま、そう小さく祈った。 それに呼応するように、ニコの神像が淡く光ったが、テオがそれを知ることはない。 ただ、神像は優しく笑みをたたえながら、兄弟を見守っていた。 それから三日も経つと、ニコはすっかり元気になった。テオの膝の上で、クッキーをつまみながらご機嫌だ。 テオは菓子の食べ過ぎが気になるが、王妃からの見舞品なので、立場的に何とも言い難い。 「ニコが元気になって、よかったよ」 ニコを見つめながらユーリが微笑むと、ニコがおずおずと言った。 「あのね、ユーリ」 「何だい?」 「……また、川、行ってもいい?」 はしゃぎすぎて、熱が出てしまったのを引け目に思っているようだった。 「もちろん。また行こう!」 だからユーリがそう返すと、みるみるうちに笑顔になって、「うん!」と元気に頷く。 「次は、兄さんもいっしょに行こ!」 「……兄さんは、いい。ユーリと行きなさい」 いつもどこまでも弟に付いていく気でいるテオが珍しい。ユーリが首をかしげると、ニコが思い出したように言った。 「あ!兄さん、そっか。 前におぼれて、川がこわいんだったね!」 「……怖くはない。 ただ、川のせせらぎを聞いていると、信じられないくらい胃が痛くなる」 ユーリは思わず吹き出した。 「怖いんだな」 「こわいんだねえ」 「だから、怖くはない。胃が……」 「わかった、わかったよ」 テオは不本意だとばかりに横を向いたが、ニコの元気な笑い声を聞き、やがて表情を緩めた。 この笑顔が、ずっと続きますように。 それだけが、兄の願いだ。

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