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4-2.
4その日、侍女に朝食の席に連れられてきたニコは、うつむき気味だった。
テオが、早朝から急に謹慎中の両親に関する件で王都の法務院に呼び出されてしまったからだ。
出掛けに、「日を分けると面倒だから、一日でまとめて済ませてくる」と言い残していった。
きっとニコの就寝には間に合わないだろう。
「ニコ、今夜は俺の部屋に来るかい」
ユーリは、ニコがいつもテオの部屋で夜を過ごしていることを知っていた。
だから、一人では寂しかろうと声をかけた。
ユーリが思った通り、ニコは小さく頷いた。
朝食を終えると、鞄を持って"学校"に行くのがニコの日課になっていた。最初は兄に付き添われていたが、今は一人で通学出来るようになった。
「ニコラスさま、ごきげんよう」
「ごきげんよう……」
侍女たちと、挨拶を交わす。
ユーリのはからいで、学校にいる間は、侍女も王太子妃も同じ生徒として扱われるようになっていた。
「ニコラスさま、お元気がないですね。
どうかなさいました?」
「今日はね、朝からずっと兄さんがいないの」
「まあ、それはお寂しいですわね」
ニコは、これまでずっと奥棟で一人きりだった。
同世代の人間と何気ない会話をしたことも、誰かと並んで学んだこともない。
だから、こうやって皆と活動するようになって初めて気がついたのだ。
「さあ、皆さん。解けましたか」
「はい!」
「……えっと」
「ニコラスさま、焦らずともよいですよ」
「はい……」
——僕、みんなより、ぜんぜんできない。
ニコだけは常にマルグリットの補助が必要で、それでも遅れることが多かった。
さらに座っているだけでもつらく、背を曲げるたび医師が飛んでくる。一方で、他の生徒は講義中ずっと美しい姿勢を保っていた。
中でもダンスは特にひどく、一小節ステップを練習しただけで息が上がってしまう。
勿論、教師たちは咎めず、焦らぬよう諭してくれる。だが、その気遣いがかえって幼い劣等感を刺激した。
結局、課題が半分も終わらないまま講義が終わった。ニコは紙束を鞄に詰め、小さくため息をつく。
——僕だけ、できなかった。
落ち込むニコに、数名の侍女が声をかける。
「ニコラスさま、一緒に戻りましょう」
ニコはすぐに顔を上げ、頷いた。
皆との差を感じるのはつらいが、勉強も、"お友達"との触れ合いも楽しい。
並んで歩くうち、悲しさも少しずつ薄れていった。
「お作法の講義は、緊張しますわね」
「僕、せなかをピンてすると、すぐつかれちゃう」
「けど、ニコラスさまのお辞儀、とても可愛らしかったですわ」
そんな話をしながら中庭を歩いていると、ニコは向こうに見覚えのある人影を見つけた。
「ラウルさま!」
ニコは考えるよりも先にその名を呼んだ。
振り向いたラウルは、ニコとその背後の侍女たちを見て即座に眉を寄せる。
侍女たちは途端にすくみ上がり、慌ててラウルへ一礼した。
「妃殿下、私たちは先に失礼いたしますね」
「うん、またあした!」
ニコは皆に大きく手を振ると、ラウルの元へ駆け寄った。
「まあ、皆さんお揃いの装いが可愛らしいわ。
王立学校を思い出しますわね」
ラウルの隣にいた楚々とした女性が、柔らかく微笑んだ。
「ラウルさま、ごきげんよう。……あれ?」
「初めまして。ソフィアと申します」
その完璧な会釈に、ニコは素直に感激した。
——今日、お勉強したとおりだ。すごくきれい!
「……あっ、ニコラスです、ごきげんよう!」
そのせいで一拍遅れ、ニコもまた返す。
だが、その様子はたどたどしく、ラウルの眉間の皺が深くなった。
「ええと……。
ソフィアさまは、ラウルさまの花嫁さんですか?」
「それは——ラウルさま次第かしら?」
ソフィアが見上げると、ラウルは表情を変えずに、
「……婚約者だ」
とだけ答えた。
「こんやくしゃ」
「言葉の意味すら知らぬのか。無知にも程が……」
「ラウルさま。ええ、私は、ラウルさまと結婚のお約束をしておりますのよ」
ニコの顔が、パッと明るくなった。
「じゃあ、僕とおんなじですね!」
「お前はもう、兄上と結婚しているだろう」
「……あ、そっか」
「それに、王太子妃と第二王子妃は同じでは……」
「ラウルさま。——ええ、同じですわ。
これから、よろしくお願いしますね」
「はい!」
すっかりソフィアに懐いたニコが、嬉しそうに笑った。ラウルは、その横で深いため息をついた。
「ところで、その装い。とても可愛らしいですわ。
他の方も着ていらっしゃったようですが……」
「はい!学校のお洋服です!」
「……学校?」
「はい、あそこです。ユーリが作ってくれました」
「……侍女の姿が見えたが」
「はい、いっしょにお勉強してます」
「王太子妃が、侍女と机を並べ学ぶ、だと?
しかも、同じ装いで……?」
「ラウルさま、落ち着いてください」
「落ち着いていられるか。前代未聞だ。
——まったく、兄上は何を考えているのだ」
「まあ、素敵なはからいではありませんか。
ニコラスさま、学校は楽しいですか?」
「はい!」
「まあ、何よりですわね」
「何よりなものか。
本来であれば、妃教育を終えてから婚姻すべきだ。
だからお前だってまだ……」
「それは、ひとえに私の未熟さゆえ。
ニコラスさまのこととは関係ありませんわ」
「だからこそだ。
必要な教育も受けさせず、礼儀作法すら身につけさせぬまま妃に迎えるなど、兄上はどうかしている」
「ニコラスさまは長く療養されてらっしゃったと伺っております。
そもそものご機会がなかったのですよ。ご事情を汲んで差し上げてもよろしいじゃありませんか」
「機会がなかった者には、そもそも資格がないのだ」
「けんか、しないでください!」
思わず声が大きくなると、ニコが口を挟んだ。
二人はハッとした様子でニコへ向き直る。
「ユーリは、悪くないです。僕がだめなんです。
ラウルさまの言うとおりです。僕は……」
「もう良い」
涙をためて震えるニコを見下ろし、ラウルはため息まじりに踵を返した。
「……もう!」
ソフィアはもどかしげにそう言うと、ニコに向き直った。その両手をぎゅっと握る。
「申し訳ありません、ニコラスさま。
どうかお気になさらないで。
私たちは、ニコラスさまを応援しております!」
そして優しくそう言い残し、ラウルの後を追った。
「どうして素直に励まして差し上げないのかしら」
すぐにラウルの横に並んだソフィアが、頬を膨らませながら言う。ラウルはそれを見たが、すぐに視線をそらし淡々と返した。
「事実を言ったまでだ」
「ええ、ですから!
今からでも王太子妃に相応しくなるよう、励みなさいと仰ればよかったのです」
ラウルは何も返さない。
ソフィアは、呆れたようにため息をついた。
「せっかくの優しさも、伝わらなければ意味がありませんわ」
すると、ラウルがようやく口を開いた。
「……お前が伝えてくれれば、それでいい」
「だから。
それでは意味がありませんと申し上げております」
ソフィアは困ったように肩を竦めた。
ラウルはそんなソフィアをしばらく見つめたが、やはり何も言わなかった。
自室に戻ったニコは、ソファーの端に腰を下ろして項垂れた。心配した侍女が明るく声をかける。
「妃殿下、午後は何をいたしましょう!
お庭に参ります?お菓子もございますよ」
「宿題、する。
僕だけおくれて、できなかったから……」
「誰でも得意、不得意はありますよ。
妃殿下は、本当にがんばっていらっしゃいますもの。
きっと、神さまも見守ってくださっておりますわ!」
ニコは曖昧に頷いて、鞄を開いた。
ラウルにも、たくさん怒られてしまった。
自分だけがだめな子扱いされるだけなら、まだいい。
——ユーリや兄さんまで悪く言われるのは、いやだ。
「では、宿題が終わったら、次に何をするか考えましょうね」
「うん……あ。
今夜は、ユーリのとこに行くね」
「まあ!殿下のお部屋へ!?」
「うん、今夜おいでって言われた」
「まあ!まあまあ!左様でございますか!」
途端、侍女がパッと顔を明るくする。
急に張り切り始めた侍女を見ながら、ニコは首をかしげた。
「おめでとうございます!
今夜はご夫婦にとって、特別な夜になりますね!」
「とくべつ?」
「ええ、お任せください!
私たちが、しっかりとお支度をいたしますわ!」
「う、うん?……ありがと」
しばらくして、扉が叩かれた。
入ってきたのは、いつもニコを診ている医師と、年嵩の女官だった。
宿題の手を止めてキョトンとしているニコに、女官が柔らかく微笑みながら言う。
「妃殿下。此度はおめでとうございます。
今宵のお支度と、ご夫婦の夜について少しお話をさせていただきますね」
「?」
医師がニコの体調を確認し、女官へ耳打ちする。彼女は頷き、ニコに一冊の冊子を差し出した。
「体力に不安はありますが、無理をなさらなければ問題ないでしょう」
「?」
ニコはおそるおそる冊子を開いたが、最初の頁を見た瞬間、反射的に閉じた。
男女が裸で抱き合う姿が描かれていたからだ。
女官はそれをもう一度開き、淡々と続ける。
「それでは、妃殿下の大切なおつとめのお話をいたします」
「……おつとめ?」
「左様でございます。
今宵、殿下からお部屋へ招かれたのでしょう?」
「お部屋においでって言われました」
「そうですね。
つまり、殿下は妃殿下とより深い繋がりをお望みだということです。殿下をお喜ばせすることも、妃殿下の大切なおつとめの一つです」
「おつとめ?」
「左様でございます」
「それがうまくできたら……。
僕は、ユーリのきさきのしかくがもらえますか?」
「殿下のご寵愛を受けること。
それが妃としての一番の資格ですよ」
「なら、僕、おつとめしたいです!」
「よい心がけですね。さすが妃殿下です」
「僕、がんばります!」
「ええ。その意気です、妃殿下」
横の医師が、「恐怖や痛みを感じるなら、無理をせぬように」と続けたが、ニコの耳にはもう届かなかった。
その後、女官から、冊子を使って"夜の過ごし方"や、"殿下をお喜ばせする"方法を習った。
目と耳を覆いたくなるような内容ばかりだったけれど、ニコは耐えた。
——僕は、何もできない。
でも、これが上手にできたら、きっとラウルさまにも妃としてみとめてもらえる。
ユーリや兄さんも、僕のせいで悪く言われないで済む。
女官が、緊張するニコを安心させるように続けた。
「初めは怖いものですが、殿下にお任せすればよろしいのですよ。また、多少の痛みはございますが、皆さま乗り越えてこられました」
ニコは頷いた。必死だった。
どうしても、この"おつとめ"を成功させたかったのだ。
その夜、ようやく居住棟に戻ったユーリは深いため息をついた。ニコと夕食をとりそのまま部屋に招く予定だったのに、執務が押して遅くなってしまったのだ。
「ニコ、寝ちゃったかなあ……」
そう呟き私室前の廊下の角を曲がると、何やら騒がしい。私室の隣の部屋へ、侍女が忙しく出入りしている。夫婦の寝室として用意された部屋だが、ユーリはまだ使う気はない。
「何をしている?」
「今宵、妃殿下がお越しになると伺いましたので……」
呼び止めた侍女の回答が腑に落ちず、ユーリの語気が強まった。
「俺の部屋に呼んだのだが?」
「ご夫婦の夜ですから、こちらのお部屋を……」
「俺の部屋で構わない」
「ですが、妃殿下をお迎えするのであれば、正式なお部屋を整えるべきかと……」
「こちらで準備を整えている。余計なことはするな」
するとその時、廊下の向こうから寝間着姿のニコが女官に連れられて来た。
「ニコ!」
ユーリはすぐに歩み寄り、ニコに手を差し出す。
「おいで」
ニコは女官に促され、その手を取る。ユーリに手を引かれながら一度だけ不安げに女官を振り返った。
そして女官が頷くと小さく応じ、再び前を向いた。
ユーリは先にニコを部屋に通し、扉を閉めた。
「待たせちゃってごめんね。眠くない?」
そう言って振り返ると、ニコが黙って自分を見上げていた。いつもと違う様子に違和感を覚えた、その時——ニコが下唇をぎゅっと噛み締めた。
そして、震える指で自ら寝間着の紐を解く。
白い布が、足元へすとんと落ちた。
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