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4-3.
ニコの細く華奢な身体が晒された。
ユーリは目を大きく見開いた。
目の前で起きていることが理解できず、固まる。
するとニコは、ユーリの腕を抱えてぐいと引いた。
「ベッド、いこ」
その言葉でやっと我に返ったユーリは、急いで自分の上着を脱いでニコの肩に掛け、身体を隠してやった。
「やっ」
ニコがそれすらも振りほどこうとするので、ユーリは制止のために抱きしめた。
だが、ニコの抵抗は止まらなかった。
腕の隙間から手を伸ばし、さらに下着まで脱ごうとした。そこでユーリは、ようやく悟った。
——迂闊だった。俺が閨に誘ったと思ったのか。
そう考えると、先ほどの侍女や女官たちの行動も合点がいく。
——ニコも、女官に何か入れ知恵をされたんだな。
ユーリはニコの背中を落ち着かせるように撫でてやりながら、努めて優しく尋ねた。
「ニコ、侍女たちに何か言われたのかな?」
ニコは首を横に振る。
「僕、おつとめしたい」
「……おつとめ?」
「僕、お勉強もダンスもできない。
けど、おつとめはできるよ。ほんとだよ!」
何かに追い立てられているような必死さに、ユーリはすぐに違和感を覚えた。
「ニコはどうしてそんなに、その、"おつとめ"がしたいの?」
「だって僕、何もできなくて……。
このままじゃ、ユーリの花嫁さんの資格、なくて」
その瞳から、大きな涙がこぼれ始めた。
「そしたら、ユーリもわるいって言われちゃう。
だから……」
「ニコ、今日、誰かに何か言われたの?」
ニコは首を横に振って、頑なに答えようとしない。
ユーリは息を吐いた。
「……そっか。ありがとう」
そして屈んで目線を合わせ、その涙を拭ってやる。
すると、ニコがその手を取った。
俯いたまま、女官から習ったとおりにそっと自分の胸に押し当てる。ユーリはそれを特に止めず、微笑んだ。
「ニコは、"おつとめ"ってどんなことだと思う?」
「えっ」
ニコは視線を泳がせた。
だが、すぐにまた俯いてしまう。
「俺はね、おつとめって……夫婦が楽しい夜を過ごすことだと思うんだ」
その手を握るニコの指に、わずかに力がこもった。
「俺ね、今夜、ニコと過ごすの楽しみにしてたんだ。何しようかなあって、ずっと考えてた」
ニコが顔を上げる。
大きな瞳がユーリを捉えた。
「何かお菓子を食べようかな。
でも、食べ過ぎるとまたテオに怒られちゃうから、ちょっとだけ。
だから、とびきり美味しいやつにしよう、とか。
昔みたいに、一緒に本を読みたいな、とか。
それでね、眠くなったら手をつないで一緒に寝たいなあって。ね、楽しそうでしょ。
これって、十分、おつとめになるんじゃないかな」
「けど、からだを重ねないとだめって……」
「身体を重ねるのも、もちろん一つの方法だよ。
間違ってない。けど、今夜俺がニコとしたいことは、それとは違うかな」
「でも……」
「ニコが俺を喜ばせてくれようと思ったのと同じように、俺もニコを喜ばせたいんだ。だって、夫婦だから。ニコを喜ばせること、それが俺の夫としての"おつとめ"なんだよ」
「ユーリの、おつとめ」
「うん。俺も、おつとめしたいな。ニコはどう?
今夜、一緒に、どんな楽しいことをしたいかな?」
ニコの指先から、力が抜けた。
「……ごほん⋯」
「うん」
「前に、ユーリによんでもらったの……たのしかった」
「いいね。お菓子は?」
ニコがようやく、ふふっと笑う。
「ちょこっとだけ。兄さん、おこるもんね」
「そうだね。
でも、その分とびきり美味しいのがあるよ」
「やった!」
ユーリは、「少し待ってね」とニコの頭を撫で、奥の部屋へ消えた。戻ってきた腕には、柔らかな部屋着が掛かっていた。
ユーリは肩に掛けた上着でニコの身体を隠しながら、部屋着に腕を通してやった。
ニコが着ると裾が膝下まで届き、まるでワンピースのようだ。だが、それもまた愛らしい。
最後に長い袖を捲ってやると、ニコは嬉しそうに「えへへ」と笑った。
ようやく笑顔が戻ったことに安堵しながら、ユーリはニコをソファーへと導いた。テーブルに置かれた本を見て、パッと顔を明るくする。
「竜の花嫁さんだ」
「うん、よく覚えてるね」
「何回も読んだもの。空で言えるよ」
「それはすごいや。じゃあ、竜の花嫁さんには続きがあるのは知ってた?」
「そうなの?!しらない!」
「そっか、なら良かった」
ユーリが本を開くと、ニコが目を輝かせながらピッタリとくっついてきた。
「ユーリ、はやく、はやく」
ニコはユーリの袖を引いて急かす。
そんなニコを愛しく思いながら、ユーリは二人の真ん中に本を置き、ゆっくりと読み始めた。
「これは、お姫さまが竜の花嫁さんになったあとのお話です……」
最初は砂糖菓子をつまみながらだったニコも、次第に物語へと引き込まれていった。
手を止め、じっと本に見入っている。
ユーリはそれを横目で見ながら、穏やかに続けた。
「竜の国へお嫁に来たお姫さまは、分からないことばかりでした。
食事の作法も、挨拶の言葉も、人間の国とはまるで違います。失敗を重ねるうちに、お姫さまはすっかり自信をなくしてしまいました」
ごくん、とニコの喉が鳴った。
ぎゅっとユーリの腕を抱く。
「お姫さまは、せっかく大好きな竜王さまの花嫁さんになれたというのに、毎日悲しくてしかたがありません。
そして、ある日とうとう竜王さまに言いました。
『わたくしは、あなたの花嫁にはふさわしくありません』」
息を詰めて見入っているニコの背を、ユーリは優しく撫でた。
そして、一拍をおいてから読み進めてやる。
「すると、竜王は言いました。
『あなたが私の花嫁であるために、何かができるという証などいりません。
私は、あなたを愛しています。
あなたは、あなたのままでよいのです。
あなたが竜のことを知らぬように、私も人間のことをよく知りません。
知らぬのなら、これから共に学べば良いのです』
それから、竜王とお姫さまは——」
するとその時、不意にユーリの肩へ小さな頭が落ちてきた。
「ニコ?」
ニコは、大きなあくびを一つ。
ユーリは口元を緩めながら、ニコの温かい頭を撫でてやる。
「そろそろ休もうか」
「や……つづき……」
「また、次にしようね」
「ん……つぎ」
ニコは目をこすりながら、おずおずとユーリの顔を見上げた。
「……また、おつとめ、できる?」
「もちろん。楽しみにしてるよ」
「僕も、たのしみ」
ニコはそう言って笑うと、嬉しそうにユーリの袖をぎゅっと掴んだ。
——おつとめ、好きになっちゃった……かも。
ニコは、ユーリと共にベッドに入った。
兄以外と寝るのは初めてなので、少しだけドキドキする。
ユーリは灯りを弱め、隣に横になった。
ニコが遠慮がちに手を差し出すと、すぐに握ってくれた。だから、少しだけ身体を寄せてみる。
兄とは少し違う。
けれども、とてもいい匂いがした。
ユーリがゆっくりと背中を撫でてくれる。
それが気持ちよくて、安心で、徐々に身体の力が抜けてきた。
瞼が重くてたまらなくなって、ふわりと欠伸をしたその時——額に柔らかく温かいものが触れた。
ちゅっと小さな音が響く。
ニコが薄く目を開くと、ユーリが「あ」と呟いた。
「……ごめん、つい」
すぐにそう申し訳なさそうに言うユーリに、ニコは微笑み返す。
それから、ユーリの襟を掴んで引き寄せ、少しだけ顎を上げた。
——ちゅっ。
ユーリは驚いたような顔をして、ニコの唇が触れた頬に手をやる。ニコはふふっと笑った。
「母さまも、ねんねの前に、キスしてくれた」
そしてニコは、甘えるようにユーリにくっついて、そっと瞳を閉じた。
ユーリは優しく「おやすみ」と返し、愛しい妻が眠りにつくのをそっと見守っていた。
そして、翌朝。
ユーリの部屋から戻ったニコを昨日の女官と侍女たちが取り囲んだ。
ニコが着ていたのがユーリの部屋着だと分かった瞬間、大盛り上がりだった。
さらに昨夜のことを尋ねられたニコは、用意された服に袖を通しながら、何の気なしに答える。
「ちゃんと、おつとめできました。
ユーリ、とってもやさしかった。
いっぱい、なでなでしてくれたし……」
「まあ!よかったですわね、妃殿下!」
「素敵です、もっと教えてくださいまし!」
「えーと……たのしくて、きもちかった」
「そうですか!何よりですわ!」
「……あ。ユーリとキスした」
「まあぁ〜!」
「次のおつとめのお約束もしたよ」
「もうっ、すばらしいです、妃殿下!
百点満点です!」
「ほんと?……えへへ」
少し離れて話を聞いていた女官は、深く頷きながら、それらを報告書へ記していった。
——昨夜は最高だったな……。
ふと書き物の手を止め、窓の外を見ながらユーリは遠い目をした。
頬にまだニコの唇の感覚がのこっている気がして、思わずそこを擦った。
——ニコ、俺のためにあんなに必死になって……。
無理、可愛い、最高。一生をかけて守り抜きたい。
思わず口元が緩んだ、その時。
手前の応接室から、ドアを乱暴に蹴り開ける音と怒号がほぼ同時に響いた。
「ユリウス!!!!」
「テオドールさま!
どうか落ち着いてくださいませ」
「落ち着いていられるか!
おい、ユーリ!!ここにいるのは分かってるぞ!!
出てこい!!」
——あいつがこんなに怒り狂うのは珍しいな。
法務院で何かあったか?
ユーリはため息をつきながら、応接室へと出て行った。そこには、侍女二人に羽交い締めにされたテオがいた。
「テオ、どうしたんだい。そんなに怖い顔をして……」
「そうもなるだろ!なんだこれは!」
テオが差し出して来た紙束を受け取ったユーリの顔が、みるみるうちに青ざめた。
"殿下の強いご所望により、妃殿下は王太子殿下の私室にて初めての一夜を過ごされた。
翌朝、妃殿下は、殿下の部屋着を着用し帰室。
愛らしい笑顔がこぼれ、ご機嫌なご様子であった。
また、妃殿下より「非常に楽しく、気持ちが良かった」「殿下との接吻があった」とのご報告を頂いた。
次の閨のお約束もあったとのこと。
ご夫婦の関係は非常に順調に進んでおられます"
「お前、俺の弟に何てことを……!」
「誤解だ!」
「往生際が悪い!
ニコ本人が言ったと書いてある!」
「俺は、神に誓って何もしてない!」
「お前の信仰は当てにならん!!」
「あっ、こら、魔力を溜めるのはやめろ。
わかった、話そう、話せばわかる……っ」
「問答無用」
「ちょっ、衛兵!衛兵ー!!!」
——などと、夫が兄に制裁されかけていることなど露知らず。
ニコは学友の侍女たちと楽しく歩いていた。
「本日の神学、私、本当に感銘を受けましたわ」
「ニコラスさまのご解釈、すてきです」
「ベル先生も、とても感心されていましたもの」
「えへへ、ありがと」
ニコは、気がついたのだ。
自分は、みんなよりできないことがたくさんある。
けれども、みんなよりもできることだってある。
たとえば神学、おつとめ。
これから学べば、ほかにも見つかるかもしれない。
"あなたは、あなたのままでいいのです"
"知らぬのなら、これから共に学べばよいのです"
——竜の王さまも、そう言っていたし。
皆と別れた後、居住棟の前で、再びラウルとソフィアに行き当たった。
ニコは覚えたての礼をした後、ラウルに向かって胸を張った。
「ラウルさま!
僕、まだ、できないことが、たくさんあります。
でも、できることも、あります。
だから、がんばります。ユーリの花嫁さんになったんだから、絶対あきらめません!」
そこまで言い切ると、ニコは満面の笑みを浮かべた。 その様子に、ソフィアは嬉しそうに目を細め、ラウルは小さく息を吐いた。
「……多少は、ましな心構えになったようだ」
「まあ!よくできました、ラウルさま」
「それはやめろと言っている」
「あら、王宮式は褒めて育てる。
お妃さまの教えですわ」
「……」
ソフィアはニコに向き直るとその両手を取り、優しく握った。
「私たちが助けになれることがあったら、何でも仰ってくださいね。ニコラスさまのお力になりたいわ」
「はい!ありがとうございます!」
ニコはソフィアの手を握り返す。
そして、ニコらしい元気な笑顔を返したのだった。
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