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その日、王宮礼拝堂に呼び出されたニコは、緊張した面持ちで、ベル司祭の言葉を待った。 国王夫妻とユーリ、テオも、会衆席で静かにその時を待っていた。   「ニコラスさま、祭壇の方へお越し願えますか」 「は、はい」   ニコは会衆席の長椅子から立ち上がった。 だが、兄は続いてくれなかった。 不安になって見ると、兄はその背を軽く押して「一人で行きなさい」と促した。 「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。まずはいつもの通り、神さまに祈ってもらえますか」 「おいのり……ですか?」 「ええ、そうです」 ニコは不思議に思いながらも、いつも首にかけているロザリオを外し、両手で包むようにして手を組んだ。そして瞳を閉じ、頭を垂れる。 ベル司祭は一歩下がり、ほかの者も会衆席からその様子を見守った。 「慈しみ深き神よ、今日も私たちをお見守りくださり、ありがとうございます。今日もみんなと一緒にいられることに、感謝します」 ニコの祈りが、礼拝堂に響き始めた。   「みんなが、今日も元気でいられますように。 兄さんのお腹が痛くなりませんように。 みんなが、ちゃんとごはんを食べて、あたたかいところで眠れますように。 困っている人に、助けが届きますように」 「……兄さんのお腹」 「茶化すな、余計に胃が痛む」 途中、ユーリがそう言って肘でテオをつついた。テオはみぞおちを擦りながら静かに返し、ため息をついた。 ニコは小さく深呼吸をした後、一拍を置いて言った。 「神さまの祝福が、すべての人にありますように」 ——その瞬間。 ニコの紋とロザリオが淡く光り始めた。 ユーリは、ハッとして胸元へ手を入れた。 その手に握られていた対のロザリオも、呼応するように淡く光っていた。 ニコが瞳を開き、手をほどいた。 そして肩の力を抜き、神像に向かって微笑んだ後、丁寧にお辞儀をした。 「……ずっと前から、時折光っていたんだ」 「お前のロザリオがか?」 「ああ、かなり頻繁に。 必ずしも決まった時間じゃないから、何なのだろうとは思っていたけど……」 「……ニコが祈っていた時間だったのか」 すると、戻ってきたニコが何でもないことのように返した。 「うん。僕、おいのりが好き。 神さまと、おはなしできるから……」   それを横で聞いていたベル司祭は、穏やかに微笑んだ。 「ずっと、祈りが暮らしの中にあったのですね。それこそが祈りの本質です。素晴らしいことですよ」 ニコはそんな風に褒められるようなこととは思っていなかったので、照れたように「えへへ」と笑った。 ニコが兄の横に戻ると、ベル司祭が改めて口を開いた。 「さて、皆さん。 本日お集まりいただいたのは、ニコラスさまの紋について、改めてお話しするためです」 テオの顔が、強張った。 ニコもまた、緊張した面持ちでベル司祭を見つめた。 「ヴァレンティア邸での簡易鑑定及び、アルヴェリア王国教会本部の規定に基づく正式鑑定により、ニコラスさまの紋が、教会が聖痕および呪印として定める、いずれの性質にも該当しないことを確認致しました」 真っ先に、テオの肩の力が抜けた。 ニコはそんな兄の様子を見て察し、ほっと息をつく。 ——よかった。きっと、いい結果だったんだ。    「その後も私はニコラスさまとの対話と講義を重ね、祈りに対する紋の反応を確認してまいりました。 初めて登城された際に生じた光、神前式での誓いに呼応した光——そして、先ほど皆さんにもご覧頂いた通り、ニコラスさまの紋が、神の祝福に反応するものであることを確認しております」 そして、ベル司祭は、祭壇に置かれていた細長い筒を手に取った。中から取り出された巻物の末尾には、大きくアルヴェリア王国教会長の印が押されている。 「これらの結果に基づき、アルヴェリア王国教会の名において、王太子妃ニコラス殿下の紋を、祝紋と正式に認定いたします」 ベル司祭が、ニコの方を向き穏やかに微笑んだ。 「ニコラスさまのお力は、とても尊いものです」 その言葉にニコは、そっと右手首の紋に触れた。 ——八年前。 突然現れたこれのせいで、生活が一変してしまった。 これは、悪い力だと言われた。 自分が悪い子だから、神の罰が下ったのだと思い込んできた。 「僕……」 「よかったなあ、ニコ!」 テオの明るい声が、響いた。そのまま人目も憚らずに強く抱き寄せられる。ニコは目を白黒させながら、兄を見上げた。 兄はその顔を見て、さらに感極まったように続ける。 「その紋は、お前が……。お前が、とびきりいい子だという印なんだそうだ!」 「僕が、いいこ……」 「そうだよ。 良い子のお前に、神さまが下さった祝福なんだ! よかった、本当に良かった……」 「わっ、兄さん、くるし……っ」 「……」 「……兄さん?」 あまりにも強く抱きしめられ、兄の顔が見えない。 それでも、その腕と肩が震えていることに気づいたニコは、眉を寄せた。すると、ユーリが横から口を挟んだ。 「泣き虫兄さん、だな」 「……うるさい」 国王夫妻が、静かに兄弟に歩み寄った。 「テオドール。 私たちからも、礼を言わせてほしい。 君が勇気を出し、ニコラスのことを知らせてくれたからこそ、今日この結果にたどり着くことができた。 ——我々は、この事実を重く受け止めなければならない。これまで聖痕と判定された者を、十分な再検証もなく教会へ引き渡してきた。その仕組みに誤りがあったことを、我々は認めなければならない」 国王は、ベル司祭、ユーリ、そしてテオへと順番に視線を移し、頷いた。 「アルヴェリアは、紋の有無にかかわらず、共に生きる道を進もう」 国王は、最後にニコを見た。 兄の腕の中で安心しきっているその様子に、この兄弟を守ることができた安堵から、国王は静かに目を細めた。 「良き兄を持ったな、ニコラス。 ……何よりの宝だよ」 ニコは、兄が褒められたと思ったのだろう。 みるみるうちに笑顔になり、元気に頷いた。 「はい! 僕の兄さんは、すごいんです!」 すると、王妃が一歩前に出た。 「そうね、テオちゃんはずっとニコちゃんのために頑張ったのだものね。とってもえらいわ。 でもね、ニコちゃんだって、たくさん我慢して、たくさん頑張ったのよ。 ニコちゃんだって、すごいのよ」 褒められ慣れていないニコは一瞬キョトンとした顔をした後、はにかんだように頷いた。 「さて、これからについてですが……」 場が少し落ち着いたところで、ベル司祭が仕切り直した。   「ニコラスさまのお力は、神の祝福を伝える、非常に尊いものです。 ですが、あまりにも強い力であることも事実です。ご自身を守るためにも、これから正しい扱い方を学びましょう」 ようやくテオの腕から離れたニコが、手を挙げながらベル司祭に尋ねた。 「お勉強したら、この力をちゃんと使えるようになりますか?」 「ええ、もちろん」 「そしたら、兄さんやユーリの役に立てますか?」 「ええ。お兄さまや殿下だけでなく、多くの人を助けられる力になるでしょう」 その言葉に、ニコは瞳をキラキラと輝かせた。 「僕、みんなの役に立てるように、たくさんがんばります!」 張り切って頷くニコに、国王が柔らかく言い聞かせた。   「ニコラス、皆の役に立ちたいと思う気持ちは、とても素晴らしい。 けれど、背伸びをしすぎてはいけないよ」 「……せのび、ですか」 「そうだよ。 目の前の一人を大切にし、身の丈に合った仕事を着実にこなしていけば、いつかそれが大きく広がっていくものだ。 だから、決して焦ったり背伸びをしてはいけない。君の大切な兄や、夫であるユーリを悲しませてまで、果たさなければならないことなど、ないのだからね」 ニコは、すぐに元気に頷いた。 「はい! 僕、ちょっとずつ、でも、早くみんなの役に立てるように頑張ります!」 無邪気に笑うニコを見て、国王は苦笑しながら呟いた。 「……伝わっているかな」 「半分くらいは、伝わったのではなくて?」 王妃も、皆の真ん中で学びへの意欲と喜びにあふれたニコを、微笑みながら見守った。 ——翌日より、ニコは祝紋の扱い方を学び始めた。 意外にも、それは神学の講義の一部として行われることになった。 ベル司祭曰く、ニコの祝紋は通常の魔術とは異なり、あくまでも祈りの延長線上にある力。 したがって、祈りを、相手や目的に応じて正しく届けるやり方を身につけることが大切なのだと言う。 元々ニコは、聖書への理解も深く、祈りの習慣も基礎もすでに身についていたので、紋の力を使えるようになるまで、然程時間は掛からなかった。 また、ニコが頑張りすぎてしまう傾向があることを心配したベル司祭は、繰り返し教えた。 決して祝福の力を使いすぎないこと。 もし力が強くなりすぎたら、途中でも止めること。 疲れや違和感を感じたらすぐにやめること。 ニコはそのたび素直に頷いた。だが、嬉しくなるとつい力を込めすぎてしまい、そのたびにベル司祭に止められ、テオの胃を痛めた。   そしてとうとうニコは、これまで王妃が担ってきた、王宮のテラスで朝の祈りを捧げる公務を、王太子妃として任されることになったのだ。 民の安寧を願う朝の祈りは、古くから妃が担ってきた大切な公務の一つだ。 初めてニコが祈りを捧げるその朝は、早くから神の祝福を見ようと沢山の国民が王宮前の広場に集まっていた。 定刻となり、ニコがユーリに手を引かれテラスに姿を現した。    優しい乳白色を基調に、若葉色と金糸の刺繍が施された礼服は、ニコらしい可愛らしさと、妃らしい上品な美しさを併せ持っていた。   ニコは少しだけ緊張した面持ちでユーリの前に出て、教えられた通りにまずは一礼をした。 それからいつものロザリオを両手で包み、祈りの姿勢を取ると、一拍を置いてから祈りの言葉を紡ぎ始めた。 「慈しみ深き神よ、今日も皆と新しい朝を迎えられたことに、感謝申し上げます」 民衆たちは、すぐにその心地よい声に耳を傾け、ニコと共に祈り始めた。 ——ニコの紋が、淡く光り始めた。    「働く人が怪我をせず、旅に出た人が無事に帰れますように。 病や怪我に苦しむ人の痛みが、和らぎますように。 困っている人に、必要な助けが届きますように。 今日も、大地に恵みがありますように」 紋の光が徐々に強まり、ニコの身体を包み込んだ。   「そして皆が、今日一日を無事に過ごし、あたたかい場所へ帰れますように。 どうか、今日も一日、アルヴェリアに暮らす、すべての人々をお見守りください」 ニコがさらに深く祈りを捧げた瞬間、祝紋がひときわ強く光った。 それに応えるように、天から一筋の光が差し込んだ。かと思うと、その光はすぐに幾重にも枝分かれをし、まるで王都を囲むように優しく降り注いだ。 「奇跡だ」 どこからともなく、そんな声がいくつも漏れ始めた。顔を上げたニコは、広場の民衆を見ながら、ふわりと微笑んだ。 その瞬間、大きな歓声が上がった。 「ニコラスさま!」 「王太子妃さまー!」 沢山の声援を前に戸惑うニコの横に立ち、ユーリがそっと囁いた。 「——手を振って、皆の声に応えてあげて」   ニコは言われた通りに、手を少しだけ振った。 すると、ある人は、ニコに応えるように再び祈りを捧げ、またある人は深い喜びと共に笑顔を見せてくれた。 ——僕……みんなの、役に立ててる。 そう思うと、ニコは嬉しくてたまらなかった。 これまでの自分は、出来ないことだらけだった。 けれども、学び、努力をすることで、こんなにもたくさんの人の役に立てるようになれた。   ——もっと、がんばらなくちゃ。 もっとみんなの力になれるように、がんばらなくちゃ! ニコは沸き立つ民衆を見つめながら、そう決意を新たにするとともに、これまでで一番の充実感を感じていた。

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