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6-1.

「妃殿下!お待ちしておりました。 さあ、一緒にお部屋を作りましょう!」 学校帰りのニコを見つけるや否や、侍女は声を弾ませた。見れば、何人もの侍女や使用人が私室と廊下を慌ただしく行き来していた。 侍女は首を傾げるニコの背を押しながら、嬉しそうに「早くお部屋の中へ!」と急かした。 部屋の中はさらに大騒ぎだった。 大量の木箱や包みが高く積まれ、もともとあった家具も動かされていた。 「あれ? これ、うちのしるし?」 「ええ! すべてテオドールさまからですよ!」 「兄さんから?」 「輿入れ道具だ」 扉の方から、テオの声が響いた。 「本来なら、登城の時に生家が用意し、持たせるべきものです。まさか、登城したその日に結婚するとは思わず……いや、言い訳だな。 遅くなってしまい、申し訳なかった」 「に、兄さん。あやまらないで!」 丁寧に頭を下げるテオに、ニコが慌てて駆け寄った。 その間にも、侍女たちによって包みが開封されていく。 衣装や寝具。 そして家具、茶器、文箱などの生活用品。 輿入れ道具というだけあって、その品々は多岐にわたっていた。 「どの御品も、本当に素晴らしいですわ」 「ええ、妃殿下にぴったりな御品ばかり」 「だって、妃殿下ですもの。 ご生家でも、きっと大切に、愛されてお育ちになったに違いないわ」 侍女たちが楽しそうに話をする声に、テオの胸がチクリと痛んだ。 そんな中、侍女がニコを呼ぶ。 「妃殿下、こちらの絵画はどこに飾られますか?」 それを見た瞬間ニコは驚いた顔をし、兄を見上げ た。 「兄さん、あれ!」 「……行っておいで」 「うん!」 一面の青い花畑が描かれたそれは、ニコが一番気に入っていた絵画だった。 奥棟に行く前のニコの部屋に掛けられていたものだ。 遊びに行った先の市でニコが見つけ、珍しくどうしても欲しいと駄々をこねて手に入れた一枚だった。 「これはね、ここがいい!」 ニコはそう言うと、勉強机の前の壁を指さした。 ——顔を上げれば、いつも見える位置だ。 その後も、ニコは皆からカーテンや家具、小物の置き場所を次々尋ねられた。 最初こそ戸惑っていたが、最後はちゃんと自分の気持ちを言えるようになっていた。 そうして、とうとうニコの部屋が出来上がった。 「見て、兄さん!僕のお部屋!」 「そうだな、ニコらしい、いい部屋だ」 「すごくすてき!兄さん、ありがと!」 目を輝かせるニコに、テオが静かに続けた。 「……部屋だけじゃないぞ」 扉が静かに開かれた。 その向こうに立つ二人の姿に、ニコは目を丸くした。 まず静かに前に出たのは、初老の女性だった。 「……ばあや?」 気がつけばニコは、駆け出していた。   「坊ちゃま!」 「ばあや!」   ばあやは両手を広げ、ニコを受け止めた。 だが、ニコがあまりにも勢いよく飛び込んだので、女性はそのまま後ろによろけてしまった。 それを背後から支えたのは、もう一人の男性だった。ニコはすぐに、その人の名も呼ぶ。 「ギル!」 「妃殿下、このたびは……」 ギルがかなり恐縮した様子で、帽子を脱ぎ頭を下げようとした。だが、ニコはギルにも手を伸ばし、首を横に振る。 「ニコ坊がいい。 前みたいに、ニコ坊って呼んでよ、ギル!」 「は、はぁ……しかし」 「ギル、ニコが望むように」 「……かしこまりました」 テオは三人の横に立ち、改めて侍女と使用人たちに向き合う。 「ニコが幼い頃から仕えてきた乳母のマーゴットと、庭師のギルバートです。 二人には、ニコラスの輿入れの供として王宮へ上がってもらうことになりました」 そして、皆に向かい深々と頭を下げた。 「ヴァレンティア家として、改めてニコラスを皆に託します。どうか、よろしく頼みます」 するとニコは、不安そうな顔でテオを見つめた。 「兄さんは……?」 「……俺?」 ニコは思わず二人から離れ、兄の袖を掴む。 「兄さんも、いっしょだよね?」   テオの表情が、ほんの一瞬だけ固まった。 だが、すぐにいつも通りの優しい笑みをニコへと向けると、頷く。   「もちろん、そばにいるよ」 「……えへへ、よかった!」 「それから、エトワも王宮入りだ。 今、厩舎にいる」 「エトワも!?」 「ああ。後でギルと会いに行っておいで」 「うん!ねえ、ばあやもいっしょに行こ!」 「ええ、参りましょう」   ——ばあやがいて、ギルがいる。兄さんもいっしょ。 まるで、奥棟に入る前の生活が戻ったようだとニコは思った。   それから、あっという間に数日が過ぎた。 昼間は大好きなばあやに甘え、夜はユーリやテオの部屋で眠りにつく。 中庭の一角にはニコ専用の場所が設けられ、ギルに習いながら大好きな花を育て始めた。 ニコの生活は、ますます充実していった。 その日学校から戻ったニコは、昼食を終えるや否や勉強机に向かっていた。 机の上には、たくさんの封筒と、普段は寝室に置いている神像。書きかけの便箋と、万年筆。 ニコは一通ずつ手紙を読み、返事を書き、祈る。 そんな作業をずっと繰り返していた。 「坊ちゃま。 そろそろお休みになってはいかがですか」 マーゴットは心配そうに声をかけ、ニコの肩にそっとショールを掛けてやった。 だが、ニコの返事は素っ気ないものだった。 「もうちょっと」 「けれど、先ほどからお祈りしっぱなしで……。 顔色もお悪いですし、ばあやは心配ですよ」 「だいじょぶ」   その時、扉の方から声がした。 「ニコ、失礼するよ!」   マーゴットは一礼して一歩下がり、ニコはすぐに手紙を書く手を止め、顔を上げた。   「ニコ、今日は午後が空いているよね? 川へ遊びに行かないか」 「いく!」 「おや、お勉強中だったかな」 「ううん、宿題は終わったよ」 ニコは首を横に振る。 その拍子に、机の上に散らばったものが目に入り、ユーリの目が一瞬鋭くなった。 「何をしていたの?」 「お手紙のお返しと、お祈り」 「……公務は減らしたはずだけど」 「おしごとじゃないよ。 僕へのお手紙に、おへんじを書いてるの」 「誰に頼まれたの?」 「僕がやりたいから、やってるんだよ。だって、お手紙をもらったら、おへんじするものでしょ?」 そのあまりにも屈託のない様子に、ユーリは困った。言っていることは正しい、だが——。 「あと少しで終わるから、そしたらいけるよ!」 ニコは張り切りながら、返事を書き終えたばかりの便箋に手を添え、小さく祈った。 そして、それを封筒に収め、他の封筒と一緒にマーゴットに手渡した。 封筒の数は、十をゆうに超えていた。 「ユーリ、お待たせ!」 ニコは椅子から降りて、ユーリの袖を掴んだ。 その顔色が少し悪いように見え、ユーリは心配そうに頬を撫でる。 「……今日は川はやめておこうか」 「やだ、ユーリと遊びたい」 「だが……」 「もう終わったから、いけるよ」 ニコはユーリの手を引っ張ってそう主張した。 ユーリは拭えない違和感を抱えながらも、その一生懸命な様子に負けて、「わかったよ」と頷いた。   少しでもニコの負担を減らすため、ユーリはニコと二人でエトワに乗っていくことにした。 エトワは、優秀な馬だ。 気性が穏やかで、手綱への反応もいい。 元はニコの乗馬練習用に用意された馬だと聞いた。 もしこの馬で学べていたら、きっとニコは良い騎手になっただろう。 ニコはエトワに跨りながらユーリに身体を預け、小さく息を吐いた。 少しだけ眠たそうだ。 胸に預けられるニコの背中が、いつもより重い。 「カニ、いるかなあ」 「また増えたみたいだよ」 「……じゃあ、いっぱいつかまえなきゃ」 そう言って笑うニコは、やはりいつもの勢いがない。   「ニコ、やっぱり今日は……」  「……きもちいねえ」   ユーリが口を開くと同時に、ニコがのんびりと呟いた。 「またエトワに乗れて、ユーリと川にいけて。 ……うれしいなあ」 そんな風に言われたら、ユーリはもう何も言えなかった。「そうだね」とだけ返し、少しだけエトワの歩みを緩めた。 川に着いたニコは、元気になったように見えた。 ユーリに手を引かれ川に入ると、嬉しそうに「えへへ」と笑う。 浅瀬で石をひっくり返して沢蟹を探す様子は、いつもとそう変わらない。 「ユーリ、とれたよ!」 ニコが捕まえた沢蟹を持った両手を振り上げて、満面の笑顔で見せてくれる。 それを微笑ましく思いながら、ユーリはエトワに乗せて来て良かったと胸を撫で下ろした。 「あ、あっちにも!」 ニコは捕まえた二匹を逃がし、向こうの浅瀬に駆け出そうとした——その時。 パシャン、と大きな水音が響いた。 「ニコ!」 ユーリが慌てて駆け寄ると、ニコは水の中で膝をついていた。 「えへへ、転んじゃった」 「大丈夫かい?怪我はしてない?」 「うん、だいじょぶ……」 ニコは差し出された手を取り、立ち上がろうとしたが、またガクンと崩れ落ち膝をついてしまった。 「あれ……?」 「ニコ?」 ニコは足に力をこめたが、膝が震えてうまく立ち上がれない。 首をかしげながら、今度は川底に手をついてやってみたが、やはり駄目だった。 ユーリはにわかに胸騒ぎを覚え、ニコを抱き上げた。   「ユーリ、だいじょぶ。立てるよ」 「こんなに膝が震えているのに、何を言ってるんだ」 「でも……」 ——脚の麻痺?……何かの病か、毒か。 それとも、祝紋に何か異常が……? 嫌な予感が、次々にユーリの胸を巡っていく。 濡れた身体が冷えないよう、自分の上着でニコを覆い、ユーリはエトワに跨った。そして川辺に荷物を残したまま、急いで川を後にした。 ニコが寝室に運び込まれると、すぐに王宮医師が呼ばれた。やがて診察が終わり、医師が器具を置く音が室内に重く響いた。 「先生、それで……ニコは」 テオはニコの寝間着を直してやりながら、静かに問うた。医師はニコの紋に目をやると、息を吐いた。 「この症状は、病や毒によるものではありません」 テオの表情が、安堵に緩む。 だが、医師の表情は固いままだった。 「ですが、決して良くはありません」 俯いたままだったニコが、わずかに顔を上げた。 「魔力を著しく消耗したことが原因です。 魔力は生命力と非常に密接な関係にありますから、使いすぎれば、命に関わります。 祝紋はその存在を保つため、常にわずかな魔力を必要とします。今の妃殿下には、その分を賄う魔力すら残っておらず、身体を支える生命力を代わりに消耗している状態です」 テオが息を呑んだ一方で、ニコは布団をぎゅっと掴んで再び俯いた。 「魔力が戻るまでの間、祈りはもちろん、祝紋を使う行為は一切お控えください。 当面は絶対安静です」 「……ニコ」 その時、向こうの壁際で静かに話を聞いていたユーリが初めて口を開いた。聞いたことがないその低い声に、ニコはぎくりと肩を揺らす。 「どういうことだ」 「……えっと」 「こんなになるまで、力を使えなんて言っていない」 「だ、だいじょぶ……と、おもったの」 「何が大丈夫なものか」 「ユーリ、やめろ」 「君の大丈夫は、全く信用できない!」 「ユリウス!」 テオが声を張り上げ、ユーリを止めた。 そして、ニコを守るように一歩前に出て頭を下げた。 「ニコを責めないでやってくれ。 補佐官である俺の監督不行届だ。すまなかった」  「違う、ニコが」 「違わない。ニコは、わからなかった。 本当に、大丈夫だと思っていた。 ……良かれと思ってやったことだ。何も悪くない。 君だって、本当は分かっているだろう?」 ユーリは小さく舌打ちをしてから踵を返すと、そのまま寝室の扉に手をかけた。 「俺が許すまで、この部屋から出るな。 王太子妃宛の手紙は、すべて俺が処理をする。 ——何もせず、大人しく寝ていること」 そして振り返りもせずにそう言い放つと、静かに部屋を出て行った。その遠ざかる足音を聞きながら、ニコは俯いたまま、ぎゅっと下唇を噛み締めた。

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