20 / 25

7-2.

「公国教会の犬が、私に何用だ」 「……ラウルさま!」 「はは、構いませぬよ」 「ここでは人目がございます。 別の場所で少し、お話を——」 「断る。用があるなら、ここで言え」 「では、率直に申し上げましょう。我々は、殿下のお力が貴国では正しく評価されていないのではと、危惧しておるのです」 「……」 ラウルが冷たく睨み続けるが、オーバンは全く意に介さなかった。 「本日の祝宴など、その最たるものでございましょう。いまだ力の扱い方も知らぬ紋持ちが、王太子妃として皆の中心でもてはやされる一方で——」 そして、オーバンの視線がソフィアへ移った。 ラウルはさらに表情を険しくし、オーバンから完全に隠すようにその前へと立ちはだかる。 「現王妃の御子である殿下と、その妃となられるソフィアさまは、ただ傍らに置かれている」 その言葉に苛立ったソフィアが口を開きかけた。 「黙れ」 だが、それよりも先にラウルがもう一歩前に出て、オーバンに向かい冷たく言い放った。 しかしオーバンは悪びれる様子もなく、顔をゆっくりと人々の輪の中心、ユーリとニコへ向けながら続けた。 ラウルの視線もまた、オーバンに促されるようにユーリたちに向いた。   「陛下は、前王妃の忘れ形見である王太子殿下のお望みを、あまりにもお許しになりすぎているようです。王太子殿下が望みさえすれば、法も教会の秩序すらも——」 するとその時、突然ラウルが剣の柄に手をかけた。 思わずソフィアが一歩下がった。 ラウルは一度だけ振り返ると、 「お前はそこにいろ」 とだけ言い残し、勢いよく飛び出していった。 「なんだ、あれは!」 次の瞬間、テラス側の天井近くから放たれた影に気づいた者がそう声を上げた。 悲鳴とどよめきが会場内に響く。 影は明らかにニコへと向かいながら実体化し、やがて黒く鋭い矢へと形を変えた。 ラウルが叫ぶ。   「……伏せろ!」   その声にユーリがニコの肩を引き、守るようにその前に立ちはだかる。その勢いでニコが尻もちをつくと同時に、会場内に鈍い音が響いた。 ラウルがさらにユーリの前に飛び込み、己の剣で矢を叩き切ったのだ。 二つに断たれた矢は、黒い靄となって消えた。 「すまない、ラウル。助かった」 「いえ」 だが、ユーリの背後で、ニコは気がついた。 ——会場の入り口そばにある柱の裏から、先ほどと同じ黒い影がいくつも放たれている。 ラウルとユーリも気がつき、剣を構える。 衛兵が駆けつけたが、数が多すぎて防ぎきれなかった。魔道士もまた、結界を張る呪文の詠唱を始めた。だが、矢へと姿を変え始めたそれらはさらに速度を増し、間に合うとは思えなかった。 ——守らなきゃ! ニコは咄嗟に両手を前に突き出し、力を込めた。 その瞬間、右手首の紋が強く発光した。 ニコを中心に淡い緑色の結界が広がり、ラウルとユーリ、国王夫妻を包み込んでいく。 黒い矢たちはそのままの勢いで突入してきたが、すべて結界に触れた瞬間に力を失い、消えていった。 会場の人々は、騎士たちの誘導で避難を始めていた。その中で、群衆の流れに巧みに逆らって動く人影が一つあった。 ——あいつか。 ラウルは即座に結界から飛び出した。 「ラウル、待て——ああ、もう! お前は、いつもそうやって……!」 一方、国王は冷静に声を上げた。 「ラウルを守れ!」 その瞬間、ニコは会場の四隅から、再び黒い影が放たれたのを見た。影はすぐに矢へと姿を変えた。 今度は、ニコたちはもちろん、群衆にもその刃先が向けられている。 先ほどよりも多い。数え切れないほどの刃だった。 ニコは、さらに手を大きく広げた。 それに応えるように、手首の紋がさらに強く光った。 結界は瞬く間に大広間いっぱいに広がり、皆を守るように包み込んでいく。 その直後、無数の黒い刃が結界を襲った。 ニコの結界に阻まれた刃が黒い霧となり消えていくのを目の当たりにした群衆は、安堵に包まれた。 「妃殿下が、私たちをお守りくださった!」   ようやく王宮魔術師の結界が完成した。 白い結界がニコの結界の外側まで広がるのを確認し、招待客の誘導に当たっていたテオも息をついた。 ニコのそばへ行こうと向き直ると、すでにユーリが寄り添っているのが見えた。 「……」 テオは目を伏せた。 その時、避難誘導に当たっていた衛兵から、助けを求める声が上がった。 「私が行こう」 テオはすぐさまそう返事をし、ニコに背を向けた。 「ニコ、ありがとう。 君のおかげで皆が助かったよ」 ユーリがそう語りかけても、ニコは反応しない。 その肩に触れると、まだ小刻みに震えていた。 「ニコ、もう結界を解いても大丈夫だよ」 しかしニコは、ユーリの呼びかけに反応せず、両手を下ろそうともしない。   ニコは必死に祈っていた。  ——神さま……皆をお守りください! 紋が一際強く発光したと同時に、ニコの結界が再び少しずつ膨張し始めた。    ラウルがテラスに足を踏み入れたその瞬間、人影が欄干を越えて飛び降りた。 ラウルは下を覗き、着地した男がマントを翻し駆け出したのを確認すると、迷いなく自らも欄干を乗り越え、後に続く。 ——間違いない、あいつが犯人だ。    しばらく追っていると、背後の会場から大きな衝撃音と悲鳴が響いた。ラウルは咄嗟に振り返った。 すると、大広間全体が薄緑色の光に包まれているのが見えた。さらに食器や家具が砕けるような音に、壁や窓枠が軋む音が続いた。 ラウルが会場へ戻ろうと踵を返しかけた瞬間、犯人が通用門へ続く狭い通路へ入っていくのが視界に入る。だが、その門は祝宴の警備のため本日は閉ざされているのだ。 ——好機だ。逃がすものか。 ラウルは再び犯人の後を追った。 犯人は、狙い通り通用門の前で立ち往生していた。 ラウルの気配に気づくと、男はすぐさま術を繰り出した。先ほどと同じ、矢へと変化する黒い影だ。 ラウルは犯人との間合いを詰めながら、冷静にそれらを剣で斬り落とした。 そして、じりじりと後退していた犯人が、とうとう門に行き当たった瞬間、ラウルが飛びかかった。   「ラウル殿下!!」   衛兵がようやく追いついた時には、犯人はすでにラウルに取り押さえられていた。 ラウルは衛兵の目前で、なおも暴れる犯人の腕を容赦なく後ろへねじ上げ、膝で背を地面に押さえつける。 その次の瞬間、捕らえられた犯人が突然大きな声で笑い出した。そのあまりの不気味さに、衛兵は思わず足を止め、ラウルは眉を寄せた。 「さすが、さすがラウル殿下です!」   犯人は地面に押さえ込まれながらひとしきり笑うと、唐突に大声で話し始めた。 「王太子は危険な紋持ちを妻に迎え、教会とこの国の秩序を乱した!」 「おい、お前。何を言って……」 男はラウルの言葉を聞かず、やけに饒舌に話し続ける。 「ラウル殿下こそ、この国をお救いくださるお方! 今宵、この国を守ってくださったように、きっと民を正しく導いてくれましょうぞ!」 ラウルは眉間に深い皺を刻みながら、男の背をより強く地に押しつけた。 その瞬間、大広間の方から、建物が大きく軋む音が響いた。ラウルは、はっと顔を上げ、振り返る。 なおも同じ言葉を繰り返す犯人に、 「……黙れ」 と冷たく言い放ち、衛兵に命じた。  「連れて行け」 そしてラウルは、踵を返し大広間に向かい走り出した。   一方、大広間では、ニコが展開した結界が少しずつ膨張し続けていた。 食器や調度品はなぎ倒され、大広間いっぱいに広がった結界が壁を押し、ギシギシと軋ませている。 しかし、人々は結界に包まれていながら、押し倒された者も、傷ついた者もいなかった。   「ニコ、ニコ! もう、大丈夫だ。危険はなくなったよ!」 そんな中、ユーリがニコへと声をかけ続けていた。   「ニコ、お願いだ。俺を見て」 それでもニコは、祈りを止めない。 ユーリは、ニコと視線を合わせようとその場に跪いた。だが、どこか遠くを見つめたままのニコとは、目が合わなかった。その時、ユーリは気がついた。 ——ニコの唇は、まだ祈りを繰り返している。 祈るたびに、結界が膨らんでいく。 「ニコ……」 ユーリはニコの頬を撫で、両手で優しく包み込むと、そっとニコの唇に己の唇を重ねた。 ニコの祈りが途切れた。 そしてその瞳を大きく見開いた瞬間、結界は淡い光となりほどけていった。 ラウルが大広間へたどり着いたのは、ちょうどその時だった。    光はやがて、星屑のようにキラキラと輝きながら、大広間へと舞い降り始めた。 その奇跡のような美しさに、あちこちから、そんな声が響き始めた。 「ユーリ?」 「……ニコ、よかった!」 ユーリは思わずニコを抱きしめる。 「ユーリ、みんなは……」 「みんな無事だ!君が守ったんだ!」 「……僕?」 ニコはユーリの腕に抱かれたまま、あたりを見回した。 「妃殿下!」 「ありがとうございます、妃殿下!」 やがて、招待客たちから感謝の声が上がり始めた。 皆に怪我がないことがわかると、ニコはようやく口元を緩め、結びとなる祈りの言葉を口にした。 「——神さま。みんなをお守りくださり、ありがとうございました」 その時ソフィアは、テラスから大広間へ戻ったラウルを見つけ駆け寄った。 「ラウルさま!」 「……ソフィア、無事か」 「はい。ラウルさまもお怪我は……」 「ああ、問題ない」 ソフィアがその傍らに寄り添うと、オーバンが静かに歩み寄ってきた。 ラウルは、すぐさまソフィアを引き寄せた。  「ラウル殿下、見事なお働きでございました。 殿下が賊を捕らえなければ、さらに被害が広がっていたやもしれません」 ラウルは何も返さず、ただオーバンを睨みつけた。 だが、オーバンは相変わらず気にする様子もなく、ラウルを見あげながら続ける。 「もちろん、あの者の行いは断じて許されるものではございません。 ですが、あの者が王太子殿下と妃殿下へ、なぜあれほど大きな憎悪を抱いたのか……耳を傾ける必要があるかと存じます」 「……あの者は、正気ではなかった。 その言葉に耳を傾ける必要はあるまい」 「とはいえ、あの者はよほどの覚悟を以て凶行に及んだのです。その要因を調べもせず、狂人の戯言として片づけてよいものでしょうか」 「……何が言いたい」 「例えば——王太子殿下が法を改め、教会の秩序を変えてまで、危険な紋持ちを妃として迎えられたことに、不安を覚える者がいる。 少なくとも、そのような者がいることだけは、今宵明らかになったのではございませぬか」 「それは違います!」   すると、ソフィアが声を上げた。 「妃殿下は、私たち全員を、一人も傷つけることなくお守りくださったのです。 決して危険なお力ではございません!」 「妃殿下が皆をお守りくださったことは、私もこの目で拝見いたしました。 ですが、その力は王宮を壊しかねるほど膨れ上がり、王太子殿下のお声すら届かなかった」 「しかし……!」 ラウルは静かにソフィアを制する。 その瞳は、オーバンを映したままだった。   「紋の力は、人間には過ぎたるものです。 それが祝福であろうと、呪いであろうと、変わりはありません。だからこそ私たちは、これまで紋持ちを正しく保護してきたのです」 オーバンはその唇に薄い笑いを浮かべたまま、ラウルと視線を合わせた。   「国を案じる者の声に、どうか耳をお閉ざしになりませんよう」 そして最後にそう言うと恭しく一礼し、赤いマントを翻した。 ラウルは何も返さなかった。 オーバンの背を見送ることもなく、ただ大広間の中心にいるユーリとニコへ視線を移した。

ともだちにシェアしよう!