21 / 25

7-3.

衛兵たちは国王夫妻を守るように取り囲み、退避口へ誘導し始めた。 その後に続くため待機していると、ニコがユーリの袖を掴みながら小さく呟いた。    「……兄さん」 その緑色の瞳に、じわりと涙が浮かんだのを見たユーリは、すぐに近くの衛兵に尋ねた。   「テオドールは?」 「来賓の方々の避難の手伝いをしております」 「呼べ。ニコを放ったらかしにして、一体何をやってるんだ、あいつは」 テオは、すぐに姿を現した。 「兄さぁん!」 ニコは、その姿を見つけるや否や駆け出した。 テオが優しく抱きしめてやると、ニコが声を上げて泣き始めた。 「兄さん、怖かったよお」  「ああ、怖かったな。よく頑張った。 お前のおかげで、皆が助かったよ」 「ならよかったぁ」   衣服の汚れや髪の乱れから、テオが避難誘導に奔走していたことは明らかだった。 それでも、今のユーリは気に入らなかった。 「どうしてニコを放っておいたんだ」 「殿下がそばにいらっしゃったので」 「はあ?! お前はニコの兄だろう?!」 ——だからこそ、夫であるお前に託したんだが。 反論しても恐らく無駄なので、テオはただ深くため息をついた。 「うわぁん、二人ともけんかしないでぇ!」 「ち、違う。なあ、テオ!」 「……」 「おい、さっさと笑え。ニコが悲しむだろ!」 「いや、無理です。 殿下ほど口角が発達しておりませんので」 「兄さぁん」 「よしよし、大丈夫だよ」 「ぐすっ、兄さぁん」 「これはこれで腹立つな」 ユーリが悪態をついたその時、騎士が声をかけてきた。   「殿下、少々よろしいでしょうか」 ユーリが頷くと、騎士はそっと耳打ちした。   「先ほど捕らえた賊ですが……自害いたしました」 「……何をしてるんだ」 「申し訳ございません。 奥歯に毒を仕込んでいたようで……」 「知るか、言い訳を——」 ユーリの怒声に、ニコがテオの胸の中でびくりと震えた。 「ユーリ、ニコの前だ」 「……悪かった。 背後に主謀者がいるはずだ。必ず探し出せ」 間もなく、ユーリたちにも退避の指示が出された。 ユーリとテオは頷き合い、ニコを気遣いながら大広間を後にした。 祝宴での襲撃を経て、王宮が静けさを取り戻した頃には、とうに日付が変わっていた。 ユーリは疲れた身体を引きずりながら、王族の居住区に戻ってきた。 廊下の至るところに、騎士や衛兵が配置されていた。 ユーリは迷いなくニコの私室へと赴いた。 寝顔でもいいから、どうしてもニコの顔を見たかった。 警備兵の敬礼に応じ、ニコの部屋の扉をそっと開ける。薄暗い室内では、テオが長椅子に腰を下ろしニコを抱いていた。 すぐに小さなニコの寝息が聞こえたので、ユーリはほっと胸をなで下ろす。 「よく眠っているな」 ユーリはニコを見つめるとすぐに、口元を緩めた。 「かなり力を使ったからな。 ニコの力があそこまでとは……正直、驚いたよ」 「ああ。だからこそ……」 ユーリはそこまで言いかけて、黙り込む。 ——だからこそ教会は、紋持ちを集めてきたんだ。    「どうした?」 「いや……。今日、祝宴にオーバンがいただろ」 「ああ、いたな」 すると、ユーリは露骨に眉を寄せた。    「俺は呼んでない」 「いや、呼ばないわけにはいかないだろう。 公国教会の重鎮だぞ」 「図々しいにも程がある」 「いくらお前でも、さすがに無理がある。 お前以外の誰かまともなやつが呼んだんだろう」 「……気に入らん」 「そういう問題ではない」 その時、ニコがほんの少しだけ目を開けた。 テオが慣れた手つきで背中をさすると、兄の胸にくっつき直し、再び瞳を閉じる。 そんなニコの汗ばんだ額を、ユーリはハンカチで拭ってやった。 「寝づらいだろうに」 「俺もそう思う。だが、離れないんだ」 「まだお前の腕の中が、一番安心なんだろう。 ……気に入らん」 「気に入らんことばかりだな、お前は」 テオは小さくため息をつくと、ニコの頬を撫でながら俯いた。その顔に、影が落ちる。   「賊は最初ニコを狙っていた。目的は何だ?」 「……調査中だ」 「犯人は?」 「捕らえたが、自害されてしまった」 「さっきの報告か。 じゃあ、ニコがこれからも狙われる可能性が……」 「だから、東棟に避難する」 「東棟? 初めて聞いたな」 「有事の際の王家の避難場所だ。公表していない」 「……ニコを別棟に閉じ込めるというのか」 「まさか。 棟の中ではある程度自由に生活できる。小さいが、中庭もある。閉じ込めるのとはわけが違う」 「そこから出るなと命じられるなら、ニコにとっては変わらん」 「……ユーリは?」  その時、テオとユーリの間から小さな声が響いた。 「ユーリ、お前がでかい声を出すから」 「……うっ。すまん」   ニコは眠たげに目をこすりながら、ゆっくりとテオの胸から顔を上げた。 「僕だけ? ユーリは、みんなはどうするの?」 「もちろん、俺も行くよ。 父上たちには、別の安全な場所へ移ってもらう」  「みんな、ばらばらなの?」 「こういう時はね、同じ場所に集まる方が危険なんだ。でもね、それぞれがちゃんと安全な場所に移るよ」 「……そっか」 ニコはテオの腕の中からユーリへ手を伸ばし、その袖をぎゅっと掴んだ。 「僕、ユーリもいっしょならいいよ」 「うん。もちろん、ずっと一緒だよ。 神様ともそう、お約束したものね」 「ふふ、そうだね」 ニコは、ようやく安心したように微笑んだ。 「生活拠点を移すのなら、学校と公務も見直さなければならないな」 「……そうだな。 ニコ、申し訳ないが、学校はしばらくお休みだ。 落ち着くまで、東棟での個人授業に切り替えよう。 それから、王宮の外での公務も控える」 「うん……。 朝のお祈りだけは、いつも通りでいい?」 「……テラスで、か?」 「うん。僕、前に具合がわるくなって、お祈りを何日かお休みしたでしょう? その時、心配していますってお手紙をたくさんもらったから……。 あんなことの後だし、また僕がお休みしたら、もっと心配をかけちゃうんじゃないかなって」 「だが……怖くはないのか?」 「こわいよ。すごく、こわい」 「……なら、無理をする必要はないよ」 「むりはしてないよ。ユーリも兄さんもいるし、守ってくれる人もいるもの」 「ニコ……」 「あんなことがあったからこそ、僕がいつも通りにお祈りできたら、みんなも安心してくれると思うの」 すると、黙って聞いていたテオが口を開いた。   「一理あるな」 「テオ、お前まで……」 「祝宴での出来事は、すぐに王都中に広がる。 その翌朝から王太子妃が姿を見せなくなれば、余計な不安や憶測を招く。 いつも通りの姿を見せることは、王宮は賊に屈していないと示すことにもなる。そうだろう?」 「…………」 「ユーリ?」 ユーリは目を伏せてしばらく考え込んだ後、ため息をついた。 「……わかった」 ぱっと顔を明るくするニコに、ユーリが釘を刺した。 「ただし、祈りの時間は短くする。 俺も隣に立つし、警備も強化して、少しでも異変があればすぐに中止させる」 「ふふ、ありがと」 「絶対に、俺のそばを離れちゃ駄目だからね」 「うん、ユーリもね。 ユーリが僕を守ってくれるように、僕もユーリを守るんだから。もちろん、兄さんもだよ!」 そう言って胸を張るニコに、ユーリとテオは顔を見合わせた。 「はは、それは心強いな」 ユーリがすぐにそう明るく返し、ニコの頬を撫でた。ニコはその手に頬を擦り付け、「えへへ」と笑った。 一方、テオは肩を落としながら、 「頼むから、無理はしてくれるなよ。 もう、兄さんの胃は限界だ」 と力なく言って、みぞおちを強めに押さえた。   翌朝。 ニコは朝の祈りのため、テオに付き添われてテラスの前室に控えていた。 ガラス越しに響いてくるのは、ニコの祈りを待ち望む王都民の声だった。 昨夜の事件を受けて、テラスの周辺には、騎士と魔術師による厳重な警備が敷かれていた。 テラス周辺の警備は、昨夜いち早く異変に気がついたラウルが指揮を執っていた。 ニコはラウルの姿を見つけると、すぐに駆け寄った。 「昨日は、たすけてくださって、ありがとうございました!」 「いや……。 お前こそ、よく皆を……ソフィアを守ってくれた。 ありがとう」 ニコは少しだけ目を大きくした後、「はい!」と元気に笑った。ニコを見るラウルの目元が、ほんのわずかに和らいだその瞬間、音楽が鳴り響く。 「ニコ、出るよ」 「うん!」 テラスに出る直前、昨夜の事件が脳裏をよぎり、ニコは一瞬足を止めた。 すると、ユーリが何も言わずに手を差し出した。 ニコはその手を取ると顔を上げ、ユーリと共にテラスへと足を踏み入れた。 いつも通り、仲睦まじく現れた王太子夫妻の姿に、王都民は皆安堵し、喜んだ。 ニコは一礼すると、いつもと同じように静かに祈りを捧げ始める。   昨日の事件が嘘のように、その日は平穏に過ぎ去っていった。ユーリとニコは、テオや馴染みの従者たちと共に東棟に移り、静かな夜を過ごしていた。 尚、ユーリの強い要望により、夫妻は同室だ。 「……もっとこわい所かと思ってた」 ユーリが読み終えた絵本を閉じると、ふとニコが部屋を見渡しながらぽつりと言った。 「ニコのお部屋と、あまり変わらないでしょ」 ユーリはテオから、奥棟へ移された時のニコが何一つ私物を持たせてもらえなかったことを聞いていた。だから今回は、家具から小物まで、ほとんど元の私室から運ぶよう命じたのだ。 「ちょっとだけ、ちがうけど……」 「おや、何か足りないものがあった?」 「ううん。ユーリのごほんがある。お洋服も」 「ああ、ごめんね。俺もここで生活することになるからね。必要なものを持ってきたんだ」 「あ、ちがうの。うれしかったの」 「……嬉しかった?」 「うん。今日、少しだけ一人になった時も、ユーリのものがここにあったでしょう? だから、さみしくなかったの。ユーリのものをみると、一緒にいるみたいでね、うれしかった」 ニコはユーリを見上げると、幸せそうに微笑んだ。 「ずっと一緒。神さまにお約束したとおりだね」 「……そうだね」 ——ニコは、いつもこうやって大切なことを教えてくる。 愛しさが溢れ、ユーリは思わずニコの額に口づけた。するとニコは、顔を真っ赤にして額を両手で押さえた。 「ふふ、ニコがあんまり可愛いから」 少し膨れた頬を人差し指で触れると、ニコはますます赤くなってしまう。   「……キス。きのうも、したでしょ」 「あれは……すまなかった。あの時は、必死で」 「ううん、いいの。 びっくりしたけど、うれしかったよ」 ニコは、ユーリのシャツをぎゅっと掴んで、少しだけ恥ずかしそうにしながら言った。 「あのね。キス……もう一回、したい」 「……もちろん」 ユーリは優しく微笑むと、ニコの温かい頬を手で包み、触れるだけのキスをした。 唇が離れ始めると、ニコはユーリのシャツを握る手に力を込め、ユーリを引き寄せた。   「……もっと?」 その問いかけにニコが頷くのを確認し、ユーリは再び唇を重ねた。 今度は少しだけ長くて、深いキス。 舌先がほんの少し触れると、ニコは肩をぴくりと揺らした。だが、ユーリが優しく頬を撫でながらキスを繰り返すたび、その身体から力が抜けていった。 キスが終わると、ニコは真っ赤になってユーリの胸へ顔を埋めてしまった。 「……きもちかった」 そう小さく言うニコの耳も真っ赤なことに気がついて、ユーリは思わず天を仰いだ。 ——可愛すぎるだろ……。 ユーリはもっとその唇を奪いたい衝動に駆られた。 だが、寸前で抑え込み、代わりにその髪にふわりと口づけた。その途端、ニコが顔を上げた。 「……ごめん、嫌だった?」 ニコは首を横に振って、額を差し出した。 ——髪じゃご不満かあ……可愛い……どうしよ……。 ユーリは口元が緩むのを何とか抑えながら、請われるがままニコの額にキスをしてやると、ニコは再び顔を上げた。そして首を伸ばし——。 ちゅっ。 ニコから贈られた短いキス。 びっくりして目を丸くするユーリに、ニコは微笑んだ。 「ユーリも、昨日はこわかったでしょ? だからこれは、とくべつ」 そしてニコは、ユーリを抱きしめた。   「僕がついてるから、だいじょうぶ。 もう、こわくないよ」 やがてニコは、ユーリの胸で眠りについた。 ユーリはそんなニコの髪を撫でながら、その温もりを感じ、これ以上ない幸せを噛み締めていた。

ともだちにシェアしよう!