23 / 25
8-2.
アルヴェリア王国、地方都市ローデン。
街の北にそびえる山の麓には、古くからこの地を守る結界の核を祀る祠があった。
その前では、二人の兵が見張りに立っていた。
かつてこの山は魔物が多く、地脈も不安定な忌み地だった。
しかし結界が張られて以降、被害はなくなり、祠の警備は退屈な仕事となっていた。
「あー、暇だ。早く交代の時間にならないかな」
「あと半刻だ。我慢しろ」
「はあ。今日の夕飯は――」
するとその時、兵たちの瞳から光が消えた。会話が途切れ、槍を持った姿勢のまま動かなくなった。
「よし、やるかあ」
続いてそんな声が響き、木陰から黒衣の二人が姿を現した。
彼らは祠の前に歩み寄り、片方が左手を前にかざす。その手の甲に刻まれた紋が、赤く光った。
次の瞬間、祠を守る封印が姿を現し、蕩けるように崩れた。
するともう一人が一歩踏み出し、祠の扉を開いた。
中には、両手で抱えられるほどの赤い宝珠が大切に祀られていた。
彼がその宝珠にそっと触れると、今度は宝珠の中に稲妻のような白い光が走った。
彼はそのまま、宝珠に魔力を込めつつ口を開いた。
「あいつ、建国記念日で失敗したんだろ」
もう一人は、周りの気配に気を配りながら返す。
「まあ、元から力が弱かったし。
使いすぎてほとんど出がらしだったからな」
「死んだらしいぜ」
「あいつもオーバンさまのお慈悲で、最期にド派手にキメられて本望だろ。
死ぬまで閉じ込められるよりいい」
「まーな」
その時、宝珠の奥で何かがひび割れるような音がした。片方が、くっくと笑う。
「何日持つかな」
「三日。賭けてもいい」
「よし、勝負な」
そして二人は祠の扉を元通りに閉め、封印を張り直すとそのまま空へと飛び立った。
刹那、片方のフードが捲れて、その頬に青い紋が浮かび上がっているのが見えた。
彼らが空に消えたその時、兵たちの瞳に光が戻った。片方が、大きなあくびをしながらぼやいた。
するとちょうど、向こうの道から仲間が上がってくるのが見えた。
「今日の夕飯は――なんだったかな」
「知らん。さっさと交代して帰るぞ」
二人は仲間に手を挙げ、祠を背に歩き出した。
その日、アルヴェリア王国各地の公示板に次期国王信任のための投票実施が告知された。
信任の投票期間は二日間。
三日後の昼に結果を正式発表すると明言された。
初めての投票は、ユーリが各地の戸籍を整え直したこともあり、大きな混乱もなく粛々と行われた。
そして告知通り、三日目の正午。
王都のテラスには王太子夫妻、ラウル、王妃が並び、広場に集まった市民は結果を待ちわびていた。
やがて、宰相がゆっくりと姿を現した。
まずは王家へ、次に国民に一礼すると手にした書面を高らかに読み上げた。
「投票の結果、次代の国王として、ユリウス殿下が国民ならびに諸侯の信任を得られました」
途端、広場から歓声が上がる。
ユーリは一歩前に出て、右手を高く掲げた。
続いて、宰相から貴族票、国民票それぞれの内訳が発表された。
貴族票は、公国教会の推薦を受けたラウルが追い上げたものの、わずかな差でユーリが上回った。
一方で、国民票はユーリの圧勝だった。
これまでの実績に加え、王太子妃となったニコへの親愛が、その支持をさらに強固なものにしていた。
同じ頃、地方都市ローデンでも、多くの市民が公示板の前に集まっていた。
「王国より新たなお触れである!」
その時だった。
北の山から激しい地響きが鳴り、地面が揺れ出した。やがて地面は割れ、建物が崩れ、人々は混乱に包まれた。
そんな中、北の山を指さし、声をあげた者がいた。
「なんだ、あれは?!」
「鳥か……? いや、魔物だ!」
その先では、北の山から赤い光が空へ走り、その奥から次々とあふれ出した魔物の群れが、空を埋め尽くしていった。
ローデンの地震は、王都にも影響を及ぼした。
まだ信任発表の歓声が残る中、皆の足元が揺れた。
「ニコ!」
ユーリは反射的にニコを抱えて庇った。
広場の民もまた、強まる揺れに混乱した。
「みなさん、おちついてください!」
悲鳴やざわめきが広がる中、ユーリの腕の中からニコが叫ぶ。
「だいじょぶです!」
そして胸のロザリオに触れながら、祈りの言葉を口にした。
すると、広場の中心にある噴水の中央に置かれた神像が、淡い緑色に光った。
光は神像を中心に急速に広がり、やがて王都をすっぽりとニコの加護で包んだ。
転びかけた子供は風に抱き起こされ、倒壊した家の屋根が落ちる速度が緩やかになり、その隙に老婆が外へと駆け出した。
ニコの加護が人々を守る中、やがて地の揺れも収まっていった。
ほどなくして、王宮の対策室に震源地であるローデンから第一報が届いた。
山崩れで街道が寸断されてしまったこと。
北の山の結界核が地震によって損傷し、都市結界を維持できなくなり、山中の魔物が市街地へ流入し始めたこと。
未曾有の被害に、大臣たちが言葉を失う中、ユーリは冷静だった。
即座に近隣都市からの兵の派遣、救援物資の確保と輸送、避難経路の確保、結界修復隊の編成など、的確に指示を飛ばしていく。
それを横で見ていたニコが、立ち上がった。
「僕も、ローデンにいきます。
きっと、ローデンの皆さんの助けになれます」
「駄目だ、危険すぎる」
「殿下の仰る通りです。
まだ余震がありますし、魔物も出ます。
街道が使えませんから、道も険しい」
「……けど」
それでもニコが食い下がろうとした時、王太子妃の補佐官としてニコの後ろに控えていたテオが口を開いた。
「ローデンに、神像を送ることはできませんか」
「……神像を通して祝福を届けるのか」
「ええ。
王都中に朝の祈りを届けるのと同じ仕組みです」
「なるほど、それなら……。
だが、ニコに大きな負担を……」
「僕、やります!やらせてよ、ユーリ」
ニコはそう言うと、ユーリの手を取った。
「僕もユーリの……みんなの役に立ちたいんだ」
その時、ラウルが立ち上がった。
「おい、ラウル? ラウル!」
ユーリが呼び止めたが、ラウルは振り返りもせずに会議室を出ていってしまった。ユーリは頭を掻きむしり、ラウルが消えた扉を睨んだ。
「あいつは! いつもそうやって!」
会議室を飛び出したラウルは、厩舎へと直行した。
——公国教会で見たあの紋持ちたち。
あの者たちの力を使えば、きっと結界を支えられる。
ラウルは軍の伝令所で馬を乗り継ぎ、通常の半分ほどの時間で公国教会へ駆け込んだ。
オーバンは急な訪問にもかかわらずラウルを出迎え、ローデンの被災を見舞う言葉を述べた。
ラウルは挨拶を返す余裕もない様子で、まずは深く頭を下げた。
「ローデンを救いたい。
どうか、教会からの支援をいただけないだろうか。
王太子妃の力を使い何とか耐えようとしているが、そう長くはもたない。
結界が修復する前に王太子妃の力が尽きれば、もはやローデンの街を救う手だてがなくなる」
その話を聞いたオーバンは、小さく肩をすくめた。
「教会の支えを必要としない国を望んだからこそ、貴国は我々が推薦したラウル殿下ではなく、ユリウス殿下をお選びになったのでしょう」
「だが、こんなことが起きるとは、誰も」
「起きないとも、誰も保証はできません。
有事への備えとは、そういうものです」
「しかし……」
「ラウル殿下。
我々とて、此度のローデンの被災には強く心を痛めております。
しかし、我が公国が独立を認め、今や他国となったアルヴェリアの結界に、無断で干渉することはできないのですよ」
オーバンの言い分は、反論を挟む余地のない至極真っ当なものだった。ラウルは奥歯を噛みしめる。
「……では、許可があれば」
しばらくの間を置き、ラウルは言葉を絞り出すように続けた。
「許可があれば、可能なのか」
その言葉にオーバンは目を細めた。
「今、支援を得るために、私にできることはないのか?」
ラウルのその言葉に、オーバンは静かに口元を緩めた。
ローデンが被災し、二日目の昼。
王都から現地に送られた神像に力を送り続けていたニコに、明らかに限界が見え始めた。
ニコが少しでも力を弱めれば、現地に張った結界がすぐに揺らいでしまう。
食事も睡眠も満足に取れない。
ユーリとテオも支援はしたが、その負担そのものを和らげることはできなかった。
そんな緊迫した空気の中、ニコの紋からいつもの輝きが失われつつあるのを見たユーリが、とうとう決断した。
「ニコを休ませろ。
現地に送った王宮魔術師で結界を持たせる。
俺が現地に着くまでの間くらいは持つだろう」
「馬鹿を言え。
今お前が行けば、お前の警備にも人を割かなければならなくなる。被災地の負担を増やすな。
それに、お前が行ったって役には立たんだろう」
「いや、それは違う。テオ、聞いてくれ。俺は……」
すると、ニコが「あっ」と声を上げた。
二人はすぐにニコに駆け寄った。
「ニコ、どうした?!」
「うん……。
なんだか、あんまり力が……あれ ? あれれ?」
ニコが首を傾げながら、ロザリオを握る力を緩めた。
「ローデンの結界……直った?」
「まさか。今朝方、ようやく祠を開き宝珠に接触できたと聞いたばかりだ。
いくらなんでも、早すぎる」
「けど、この感じ……」
その時、伝信係の役人が慌ただしく部屋へ駆け込んできた。
「ローデンの修復隊より緊急報告です!
都市結界の出力が急速に回復。現在、外部から強い魔力供給を受けているとのことです!」
「何だって?!
ニコ以外の力が働いているということか?
一体、誰がそんなことを……」
「公国教会です。私が支援を申し入れました」
「ラウル!お前、今までどこへ……!」
遅れて入室したラウルは、まずニコに向かって頭を下げた。
「妃殿下、ここまで被災地を支えてくださったこと、感謝申し上げます。
教会の紋持ちたちが、あなたに代わり、神像を介して結界を支えています。
もう、あなた一人で対処する必要はありません。
どうかお休みください」
「でも……」
「……ニコ、ラウル殿下の言う通りに」
戸惑うニコの身体を支え、テオが告げた。
ニコは次にユーリを見た。ユーリは腑に落ちない顔のまま、それでも頷き返した。
それを合図に、ニコはロザリオから手を離して小さく息をついた。
「兄上、少しよろしいでしょうか」
「ああ……。場所を変えよう。テオ、ニコを頼むな」
「かしこまりました」
「ユーリ……」
「大丈夫だよ。すぐに戻るからね」
ユーリの執務室へと場所を変えるとすぐに、公国教会で見聞きした紋持ちたちの暮らしや役割、そして今回の支援に至った経緯が、ラウルから報告された。
最後に、ラウルは深く頭を下げた。
「王族として支援を要請しました。
後日、正式な相互支援協定を協議すると約束しています。兄上に相談もせず、私の独断で決めてしまい申し訳ありませんでした」
「頭を上げろ、ラウル。お前の判断と行動がなければ手遅れになった。ありがとう」
顔を上げたラウルは、すぐに目を大きくした。
兄の目元が、わずかに滲んでいたからだ。
「……だが、一人で飛び出すような真似は、やめてくれ。この二日間、お前と一度も連絡がとれず、俺は」
「兄上……」
「父上がこんな状況の中、もしお前にまで何かあったらと思ったら、俺は」
「……申し訳ありませんでした」
ユーリは俯き、ラウルの胸に軽く拳を押し当てた。
そして、その顔を上げると、もういつもの自信に溢れた兄に戻っていた。
ラウルが退室すると、入れ替わりで伝信係が入室した。
「殿下、ローデンの修復隊より追加報告です」
ユーリは書面を受け取ると、すぐに内容を確認した。
『結界核の損壊は、地震が直接の原因ではない。
地震が起きる前に、宝珠を介し、結界核へ意図的に魔力が流し込まれた形跡がある。
しかし現状、宝珠には王太子妃殿下をはじめ、さまざまな魔力が重なり、結界核への干渉に用いられた魔力の特定は不可能』
ユーリの表情が、みるみるうちに険しくなっていった。
——紋の力は、遠く離れた場所から宝珠を通じて特定の結界に働きかけることができる。
公国教会の紋持ちは、その力を活用し、結界の修復まで行える。……では、破壊は?
ユーリは鋭い視線を伝信係に向け、命じた。
「国内に残る同型の結界を、すべて調べろ。
結界核、宝珠、外部からの接続経路まで一つ残らずだ。……ただし、公国教会には悟られるな。行け!」
「はい!」
ユーリはふと、伝信係の遠ざかる足音を聞きながら、窓際の祭壇に目を向けた。
その中央には、ニコが整えた美しい神像が、静かに佇んでいた。
ともだちにシェアしよう!

