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8-3.
ローデン支援への謝意を伝え、相互支援協定を締結するため、ユーリとラウルが王国を発って半刻ほど。
ユーリは窓枠に肘をつき、馬車の外を見つめたまま、深くため息をついた。
「はあ、ニコと一晩たりとも離れたくはなかった……」
ラウルは目を閉じ、兄のぼやきを聞き流していた。
「今さら一人で寝るとか意味が分からない。
……あ、そうだ。
ラウル、今夜は昔のように一緒に寝よう」
「なぜそうなるのですか」
ラウルがそう返すと、ユーリは頬を膨らませた。
「一人では、寒くて寂しくて眠れる気がしない」
「……兄上は、いつも妃殿下と夜をお過ごしなのですね」
「もちろん。最高に気持ちいいぞ!」
「……」
「あっ、いや、変なことはしてないぞ。断じて」
「……いいんじゃないですか。夫婦ですし」
「お前、疑ってるな。
本当だ、毎晩絵本を読んでやっているだけだ」
「絵本?!
お言葉ですが兄上、妃殿下は成人されてますよね?」
「別に成人が絵本を嗜んでも構わんだろう」
「そうですが……」
「ちょうど今読んでやっているのが、そろそろ終わるんだ。公国はニコが好きそうな本も多そうだし、いい土産ができそうだ!」
「……それは何よりですね」
ラウルは呆れながらも、ご機嫌な兄を見て思った。
——少なくとも、あの妃殿下の強大な力を目的に、無理矢理囲い込んでいる……というわけではなさそうだな。……妃殿下の希望はわからんが。
その後も馬車は進み、二人は予定通り公国に到着した。
教会本部の前に馬車が停められ、扉が開いた瞬間、ユーリの背筋が伸び、顔つきが変わった。
馬車を降りると胸を張り、オーバンの元へ向かった。そして流れるように握手を交わし、堂々と謝辞を述べた。
「此度はローデンへの迅速かつ寛大なご支援、アルヴェリア王国を代表し、心より感謝申し上げる」
「これはこれは、ユリウス殿下。遠路はるばるご足労下さり、ありがとうございます」
ラウルは、先ほどまで「早く帰りたい」とごねていた兄の変わりように、ため息をついた。
「我々は、ラウル殿下の真摯なお申し入れにお応えしたのみ。困窮する民があれば救うこと。
それが神意であり、公国教会の役割でございます」
握手を終えたオーバンは、ユーリに向かい穏やかに微笑んだ。
「協定のお話に入る前に、我々が保護した紋持ちたちがどのように過ごしているか、ご覧いただけませんか。……どうやら我々の対応について、些か誤解がおありのようですから」
「ありがとう。それはぜひ拝見したい」
ユーリが承諾すると、教会最奥にある古びた聖堂へ案内された。ラウルも視察した、紋持ちたちの施設だ。木々に隠された入口には、大きな門が構えられていた。
それを一歩越えた瞬間、全身にピリリとした感覚が走り、ユーリは眉を寄せた。
——結界。
歩を進めるたびに、腹の底がざわつくような感覚が沸き上がり、気分が悪い。
だが、横のラウルは平然としている。
結界から拒まれているのは、自分だけかとユーリは心中で呟き、息を吐いた。
聖堂内はひんやりとしていたが、採光があり暗くはない。ユーリは顔色を変えず、オーバンに続いた。
これまで生存不明だった紋持ちが数多くおり、役割を与えられていることには驚いた。
また、彼らが虐げられている様子も全くない。
皆、自身の力を神の御心のもとで民に振るうことに、深い歓びを感じているようだった。
だが、彼らの穏やかな微笑みが、ユーリには不気味に感じられた。
「わ、無駄に派手なやつと地味なやつ」
「アルヴェリアの王子たちだってよ〜」
「へえ。あれが……」
背後から、この場に似つかわない明るい声がした。柱の向こうで、黒衣の二人が笑っている。
オーバンは呆れたようにため息をついた。
「あの者たちは、少しヤンチャでしてな。
二人とも、こちらへ」
「はあい」
二人は返事をすると、飛び上がって宙へ溶けた。
「ごきげんよう、派手な方の王子さま」
次の瞬間、二人は目の前に現れたので、ユーリは思わず眉を上げた。
「地味な方の王子さまもごきげんよう」
「兄弟なのに、君たち全然似てないね!」
「お前たち、やめなさい。失礼ですよ」
二人が駆け寄ると、オーバンはその肩を撫で、ユーリへ向き直らせた。
「この二人は、妃殿下と年が近い紋持ちです。
よろしければ、いずれぜひご会談を。
きっと話も弾むでしょう」
「機会があれば、ぜひ」
——絶対に実現しないな。
笑顔を崩さぬままそう言う兄を冷ややかに見ながら、 ラウルは思った。
「ところで君たちは、どんな力を持っているんだい?」
「俺は炎! かっこいいだろ!」
すると片方がそう言って、左手の甲をユーリに見せつける。炎の紋が刻まれていた。
「ぼくは雷だよ」
続いてもう一人が、目深にかぶっていたフードを下ろした。その頬には、稲妻の紋があった。
ユーリが目配せすると、オーバンは頷いた。
「初めて紋が現れたときは、怖くなかったかい?」
「最初は怖かったよ。
聖痕の力は、人を傷つける禍々しいものだから」
「でも、ここでは正しい使い方を教えてもらえるんだ。それでね、みんなのために使えば、神さまに許してもらえるんだよ!」
「……その力を使わず、ここを出て暮らしたいと思ったことはない?」
「外に行ったって、みんな俺たちのこと怖がるじゃん」
「ここなら、仲間もいるし。
神さまのお役にも立てるものね」
「では、違う仕事をしてみたいと思ったことは?」
「なんでほかの仕事をする必要があるの?」
雷の紋を持つ青年は、不思議そうに首を傾げた。
「ここでみんなのために力を使っていれば、いつか聖痕は神さまの加護になるんだよ。いいでしょ!」
「そう教えてくれたのは、誰?」
すると、オーバンが二人よりも先に口を開いた。
「公国では、このように紋持ちを早いうちから保護し、その力の使い方と、それを民のために用いる使命を教えているのです」
「……なるほど」
ユーリは低く答え、二人に向き直った。
「よく分かったよ。ありがとう」
「うん!」
「紋持ちのお妃さまに、よろしくね!」
二人はオーバンに促され、持ち場へ帰っていった。
「幼いうちから己の使命を悟り、誇りを持って全うする。すばらしい教育の成果ですね」
「……そうだな」
その背を見送りながら、ラウルは珍しく目元を緩めた。一方、ユーリは曖昧に頷くに留めた。
施設を出たユーリたちは、教会本部の評議の間へ案内された。鳥肌と腹の違和感が消え、ユーリはほっと息をつく。
ほどなくして、オーバンが大司教を伴って現れた。
「ローデンでのご被災、深くお見舞い申し上げます」
「ありがとうございます。
アルヴェリアの民も皆、教会の寛大なご支援に感謝しております。このご恩に報いるためにも、此度の協定を有意義なものにしたいと考えております」
「ラウル殿下の民への思いに、いたく心を打たれました。ローデンの皆さまが一日も早く心安らかにお過ごしになれるよう、私たちも尽力して参ります」
挨拶の間に協定書が並べられ、双方は向かい合って内容を確認した。
公国教会は、大規模結界崩壊時の緊急修復、災害時の術者派遣、結界・封印技術を提供する。
アルヴェリアは、穀物・保存食・薬草の提供、冬季の物流・輸送、災害時の物資援助を担う。
読み合わせが終わると、大司教が安堵したように表情を緩めた。
「我々の地は冬が長い。
特に今年は夏が短く、冬場の食糧に不安がありました。この協定は、我々にとっても大変ありがたいものです」
「有事に備え、隣国である我々が協力できる体制を築くことは、非常に合理的です」
ユーリは穏やかに返し、大司教を見据えた。
「だが、あくまでも支援は、正式な要請があった時のみとしたい。
また、自国の課題には、自ら知恵を絞り、対応する人材や基盤を整えていくのが国政の基本だと、私は考えています。
いつまでも協定をあてにしては、互いの成長が止まってしまう。それは最も恐るべきことです。
アルヴェリアとしては、本協定を恒久とするつもりはありません。
その有効期限については、互いに自立への見通しを共有した上で、改めて協議の場を設けさせていただきたい」
ユーリの言葉にオーバンは一瞬眉を寄せたが、大司教の表情は穏やかだった。
「ごもっともです。共に豊かな国づくりを目指し、協力していきましょう」
ユーリは頷くと、ラウルに目をやった。
「本協定について、今後アルヴェリア側はこのラウルに任せる」
「兄上……!」
「お前の的確な判断がなければ、本協定は実現しなかった。お前以上の適任はいないだろう」
「我々も、ラウル殿下を深く信頼しておりますよ。
公国側は、このオーバンに任せます」
戸惑うラウルに、オーバンは恭しく一礼した。
大司教は笑みを浮かべながら頷いた。
「それでは、締結のご準備を致しましょう」
オーバンが席を立つと、ラウルは小声で言った。
「……兄上、聞いておりません」
「ああ。今、言った」
ラウルが額を押さえる間に、オーバンは手のひらほどの宝珠を携えて戻った。大司教が口を開く。
「まず協定書へ署名し、その後、宝珠に力を授けます」
大司教とユーリは協定書に署名し、一滴ずつ血を落とした。王国と公国、二つの紋章が浮かび、宝珠へ吸い込まれていく。
「続いてラウル殿下、オーバンの魔力を宝珠に捧げてください」
ラウルが触れると王国紋が鈍く光り、オーバンもそれに続いた。
「最後に、双方の承認者であるお二人も、宝珠に触れてください。
これで、ラウル殿下とオーバンは、宝珠を通し連絡を取れるようになります」
「……なるほど。貴国の魔法技術は、素晴らしいな」
「恐れ入ります」
ユーリが宝珠へそっと手を伸ばし、触れた瞬間、指先に鋭い痺れが走った。思わず指を離すと、宝珠の濁りが引き、一段明るくなった。
同時に、中央に王国紋が浮かび、すっと消えた。
続いて大司教が触れると、公国紋が浮かんだ。だが、宝珠の色は変わらない。
「……ユリウス殿下は、かなり強い魔力をお持ちのようですね。属性は何ですか?」
大司教が、宝珠を丁寧に箱に収めながら尋ねた。
「さあ……。アルヴェリアでは、王族の魔力はさほど重視されておりませんので。
詳しいことは、あまり……」
「それは素晴らしい。
他国では、魔力量の多寡が王位継承に大きな影響を及ぼすことも多いと聞きます」
「そもそも、魔力量と政治力に相関はありませんから。それに、今回のように、足りないところは皆で補い合えばよいのです。
ラウルの現場を見る力と行動力がなければ、今回の危機は乗り越えられなかった」
「兄上、褒めすぎです」
「はは、頼りにしているということだ」
「本当に素晴らしいですね」
大司教は柔らかく微笑んで頷くと、協定書をユーリに、木箱をラウルの前に差し出した。
和やかな空気の中、オーバンは冷ややかな目線をユーリに向けていた。
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