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9-1.
「今日は、ここまでかな」
「えー」
「また、明日」
ユーリは、膨らんだニコの頬をツンツンと指先でつついた。ニコが顔を上げ、ユーリはその額にキスを落とす。
「……おでこだけ?」
すると、ニコがすぐにそう返してくる。
ユーリは嬉しそうに微笑んで、尖った唇に優しく口づけた。
「ふふっ、またあした」
ニコは照れたように頬を赤らめながらそう言って本をパタンと閉じると、ユーリに体を預けてきた。
そして、少しだけそわそわした様子でユーリの様子を伺ってくる。
「どうしたの?」
「ユーリに、見せたいものがあるの」
ニコは、ぴょんとソファーから降り立った。
「ほんとはね、ユーリつかれてるかもだし、あしたかなとも思ったんだけど……。
やっぱり、はやく見てほしいの!」
そう言って向かった先は、ニコの祭壇だ。
「見ててね」
ニコは、手首につけていた緑色のロザリオをそっと祭壇に供えて祈り始める。その瞬間、ふわりと祭壇を囲む小さな結界が現れた。
さらに、柔らかな緑と白金色の小さな星のような光が神像へ降り注き始めると、ニコが天井に向かって大きく手を広げる。
すると祭壇を囲む小さな結界から光が広がり、部屋全体が穏やかな星明かりに包まれた。
頭上から降り注ぐ光は、まるで星屑のように美しく、ユーリは目を大きくした。
「すごいね、ニコ。これは、一体……」
「結界の核だよ。やっとできるようになったの」
ニコは得意げにそう言うと、ユーリの方へと戻ってきた。ニコが祈りを止めても、結界はすぐに消えずに残っていた。
「核があれば、僕が祈るのをやめても少しはもつし……。僕がつかれちゃっても、ほかの人が魔力を送れば、結界が消えないで済むんだって」
「……なるほど。
ニコ一人の負担にせずに済むんだね」
「うん。ベルおじちゃんが教えてくれたの」
「それにしても……美しいな。
まるで、星空の中にいるようだ」
「ふふ、でしょ。
ベルおじちゃんもびっくりしてたし、兄さんなんか、しりもちついてたよ」
「いや、これは本当に驚くよ。
結界の光とは思えない美しさだ」
「えへへ、さっきのお話みたいでしょ」
「そうだね。
愛し合う二人は、抱き合う——ほら、ニコ。おいで」
ユーリが両手を広げると、ニコはすぐにその胸に飛び込んでくっついた。
それからユーリを見上げ、はにかみながら続ける。
「そして、おほしさまのなかで、口づけを……」
——いや、可愛い。
可愛すぎる。反則だろ、これは。
けれど、その愛らしさ以上に、ニコが自ら求めてくれたことが嬉しかった。
ユーリは幸せをかみしめながら、ニコの唇にそっと自分の唇を重ねた。
最初は軽く、一回だけ。
けれども、唇が離れるとニコが名残惜しそうな顔で見上げてくる。
だから、それに応えるように、もう一度。
そうやって繰り返すうちに、どんどんキスが深くなっていった。
「ん……」
ふと、ニコから甘い吐息が小さく漏れた。
ユーリが愛おしむように背中を撫でてやると、ニコは自分の寝巻きの胸元をぎゅっと握った。
それでも逃げずに、息継ぎの間も惜しむようにユーリの唇を追う。
わずかに唇が離れた隙に見えたニコの頬は、ほんのり桃色に染まっていた。
するとニコが、小さな声で言った。
「ユーリに、もっとさわってほしい……かも」
予想外の積極的な申し出に、ユーリは一瞬固まった。初めての"おつとめ"の時、あんなに真っ青な顔で怯えていた子が、頬を染めながらこんなにも求めてきたのだ。
「……いいの?」
思わず聞き間違いかと不安になり、そう確認すると、ニコはコクンと頷いた。
「どこがいい?」
「おなか……おなかなでなですき……」
ユーリは小さく微笑んで、寝巻き越しにニコのお腹を優しく撫でてやる。
するとニコは、さらに恥ずかしそうにしながら、
「キスも、もっとしたい……」
と、可愛いおねだりをしてきた。
——これは……マジかあ……。
今夜、これ以上、我慢できる自信が全然ないな……。
ユーリは嬉しい誤算に心の中でそう悲鳴をあげつつも、そんな心の内はおくびにも出さず、ニコに請われるがまま口づけを落とした。
するとその時、ずっと己の寝間着を掴んでいたニコの手が動いた。
ユーリのシャツをそっと掴んで、熱を帯びた瞳でうっとりと言う。
「……きもちいい」
「それなら、よかった」
「僕も、ユーリさわりたい」
「えっ」
——に、ニコラスくん? 今夜は本当にどうしたの?
あまりの積極性にユーリが狼狽える一方、ニコは思いのほか冷静に、掴んでいるユーリのシャツをついと引っ張った。
その瞬間、ニコはちらりと見えたユーリの左胸に強い違和感を覚えた。
「に、ニコ?!」
「ユーリ、これ」
「?」
ニコはすぐに違和感の原因に気がついた。
ユーリの左胸に、小さな黒い点がある。
半分浮かれていたユーリも気がつき、首をかしげた。
「ん? ほくろかな。
こんなところにあったかな……って。
えっ、ちょっ、ニコ?」
「……」
ニコは思わずユーリのシャツの襟元を大きく引き、鼻先がくっつくほど近づいて見た。
右手が黒点に近づくたびに、手首の祝紋が確かに疼いた。初めての感覚だったが、ニコはそれではっきりと悟った。
「これ、ほくろじゃない」
一見ほくろとも思えるそれは、よく見ると紋のような形をしていた。
——まさか、ユーリに、紋が?!
ニコは自分に紋が出た時のことを思い出す。
——急に冷たくなった両親。
一人で閉じ込められた奥棟……。
ごくんと緊張を飲み込みながら、ニコは慎重にユーリの胸の黒点に向かい手を伸ばした。
そして、それはニコの指先がそこにつく直前のこと。
「……!?」
突然、ユーリの胸元の黒点が大きくなり、ニコに牙を剥いた。その広がった黒い紋の一部が、今度は触手のようにニコの指先に絡みつく。
「なっ、何だこれは!ニコ、離れ……っ」
「……やっ!」
ユーリは咄嗟にニコを押し戻そうとした。
しかし、真っ黒な触手が肘までまとわりついて、ニコをユーリの方に引っぱるようにして、全く離れない。シャツを閉じようとしても無駄だった。
さっきまで小さな黒点だったそれは、今やユーリの左胸を覆うほど大きな紋へと変貌をとげていた。
「ちょっ、やだ、はなして……っ」
ニコが懸命に手で払おうとするが全く効かず、とうとう触手の先端がニコの右手首の紋に触れた。
その瞬間、ニコの祝紋が、そこへ連なる触手ごと激しく光った。
そして、吸い込まれた薄緑色の光が、黒い触手の内側から滲み始めた。
はっきりと力を吸われている感覚に、不安になったニコがユーリを見た。
ユーリは胸から生え出た触手を両腕で掴み、力を込める。途端にその指が触れたところが白金色に光った。
白金色の光が、触手を押さえるように巻き付いて行く。そのたびに触手は暴れ、ニコの腕を締めつけながら祝紋の魔力を強く吸う。
ニコは左手で触手を掴み込み、なんとか引き離そうとするがビクともしない。
ユーリの手から伸びた白金色の光は、まるで綱のように触手へと絡みついた。そして、触手の大半を包みかけた、その時。
「……っ?!」
内側から滲む薄緑色の光と、外側を覆う白金色の光に挟まれ、触手の色が黒から灰色へと変わった。
やがて、少しずつ透明に近づいていく。
——消える!
ニコがそう思った時、ユーリの左胸の紋が大きく脈打った。
ユーリは思わず「うっ」と声を上げ、触手から手を離し左胸を押さえ込んだ。
次の瞬間、突然、黒い触手が破裂するように弾けた。
その衝撃で、ニコが後ろに弾き飛ばされてしまう。
ユーリが手を伸ばしたが、寸前のところで間に合わない。
「ニコ!!!」
向こうの壁に強く打ち付けられたニコに向かいユーリが叫んだ。しかし、今度はユーリ自身が白金色の光に囲まれた。
「……しまった!」
ユーリがそう叫んだ瞬間、いつも身につけている右耳のイヤーカフが大きな音を立て、砕け散った。
「いたた……」
ニコは息を詰まらせながらやっと立ち上がり、改めてユーリに向き直った。
するとユーリは、再びニコに向けて飛びかかろうとしている新たな触手を、自身からあふれる白金色の光で懸命に押さえ込もうとしていた。
時折、ユーリの苦しそうなうめき声が響く。
とうとう白金色の光に押されるように、家具と窓が揺れ、ガタガタと大きな音を立て始めた。
ニコはうずくまるユーリに駆け寄りたい衝動を抑え、祭壇へと駆けた。そして供えてある緑のロザリオ——祭壇の結界核へ力を注いだ。
するとニコの薄緑色の結界が、荒れ狂う白金色の光を覆うように広がり始めた。
「ユーリ!」
ソファーで蹲るようにしているユーリに、ニコが声をかけた。だが、返事はない。
慌てて駆け寄ろうとすると、ユーリが顔だけを上げて、強い声で叫んだ。
「ニコ、来るな!」
緊迫したその声に、ニコの足が一瞬止まった。
白金色の光は、抜け出そうとするようにニコの結界にぶつかった。
そのたびに、火花のように弾けては消え落ちるが、広がるその勢い自体は全く変わらない。
やがて、ニコの結界ごと壁や柱をギシギシと揺らし始めた。ニコは、さらに祈りの力を強めた。
ユーリの姿は、もはや半分以上黒い紋に覆われてよく見えなかった。
「ニコ、逃げろ!」
ユーリの声が響く。
それでもニコは、逃げようとはしなかった。
結界の内側で踏みとどまり、ユーリを守るために核へと力を注ぎ続けた。
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