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9-2.
突如、東棟から発せられた強大な魔力を感知し、テオとベルナールが宮廷魔術師たちと共に駆けつけた。
王太子夫妻の部屋を開けた瞬間、皆一様に息を呑んだ。ユーリは白金色の魔力を発しながら苦しみ、ニコが薄緑色の結界で守ろうとしている。
二人の魔力が正面からぶつかるたびに、弾けて星屑のようにきらめき、結界の中で美しく舞っていた。
だが、そんな美しさとは裏腹に、事態が決して穏やかなものではないことは一目瞭然だった。
ベルナールは即座に魔術師たちにニコが作った結界核へ力を注ぐよう指示し、テオは結界のすぐそばで待機した。
ユーリは左胸を押さえひどく苦しんでいたが、ベルナールとテオの姿に気がつくと、安堵したように息を吐いた。
「ベル司祭、俺は何らかの呪いを受けているようだ」
こんな状況の中、ユーリの声は非常に冷静だった。
「……まずい、魔力制御装置が壊れた。
呪いの力に対抗しようと、俺の魔力が強く反発し暴走し始めた。あまり長くは抑えられない」
「殿下、今助けを……」
「いや、俺は後だ。
どの道、この魔力暴走が収まらない限り、誰も俺に近づけん。この呪いはニコの力を食うようだ。
ニコの方が危ない。
だから早く、ニコを早くここから引き離してくれ」
「ユーリ、やだ!」
「来るな!」
だが、ニコが駆け寄ろうとした瞬間、ユーリは鋭くそれを制した。
これまで聞いたことのない声に、ニコは思わずびくっと肩を震わせて立ち止まる。同時に、ボロボロと大粒の涙がその瞳から溢れ始めた。
ユーリはそんなニコをまっすぐに見つめながら、わずかに表情を緩めた。
「……ごめんね、痛かったよね。怪我はしてない?」
「してない。いたくない。
ユーリのほうが、ずっといたいじゃないか!」
「こんなの、大したことないよ。
ほら、泣き虫ユーリが、まだ泣いてないだろう」
「でも、でも、ユーリ……」
「愛してるよ、ニコ」
「何いってんの、今、そんなこと……っ」
「君のことを愛してるんだ、ニコ。
だからこそ、もしこの力で君を傷つけたら、もっと痛くて、痛くて、泣いてしまう。
——ううん、きっと泣くだけじゃ済まなくなる」
「ニコ」
するとその時、テオが結界の外からニコに手を差し出した。
ユーリがテオに向かい頷き、テオもまた頷き返す。
「おいで。ユーリのために、今は引くんだ」
ニコは涙を溢しながら、テオを見た。
それから唇をぎゅっと噛んで、もう一度ユーリを見た後、ようやくテオの手を取った。
そして手を引かれて結界から抜けると、そのままテオの胸にすがって「わあん」と大きな声で泣いた。
その時、黒紋のうごめきと、白金色の魔力の暴発がわずかに弱まった。
「兄さんのそばが、安心だね」
そんな中、ユーリは穏やかにそうニコに言い聞かせ、微笑んだ。
「大丈夫だよ。
必ず何とかするから……兄さんと待っててね」
ユーリがそう言い終えたところで、宮廷魔術師たちがニコに代わり、結界核に魔力を送り始めた。
「待って!」
完全に閉じられた結界はさらに厚みを増し、ユーリの姿がだんだん見えなくなっていく。
「閉じ込めるなんて、聞いてない!」
ニコはそう叫ぶと、テオから離れ結界に触れようとした。
「駄目だ、危ない」
だが、寸前のところで後ろからテオに脇の下をつかまれ、そのまま抱き上げられてしまう。
ニコは、手足を大きく揺らしながら抵抗した。
「いやだ、ユーリのこと、閉じ込めないでぇ!」
けれども、どんなにニコが暴れても、テオの身体はびくりともしなかった。
「ユーリ、ユーリぃ!」
もう影しか見えなくなってしまったユーリに向かい、ニコが懸命に呼ぶ。
しかし、何か反応を返してくれる気配がない。
もしかしたら、もう声が届かないくらい結界が厚くなってしまったのかもしれない。
テオはニコを抱き直し、しゃくりあげる背中をゆったりと撫でてやった。
ニコは涙を袖で拭った。
「僕の力で、ユーリを閉じ込めた」
そしてそう言って、また声を上げて泣いた。
「それは違うよ、ニコ」
そんな弟に、テオは優しく諭すように言った。
「お前の力で、ユーリを守ったんだ」
「うそだ。閉じ込めるとき、みんな最初はそうやって言うんだ」
「嘘じゃないよ。
ユーリは自分の魔力が暴走していると言っていた。
今はお前の結界がその力を受け止め、何とか均衡を保っているように俺には見える」
テオはそう言うと、ニコがいつも首から下げている青いロザリオに視線を向けた。
「それにお前たちは、離れていても繋がっているじゃないか。……その、大切なロザリオで」
ニコは、はっとしたようにテオの顔を見上げた。
テオが頷いてやると、首から下げているロザリオを外してぎゅっと握る。
「ユーリ……」
ニコはそう呟き、祈り始めた。
——神さま。
どうか、ユーリが無事でありますように。
ユーリをお守りください。
ユーリを助ける力を、僕にください。
ソファーにうずくまり耐えていたユーリは、ふと左腕に温もりを感じて顔を上げた。
その周囲は、淡い白金色の霞に囲まれている。
結界核がある祭壇からは、まだ薄緑色の光が伸びていた。行き場を失ったユーリの魔力が暴れるたび、ニコの結界がそれを受け止め、美しい星屑のようになってゆっくり落ちてくる。
袖をめくると、ニコと対になる青のロザリオが柔らかく光っていた。
——ああ、ニコが祈っている。
「ニコ……ありがとう」
ロザリオの温もりが、まるでニコのもののように感じた。
その時、ユーリの脳裏に、初めてニコと過ごした十二歳の夏が蘇った。
ユーリは父の勧めで、元より親しかったテオがいるヴァレンティア公爵家に避暑に行くことになった。
ニコとの出会いは、その時だった。
兄の後ろに隠れながらこちらを見つめていたニコは、目が合うとこぼれるように微笑んだ。
ニコはユーリのことを新しい友達だと喜んで迎え、山や川、それから町へと、毎日自由に連れ回してくれた。
今思えば、王太子というユーリの立場を理解していなかったのだろう。
ともかくニコは、ユーリをずっとユーリとして扱ってくれた。
ニコは使用人をはじめ、町の人々まで誰にでも分け隔てなく愛されていた。
その理由は、すぐにわかった。
ニコはユーリだけではなく、相手が誰であろうと、人をその人自身として見ていた。
相手が嬉しければ共に喜び、悲しければ共に泣く。
そんな素直さや無邪気さで人を笑顔にし、愛されていたのだ。
だからこそユーリは、突然教会に連れ去られ、亡くなったとされた婚約者のことを、この子に話したいと思った。
——この子なら、自分のかわりに、涙を流してくれるんじゃないかと思った。
だが、予想に反してニコは泣いてはくれなかった。
代わりに、小さな声でユーリに問うた。
『ユーリ、すっごくかなしそう。
なのに、どうして泣かないの?』
ユーリはわずかな落胆とともに答えた。
『俺は王太子だ。将来は、国王になる。
国王は強くなきゃいけない。
誰にも弱みをみせてはいけない。
だから、どんなに悲しくたって我慢するんだ』
するとニコは、少しだけ首を傾げ考えた。
『でもユーリ……虫、きらいだよね』
そのあまりにも突飛な返事にユーリが答えあぐねていると、ニコはどこかへ駆けて行った。
そして戻ってくるなり、ユーリの背中にヒョイと何かを入れた。背中でうごめくそれが、虫のなかでも特に大嫌いなイモ虫だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
ユーリは大慌てで取り出そうとするものの、虫が背を這う感覚が気持ち悪くて、自然と涙が溢れてくる。
ニコは、すぐに背中からそれを取ってくれた。
『なんてことをするんだ、君は!』
もはや頬を伝う涙が、恐怖なのか怒りなのかわからないままユーリが怒鳴ると、ニコは背伸びをした。そして、ユーリの頭に両手を回してぎゅっと抱き込む。
草の匂いがする小さな胸に顔を埋めながら混乱するユーリに、ニコは優しく言った。
『ふふっ、泣き虫ユーリだ。でも、今ユーリが泣いてるのは、僕がいじわるしたから』
その言葉に、ユーリは目を大きく開いた。
——婚約者が連れ去られたあの日から、ずっと我慢をしていた。
あの子には、聖痕が出た。
だから教会に行くのが正しい道なのだと、無理矢理納得しようとしていた。
だが、一度溢れた涙は、もう止められなかった。
ユーリは嗚咽を漏らしながら、ニコの小さな身体を抱きしめ返した。
『こわかったね。つらかったね。
たくさん、泣いたらいいよ。
こうしてたら、だれにも見えないからさ。
それから……僕はね、泣き虫ユーリも大好きだよ』
ニコはそんなユーリに優しく寄り添い、共に涙を流した。
ユーリは優しく光るロザリオを見つめ、小さく微笑んだ。そしてすぐに祈り返した。
——俺も大好きだよ、ニコ。
あの日から、ずっと……。
「ああ……ダメだ。これではまた、泣き虫ユーリだと言われてしまうな」
ユーリはそう呟くと、腕を上げてロザリオを目元に押し当てた。その頬に涙が一筋、こぼれ落ちた。
——こんなことで、共に歩む道を諦めるわけにはいかない。絶対に、ニコのもとに帰るんだ。
ユーリはその涙をすぐに袖で拭い、そう決意すると前を見据え、忌々しい左胸の黒紋を強く押さえた。
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