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10-1.
ユーリの左胸に紋が現れてから、数日が経った。
結局のところ、暴れない程度の魔力を常時紋に提供し、小康状態を保つしかないというのが現状だ。
魔力制御装置の助けがあるとはいえ、最終的にはユーリ自身が紋に食わせる魔力量を調整せざるを得ない。
また、いつ起こるか分からない暴走に備え、ユーリは東塔の夫婦の部屋、ニコが作った結界の中に籠もっていた。
表向きには急病による療養としたが、国王も公務に復帰できておらず、国民には大きな不安が広がりつつあった。
当然、ユーリへの面会が許される者は限られる。
その数少ない一人であるテオは、簡単な食事を持ちユーリの部屋を訪れていた。
結界を維持している魔術師たちが、緊張した面持ちで結界を開いたわずかな隙に、室内に入り込む。
後方ですぐに結界が閉じられたのを感じながら、テオはふうと息を吐いた。
ユーリの居場所は、ソファーからベッドに移っていた。上体を半分起こし、額を抑えるようにして目を閉じている。テオは、ベッド脇のテーブルにあった昨夜の軽食と入れ替えるように、朝食をそっと置いてやった。
軽食には、全く手をつけた形跡がない。
「すまないな」
「いや。まあ、少しでもいいから食べろよ」
「あぁ……そうだな」
テオは引き取った軽食の皿を応接セットの机に置き直すと、そのまま祭壇へと向かった。
結界の核となる神像の前には、生花を生けてある花瓶がある。ニコがギルと共に育てた大切な花だ。
——お花、しおれてるのがあったら取ってね。
お水を変えたら、この肥料のお粉をいれてね。
ニコに言いつけられた通り、テオは花の世話をこなした。
ニコは、ユーリに近づくと紋が活性化する恐れがあるため、この部屋に入ることを禁じられていた。
テオが水を変えたところで、ユーリから声がかかった。
「……父上の具合はどうだ」
「容体はかなり安定しつつあるそうだ。
だが、意識はまだはっきりしない時間が多く、公務への復帰はまだかかると聞いた」
「……そうか」
テオは肥料を入れ、最後に残った花を整える。
午前中のうちにニコが新しい花を見繕うと言っていたから、午後にはこの少し寂しくなった花瓶も、きっとまた華やかになるだろう。
「なら、俺もそろそろ公務に戻……」
「馬鹿を言うな、そんな身体で」
「しかし」
「公務なら、ラウル殿下が立派にこなしている」
「……ラウルが?」
「あぁ。語弊を恐れずに言うなら、皆その働きに驚いている。……ラウル殿下は、ずっと表立って政務を行ったことがなかっただろう。だから、余計に」
「……そうか」
ユーリはそう言うと、口元を緩めた。
「そうか、あのラウルが……!なら安心だな!
ゆっくり休ませてもらうことにしよう!」
その表情があまりにも嬉しそうだったので、テオもまたつられるように目尻を下げた。
「お前のそういうとこ……いいよな、本当に」
「ん?何がだ?」
「何でもない」
テオは小さく首を横に振りながら、ユーリの元へと戻った。ベッドの横にある椅子に腰を下ろし、手を付けようとしない朝食の皿をユーリに差し出し、食べるよう促す。
ユーリは、干し肉とチーズが挟まったパンを一切れ手に取ると、左胸を抑えながら慎重に口に運ぶ。
咀嚼し、飲み込む間のその表情は硬い。
当然、言葉もない。
集中力が途切れると調節が難しいのだなとテオは察し、黙ったままコップに紅茶を注いだ。
そのままパンを二切れ食べ終えたところで、ユーリが改めて口を開いた。
「テオ、この紋だが……人工聖痕ではないかと思う」
「……お前も知っていたのか」
「まあ、こう見えても王太子なんでな。
我が国の禁書は読み放題だ」
「茶化すな」
「……実は、アルヴェリアでも過去に人工聖痕の研究がなされたことがあるんだ」
「確かに、我が国は、まともに戦える魔力を持つ人間が少ないからな。戦時において、戦力の補強にと考えてもおかしくはない……か。
と、いうことは、解除する方法もわかるのか?」
ユーリは、静かに首を横に振った。
「我が国においては、その危険性から実用化に至る前に研究を打ち切った。
だから、解除方法まではわからん」
「……それは残念だが……。まあ、我が国らしいな」
「はは、だろう。だが、正しい判断だった」
「この状況でそう思えるお前が王太子でよかったよ、本当に。
ところで、ラウル殿下は知らなかったようだが」
「ああ、普通は知らない。俺は婚約者のこともあったし、ニコの隔離理由も気になっていたからな」
ユーリはそう言うと、再び左胸を押さえ息を吐いた。
「人工聖痕を付与されたのは、恐らく公国の訪問時だ。ラウルが持ち帰ったあの協定で使った宝珠だと思う。あれに触れたとき、胸が鋭く痛んだ。
協定では、俺の血判を押している。迂闊だった」
「……わかった。
その宝珠を調べたほうがよさそうだな。
ベル司祭とラウル殿下に相談するよ」
「ああ……頼む」
そこまで話すと、ユーリは瞳を閉じて呼吸を整え始めた。これ以上の会話は負担になると判断したテオが、椅子から立ち上がる。
そして、胸ポケットから封筒を一つ取り出すと、ユーリに差し出した。
それを見た瞬間、ユーリの表情が生き返った。
「ニコの手紙じゃないか!」
その瞬間、びきっと音を立て制御装置であるイヤーカフに装着された宝石が粉々に砕けた。
すぐにユーリから、目に見えるほど大量の白金色の魔力が放出され始める。
「あっ……」
ユーリは慌てつつもしっかり右手で手紙を受け取りながら、左手で枕元を探り予備のイヤーカフを装着した。
「いや封筒開く前にその魔力なんとかしろ」
「まあ、あまり気にするな」
「するだろ」
そう言いながら、ユーリは封筒を開いた。
折り畳まれた便箋を開くのに合わせ、その魔力が収まっていく。
「可愛い字だなあ。
あっ、ちょこっとニコのにおいがする」
「紙を嗅ぐな」
「ふふ、今日の香油、この前プレゼントしたやつだ」
「変態が過ぎるだろ」
「えーと、なになに……」
『ユーリ、おふろに入れてますか。
もし入れてなかったら、兄さんにからだを拭いてもらってください。きもちくて、げんきになるよ』
「……なるほど。テオが身体を……」
ユーリが、ゆっくりと視線を便箋からテオの方へ移した。テオは頭を抱えながら、はっきりと断った。
「拭かねえぞ」
ニコの手紙には、会いに行けない申し訳なさや悔しさの他に、ふんだんにユーリを気遣う言葉が並び、最後は『だいすきだよ』で締められていた。
「……ニコ、愛してる。会いたいよ」
ユーリは手紙の文字を何度も読み返しながら、そう呟いた。テオは何も言わない代わりにため息を一つこぼし、静かに部屋を後にした。
その後もラウルは、国王とユーリに代わって政務を担い続けた。
様々な案件に対する必要な決裁を下し、滞りなく国政を回していくその姿は、日に日に皆の信頼と評価を高めていった。
一方、国王もユーリも公務復帰の見通しは立たず、国内の不安は日に日に大きくなっていく。
さらに、ユーリの左胸の紋の噂がどこからか漏れ、王太子としての資質を問う声まで出始めた。
中には、聖痕持ちを保護する法案などを通したから、神罰が下ったのだとまで言う輩まで出てくる始末だ。
転機は、ある日突然訪れた。
それは、ニコの朝の祈りが終わった直後のことだった。普段はそのままニコが下がるところを、急にラウルがテラスへと姿を現したのだ。
国の窮地を救う第ニ王子の姿に、国民が湧く。
そんな中、ラウルはニコの横に並び、はっきりと宣言した。
「皆の者。このまま陛下、兄上ともに公務への復帰が見込めないのであれば、王国の安定のため、改めて私への信任を皆に問いたい」
事前の相談もなく行われたその宣言に、テオとベル司祭を含む朝の祈りに立ち会っていた臣下たち全員が顔を見合わせた。
ラウルは、ニコの肩に手を置いた。
「そして、信任された暁には、私がニコラス妃殿下を妻に迎える」
「えっ……?」
一番面食らったのは、ニコだった。
言葉を失ったまま、ラウルを見上げる。
だが、ラウルはニコを一切見ることなく、王都民を見渡すと、静かに頷きマントを翻した。
そして、そのままテラスから去っていく。
残されたニコが力なく膝をつく前に、テオがテラスへと駆けつけ、寸前のところで支えた。
同時に、警備兵たちが広場の人払いを始め、動揺したニコが皆に見えぬようテラスの前に並んで隠す。
「兄さぁん……」
ニコは兄に抱き上げられながら、不安げに兄に問う。
「僕、ラウルさまの花嫁さんにされるの……?」
テオは何も言わなかった。
いや、言えなかった。
仮にラウルが正式に王として信任され、王太子であるユーリが継承不能と認定された場合、テオの立場では政治的に止められない。
腕の中のニコが、ガクガクと震えている。
心配になって視線を落とすと、ニコの顔から、まるで奥棟にいた時のように表情が抜け落ちていた。
——この状態で、ニコが正しくラウル殿下の求婚を自分の意思で拒否できるか?……いや、無理だろうな。
テオは改めて事態の深刻さを感じるとともに、ラウルの真意が理解できずに眉をしかめた。
——あまりにも、ラウル殿下らしくない。
あの人は、ユーリを出し抜いてまで王位に執着するような人間ではないはずだ。
「……何か、理由が……?」
「テオドールさま!」
そうテオが呟いたところで、ベル司祭の声が背後から響いた。
「少し、よろしいですか?」
「ええ……取り急ぎ、私の執務室に参りましょう」
執務室に戻ると、テオはすぐにマーゴットを呼びつけた。ニコを自身の寝室に通してマーゴットに任せ、ドア続きの執務室に戻ると、座る間も惜しいといった様子でベル司祭は立ったまま話し出した。
「先ほどの、ラウル殿下のご発言ですが……」
「ええ。百歩譲って、信任のところは分かります。
ユーリも理解を示すでしょう。ただ……」
「ニコラス妃殿下の件は……」
「絶対にユーリの耳に入れてはいけません。
知ったが最後、あの魔力を全力で撒き散らしながらラウル殿下を襲います。
あいつはそういうやつです」
「全く同感です……。
しかしなぜラウル殿下は、妃殿下を……」
「そこなんです。あまりにも意味がわからない。
ニコの祝紋の力を使いたいだけなら、べつにユリウス殿下の妻のままおいておいても問題ないはずなんですよ」
話しながら、テオはギリギリと痛むみぞおちをぎゅっと強く押さえ、考える。
——ただでさえ、ユーリの紋のことで手一杯だというのに、どうしてラウル殿下まで……。
一度に問題をいくつも起こすな。一つずつやれ。
ああ、もう面倒だ。
面倒なのは、ユーリのニコに対する様子のおかしさだけで十分だ。兄弟揃っては、勘弁してくれ。
すると、その時。
「もおっ!こんなの、ぜったいおかしい!」
寝室の方から、ニコの聞いたこともないような怒りをはらんだ大きな声が聞こえてきた。
「坊ちゃま!!お待ちください!」
「いやだ!」
すぐに執務室との間の扉が開き、ニコがズンズンと大きな歩幅で出てくる。
「ニコ、どうした。おいで」
「やだ!ラウルさまのとこにいく!」
「いや、今お前が行くのは逆効果だ。
兄さんが、まず話を聞こう。
そして、ラウル殿下には俺から話を……」
「いやだ!」
ニコはもう一度強くそう言うと、ぷりぷりと怒りながら執務室の扉を乱暴に開いた。
そして、
「僕は、ユーリの花嫁さんだから、ラウル殿下の花嫁さんになんか、ならない!」
と言い残し、弾丸のように部屋から飛び出して行った。
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