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10-2.

「ニコ、待て! 兄さんの話を聞け!」 ニコは勢いよく部屋を飛び出したが、すぐに兄が追いかけてくる。 しかし、このままでは勝手にユーリの妻をやめさせられてしまうかもしれない。 捕まるわけにはいかない。 なんとしてでも、ラウルと話をして考え直してもらわなければ!   だからニコは、必死に走った。 息を切らしながら廊下を曲がる。   ラウルの部屋はすぐそこだ。 そう思ったところで、すぐ後ろからまた兄の声が聞こえた。 ——兄さん、はしるの、はやすぎ……っ。 するとちょうどその時、警備にあたっている二人の衛兵を見つけた。 「衛兵さん、たすけて!」 ニコがそう叫ぶと、二人はすぐさま剣を構えあたりを警戒した。 「妃殿下、どうされました?!」 「賊ですか?!」 すぐにニコを背に庇うように立つ二人に、ニコが力強く言う。 「あのね!兄さんのこと、ここで通せんぼして!」 「……は?」 「ぜったい、通しちゃだめだからね!」 「し、しかしテオドールさまは妃殿下の……」 「妃殿下のおねがいだよ!!」 「……か、かしこまりました!」 困惑する二人を置いて、ニコは廊下を曲がった。 そして、突き当たりにあるラウルの部屋の扉にズンズンと向かって行った。 「も、申し訳ありません。 テオドールさまをお通しすることは、できません」   すぐに追いついたテオは、衛兵二人に行く先を遮られて眉を寄せる。すると、一人が申し訳なさそうに言った。 「妃殿下のご命令で……」 「ニコが? あの子が、俺を通すなと命じたのか?」 「は、はい……」 「……」 テオは、しばし黙して考えた。 それからふっと息を吐き、静かに頷く。 「わかった。だが、ここで待たせてもらう。 ただし、何か起きれば、君たちを振り切ってでもニコのもとに駆けつける。いいな」 その言葉に、衛兵たちは安堵したように頷いた。 テオはみぞおちを押さえながら、ともかく何も起きないことだけを願った。 「ラウルさま!ラウルさまー!」 ニコは、ラウルの部屋の扉を容赦なく叩いた。 その音を聞きつけた侍女たちが慌てて止めに入る。 だが、ニコはその手を止めようとはしない。 やがて待ちきれなくなって、扉を開けようとするがびくともしない。鍵がかかっている。 「ラウルさま、いないの?」 「いえ、ご在室のはずですが……」 「……」 ニコは目をすわらせ、ラウルの部屋の扉を睨んだ。 それから、すうっと息を吸って、両手を前に出す。 祝紋がふわりと光り、魔力を纏ったその時。 「……何事だ、騒々しい」 中から扉が開き、ラウルが姿を現したのだ。 「ラウルさま!お話したいことがあるの!」 「……」 ラウルはニコと侍女たちを一瞥すると、口元をわずかに歪めた。そして、静かに返す。 「それはちょうどいい。私も、これからのことを話そうと思っていたところだ」 「これからって何? 僕が話したいのは、今朝のこと!」 ラウルは、声を張り上げるニコの肩に手を当てて、部屋の中へと招き入れた。   「今朝……?ああ、勝手に皆に話したことを根に持っているのか?」 「そうだよ!いくらなんでも、あんな……っ」 ラウルによって、扉が閉じられた。 「はは、そう怒るな。 式の日取りは、ちゃんと決めさせてやる」 「そうじゃないってば!」 「ドレスも、気に入るものを作ってやるから……」 「僕、女の子じゃないもん! ドレスなんか着ないもん!」 扉の向こうから聞こえてきた二人の親しげな会話に、侍女たちは思わず顔を見合わせた。 「さすがラウルさまですわ」 「突然の発表だったけれど、ちゃんとお二人でお話しされてるのね」 「ええ。私たちが心配することではなさそうね」 そして、侍女たちはコソコソと話しながら部屋の前をあとにした。 「ラウルさま!」 「……」 「ラウルさま!聞いて……」 侍女たちの足音が小さくなると、ラウルが突然歩を早め、部屋の奥へと向かい始めた。 置いていかれたニコが慌ててそれを追うと、ラウルは見向きもせぬまま冷たく言い放つ。 「……用が済んだなら、帰れ」 「ええっ?!」 ニコは目を丸くして、思わず声を上げた。 「なんにも済んでないよ!それに、お部屋にいれてくれたのは、ラウルさまじゃないか!」  「……では、何の用だ」 ラウルは心底うんざりした顔で、ニコに向き直った。 「どうして今朝、あんなこと言ったの?」 「……父上も兄上も伏せっている。 政務に穴を開けるわけにはいかない」 「けど、王さまもユーリも、まだ本当にお仕事に戻れないかなんて、わかんないじゃないか!」 「わからぬからこそ、万が一に備えるのは王族として当たり前のことだ。お前は、王族の都合で国民の生活を脅かすつもりか」 「うう……」 ニコは何も返せず、ぎゅっと拳を握った。 しかし、それでも負けまいとラウルを睨みつける。 「そうだとしても! 僕が、ラウルさまの花嫁さんになるのはちがう! 大体、ラウルさまにはソフィアさまがいるじゃないか!」 「ソフィアとは、とうに婚約を解消した」 「えっ!なんで?!」 「祝福の力がない。彼女では、今の国民が求める王妃にはなれないだろう」   ラウルはあっさりとそう言った。 ニコは握った拳にさらに力を込め、声を荒げる。 「ソフィアさま、すごく優しくて、ラウルさまのことが大好きなのに!……祝福の力?力がなかったら、花嫁さんになっちゃいけないの?! そんなの、おかしいよ!!」 ラウルは、何も答えなかった。 ニコの乱れた呼吸の音だけが、静かな室内に響く。 するとその時、ラウルの執務机の宝珠が光った。 同時に、 「……ラウル殿下」 という、聞き覚えのある声が響いた。 ラウルは小さく舌打ちをすると、突然ニコに迫り、腕に引っかけるようにしてひょいと抱き上げた。 「話は終いだ。もう、出ていけ。」 「やっ、はなして!」 ニコは足をバタつかせて抵抗したが、ラウルの逞しい腕はびくともしない。そうしているうちに、宝珠からもう一度ラウルの名を呼ぶ声が響いた。 ——オーバンだ!   それでようやくニコは、声の主が思い当たった。 ニコが城に来て初めてのお茶会を台無しにした、あの男だ! ——けど、なんでオーバンが、ラウルさまと……? 「いいから、出ていけ」 ラウルはもう一度そう言うと、ニコを扉の方へと運ぶ。ニコは何とかその腕から逃れようともがいたが、全く逃れられる気配がない。 とうとう目前に迫った扉に、足を当てて踏ん張りながら、ニコはラウルの腕を両手で掴んだ。 そして、勢いよく噛み付く。 「……っ!」 普段温厚なニコの予想外な行動と、鋭い痛みに一瞬ラウルが怯んだ。その隙に、ニコは思い切り扉を蹴飛ばし、その反動でラウルから逃れると、声がした宝珠の方に駆け寄る。 「あっ、こら!」 ラウルも慌てて追いかけたが、ニコはその前に椅子に飛び乗った。そして光る宝珠を両手に包むと、胸に抱き寄せる。 すると、コツンと胸に下げていたロザリオが、宝珠に当たった。 その瞬間、ロザリオと宝珠が共に一際大きく光った。 「ラウル殿下……」 もう一度、オーバンの声が聞こえた。 ニコが口を開きかけた、その時。 「んっ、むぐっ」 「……何用だ」 ラウルの大きな手がニコの口を覆った。 そして、代わりにラウルがやけに冷静な声で、オーバンに返事を返した。 『お部屋にどなたかおられましたかな?』 「……何でもない。子猫が暴れただけだ」 『おや、猫をお飼いだったのですか』 「まあな。凶暴で、こうるさくてかなわん」 ラウルはニコに噛まれた腕に目をやりながら、小さく鼻で笑った。 一方で、口を覆われたまま顔を見上げてきたニコに対し、もう片方の手の人さし指を口に当て、合図してやる。ニコがコクコクと頷いたのを確認して、そっと手を離すと椅子から降ろし、自分が座り直した。 すると、オーバンがゆっくりと話し始めた。 『信任の手続きは、順調なようですね』 「ああ。父上も兄上も政務には戻れない。 反対する者も、今のところ多くはない」 『ニコラス妃殿下についても、よいご決断でした』 「教会の推薦と、祝福の力。 利用しない手はあるまい」 その言葉に、ニコがむっとした顔で唇を尖らせた。 頭を揺らしてラウルの腕を押し、抗議する。 だが、ラウルから簡単に頭を押し戻されてしまった。   『ラウル殿下が無事信任を得、ニコラスさまを妃になさいましたら、是非私たちにもお目通りを』 ニコはさらに頬を膨らませ、今度はラウルの胸に何度も頭をぶつけてくる。見かねたラウルは小さく息を吐いた。 「……!」   そしてニコの脇を掴むとひょいと持ち上げ、膝に乗せた。ニコは一瞬戸惑ったが、落ちないようにとお腹に回された手が思いのほか優しかったので、大人しく黙って従うことにした。ラウルが口を開く。 「だが、ニコラスは兄上と神前で婚姻している。解消には時間がかかるだろう」 『そちらは、こちらで配慮いたしましょう』   ——あれ? ラウル殿下って、本当に僕を花嫁さんにしたいのかな? 二人の話を聞きながら、ニコはふと、そんな疑問を抱いた。 「確認しておく。私が王位に就けば、兄上の聖痕を解除する方法を教える。それで間違いないな」 『もちろんでございます』 「ニコラスを妻に迎えるまで待つ気はないぞ」 『心得ております。殿下の即位に間に合うよう、こちらも準備いたしましょう』 ——あ……きっと、ちがう。 ユーリのためだ。 ユーリを、助けようとしてるんだ。 王位も、僕を花嫁さんにしようとしてるのも、オーバンに言われて……? 『それから……ユリウス殿下の聖痕について、少々想定外の事態が起きております』 「何だ」 『先日の妃殿下との接触により、術式の一部に損耗が生じたようです』 「損耗?」 『ええ。一部を失ったことで、術式が自身を補おうとしている』 「そのために、兄上の魔力をより多く食っているのか」 『その可能性が高いでしょう』 「……どうすればいい」 『今は術式をこれ以上乱さぬことです。聖痕自身の修復が終われば、自ずと必要な魔力量は落ち着きます』 「……わかった」 その後二人は少しの言葉を交わし、通信を切った。 ラウルは、膝の上でうなだれているニコに気づき、思わず声をかける。   「どうした。急に威勢がなくなって……」 「……僕が、ユーリの紋を傷つけたんだ」 ニコは項垂れながら、小さな声でそう言った。 ニコの膝の上で、小さな拳がぎゅっと握られるのが見え、ラウルが眉を寄せる。   「……中途半端にこわれたから、直そうとして、もっとユーリの力をたべてる」 「そういうことだ。わかったなら、しばらく皆の言う通り兄上に会うのは控え……」 「そっか!」 ニコは思いのほか明るい声でそう言うと、ぽんと手を打った。 「じゃあ、最後まで完ぺきにこわせばいいんだ!」 「はあ?! 何故そうなる!?」 「僕、この前学校で呪いの解除について習ったんだ。でね、細かいところはよくわかんなかったから、一回おいとくけど……」 「置くな、戻せ。そこがその分野の肝だ」 「つまり、解除するためには、壊れるまで力を流せばいいんでしょ?」 「いや、その理論は大事なところをすべてすっ飛ばしてるぞ」 「うん。きっといけるよ、ラウルさま」 「どこをどうやったらその思考に至るんだ!」   ニコは、ラウルの膝からぴょんと降りた。 そしてラウルに向き直り背筋を伸ばすと、元気に言った。   「お話聞かせてくれてありがとう、ラウルさま! 僕、がんばるね!」 ニコは、そのまま大きく頷いて踵を返し、扉に向かい駆け出した。 「……待て」   ラウルはそんなニコを、思わず呼び止めてしまった。 ニコが、扉に手をかけながら振り返る。 その表情は、自信と希望に満ち溢れていた。 そしてそれを見た瞬間、何の根拠もなくラウルは思った。いや、思ってしまった。 ——この子なら、きっと兄上を救える。 ラウルは、ニコに向かい頭を下げた。   「……妃殿下、兄上を頼みます」 「うん!」   ニコは満面の笑みを浮かべて元気に頷くと、そのまま部屋を飛び出し駆けて行った。 ラウルは、その軽やかな足音が遠ざかり、やがて消えても、その頭を上げようとはしなかった。

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