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11-4.
ラウルは、小窓の向こうで幸せそうにビスケットを頬張るニコを眺めた。気づけば口元が緩んでいて、そんな自分に少し驚く。
——本当に、変わった子だ。
初めて出会った頃は、あれだけ辛辣に当たった。
兄を救うためとはいえ、妻にするとまで言った。
今だって、罪を問われ隔離されているというのに、こんな場所までわざわざやってきた。
その上、花瓶の花を替えさせ、菓子を半分押しつけ、気づけば自分までこうして笑っている。
——兄上が惹かれるのも、少しわかる気がするな。
ラウルはふっと笑って、それから口を開いた。
「……兄上を救ってくれて、ありがとう」
その言葉に、ニコは一瞬目を大きく開いた。
そして小さく首を振ると、少しだけ俯いて返した。
「ううん。ラウルさまがオーバンの話を聞かせてくれたからだよ。こちらこそ、ありがとう」
急に沈んだニコの様子が、ラウルは気になった。
「……どうした。何かあったのか」
「うん……」
だから思わずそう問いかけると、ニコはそっと右手首の袖を捲ってラウルに差し出した。
「紋が……」
「うん……。ユーリの呪いを消したあとにね、なくなっちゃったの」
ニコはそそくさと袖を戻しながら、俯いた。
「もうずいぶんたつけど、全然もどらないんだ」
「そうか……」
「だから、朝のお祈りもお休みしてて……。
他にも、祝福が必要な公務もできなくて……。
だから僕、今、何の役にも立ててないんだ……」
ニコは下唇をきゅっと噛んだ。
その表情に、悔しさがにじむ。
——こんな顔も、するのだな。
いつも能天気に笑っている印象が強いので、ラウルは尚更驚いた。
「今日ね、ハルドっていうところから来た、僕にお祈りしてほしいってお手紙を見たの」
「……ハルドか」
「知ってるの?」
「もちろん。軍事的には価値の高い土地だ。
廃止するには惜しい。
……だが、人が住むにはあまりにも厳しい」
「兄さんも、廃止した方がいいって言ってた。
でもユーリは、そこが故郷の人がいるからって困ってた」
「……何とかなればよいのだがな」
「祝福の力を使えれば、救えたかもしれないのに……。僕、やっぱり役立たずだ」
ニコは沈んだままの声でそう言うと、スンと鼻を鳴らした。ラウルはわずかに眉を寄せた。
「誰かにそう言われたのか?」
「?」
ニコがキョトンとした顔でラウルを見上げて、首をかしげた。ラウルは続ける。
「ハルドを救えないから、お前は役立たずだと。
誰かに、そう言われたのか」
「ええと……」
そこまで言われて、ニコは改めて考えた。
だが、ユーリはもちろん、テオからだってそんなことを言われたことはない。ハルドの民だって、祈ってほしいと願っただけで、自分たちを救えとまでは言っていない。
「……言われてない、かも」
ラウルはため息をついた。
「なんだ、お前らしくないな」
「けど……」
「一人で抱えても、ろくなことはない。
私がいい例だ」
ラウルがそう自嘲する一方で、ニコはずっと気になっていたことをぶつけてみることにした。
「そういえば……ラウルさまは、どうしてここに閉じ込められてるの?」
「お前……ここがどのような者が入れられるか、知らないのか?」
「罪をおかした人が入るって聞いた」
「まあ、概ね合っているな。……だからだ」
「ラウルさま、何か罪、したの?」
「……公国教会の働きかけに応じ、王位継承を巡る工作に加担したこと。それが私の罪だ」
ニコは首をかしげてしまう。
「ラウルさま、そんなことしてないよ。
確かに、オーバンとお話はしてたけど……ユーリのことを、助けようとするためでしょ」
「だとしても、やり方が悪かったんだ。どれだけ大義があっても、やり方が悪ければ罪に問われる」
「そんな……」
「そうならぬよう皆と相談し、協力を仰ぐべきだった。
一人でまっとうにできることは、とても少ない」
「……後悔、してるの?」
するとラウルはすぐに首を横に振った。
そして一度深く息を吐くと、穏やかに返す。
「後悔はしていない。
ローデンを、兄上を救えたからな。
……だが、他にもっと、うまいやりようがあったと、反省はしている」
ニコはギュッと拳を握りしめた。
「でも、ラウルさまは、僕と違っていろんなことができる。みんなの役に立てる。
こんなとこに閉じこめるなんて、ぜったいだめだ」
「私のことはよい。
……済んだことだ。覚悟もしていた。
それから、一つだけお前が言ったことで違うところがある。お前だって、いろいろなことができる。
現実に、役にも立っている」
「それは、紋があったから……」
「紋はきっかけにすぎない。それをどう使うかは持ち主……つまり、お前次第だ」
ニコが、勢いよく顔を上げる。
分かってくれたかと、ラウルが安堵の息を漏らすと同時に、ニコは首をかしげた。
「ラウルさま……。
むずかしくて、僕、よくわかんない……」
「……」
そんなニコを前に、ラウルは一拍を置いてから答えた。
「お前の価値は、紋の有り無しでは変わらないということだ」
「僕の、価値……。
ユーリも、同じようなこと言ってた。
兄さんなんか、紋はオマケみたいなものだって」
「だろうな。
だから、そんなに思い詰める必要はない。
紋がなくなったことを、こんなに気にしているのは……恐らくお前だけだ」
ニコは、ラウルを見つめながら、その小さな胸に手を当てた。
——ラウルさまなら……教えてくれるかな。
そして、一番その胸の中でつかえていた疑問を、ラウルに投げかける。
「僕……ここにいてもいいのかな……。
ユーリの花嫁さんのままでいて、いいのかな」
「それは、私には答えられない。
お前が決めることだ」
だが、ラウルはそんなニコの淡い期待に反し、はっきりと返した。
ニコは上着の胸元を握りしめながら、素直な気持ちを吐露した。
「みんながそう言うけど……何が正しいのか、わからなくなっちゃったの」
「お前が決めたなら、それが正しい。
だが、どんな選択にも必ず責任が伴う。
自分で決めたことは、自分で責任を取るんだ。
……今の私のようにね」
ニコは視線を落とし、じっと考えた。
ラウルはそんなニコを黙って見守る。
やがて顔を上げたニコの顔は、元の通り明るいものだった。
「僕……もう少し考えてみる」
「そうだな。それがいい」
「ありがと、ラウルさま」
ニコはようやく「えへへ」と笑い、ラウルもまた小さく微笑んで返した。
ちょうどその時、前室の扉を叩く音が聞こえた。
「衛兵が交代する時間だ。
お前もそろそろ戻りなさい」
ニコは名残惜しさを感じたが、ラウルの言うことを聞くことにした。またお花を届けに来ようと心に決め、前室を後にする。
「さすが妃殿下ですね」
「……え?」
螺旋階段を降りながら、前を行く衛兵が口を開いた。
「ラウル殿下は、他の方とはほとんどお話になりませんので……。元気なお声が聞けてよかったです」
「そうなんだ……。じゃあ、またあそびにくるね」
「ええ、きっとお喜びになりますよ。それから……」
衛兵はそう言うと、ほんの少しだけ口ごもった。
階段を降りる音だけが少しの間響いた後、再び衛兵が話し始める。
「恐れ多いことですが、私は妃殿下が好きですよ。
……あっ、変な意味ではありません!」
思いもしなかった言葉に、ニコが目を丸くする。
衛兵は一度だけニコを振り返り、続けた。
「なんていうか、妃殿下を拝見していると、とても幸せな気持ちになるんです。
妃殿下のお祈りも、そうです。
そしてそれは、妃殿下に祝紋があるかどうかは関係ありません。きっと、みんなそうだと思いますよ」
ニコは嬉しい気持ちを噛み締めるように、ほんの少しだけ間を置いた。
そして、少しだけ照れた様子で返した。
「……ふふっ、ありがと。
僕もね、王宮のみんなのこと、すきだよ」
一方、王宮の評議室では、公国から届いた声明を受けて緊急の評議が開かれていた。
その内容が読み上げられると、ユーリは思わず腰を上げ、机を強く叩いた。
臣下たちのざわめきが、止まった。
ユーリは黙したまま、もう一度机の上の書面に視線を走らせた。
『今回のアルヴェリア王国の王位継承への介入及び、ユリウス殿下に対する呪詛への関与は、行き過ぎた行為であったことを認める。
ただし、これらは全てオーバンの独断で行われたものであり、決して公国として命じたものではない。オーバンについては、公国においても厳正に責任を問う。
一方で、ラウル殿下が王位継承工作に加わったこと自体は、本人の意思によるものである。
したがって、公国はラウル殿下の行動について、責任を負わない』
「……余計なことを」
ユーリが舌打ちをしながら低くそう言うと、法務大臣が焦った様子で続ける。
「この声明を正式に出されてしまっては……ラウル殿下が公国側の指示によって動かされたものとして、刑を大きく軽減することは難しくなります」
「だが、オーバンに『兄を救いたければ王になれ』と迫られていたことは、分かっているだろう」
「もちろんです。そこは情状として考慮できます。
ですが……ラウル殿下が、ご自身の意思を以て王位継承工作に加担したこともまた、事実なのです」
「わかってる、その通りだ。
だが……今、それを認めてしまったら……」
「……まして公国が公式にこの立場を示した以上、ラウル殿下だけを軽く処せば、王家が身内を庇ったと受け取られかねません」
ユーリは再び机を二度叩き、そのまま俯いてしまった。いつも自信に溢れた王太子が、これほどまでに取り乱す姿を、誰も見たことがなかった。
法務大臣が、そんなユーリに重々しく続ける。
「現行法に照らせば、極刑。情状を最大限に考慮できたとしても、生涯の幽閉は免れないかと」
評議室の一同は、固唾を飲んでそんな王太子の次の言葉を待つしかない。
だが、今のユーリに、言葉を取り繕う余裕はなかった。
——分かっている。
ラウルがしたことも、それを法のもとで裁かねばならないことも。
ユーリは力なく椅子に腰を下ろして、頭を抱えた。
——俺は、ラウルを……。
弟を、処罰しなければならないのか?
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