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12-1.
王宮内の大法廷は、張り詰めた空気に包まれていた。
裁定席に座るユーリは、法廷の中央に立つラウルをじっと見つめた。
兄弟が顔を合わせたのは、あの日以来だった。
あの日、ラウルはユーリが呪いから解放されたことを確認すると、自ら法務院を訪れ、そのまま収監された。その後、ユーリは幾度となく面会を申し出たが、ラウルは一度もそれを受け入れなかった。
『必要なことはすべて供述した。
これ以上話すことはない』
それが、ラウルの返答だった。
ラウルは、落ち着いていた。
大きく憔悴した様子もない。
ユーリは人知れず胸をなでおろし、呼吸を整えると、厳かに宣言した。
「⋯⋯では、始めよう」
その時、突然入り口の扉が開いた。
皆の視線が、一気に集まる。
一拍遅れて、王妃に支えられた国王が入廷すると、法廷内の一同は目を丸くした。
にわかにざわめく中、ユーリが声を上げた。
「陛下!」
ユーリは居ても立ってもいられず、裁定席から国王の元へと駆け寄った。
「すまない、遅れたな」
そして、王妃に代わって国王の身体を支え、ゆっくりと裁定席まで付き添った。椅子に案内すると、思わず心の内が口をついて出てしまう。
「陛下、何故……。まだ、お身体が……」
「国の大事に関わる裁きを、王太子に任せるわけにはいかん」
「ですが――」
「気を悪くするな。
お前の力が足りないわけではない。
国王代理として、よくやってくれた。
おかげで、私も安心して休むことができた。
……何かあれば、お前に託せると思っている」
国王は平然とそう言うと、ユーリに目を向けた。
「だが、お前はまだ王太子だ。この裁きの責任は、国王である私が引き受けるべきだ」
ユーリは一瞬目を大きく開いたが、すぐに恭しく一礼した。そして、裁定席を国王に返し、入り口側の関係者席——ニコの隣に席を移した。
——俺は今、心からほっとしている。
ユーリは、前を向いた。
ラウルの背中越しに、粛々と審理を始める父の姿が見えた。息子の裁きだというのに、全く動じることなく臨むその姿に、ユーリは己の未熟さを自覚した。
——俺は、まだ父上には及ばない。
もっと、もっと学ばなければならない。
その時、ユーリの手に小さく温かな手が触れた。
だが、その視線はまっすぐ前を見たままだ。
——目を逸らしてはいけない。
王太子として、兄として。
身をもって自分を救おうとしてくれた弟の行く末を、しかと見届けなければならない。
ユーリは小さく頷き、再び前を向いた。
そして、ニコの手を強く握る。ニコもまた、同じようにきゅっと握り返してくれた。
改めて、国王が審理開始を告げた。
法務大臣によって、これまでの経緯が淡々と読み上げられ、その都度ラウルへの事実確認が行われていく。
「ラウル殿下は、公国側と連携し、王位継承を巡る工作に加担し、王太子殿下の地位を脅かす行動を取られました。間違いありませんか」
「その通りだ」
——ちがう!
腰を浮かし、口を開こうとしたニコの手を、ユーリが軽く引き留める。
「ニコ、待って。最後まで聞こう」
ニコはぷくとほおを膨らませたが、おとなしく座り直した。
ユーリの手を握る指に、ぎゅっと力がこもる。
それを背後から見守っていたテオが、ぎゅっとみぞおちを押さえた。
「また、王太子殿下の公務復帰が困難な場合には、自らへの信任を取り付け、王太子妃殿下を自身の妃として迎える旨を表明し、公国との交渉材料とする意向を示しました」
——それも違う!
「……ニコ」
「むう……」
危なっかしいニコの動きに、後ろのテオの顔がどんどん青ざめていく。
その後もさらに確認は続いたが、ラウルは一つとして否定することなく、静かに全てを認めた。
一通りの事実確認を終え、法務大臣は一度口を閉じた。
そして少しの間を置いた後、ラウルへ向き直った。
「一方で、ラウル殿下のこれらの行動は、王位そのものを得ることが目的ではなかったと、我々は判断しております。
公国のオーバン氏より、王太子殿下を救う条件として王位を得るよう迫られていたこと。
さらに、王太子妃殿下へ救出に必要な情報を提供したこと。そして、王太子殿下の救出が確認された後、ただちに自ら出頭したこと。これらについては、情状酌量の余地があるものと考えます」
国王は頷くと、ラウルに声をかけた。
「ラウル。
今の内容について、何か申し開きはあるか」
「ありません」
ラウルは、即座に迷いなく返した。
「どのような大義があろうとも、私が取った手段が正当化されるとは考えておりません」
その言葉に、裁定席の一段下に控えていた王妃は、俯いた。その組んだ手が震えている。
国王は王妃を一瞥し、深く息を吐いた。
それから、しばらくラウルを見つめると、静かに問うた。
「……その言葉に偽りはないな」
「ありません」
やはり、ラウルの答えには迷いがない。
国王は、手元の書面へ視線を落とし、しばし考え込んだ。法廷内に、重い沈黙が流れた。
やがて、国王は書面から目を上げた。
「法務大臣。
これらの事情をすべて考慮した上で、法の定めに照らし、どのような裁きが相当と考える」
「……極刑をもって処する必要はないものと考えます。しかし、王位継承への介入という事実は重く、終身幽閉が相当かと存じます」
にわかにその場が、ざわめいた。
そして、ラウルが頷きかけた——その時。
「……ユーリ、僕、もうがまんできない」
「えっ?」
突然、ニコは低くそう言って勢いよく立ち上がった。そして、右手を上げながら、法務大臣に向かって大きく呼びかけた。
「おじちゃーん! ちょっと待って!」
当然のように、一同の視線が一気にニコに集まる。
ユーリは呆気にとられ、後ろの席のテオは頭を抱えた。
「ひ、妃殿下、勝手なご発言は……」
「構わん。ニコラス、続けなさい」
「うん!」
ニコは元気に頷き、まずラウルの背中の方を向いた。
「ラウルさまのうそつき!
神さまは見てるんだからね!」
静まり返った室内に、ニコの声が響いた。
一同の視線がラウルに注がれた。
皆、その反応を伺っているのだ。
「……嘘などついていない」
少しの間を置いて、ラウルがため息交じりに返した。
これまで、何を言っても認めるだけだったラウルの初めての反論だった。
思わぬラウルの反応を引き出したニコの次の一言を、皆が固唾を飲んで見守る。
ニコは、そんな大勢の重鎮に囲まれながらも、全く臆することなく続けた。
「ラウルさまは、ユーリを助けたかっただけでしょ!
……悪いことしようとしたわけじゃないでしょ!」
「妃殿下。
その点については先ほど、情状として説明を——」
さすがに焦った法務大臣が、そう口を挟んだ。
けれども、ニコの勢いは止まらない。
「じょうじょう? そんなの、知らない。
だけど、それが本当でしょ!
ズルをして、ユーリのかわりに王さまになりたかったわけじゃないでしょ!」
——ちゃんと、理解してる。
ニコの頼もしい横顔に、ユーリの心が揺れた。
何もわからずに、ただ兄の後ろに隠れるだけだった子が、こんなにもたくさんの人の前で臆することなく、ちゃんと怒っている——ラウルのために、こんなにも怒っている。
だが、一方でテオはもはや気が気ではない。
——そうだ、お前は正しい。
そこまではみんな分かってるんだ、ニコ……。
でも、問題はそこじゃないんだよ……。
これ以上、場を乱すわけにはいかないとニコの背に伸ばしたテオの手をユーリが止めた。
テオと目が合うと、小さく頷く。
テオはそのまま、改めてニコの背に目を向けた。
ニコは背筋をピンと張って前を向き、テオを振り返ろうともしなかった。
テオは椅子に座り直すと、深く息を吐く。
そして、今こそ弟の成長を見守るべきなのだと、よじれるほど痛む胃を押さえながら心を決めた。
ニコの主張をこれまで静かに聞いていた国王が、冷静に続けた。
「ニコラス。
もちろん、皆もその事情を理解しているよ。
だが、動機が善意であっても、行ったことそのものの責任がなくなるわけではないのだ」
「でもみんな、ラウルさまがローデンのために公国に行ってくれたときは、えらいねってほめたじゃん!なんで、ユーリを助けようって公国にお願いするのは悪いことなの?!」
「公国に助けを求めたこと自体は、罪ではない。
問題は、王位継承という国家の行く末にまで関わることを、一人の判断で動かそうとしたことだ」
「でも、ラウルさまは早くユーリを助けたかったんだ。その時できる一番のことをしただけだよ。
……僕だってそうだ。早くユーリを助けたくて、紋の力で無理矢理何とかしようとした。
ラウルさまも僕も、ユーリのためにできる一番のことをしたかったんだ」
ユーリを助けたい、しかし正しいやり方が分からずに手を出すなと言われた。
そのもどかしさを思い出したニコは、机に手をついて俯き、ほんの少しだけ黙り込んだ。
もはや、誰もニコを止めようと思う者はいなかった。ニコのまっすぐな言葉に、少なからず心を動かされていたからだ。
やがてニコは、ゆっくりと口を開いた。
「……確かに間違えちゃうことはある。
僕だって、無理に紋の力を使っていたら、逆にユーリを傷つけたのかもしれない。
そしたらきっと、罪になったよね」
そして、今は何もなくなってしまった右手首をそっと撫でながら、ラウルの背を見つめた。
「でも、僕は違った。
それは、みんなが止めてくれたのもあるけど、ラウルさまがオーバンとの話を聞かせてくれたから……。だから正しく紋の力を使って、ユーリを助けられたんだよ」
次にニコは、国王をはじめ大臣たちを前に、必死に訴えた。
どうしても、ラウルを幽閉なんてさせたくなかった。一人で閉じ込められる悲しさや寂しさを誰よりも知っているニコだからこそ、黙ってはいられなかったのだ。
「ラウルさまが間違えたのは、一人で何とかしようとしたことだ。でも、最後はちゃんと気づいて、僕に託してくれた。
その結果、ユーリを助けられた。反省もしてる。
それなのに、ラウルさまが一生閉じ込められるなんて、絶対おかしい。
ラウルさまがいたから、ユーリが助かったんだ。
それが一番、だいじなことだよ!」
ニコがそこまで言い切ると、法廷内はしんと静まり返った。皆がニコの言葉に耳を傾けている。
次にニコは、ラウルに向かって語りかけた。
「ラウルさまは頭が良くて、すぐに何でもできる。
みんなを、誰よりもはやく助ける力があるんだ。
ねえ、ラウルさま。
その力を、もっともっとみんなのために使ったほうが、ぜったい、いいよ!
でも、ここで嘘ついてたら、一生一人で閉じ込められちゃうんだよ。本当にもう、みんなの役に立てなくなっちゃうんだよ?」
「……」
ラウルの返事はない。
ニコはもどかしさを抑えきれず、身を乗り出した。
「ねえ、ラウルさま。ラウルさま!」
するとその瞬間、ラウルの握った拳に、わずかに力がこもった。何かを思案するように目を伏せる。
そのまま、しばらく静かな時が流れた。
「ラウルさま……」
ニコが悲しげにもう一度そう呟いたその時、ラウルが顔を上げた。そして国王を見据えると、沈黙を破るように口を開いた。
「……陛下、発言をお許しいただけますか」
「許可しよう」
ラウルは頭を下げ一礼すると、まっすぐに前を向いたまま続けた。
「目的がどうであれ、私が、兄上の地位を脅かし王位継承に介入したのは事実です。
申し開きをするつもりはまったくありません。
そして私は、兄上を救おうとしたこと自体は後悔していません。ですが、そのやり方については、より適切な手段があったと、今では理解しています。
ですから、終身幽閉の刑を受け入れます。
異議はありません」
「ラウルさま……!そんな……」
その時、ラウルが初めて後ろを振り返った。
ニコの顔を見て、わずかに口元を緩めながら頷いてみせる。ニコは思わず口を噤んだ。
ラウルは再び前を向く。
ニコは視界が滲むのを懸命にこらえながら、その背中を見守った。
「しかし、もう一つ恩情をいただけるのであれば、幽閉の場を、ハルドの地としていただけないでしょうか」
その言葉に、場がざわめいた。
「ハルドだと?!」
ユーリもまた、思わずそう声を上げ立ち上がる。
だが、ラウルは淡々と続けた。
「私はハルドに留まり、この地に残りたいと願う民の幸福と発展に、生涯を捧げます。必ず、ハルドをアルヴェリアの要となる地へ育ててみせます」
「ハルドが、国の要?何を言う、ハルドは……」
「ユリウス殿下、許可なき発言はお控え願います」
「うるさい、黙っていられるか!
ハルドは、すでに集落の廃止が決まっている。
それなのに、ハルドでの生涯幽閉を望む、だと?
お前は、みすみす死ぬ気なのか!?」
「兄上。これからのハルドは、廃止すべき土地ではなくなります」
「……どういうことだ?」
そこで何かを察した国王が口を開いた。
「地図を持て」
すぐに北部と周辺諸国まで分かる大きな地図が、大法廷正面に掲げられた。
ラウルが地図を前に、続けた。
「ハルドの位置、公国の貧困地域、隣国の紛争地域、そして各国の国境をご覧ください」
「……!」
ユーリはすぐに息を呑み、目を大きく開いた。
「今回の件で、公国との関係が悪化する可能性は非常に高いです。
一方で、近年激化している隣国間の紛争も、いつアルヴェリアまで波及するか分かりません。
戦が起これば、人々は安全な土地を求めて国境を越えます。統治の空白があれば、そこへ人や武装勢力が流れ込む可能性も大いにある」
「……万が一、公国と隣国の双方から、同時に人が流れ込みでもしたら……」
「はい。ハルドを押さえておくことは、軍事的にも重要です。国境を守る我が国の軍の補給地としても活用できます」
ユーリは深く息を吐き、頭を抱えると、ラウルに向かい低く問うた。
「お前、なんでもっと早く言わなかったんだ」
「ハルドの民が、今困っていたからです。
将来の不確かな軍事的価値よりも、今を生きる民の困窮を救うべきだと考えました」
そう答えると、ラウルは目を伏せた。
そして、しばらく間をおいた後、ユーリの方を向き静かに続けた。
「……ですが、そうですね。私の中だけに留めず、皆と……兄上と、話をするべきでした」
ユーリは拳を握り、小さく机を打つと身を震わせた。ニコがそんなユーリにそっと寄り添う。
「俺は、気づけなかった——お前ほど軍事に明るくない。お前がいなければ……」
絞り出すようにユーリが放った言葉に対し、ラウルは穏やかに返した。
「兄上なら、すぐに詳しくなるでしょう。
……それに、許されるのであれば——私はハルドの地より、これまで通り兄上を支える所存です」
そしてラウルは、裁定席へと向き直ると改めて陳情した。
「どうか、ハルドの地で生きることで、この罪を償わせてください」
ニコやユーリをはじめ、一同の視線が国王へと注がれた。国王は目を閉じて、深く思案する。
長く重い時間が流れた。
誰も口を開く者はいなかった。
そして国王は、長い沈黙の末に頷いた。
「ラウル、お前の申し出を受け入れよう」
その言葉を受け、ラウルはすぐに口を開いた。
「最後に、王太子妃殿下に一つお願いがございます」
そしてニコの方を見ると、穏やかに言った。
「ハルドのために祈ってください。……祝福の力などいりません。あなたの祈りが欲しいのです」
ニコは目を大きく開き、右手首にそっと触れる。
それからふにゃりと微笑んで、いつもの通り元気な声で返した。
「うん! 祈るよ。ハルドのみんなと、ラウルさまのご無事を毎日祈る!」
ラウルは再び表情を緩めて、法廷内をゆっくりと見渡した。
ニコ。
ユーリ。
王妃。
法務大臣たち。
自分の裁きを見届けた人々。
そして最後に裁定席の国王を見ると、深く頭を下げて締めくくった。
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