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1.政略結婚は突然に-2

 婚礼衣装から着替え、控え室を出たところで、小さな影が二つ、廊下の向こうから駆けてきた。避ける間もなく、そのうちの一人がセレンへぶつかる。 「……兄上?」  弟たちが、不思議そうにセレンの顔を見上げていた。もう一人も足を止める。二人とも、くりくりした目に、父親譲りの黒い髪。日に焼けた肌は、外で遊ぶのが楽しいのだろうと思わせる。 「あ……」  なにを言えばいいのかわからなかった。 「リュシアン様、アラン様」  侍女に呼ばれると、双子の兄弟はすぐにそちらへ駆けていった。セレンはその背中を見送り、顔を上げる。  大聖堂の入口には、両親がいた。すでに帰国の準備を終えているらしい。 「お父様、お母様……」  歩み寄りながら呼んだが、二人はそのまま外へ向かっていく。セレンは少し声を張った。 「国王陛下、王妃陛下」  そこでようやく二人の足取りが緩んだ。けれど、振り返ることはなかった。 「務めを果たせ」  父王の声は変わらず低く、堂々としていた。 「お前一人の価値は、その婚姻にある。国のためだ。わかっているな」  振り返ることもなく、父はそう告げる。まるでそれが正しいことであるかのように。 「体調には気を付けなさい」  母の言葉もそう続いた。背中越しに聞こえた声は、最後にまともに言葉を交わした頃と、なにも変わっていなかった。 「……はい」  もっと。  もっと、聞きたいことや、掛けたい言葉があるはずだった。  けれどそれきり、言葉はなかった。  父も母も、そのまま外へ出ていった。背中が遠ざかっていく。追いかけようと思った一瞬、父王の言う「務め」を思い出し、セレンは踏み出そうとしていた足を、最後まで動かせなかった。  王族たちを乗せた馬車が動き始める。セレンは大聖堂の前からそれを見送った。十日前、自分もあの馬車に乗ってルミナリアを出た。あの時は、どこへ向かうのかさえ知らなかった。今は、自分だけがここに残る。  馬車が遠ざかっていく。セレンはそれが視界から消える前に目を逸らした。  呼び止める理由は、思いつかなかった。 「セレンディウス殿下」  背後から名前を呼ばれた。セレンが振り返ると、淡い金髪の男が立っていた。格式を保ちながらも過度な装飾のない衣装と、落ち着いた灰青の瞳。婚礼の儀でグランディオ王族の席にいた人物だ。  セレンは慌てて頭を下げた。 「国王陛下。あ……セレンで結構です」 「では、セレン殿下。ご挨拶が遅くなって申し訳ない。私はミハイル・オルディナス・グランディオです」  低く穏やかな声だった。柔らかい印象は、第二王子とは大きく異なる。あまり似ていないと思ったが、よく見ると先の王のものなのか、しっかりした顔立ちや目元の感じはリヴァルとよく似ていた。 「遠路はるばる、お越しいただき感謝いたします。長旅で疲れたでしょう。今日はゆっくりお休みください」 「ありがとうございます」  顔を上げると、灰青の瞳がまっすぐ自分へ向けられていた。セレンはわずかに戸惑った。十日の旅を終えてから、疲れているのではないかと尋ねられたのは初めてなような気がした。 「ところで、リヴァルは?」 「あ……もう、こちらにはいらっしゃいません」  ミハイルは周囲を見回してから息を吐いた。 「おそらく稽古場かな」 「稽古、ですか」 「ええ。時間が空けばすぐに剣を握る弟ですので。婚礼の前も戦場から戻ってきたばかりだったんです」  それで、控え室へ血まみれで現れたのか。セレンはようやく納得した。 「私は大丈夫です。……殿下には、殿下のお時間もあるでしょうから」  ミハイルの視線がセレンへ戻った。 「なるほど」  その穏やかな眼差しを受けると、胸の奥に引っ掛かったままの言葉を飲み込めなくなった。 「その……第四王女については」  ふとセレンがそう切り出すとミハイルは一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに穏やかに頷いた。 「ああ、その件ですか。突然のことで驚きはしました。しかし、ルミナリアとは今や同盟国です。婚姻のお相手が王女殿下であれ王子殿下であれ、この婚姻が両国の和平へ繋がるのであれば、それがなにより大切だと私は考えています」  ミハイルの重みのある、それでも穏やかな口調でそう言われて、セレンは静かに息をついた。 「もちろん、急な変更でしたから、リヴァルにも一応確認は取りました」  そう言ってから、ミハイルは少しだけ困ったような表情を浮かべる。 「……もっとも、実際のところは『別に』という返答でしたが」  思わず顔を上げる。  婚礼の最中も、控え室でも、感情を表に出すことなく淡々としていた姿が脳裏に浮かび、思わず腑に落ちた。あの方なら、そう答えていても、不思議ではない。  ミハイルは小さく肩をすくめる。 「もう少し詳しく話を聞いてほしかったのですが、『別に』の一言で終わってしまいましてね。ですから、どうか気に病まないでください」  困った弟を思い出しているような苦笑だった。  セレンは静かに頭を下げた。 「……ありがとうございます」  ミハイルは頷くと、少し離れたところに控えていた青年を呼ぶ。 「ノエ」 「はい」  黒髪を短く整えた細身の青年が一歩前へ出た。眼鏡の奥から向けられる視線は静かで、手には何枚かの書類が抱えられている。 「私はノエ・リーチェと申します。リヴァル殿下の近侍であり、この国の参謀です」 「よろしく、お願いします」 「ノエにお部屋までご案内させます。城内については後日改めて案内させましょう」  ミハイルはそう言ってから、改めてセレンを見た。 「わからないことがあれば、なんでも尋ねてください。改めて、グランディオへようこそ。セレン殿下」 「……はい。ありがとうございます、国王陛下」  返事が遅れた。それでもミハイルは、にこやかに笑い返した。

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