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2.自由の使い方-3

 やがて食事を担当している使用人が、恐る恐る近付いてくる。 「王妃殿下、お食事はすぐに別途ご用意いたしますので、少々お待ちくださいませ」 「別途?」 「はい。王妃殿下にお出しするものを」  セレンは周囲の卓を見る。兵士たちの前には、みな同じ料理が並んでいた。黒パンと、野菜の入ったスープ。それから煮込んだ骨付き肉と、茹でた豆。部屋へ運ばれてくる料理に比べればずっと簡素だったが、肉はセレンの普段の食事より少し多いように見える。 「皆様と同じもので構いません」 「で、ですが」 「こちらを食べに来ましたので」 「……かしこまりました」  使用人はまだ戸惑っていたが、やがて諦めたように頭を下げた。  ほどなくして、盆に載せられた食事が運ばれてくる。セレンの前へ置かれた瞬間、白い湯気がふわりと立ち上った。 「……」  温かい。それに、いい匂いがする。部屋まで運ばれてくる料理は、湯気も香りも立っていなかった。けれど胸いっぱいに広がる調味料と素材の芳醇な香りに、腹の虫がぐるると鳴った。  セレンはわずかに身を乗り出し、匙に手を伸ばす。  その時、配膳を担当した使用人に声を掛けられた。 「お待ちください!」  セレンは顔を上げる。食事を運んできた使用人が、青ざめた顔をしていた。 「毒味がまだでございます」 「毒味?」 「ただいま毒味役を呼んでまいりますので、どうかそのまま──ああっ!」  使用人が言い終えるより先に、セレンは匙ですくったスープを口へ運んでいた。 「……」 「……」  食堂が再び静まり返った。セレンはゆっくり飲み込む。根菜の甘みと、塩気の強い肉の出汁が口の中に広がった。……熱い。思っていたよりもずっと熱くて、セレンは思わずほう、と息をついていた。 「……美味しいです」 「殿下あぁ!」  使用人が悲鳴に近い声を上げる。セレンはそこでようやく匙を止めた。 「はい」 「ど、毒味を!」  そういえば、そんな話をしていた。 「ですが、皆様も同じものを召し上がっています」 「そういう問題ではございません!」 「そうですか?」  随分強く言われた。セレンは匙を持ったまま、周囲を見る。兵士たちも一様に頷いている。 「……申し訳ありません」  どうやら自分が悪かったらしい。セレンは大人しく匙を置き、眉尻を下げた。一度口にしたスープからはまだ湯気が立っている。早く食べなければ、冷めてしまう。そう思ったが、今度は口にせず、毒味役が来るのを待つことにした。  しばらくして安全が確認されると、セレンはようやく食事を再会する。スープはまだ温かかった。黒パンは少し硬かったが、浸せば柔らかくなる。肉は部屋で出されるものほど丁寧な盛り付けではなかったが、厚く切られていて、味もよく染みていた。食べ応えのあるそれを、セレンは黙々と食べた。  ふと顔を上げる。少し離れたところから、兵士たちがまだこちらを見ている。 「……皆様は、召し上がらないのですか?」  その一言で何人かが慌てて空いた席へ戻り、食事を再開させた。ただし、セレンの両隣だけは最後まで空いたままだった。どこかから咳払いが聞こえた。セレンには、その理由がよくわからなかった。  それからというものの、セレンは時折、昼食を食堂で取るようになった。  毎日ではない。朝から本を読んでいて出る機会を逃した日や、行くほどでもないと思った日はこれまで通り部屋へ運ばれてくる食事を取った。それでも、三日に一度、二日に一度と食堂へ足を運ぶうちに、入口にセレンが立っただけで食堂中が静まり返ることはなくなった。  食事も変わらず、兵士たちと同じものを頼んだ。黒パンにスープ。煮込んだ肉や焼いた魚。それに豆や根菜が添えられている。時折林檎のパイや、果実酒を使ったケーキがついてくることもあった。  どれも部屋へ運ばれてくる料理より簡素だったが、温かかった。 「王妃殿下、本日もこちらで?」 「はい」  最初に比べれば、食事を担当する使用人の返事も随分と落ち着いたものになった。それでも席に着けば、両隣にはなんとなく一つずつ空席ができる。なぜなのかは、いまだによくわからなかった。  その日は、肉と(かぶ)を煮込んだものが出された。 「今日はよく煮込まれておりますよ。昨晩から仕込んでおりますので」  盆を置きながら使用人が言う。 「それは……楽しみですね」  答えてから、セレンは不思議に思った。食事を楽しみにするという感覚を、自分が持っていることに気付いたからだった。毒味が終わるのを待ち、匙を取る。口へ運ぶと、柔らかくなった肉が舌の上でほろほろとほぐれた。 「美味しいです」  そう言うと、使用人がどこか満足そうに笑った。セレンもまた、いつの間にか口元に笑みが浮かんでいた。  食事を終えると、盆を返して自室へ戻る。その途中、窓の外へ目を向けることも増えた。  南国ルミナリアとは違い、グランディオの冬は長い。空は白く曇っていることが多く、庭を彩る植物も少ない。それでも、晴れた日には雪の残る山々が遠くに見えた。  知らない景色だった。  ふと、脳裏にあの不機嫌そうな顔の、黒髪の青年が過ぎった。婚礼の日、その晩に訪ねて来てからは言葉を交わすことも、顔を合わせることもなかった。それでもあの時、こちらを真っ直ぐに見つめる赤い瞳はいつまでも印象に残っている。  ……ちゃんと食事は召し上がっているだろうか。無事だろうか。怪我はしていないか。眠れているだろうか。  そう考えたあとで、セレンははっと我に返った。塔にいた頃は、自分以外の誰かを案じながら窓の外を眺めたことなどなかった。いつの間に窓枠に置いていた手を離し、そっと距離を取る。  そうしてまた遠くの景色を眺めたあとで、また歩き出した。  それだけのことだったが、部屋と食堂を往復する時間は、いつしかセレンの一日の一部になっていた。塔にいた時とは少しだけ、けれど明らかに違った。  夜になると、セレンは魔石灯の下で日記を開いた。その日あったことを、いつものように簡潔に書き記していく。  朝は曇り。  昼、食堂へ行った。肉と蕪の煮込みが出た。温かく、美味しかった。窓から山が見えた。  そこまで書いて、筆を置く。  以前の日記には、弟や妹たちの話を書くことが多かった。今日は誰が乗馬を習った。誰が教師に叱られた。誰の誕生日だった。そんなことを、窓の外から聞こえてきたおしゃべりな従者たちの会話を聞くのが好きだった。  けれどグランディオへ来てからは、それを書くことができない。代わりに少しずつ、自分の一日を書くことが増えていた。  セレンは書き終えた(ページ)を眺めたあとで日記を閉じ、机に置いた表紙をそっと撫でた。

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