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3.果実と熱-1
数日が過ぎた頃から、北国の寒さはいっそう厳しくなった。
朝、窓を見ると、硝子の端が白く曇っている。セレンは肩に上着を羽織り、窓辺の魔石暖房へ目を向けた。内部には赤みを帯びた魔石が収められていて、部屋全体を暖めてくれている。他の部屋には暖炉もあるようだったが、セレンの部屋にはわざわざ薪をくべなくてもいいよう、強力なものを一つ備えてくれているらしい。便利なものだった。
ただ、魔石に蓄えられた魔力には限りがあると聞く。交換には費用も手間もかかるのだろう。セレンは少し考えて、出力を一段階落とした。
塔にいた頃も、冬になれば寒かった。それに比べれば、石造りとはいえ隙間風の少ないこの部屋はずっと過ごしやすい。
その日の午後、部屋を訪れた使用人が首を傾げた。
「王妃殿下。少々、お寒くございませんか? ……暖房を強くいたしましょうか」
「いえ、このままで構いません。十分温かいですから」
そう答えると、使用人はそれ以上なにも言わなかった。
数日後の朝、目を覚ました時、セレンは喉に小さな違和感を覚えた。
「……?」
何度か唾を飲み込むと、少し痛い。声が出しづらい。それでも、水を飲めば、いくらか楽になった。セレンはいつも通り寝台を整え、顔を洗った。朝食を取り、昨日洗っておいた衣服を畳む。昼になって食堂へ行こうと扉の前まで来たところで、身体が妙に重く、すぐに息が上がることに気付いた。
「……」
今日は、やめておこう。無理に行く必要はない。セレンは使用人へ食事を頼み、その日は部屋で昼食を取った。
翌日も、食堂へは行かなかった。次の日も、その次の日も。
咳が出始めたのは、それからだった。
「こほっ……」
本を読んでいる途中、セレンは咳き込む。一瞬口元を抑える。今度はこほこほと立て続けに咳が出た。……さっきより身体が重い。セレンは本をしまった。少し休めば治るだろう。そう考えて寝台へ入り、セレンは目を閉じた。
けれど翌朝になっても、身体の重さは消えていなかった。額に触れてみると、少し熱いような気もする。だがだからといって、どうするということもなかった。
ふと、食事を運んできた使用人が、寝台にいるセレンを見て心配そうに眉を寄せた。
「王妃殿下? お加減が優れないのですか」
「……いえ、少し、喉を痛めただけです。なんともありません」
話しづらい喉でそう言うと、使用人は怪訝な顔でセレンを見る。それからすぐに侍女長を呼んできた。戻ってきた二人はセレンを顔を見て、それから顔を見合わせる。
「医師をお呼びいたしましょうか。熱はございますか?」
改めてそう聞かれると、困る。
「どうかお構いなく。……ルミナリアでは、いつもこうでしたから」
そう答えるも、使用人はまだ心配そうにしていた。けれど侍女長が使用人にそっと耳打ちをする。声が聞こえてくる。
「南国と北国では気候も違います。王妃殿下がおっしゃるのであれば、ルミナリアにはその土地なりの養生法があるのかもしれません」
小さなその声に使用人は「ああ」と納得したように頷いた。そうして、二人は部屋をあとにする。
「なにかございましたら、すぐにお呼びください」
「ありがとうございます」
去っていく使用人二人に、セレンもまたぺこりと頭を下げた。医師を呼ぶほどではない。そもそも、これくらいのことで人の手を煩わせる必要もない。セレンはそう判断した。
それから数日、セレンはほとんど寝台の上で過ごした。食事は運ばれてきたが、以前ほど食べられなくなった。
洗濯物が溜まれば、自分で洗った。途中で息が上がり、浴室の壁へ手をつくこともあったが、少し休めば動けた。窓辺の机には、読みかけの本が置かれたままだった。頁を開いても文字がうまく頭に入ってこないため、いつしか本を読むことも諦めた。
代わりに、日記だけは書いた。
曇り。食堂へは行かなかった。少し咳が出る。
翌日。雪。体調変わらず。
その翌日は、日付を書いただけで終わった。
どれほど眠っていたのか。ある朝、遠くから馬の嘶きが聞こえた。続いて、いくつもの蹄が石畳を踏む重い音が響いてくる。
わずかに伝わってくるその振動と沸き起こる歓声に、セレンは薄く目を開けた。
「……?」
どこかで聞いたことのある音だった。しばらく考えて、寝台の上で身体を起こす。途端に頭が重くなり、セレンは額を押さえた。
それでも気になって、寝台を降りる。窓までのわずかな距離が、いつもの何倍も遠く感じられた。
ようやく窓枠へ手をつき、そっと外を覗く。
城門から、兵士たちが次々と入ってくる。外套は一様に泥に汚れ、馬も人も疲れているように見える。その上空を、一羽の鷹が大きく旋回していた。
そして、その先頭近くに黒い馬が見えた。セレンは目を細める。黒い外套に、短い黒髪。遠くからでも、すぐにわかった。
「リヴァル殿下……」
夫が、帰ってきた。最後に姿を見たあの朝から、もう一月近く経っている。
無事だった。そう思った瞬間、くたりと力が抜けた。安堵のような心地が広がったのは、顔見知りが帰ってきたからだろう。
もう少し近くで見ようとして、さらに窓へ身体を寄せる。その時、冷たい硝子に触れた指先が震えた。
「……っ、寒い」
そんな言葉が口から零れてから、セレンは瞬きをした。
窓の外では、帰還した兵士たちを迎えるため、大勢の人間が広場へ集まっている。リヴァルの姿は、すぐにその中へ紛れて見えなくなった。
セレンはしばらく窓辺に立って夫の姿を探したが、やがて身体の重さに耐えられなくなり、寝台へ戻った。
今日か、明日にでも会うことになるのだろう。その時は、帰還を祝う言葉を伝えなければならない。なにを言えばいいのだろう。
考えているうちに、再び瞼が重くなっていく。
もう少しだけ、寝ていよう。
セレンは薄い掛布を胸元まで引き寄せた。
遠くではまだ、帰還した兵士たちを迎える声が聞こえていた。
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