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3.果実と熱-3
その日の午後、リヴァルは厨房の使用人に作らせた菓子を持って、再びセレンの部屋を訪れた。兄王への報告をノエに任せたところ、ノエに「では殿下が王妃殿下にこれを届けてください」と押し付けられた。面倒だと思いながら階段を昇り、リヴァルは再びセレンのもとを訪れる。
リヴァルが部屋に足を踏み入れると、セレンは寝台の上で身体を起こした。
「食え」
そう言って、寝台横の卓へ皿を置く。
「これは……」
透明な器には、果実を固めた柔らかな菓子が入っている。その隣には、小さな花蜜糖の焼き菓子が添えられていた。
「ガルドが、食えるものを食わせろと言ったからな。こちらで用意した」
「わざわざありがとうございま……殿下?」
「なんだ」
リヴァルは匙を取ると、果実のゼリーをすくってセレンに突き出した。セレンは不思議そうな顔でリヴァルを見上げている。セレンの薄い唇がぽかんと開いた隙に、リヴァルはそこにすくったゼリーをねじ込んだ。セレンは一瞬慌てたのち、口に入ったゼリーをもぐもぐと咀嚼する。リヴァルが新しくすくおうとした時、突然セレンがぱたぱたと手を振った。
「じ、自分で食べられますから、大丈夫です」
「……そうか」
「はい。あっでも、お気持ちはありがたいです。お気を悪くされましたら申し訳ございません。ごほっ、ごほ」
一気に喋る物だからセレンは咳き込んだ。それでも自分で食べるというので、リヴァルはもう一度「そうか」といい、セレンに皿と匙を渡した。
「看病とはこういうものだと聞いていたが」
「え?」
「なんでもない」
セレンが匙を取り、果実のゼリーを小さくすくい、口へ運んだ。熱で薄く色付いた唇に、瑞々しい果実がつるりと消えて行く。妙に目が離せなかった。熱で弱っているからだろうか。じっと見ていることを自覚して、リヴァルは思わず顔を顰めた。
しばらく食べているのを見ているうち、熱で苦しそうだった表情がほんのわずかに柔らかくなる。
「……美味しいです」
「そうか」
「これは、どちらの国のお菓子でしょうか」
セレンはリヴァルを見上げる。リヴァルはつい首を傾げた。
「お前が結納品で持ってきたものだ。ルミナリアの食い物なんだろう」
セレンはもう一度、器の中を見た。まるで初めて見るもののように見つめたあとで、「あ……」と口を開く。
「そうでしたか」
しばらくして、ようやく納得したように小さく頷いた。
「知らなかったのか?」
「いえ。おそらく、以前にも口にしたことはあるのだと思います」
「おそらく?」
「ひ、久しぶりに口にしたもので、失念しておりました」
「……」
リヴァルの眉がぴくりと動いた。
なんだ、この違和感は。
自国の食い物だ。しかも王族への結納品として持たせるほど、ルミナリアでは代表的なものなのだろう。それを、この男は味すら忘れていた。懐かしむ様子もない。故郷を思い出して喜ぶでもなければ、帰りたいと言うでもない。ただ初めて食べる異国の菓子と同じように「美味しい」と言っただけだった。
リヴァルは寝台の上のセレンを見た。
王族なのに近侍がいない。病を一週間放置する。暖房用の魔石を惜しむ。自国の菓子の味さえ忘れている。
それなのに、肝心の本人はそのどれにも疑問を持っていない。
婚礼の日からなんとなく感じていた違和感が、少しずつ形を持ち始める。
──こいつは、なんだ。
リヴァルは腕を組みながら、黙々とゼリーを食べるセレンを見ていた。
セレンの熱が下がったのは、それから数日後のことだった。咳もほとんど出なくなり、食事も以前と同じ程度には取れるようになった。ガルドからも、もう寝台に縛り付けておく必要はないと言われている。
なら、これで一件落着だ。
そう思っていたリヴァルだったが、一つ片付いていない問題が残っていた。
「お前に近侍を付ける」
セレンの部屋を訪れ、そう告げる。窓辺の椅子に座っていたセレンは、読んでいた本から顔を上げた。灰色の髪がはらりと肩から零れる。
まだ病み上がりだからか顔色は完全には戻っていない。それでも寝込んでいた時よりは随分ましだった。
「……必要ありません。身の回りの世話は、一人でできますので」
即答だった。リヴァルはすかさず言い返す。
「できていないだろう」
思わず低い声でそう言った。
「一人でできる奴が、一週間も風邪を拗らせるか」
「それは……」
「水差しは空で、薬もない。部屋は寒い。食事もろくに食ってなかっただろう」
こんなに呆れたのは初めてだった。寝坊した新兵に喝を入れるような心境でリヴァルは淡々と話す。
「あれは、たまたま体調を崩しただけで」
だがセレンは動じなかった。
「その体調を崩した時にどうにもできてなかったと言ってるんだ」
リヴァルはだんだん苛立ってきた。なぜこんな当たり前のことを説明しなければならないのか。
「普段は問題ありません。掃除も洗濯物も、自分でできます」
「普段の話はしてない」
「ですが、わざわざ私一人のために人を置いていただく必要は──」
「ああ、もういい」
話が進まない。これは新兵を鍛えるより難しい。なんでこいつはああ言えばこう言う。リヴァルは片手で頭を掻いた。
「とにかく付けろ。また倒れられたら迷惑だ」
それで話は終わりだというように、強引に言い切る。
セレンはしばらく黙っていた。迷惑。その言葉なら理解できたらしい。わずかに視線を落としたあと、今度は反論しなかった。
「……承知いたしました」
「最初からそう言え」
「申し訳ありません」
セレンは素直に謝る。まるで自分がとんでもない悪さをしたかのように。……調子が狂う。
リヴァルは息を吐き、扉の方へ視線をやる。
「入れ」
声を掛けると、扉が静かに開いた。いつからそこにいたのか、黒髪の人影が音もなく部屋へ入ってくる。
ヤオだった。年齢は知らない。聞いたこともない。見たところ自分よりいくらか上か同じ程度にしか見えないが、実際のところはよくわからなかった。
元は兄が遠征で拾ってきた、異国の流民だった。現在はリヴァル付きの近侍見習いとしてノエの指導のもとで働いているが、口数は極端に少ない。だが言われたことは正確にこなし、余計なことはしない。気配を消すのが妙に上手く、気付けばすぐ後ろに立っていることがあるのだけは少々気に食わない。
だが、セレンも必要以上に喋る人間ではない。お互い異国の者、静かな者同士、案外馬が合うかもしれない。
「こいつを……ヤオをお前に付ける。言葉遣いはまだ慣れていないが、仕事は確かだ」
セレンがヤオを見る。ヤオもセレンを見る──細い目なので、本当に見ているのかはわからない。
「ヤオです」
短い自己紹介だった。セレンは椅子から立ち上がり、頭を下げる。
「セレンディウス・シエル・フォン・ルミナリアと申します。よろしくお願いいたします」
「よろしく、お願いします」
ヤオも同じように、いや、セレンよりも深々と頭を下げる。けれど、それだけだった。
「……」
「……」
会話が終わる。二人ともなにも言わない。
……果たして本当に合うのだろうか。リヴァルは急に不安になった。だが少なくとも、騒がしくなることはなさそうだった。
「ヤオ。こいつがまた暖房を勝手に弱くしたら戻せ。食事を抜いていたら食わせろ。体調が悪そうならガルドを呼べ」
「承知」
「殿下」
セレンが困ったように口を挟んだ。
「そこまでしていただかなくても」
「やかましい。お前は黙って世話されてろ」
「……はい」
セレンがしゅんと肩を落とす。ようやく大人しくなったようだ。
リヴァルはそれで満足して、部屋を出る。扉を閉める直前、なんとなく中を見る。セレンは再び窓辺の椅子へ座っていた。ヤオはその少し後ろに立っている。
どちらも喋らない。静かだ。あまりにも静かだった。
……やっぱり人選を間違えたかもしれない。
本当に大丈夫か。
そう思ったが、もう決めたことだ。
リヴァルは考えるのをやめ、そのまま執務室へ向かった。
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