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4.疑惑-3
半刻ほど経った頃、再び扉が叩かれた。
セレンはすでに荷物をまとめていた。処分が決まれば、すぐに部屋を出られるようにするためだった。
「その……ルミナリアへの影響は。同盟は」
入ってきたリヴァルとノエへ、真っ先にそう尋ねる。リヴァルは答えず、ノエが預かっていた日記と戦術書を差し出した。
「問題となるものはありませんでした。この本に記載されているのは旧式の戦術で、現行戦術との互換性は低い。日記も、こちらへ来られてからは天候や食事、日々の生活についてのみ。それ以前は、ご兄弟に関する記述がほとんどです」
「大したことなかったな」
リヴァルの言葉に、セレンはようやく息をついた。よかった。
ほっと胸を撫で下ろしたのも、つかの間、リヴァルが自分を疑うのがあまりにも早かったことに気が付く。
「なぜ、私がそのようなことをしていると……」
そう言うと、ノエは一瞬口を噤んだ。そしてリヴァルの方へと視線を向ける。リヴァルは壁に寄りかかったまま、「話せ」とだけ言った。
「以前、殿下と婚姻関係にあった方が、我が国の情報を他国へ流そうとしたことがありまして」
「……そうだったのですね。その方は、今は」
「処分した」
リヴァルは淡々と答えた。
過去に聞いた噂が蘇る。
婚約者を激しい寵愛でなくした、と。あの噂の真意は、このことなのだろうか。セレンは気になったが、それ以上聞かなかった。
ふと、リヴァルが寝台の脇へ目を向ける。
「その荷物はなんだ」
「処分を決めるとおっしゃっていましたので、すぐに出られるように」
「どこへ」
「……わかりません」
「わからんのに荷造りしたのか。無実なんだろう」
リヴァルの眉間に皺が寄る。セレンはますます肩を竦め、小さくなる。
「疑って、悪かった」
「いえ。寛大な御心、感謝いたします」
「……なにが寛大なんだ」
「処分なさらずにいてくださったことです」
「なにもしてないんだから、処分する理由がないだろ」
「……はい」
噛み合わない返事に、リヴァルはしばらくセレンを見た。
「ルミナリアでの扱いは、本当なんだな。近侍がいなかったのも、菓子を知らなかったのも、家事を自分でしてたのも」
「……はい」
「第一王子なのにか?」
改めて問われると、情けないような、恥ずかしいような心地がした。
「なにか欲しいものがあれば言え」
「え?」
セレンは思わず顔を上げた。
「詫びだ」
「詫びだなんて。欲しいものなど、そんな……」
言いながら、返された歴史書を見る。図書室には、まだ読みたい本がいくつもあった。けれど、それを口にしてよいのかわからない。迷っているうちに、リヴァルは立ち上がる。
「なら、考えておけ」
リヴァルはノエを連れて部屋を出ていった。
翌日、セレンは借りていた歴史書を返しに図書室を訪れた。
「次はどちらになさいますか?」
昨日は、端からすべて読むつもりだった。目を向ければ、次に借りるはずだった本がすぐそこにある。
「……今日は、結構です」
「さようでございますか」
「はい。ありがとうございました」
セレンはなにも持たずに図書室を出た。途中で振り返ろうか迷ったが、結局、振り切るように足早に部屋まで歩いた。
次の日も、その次の日も、セレンが新しい本を借りることはなかった。
それから数日が経っても、セレンが図書室へ足を運ぶことはなかった。部屋で過ごす時間が増え、読むものといえば、ルミナリアから持ってきた一冊の戦術書だけになっていた。何度も読み返して、ぼろぼろになりかけている本だった。
その日の午後も窓辺で本を開いていると、扉が叩かれた。入ってきたリヴァルは、セレンの手元を見るなり眉を寄せた。
「お前、またそれ読んでるのか」
「はい」
「前にも読んでただろ。図書室はどうした」
セレンは頁を押さえていた指を離した。
「先日、お借りした本は返却しました」
「それは聞いた。次は」
「借りておりません」
「なんでだ」
当然のように問われ、セレンは答えに迷った。図書室へ行くことを禁じられたわけではない。それどころか、疑ったことについてはリヴァルから謝罪まで受けている。
「……また、疑念を抱かせてしまってはいけませんので」
「は?」
「政治や戦術に関する書物を読もうとしたことが、疑われる原因になったのであれば……控えた方がよいのかと」
リヴァルはしばらく黙っていた。けれどややあって、彼は口を開く。
「俺が疑ったのは、俺の判断だ。お前が本を読んだことが悪かったわけじゃない。疑いは晴れた。だったら終わりだ」
言い切られても、セレンの中では簡単に終わらなかった。一度問題になったことを、もう一度繰り返してよいのかわからない。
リヴァルが窓辺まで歩み寄る。
「読みたいのか、本」
セレンは膝の上の戦術書を見る。読み慣れた一冊の向こうに、あの日見た書架が浮かんだ。まだ知らない歴史も、土地も、戦術も、数えきれないほど並んでいた。
「……読みたい、です」
「なら読め。当てつけみたいでイライラする」
そう簡単に返され、セレンは顔を上げた。言い方には棘があったが、その言葉自体は優しかった。
「以前、欲しいものを考えておけと言っただろ」
「はい」
「それでいい。閲覧許可を出す」
「……戦術書も、ですか? ですが、あそこはグランディオの王族と士官のみと」
「お前は俺の王妃だろうが」
返す言葉が見つからなかった。
「行くぞ」
「今からですか?」
「読みたいんだろ」
促されるまま、セレンは戦術書を置いて立ち上がった。
図書室へ着くと、リヴァルは例の制限区域まで迷わず進み、司書へセレンの閲覧を許可するよう告げた。それだけ済ませると、書架にはろくに興味も示さず壁際に立つ。
一方のセレンは、数日前に引き返した場所へ恐る恐る足を踏み入れた。戦史、軍制、兵站。そのさらに奥に、戦術論が並んでいる。
どれにしようかと悩んだ末、セレンはふとリヴァルへと振り返った。
「……殿下。二冊、お借りしてもよいでしょうか」
「好きにしろ」
「……三冊は」
「何冊でもいい。好きなだけ読め」
セレンは少し考えてから、後ろに控えているヤオを見た。
「全部持っていこうとするなよ」
「しません」
リヴァルに釘を刺され、セレンは慎重に悩みながら本を選ぶ。
最後の一冊、書架の一番上の棚にある本に手を伸ばした時、わずかに手が届かないことに気がついた。
「んっ……」
精一杯背伸びして手を伸ばす。決して小柄なそうではないが、あと拳ひとつ分ほど足らない。諦めたセレンが踏み台を探そうとしたその時、突然目の前が翳った。
「これか」
上から低い声が聞こえて、はっと目を向けるとリヴァルがセレンの頭上にある本をひょいと取り上げた。「ん」とぶっきらぼうに差し出された本を見て、セレンはぽかんと口を開ける。
「殿下、申し訳ありません、その隣の本です……」
「チッ」
舌打ちが聞こえた。セレンがきゅっと肩を竦めると、リヴァルは再度書架に本を戻し、セレンの求めていた本を取ってくれる。
「あ、ありがとうございます」
リヴァルはあしらうように鼻を鳴らす。相変わらず素っ気なかったが、セレンに本を渡す仕草は妙に丁寧だった。
腕の中に収めると、三冊ぶんの重みが伝わってくる。ゆるゆると熱いものが込み上げてきて、涙腺が緩みそうになる。
帰り道、三冊を抱えたまま歩くセレンを見て、リヴァルが横から言った。
「それで詫びは済んだな」
「はい。ありがとうございます、殿下」
思わず声が弾んだ。リヴァルは一瞬面食らったように瞬きをし、「……別に」と一言呟いて俯いた。
その時ふと、セレンは彼の耳が赤くなっていることに気が付いた。
──気のせいだろうか。
そう思ったが、確かめる間もなくリヴァルは「じゃあな」と言って去って行った。
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