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5.ペン先と魔法-1

 その日の夜。セレンは寝静まった城の中、部屋でまた日記を書いていた。ヤオももう自室に戻った頃だ。  ふと、机の上でペン先が紙を引っかいた。書きかけの文字から細い線が逸れ、漏れ出たインクが歪なシミを作った。セレンはペンを持ち上げる。先端を確かめると、ほんのわずかに欠けていた。 「……どうしましょう」  替えは残っていなかった。ルミナリアから持ってきた荷物に入れていた予備も、使い果たしてしまった。  どうしよう。  セレンは考えた。もしかしたら城に用意があるかもしれない。セレンは朝を待って、それからノエを探して城内を歩いた。  幸い、執務室へ向かう途中の廊下で書類を抱えたノエを見つける。 「ノエ!」 「王妃殿下。どうされましたか?」 「これと同じペン先は、ありますか」  差し出されたペンを受け取り、ノエは先端を確かめた。 「ルミナリアのものですか。……残念ながら、城内には同じ規格のものはありません」 「……そうですか」 「替えを手配します。市井であれば扱っている店もあるでしょう」  それを聞いて、セレンははっと息を吸った。  市井。つまり、城の外。  セレンは窓の外に目を向けた。遠くに、わずかに並んだ屋根が見える。途端に、今までなかった衝動がふと込み上げた。  馬車の中から見えた花々。街並み。ここに来るまでの道中、ゆっくり見ることは叶わなかった。あそこには自分の知らない人々が暮らし、店が並び、行き交っている。  ──行ってみたい。  セレンがそう口にしようとした時、ノエは近くに控えていた部下を呼び止めた。 「では、店を確認させ──」 「あ……」  押し出されたように小さな声が漏れた。ノエに声を掛けようとして伸ばした手がゆっくりと降りていきそうになる。けれどセレンはぐっと唾を飲み、それから口を開いた。 「あの、わ、私が買いに行っても」  思ったより早く言葉が出た。ノエがこちらを見る。眼鏡越しの困惑した視線を受けた途端、セレンは急に落ち着かなくなった。 「わざわざ王妃殿下が買いに行かなくとも、部下に持たせれば……」 「い、いけませんか。私なら、規格が同じかどうか、すぐわかるかと。同じように見えても、太さや形が違えば、書きづらいかもしれません。それに──」 「行かせてやれ」  言い訳みたいに言葉を並べ立てるセレンの背後から、不意にそんな低い声が聞こえた。反射的に振り返ると、黒髪赤目の武人がいた。相変わらず不機嫌そうな顔をしていたが、その目は確かにセレンを見ていた。 「リヴァル殿下。……今なんと」  セレンは先程聞こえた言葉を頭の中で整理しながら、リヴァルへと歩み寄る。彼はぶっきらぼうに言った。 「買い物ぐらい行かせても困らないだろう。ヤオをつければいい」  リヴァルはセレンの後ろを見やる。いつの間にか背後にいた近侍に軽く驚いたのもつかの間、リヴァルはそれだけを言って去っていった。  残ったセレンはノエとヤオを交互に見る。ノエは眼鏡のブリッジをくいと押しやったあと、「……わかりました」と口にした。 「金子(きんす)はヤオに持たせましょう」 「……っ、はい、ありがとうございます」  セレンは頷いた。  ただペン先を買いに行く許可をもらっただけだった。  それなのに、自室へ戻る間も、セレンの足はいつもより少しだけ速かった。バルコニーで見た、グランディオの国民の顔ぶれをぼんやりと思い出す。  セレンは欠けたペン先を大切に握った。これと同じものを探して、見つけたら買う。用事はそれだけだ。  それでも、外套の留め具を留め、欠けたペン先と軸を、いつも以上に丁寧に小さな布に包んで仕舞った。  城門に向かう頃には、すでにヤオが待っていた。 「よろしくお願いします」  ヤオが頷く。  城門を抜けると、冷たい空気が頬に触れた。  目の前には石造りの建物が連なり、そのあいだを人々が行き交っている。荷車の車輪が石畳を鳴らし、店先から客を呼ぶ声が聞こえる。どこかから焼いた肉と香辛料の匂いも流れてきた。  道に積もる雪の反射が眩しくて、セレンはつい目を細めながら、目深に被ったフードの下であちこちをきょろきょろと見ていた。  立ち止まらないよう足は進めているのに、目だけが忙しい。軒先に吊るされた看板の文字、薪売り、鍛冶屋、革職人の店。道端で話している人々の服装も、ルミナリアで見た物とは全然違う。  数歩進んでから、セレンは隣を歩くヤオを見る。 「ペン先を買ったら、すぐ戻った方がよいでしょうか」  ヤオは首を縦にも横に振らなかった。 「なら、少し歩いても?」  今度は頷いた。 「そうですか」  セレンは前へと向き直る。少しだけ、歩調が緩くなった。  目的の店は、城から歩いてしばらくの場所にある小さな金物細工の店だった。窓辺には留め具や針、筆記具の部品が所狭しと並んでいる。 「……ここでしょうか」  ヤオが頷く。  セレンは扉へ手をかける前に、隣を見た。ここまで付き添ってもらったが、買い物くらいは一人でできるはずだ。 「ここで待っていていただけますか」  ヤオが頷くのを確認して店内へ入ると、小さな鐘が鳴った。 「すみません。これと同じ規格のものはありますか」  持ってきたペン先を差し出すと、店主はいくつか小箱を取り出した。セレンは似たものを一本ずつ軸にはめ、三本目で手を止める。 「あ……これです」 「いくつ要る」 「一ダース、いただけますか」 「なら、銀貨三枚だ」 「……?」  そこで初めて、セレンは自分が金を持っていないことに気づいた。ノエは金銭をヤオに持たせると言っていた。 「外に支払いの者がおりますので、呼んで参ります」 「おい、金持ってないのか? 冷やかしか?」  店主の声が強くなり、セレンは慌ててペン先を台へ戻した。 「申し訳ありません。すぐに──」  背後で鐘が鳴った。 「これを」  いつの間にか入ってきたヤオが、横から銀貨を差し出す。  店主はそれを受け取ると、ヤオの身なりと腰の剣に気づいたらしく、セレンへ向き直った。 「……失礼を」 「いえ。私が支払いの仕方を知らなかっただけですので」  包んでもらったペン先を手に、二人で店を出る。 「ありがとうございます。次は、先にお金を受け取ります」  ヤオが頷いた。  ──次。  自分で口にしてから、セレンはそんな言葉が自然に出たことが、妙に気に入った。

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