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5.ペン先と魔法-3
城へ戻ったセレンは、買ったばかりの人形を持ってリヴァルのもとを訪れた。街で起きた騒ぎについては、すでに何人かの兵士から報告が届いているらしい。執務室にはノエもいて、机の上には開かれた書類がいくつも並んでいた。彩度の低い光が大窓から差し込む執務室の中、セレンはぺこりと頭を下げてリヴァルの前へ出た。
「殿下。あの……こちらを」
「なんだ」
「お土産です。外出を許可していただいたお礼に……」
差し出した包みを、リヴァルが受け取る。紙を開くと、同じ台座に並んだ二体の木彫り人形が現れた。
黒髪に赤い外套を纏ったリヴァルと、長い灰色の髪をしたセレン。
リヴァルは眉を寄せたまま睨むようにそれを見て、それから表情を変えずに言った。
「似てないな」
「私もそう思います」
「俺の剣もこんなんじゃない」
「店には、その剣の玩具もありました。子供に人気だそうです」
「誰がこんなもの考えてるんだ」
そう言いながらも、リヴァルは人形を返さなかった。ほこりを払うように撫でたあと、そのままそっと机の端へ置く。
よかった。
捨てられなかった。
二つの並んだ人形を見て、セレンはほっと力が抜けていくような心地がした。
だがそう感じ瞬間、リヴァルの赤く鋭い眼差しがセレンへと飛んできた。ぎろりと睨まれて、セレンは慌てて姿勢を正す。
「それで。街で騒ぎを起こしたそうだな」
「あ……申し訳ありません」
やはり叱られるのか。セレンが唇を噛んで身構えていると、リヴァルは椅子の背へ身体を預けた。ぎい、と軋んだ音にそっと顔を上げると、リヴァルがくつくつと笑っていた。
「……やはり、とんだ暴れ馬だな。面白い」
「え?」
なにが面白いのかわからない。
「走ってくる馬から子供を守ったんだろ。防壁を張って」
「はい」
リヴァルは考えるように手を当てた。
「もしかしたら、使えるかもな」
「使える……?」
リヴァルの赤い瞳が、先ほどまでとは違う光を帯びる。セレンが考え込む前にその意味を察したらしいノエが、すぐさま口を挟んだ。
「お待ちください、殿下。戦場の経験がない王妃殿下に、それはいくらなんでも」
「……え?」
なんの話をしているのだろう。
そう思っていたはずなのに。
気づけばその日の午後、セレンは軍議の席に座っていた。
長机の中央には北部一帯の地図が広げられ、いくつもの駒が置かれている。
周囲を囲むのはミハイルをはじめ、リヴァル、ノエ、そして軍を預かる将校たちだった。その中で、セレンはリヴァルとミハイルのあいだに挟まっていた。
なぜ、自分がここにいるのだろう。
セレンは場違いな心地で、膝の上に置いた手をぎゅっと握った。
「話は聞いたよ。街中で暴れた馬を防いだそうだね」
「っ」
ミハイルがセレンへ目を向ける。息を呑んだのもつかの間、ぎこちなく答える。
「……はい」
「こいつの防壁は使えそうだ。だから呼んだ」
リヴァルがすかさず割って入る。なあ? と言われ、セレンは曖昧に笑う。
「それは否定してないよ。魔法そのものには興味がある。ただ、戦場へ同行させるとなると話は別だ」
リヴァルの言葉に、ミハイルは淡々と返した。
「問題は、セレン殿が戦場を知らないことだ。街中で子供一人を守ることと、敵味方が入り乱れる場所で魔法を維持することは違う」
そう言うと、周りにいた将校たちは一様に頷き、「そうですぞ」とか「あまりにも危険すぎます」と口々に言ってくる。誰もセレンに期待をしていない。自分でも無理だと理解していながらもやはりそうなのかと俯くと、不意にリヴァルはセレンの手首を掴んだ。
「こいつは戦術や兵法の本も好きだぞ」
「知っているよ」
ミハイルの返答に、セレンの瞳が揺れた。先日の一件で、自分がどのような本を読んでいたかまで確認されている。
「でも、実践は別だ。……それに、彼の読んでいた本は旧式の戦術書だった」
セレンは地図を見る。
あれは、何度も読み返した一冊だった。塔にいた頃、それしかなかったから読んでいただけだ。自分では多くを知っているつもりだったが、グランディオへ来て、それが古い知識であることを知った。
もしかしたら、魔法以外にも役に立てることがあるのではないか。ほんの一瞬そう考えたものの、結局、自分が知っていることなどこの場の者たちにはとうに知られているのだろう。置き場のない羞恥の念に苛まれたセレンは、顔が熱く火照るのを感じた。
「おい」
ふと、自分の胸を震わせる低い声が聞こえた。セレンが顔を上げると、夕陽よりも赤く燃える双眸がこちらを真っ直ぐ見ている。
「お前は、どうしたい」
「え?」
「戦場に行きたいのか、行きたくないのか」
セレンは答えられなかった。
どうしたい。
今まで、そんなふうに尋ねられたことは、ほとんどなかった。
戦場がどんな場所なのかも知らない。剣を握った記憶も薄い。戦術書の中なら、何度も見た。兵数があり、地形があり、陣形があり、勝敗がある。けれど実際にはその駒の一つ一つが人間であり、命だ。
怖くないと言えば、嘘になる。
それでも。
セレンは、自分の手首を握るリヴァルの手を見つめた。
「わ、私でも、お役に立てるのであれば」
「それは聞いてない。役に立つかどうかは、こっちで判断する。お前が行きたいかを聞いてる」
咄嗟に遮られて、セレンは言葉に詰まった。
もう一度、自分に問い直す。
怖い。
けれど、知らないままでいるより、自分にできることがあるのなら確かめてみたいとも思った。
「……行ってみたい、です」
自分の口から出た言葉を、セレン自身がしばらく信じられなかった。
その夜、セレンは机に向かい、昼間に買ったばかりのペン先を軸へ取り付けた。
インクを含ませ、日記の新しい頁を開く。
紙の上を滑らせてみると、以前のものとほとんど変わらない。店で確かめた通り、引っかかりもなく、細い線が素直に伸びた。
今日は、書くことが多かった。初めて王都へ出たこと。自分でペン先を選んだこと。リヴァルへの土産を買ったこと。暴れ馬から子供を庇ったこと。その時、意識せず防御魔法が発動したこと。
そして、リヴァルが土産を受け取ってくれたこと。
軍議に呼ばれたこと。
そこまで書いたところで、セレンはペンを置いた。
「……疲れた」
そんな言葉が、思わず口から漏れた。
今日は朝から、知らないことばかりだった。城の外を歩いて、店で買い物をして、大勢の人間に囲まれて、最後には軍人たちの中にまで座っていた。身体を動かした時間など、それほど長くはない。それなのに、寝台へ入ると全身が重く感じられる。
こんなことで疲れていては情けない。
戦場へ行ってみたいと言ったのは自分だ。あの場にいた者たちは、これよりずっと過酷な場所へ何度も赴いているのだろう。だというのに、自分だけ情けない姿を見せてはいられない。
セレンは目を閉じる。
軍議で向けられ彼の眼差しを思い出した。誰もがセレンの能力を疑っていた。それでも、彼だけは違った。
誰かの役に立てるかもしれないと思えたことが嬉しかった。
それだけではない。
自分ならできると、あの人が少しでも思ってくれていたのなら。
そう思うだけで、体の奥底がじんわりと熱くなる。
……嬉しい。
セレンの頬は自然と緩んでいた。けれどすぐにはっとなり、慌てて気を引き締める。
ちゃんと、期待に応えないと。
そう思っているうちに、セレンは眠りへ落ちていった。
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