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7.初陣-1
それから数日、セレンは毎朝のように練習場へ呼び出された。剣の扱いは多少ましになったものの、リヴァルを相手にすれば結果はほとんど変わらない。
一方、防御魔法についてはいくつかわかったことがあった。身体から離れるほど不安定になり、範囲を広げれば強度が落ちる。長く維持しようとすれば、それだけ魔力の消耗も激しくなる。
ただし、自分のすぐ近くに展開した時だけは、リヴァルがかなり力を込めても壊れなかった。
それをどう使えばいいのか、どう使うつもりなのかまでは、まだわからない。
そして数日後の朝、セレンは自室の中央で両腕を広げていた。
「……重いです」
「そういうもの」
背後からヤオの低い声が返ってくる。留め具が一つずつ締められていく。リヴァルや兵士たちが身につけるものより軽装だと聞いていたが、それでも普段の衣服とは比べものにならない。胸元を覆う防具だけでも身体が重くなり、少し息苦しいように感じる。
最後にヤオが、小さな魔石のついた耳飾りを取り出した。
「付ける」
言われるまま顔を傾けると、耳元に冷たい感触が触れた。指で確かめれば、小さな石がついている。
「これは?」
「通信具」
「通信……」
それ以上の説明はなかった。最後に外套をセレンの肩へ掛け、ヤオが言う。
「終わり」
「ありがとうございます」
セレンは試しに室内を歩いてみた。足を前へ出すたび、腰回りの装具が気になる。いつもより歩幅も狭くなった。
「少し、歩きづらいですね」
「慣れる」
「どれくらいで?」
「……人による」
腰には短剣まで提げられていた。柄に触れてみると、木剣とは違う重さがある。
「扱い、気を付ける。指なくなる」
「……はい」
ヤオの忠告にセレンは神妙に頷いて、柄から手を離した。
今日、自分は戦場へ行く。そう思うと、ようやく実感が湧いてきた。怖くないわけではない。人が傷つき、命を落とすこともある場所だということは理解している。それでも、自分から行きたいと言ったことを後悔してはいなかった。
母のように城一つを守ることはできない。けれど、自分の防壁にも使い道があるのなら、それを知りたかった。
支度を終えて城外へ出ると、すでに兵士たちが集まっていた。馬の吐く息が白く立ち上り、鎧や武器同士の金属音があちこちから聞こえてくる。
その一角で、ノエが数人の兵士を前に地図を広げていた。厚手の外套を羽織り、腰には細身の剣を提げている。肩には一羽の鷹が止まっていた。周囲を鎧姿の兵士に囲まれているせいか、眼鏡をかけた細身の姿はいかにも文官らしく見える。
セレンが近付いたところで、リヴァルも姿を現した。
「殿下」
ノエは挨拶もそこそこに、地図の一点を指した。
「目的地はこちらです。国境から北西へ二里。残党は推定四十から六十。三日前から街道を押さえ、周辺の二村から食糧と金品を奪っています」
「昨日より増えてるな」
「昨日の報告では四十前後でした。周辺に潜伏していた者が合流している可能性があります」
ノエの指が地図の上を滑っていく。
「本隊はこの街道を進みます。偵察隊はすでに先行。東側は積雪が深く、騎馬での移動には不向きです。逃走するとすれば西の森林か、こちらの旧街道でしょう」
「村人は?」
「避難できた者はこちらへ。村内に残っている者もいると見ています」
「なら村には撃ち込めんな」
「当然です。残党の鎮圧が目的であって、村の破壊ではありません」
「わかってる」
「念のため申し上げました」
ノエは淡々と答えると、地図を畳んだ。
「先行隊から追加の報告が入り次第お伝えします」
その言葉に、セレンはノエが以前口にしていた「参謀」という肩書きは伊達ではないのだと感じた。
戦術書で伝令の重要性については何度も読んだことがある。けれど、地形、敵の数、住民の位置、進軍経路が次々と整理され、それをもとに実際の兵が動いていくところを見るのは初めてだった。
ノエの腰にも剣はある。それでも、今その手が触れているのは剣の柄ではなく、地図だった。彼が敵の位置を一つ告げるだけで偵察隊の進路が決まり、道の状態を告げれば何十人もの兵士が進む場所を変える。
戦場で戦うというのは、武器を振るうことだけではないらしい。
ノエの肩にいた鷹が翼を広げた。羽音を残して空へ舞い上がり、城壁の向こうへ向かっていく。
その先に、ひときわ大きな黒馬がいた。
ディノだ。
すでに鞍と馬具をつけ、主人を待っている。逞しい身体には古い傷がいくつも残っていたが、こちらへ向けられた目は穏やかだった。ここ数日の訓練で何度か顔を合わせたからか、セレンが近付いても警戒する様子はない。
セレンはその首へ手を伸ばし、毛並みに沿って撫でた。
「よろしくお願いします、ディノ」
「名前、知ってたのか」
すでに装備を整えたリヴァルが隣へ来る。
「はい。以前、街のお土産屋で人形を見ましたので」
「……あの店か」
「はい。あれと同じところに、ディノがおりました。殿下の愛馬、と書いてありました」
リヴァルはディノを見て、揶揄うように笑う。
「お前まで売られてるらしいぞ」
ディノは知らぬ顔で、ぶるると白い息を吐いた。
リヴァルは手綱を取ると、慣れた動作でその背へ跨がった。セレンはそれを見上げる。自分の馬はどこだろうと周囲を確認しかけたところで、頭上から手が差し出された。
「乗れ」
「こちらにですか?」
「お前、一人で乗れるのか」
乗馬そのものは幼い頃に教わったことがある。けれど、それも随分と昔のことだった。まして戦場へ向かう馬列の中で、一人で馬を操れる自信はない。
「難しいと思います」
「なら来い」
「はい」
差し出された手を取り、言われた通り鐙へ足を掛ける。腕を引かれた瞬間、思っていたより勢いよく身体が浮いた。
「わ……っ」
どうにか鞍へ収まる。リヴァルの後ろだった。
どこを掴めばいいのかわからず、迷った末に外套を掴むと、すぐに抗議の声が上がった。
「俺を絞め殺す気か」
「では、どこに掴まればよいのでしょう」
「俺」
「殿下に?」
「落ちたいなら好きにしろ」
「掴まります」
セレンはリヴァルの腹へ恐る恐る両腕を回した。
近い。当然なのだが、近い。
ディノが一歩踏み出す。身体が揺れ、セレンは慌てて腕へ力を込めた。
「もっと掴まれ。落ちるぞ」
「……はい」
仕方なく身体を寄せた途端、覚えのある匂いがした。
先日の夜に借りた外套と同じだった。外套を自室へ持ち帰った夜のことを思い出す。焦げたような匂いと、革や金属の匂い。その奥に混じる、わずかに柔らかな香り。けれど今は、それよりも匂いが濃い。
あの時は、なぜかその匂いを嗅いでいると呼吸が落ち着いた。
今は落ち着くどころか、妙に意識してしまう。腹の前へ回した手に、また余計な力が入った。
「痛い」
「えっ」
「掴まれとは言ったが、締め上げろとは言ってない」
「も、申し訳ありません」
慌てて力を緩める。どの程度なら落ちず、かつリヴァルを締め上げないのかがわからない。考えながら腕の力を調整していると、周囲から声が聞こえてきた。
「王妃殿下だ」
「殿下の後ろに乗ってる」
「戦場までお連れするのか?」
「なんで王妃殿下を……」
「戦えるのか?」
声を潜めているつもりなのだろう。それでも、ところどころ耳に入ってくる。リヴァルにも聞こえていたのか、
「決めたのは俺だ。俺に文句を言いたいやつがいるようだな?」
リヴァルがそう口にすると、兵士たちのあいだに戦慄が走った。
セレンは兵士たちの方を見た。疑問に思われるのも当然だった。剣を振ればすぐに息が上がる。馬にも一人では満足に乗れない。魔法は狭い範囲にしか展開できない。自分でさえ、戦場でなにができるのかまだわかっていない。
それでも、ここへ来ることを決めたのは自分だった。
やがて号令がかかり、城門が開くと同時に兵士たちが動き始める。
戦場についてなら、本で何度も読んだ。兵站も、陣形も、戦術も知識としては知っている。けれど、紙の上に記されたものと、これから自分が見るものが同じだとは思えなかった。
ディノが城門へ向かって歩き始める。セレンは前にいるリヴァルの背中を見た。
「怖いか」
不意に尋ねられた。セレンはすぐには答えなかった。
「……怖いのだと思います」
「思います?」
「まだ、よくわかりません。それよりも、自分の魔法がなにに使えるのかを知りたいです」
リヴァルは前を向いたまま、しばらくなにも言わなかった。
「今日はそれでいい。ただし、俺から離れるな。なにがあってもディノから降りるな」
「わかりました」
「無理だと思ったら言え」
セレンは一瞬、返事に迷った。魔力が尽きるまでは使える。それなら、尽きるまでは使うべきなのではないか。
「……はい」
「今、なに考えた」
「なにも」
「嘘つけ」
リヴァルがわずかに振り返る。
「魔力がなくなるまで使えとは言ってない。具合が悪くなる前に言え」
「ですが、まだ使えるのであれば──」
「セレン。今日は見ろ。覚えろ。生きて帰れ。それで十分だ」
思ってもいなかった答えだった。戦場に連れて行くなら、もっと役に立てとか、頑張れとか言われるのではないかと思っていた。リヴァルの暴君と呼ばれる所以がわからなくて、セレンは少し戸惑う。
「お前は放っておくと倒れるまで使いそうだからな」
「倒れるまでは使えます」
「ほらな」
呆れたような声が返ってきた。
セレンは今度こそ、リヴァルの身体へ適度に腕を回した。
ディノの蹄が雪を踏み締める。開いた城門を抜け、隊列は北西へ進み始めた。
背後では、グランディオの城壁が少しずつ遠ざかっていく。けれどセレンは振り返らなかった。
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