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7.初陣-2
城門を抜けると、王都の石畳はやがて雪の積もった街道へ変わった。先頭を進む騎兵が踏み固めた跡を、後続の馬が列を崩さず進んでいく。
セレンはディノの揺れに合わせながら、リヴァルの腹へ回した腕に力を入れていた。最初こそ落ちないようにするだけで精いっぱいだったが、進むうちに身体が揺れに慣れてくる。
それでも、馬車とはまるで違った。風を直接受けるし、蹄が雪を踏む音も、兵士たちの装備が擦れる音も近い。なにより、前にいるリヴァルが近い。少し顔を動かせば、外套に頬が触れそうだった。
その時、耳元で突然声がした。
『先行隊より報告。目的地まで半里。すでに現地部隊が交戦中です』
「……っ」
セレンは反射的に耳を押さえた。
「なんだ」
「今、ノエの声が」
『聞こえているなら正常です』
もう一度、すぐそばから声がする。
セレンは辺りを見回した。ノエは後方にいるはずで、少なくとも今の距離で普通に話して聞こえる場所にはいない。
「どこから……」
「耳につけただろ」
リヴァルに言われ、ようやく出発前にヤオが取りつけた魔石を思い出す。
「これですか?」
『それです』
「……ノエにも、私の声が聞こえるのですか?」
『聞こえています』
セレンは魔石からそっと指を離した。
「不思議ですね」
『仕組みの説明は帰還後に。殿下、現地から続報です。残党は森林内に陣取り、街道側の部隊と交戦中。現時点で確認できている数は五十七』
「残党相手になにを手間取っている」
『地形の問題でしょう。元正規兵が混じっています。森林内に複数の射撃地点を設け、木々を遮蔽物として利用しています。こちらが踏み込めば左右から狙われる配置です』
「面倒だな」
『ですので、到着を待っています』
「最初から俺にやらせるつもりだっただろ」
『最も損耗が少ないので』
会話が途切れる。
セレンは二人のやり取りを聞きながら、前方へ目を向けた。まだ戦場は見えない。けれど、しばらく進むと遠くから聞き慣れない音が届き始めた。
金属が激しくぶつかる音。なにかが砕ける音、人の叫ぶ声。
それまで整然としていた隊列にも緊張が走る。兵士たちの表情が変わり、会話が消えた。
やがて街道の先に、木々に囲まれた小さな村が見えてきた。その手前で戦闘が起きていた。
街道を塞ぐようにグランディオの兵士たちが展開し、その向こうの森林から矢が飛んでくる。兵士が盾で受け止めると、その隙を狙って別の方向から再び矢が放たれた。応戦しようにも、敵の姿がほとんど見えない。木々の間に人影が見えたかと思えば、すぐ別の場所へ消えていく。
「……あそこに、いるのですか」
「ああ」
「ほとんど見えません」
「だから手間取ってる」
リヴァルがディノを進ませた。
現地部隊の後方まで来ると、一人の兵士が駆け寄ってくる。
「殿下!」
「状況は」
「森へ踏み込もうとしましたが、左右から射られます。こちらにも負傷者が出ています」
リヴァルは森を見た。ほんの数秒だった。
「ノエ、全部退かせろ」
『はっ』
セレンは思わずリヴァルの背中を見た。
兵士の方も一瞬だけ戸惑ったが、耳元の通信具からすぐにノエの声が響いた。
『前線各隊へ。交戦を中止。街道南側まで後退してください。負傷者を優先して下げます』
各所で返答が上がる。
グランディオ兵が盾を構えたまま、少しずつ後退を始めた。それを見た残党側の攻撃が激しくなる。矢が次々と飛び、木々の間から人影が現れた。逃げる相手を追うつもりなのか、森の奥に潜んでいた者まで前へ出てくる。
「殿下、これは……」
「見てろ」
リヴァルはそれだけ言うと、ディノを進ませた。
下がってくる兵士たちとは反対に、一頭だけ前へ出る。当然、その背にはセレンもいる。
「え」
ようやくそのことに気づいた時には、周囲から兵士の姿がなくなっていた。
「掴まってろ」
言われるまま、セレンはリヴァルの身体へ強く腕を回した。
森からは矢が飛んでくる。その瞬間、セレンの周囲に淡い光が広がった。矢が防壁へ触れ、乾いた音を立てて弾かれる。
リヴァルは振り返りも、盾を構えることもしなかった。片手を前へ出す。セレンはその腹へ腕を回したまま、背中へ身体を寄せていた。
ふいに、手のひらの下でリヴァルの身体が強ばった。息を短く吐く気配とともに腹部へぐっと力が入り、厚い衣服越しにも、その変化がはっきりと伝わってきた。
なにをするのだろう、と考えるより早く、空気が変わった。身体が急に重くなったような感覚がして、次の瞬間には森の一角で地面が大きく沈んだ。
爆ぜるような轟音がした、その一瞬。
木々が軋み、何本もの幹が一斉に傾いた。そしてその根元から炎が噴き上がる。
炎とともに生じた衝撃が、雪と折れた枝を巻き上げながらこちらへ押し寄せてきた。
いけない、このままでは。
セレンは身を固くした。
その瞬間、セレンの防壁が発動した。淡い膜がシャボンの泡のように、セレンだけでなく、前にいるリヴァルと、その下のディノまで包み込む。
衝撃がぶつかり、防壁がびりびりと激しく揺れる。けれど、破れない。押し寄せた風と雪だけが左右へ割れ、ディノはその場から一歩も退かなかった。
爆風の収まった気配を感じたセレンはゆっくりと顔を上げると、目の前にあった森が、消えていた。
正確には、木々が薙ぎ倒されていた。敵を隠していたものがなくなり、それまで森の中に潜んでいた残党たちが雪の上に露出している。
『敵影確認。正面四十一』
ノエの声が飛び、音が動き出す。
『突破騎兵、前進。左右から挟んでください。レンジャーは森林外縁へ。逃走する者を追って森の奥へ入りすぎないように』
それまで後方へ下がっていた兵士たちが、声を上げて一斉に動いた。
蹄の音が地面を揺らす。セレンの横を騎兵たちが駆け抜け、剥き出しになった敵陣へ押し寄せていく。先ほどまで姿すら捉えられなかった残党たちが、今度は隠れる場所を失っていた。
戦況が、一瞬で変わった。
「……これが」
セレンは目の前の光景を見つめた。
これが、リヴァルなのだ。戦場で敵味方から恐れられる男。
ただ強いだけではない。彼が一度魔法を使っただけで、それまで進めなかった兵士たちの道が開いた。
それなのに、セレンの手には別の感触まで残っていた。
魔法を放つ直前、腕の中で硬くなったリヴァルの身体。背中越しに伝わった短い呼吸。あれほどの魔法を使う時には、身体にも力が入るらしい。
そんなことが気になっている場合ではない。そう思って、セレンは前方へ意識を戻した。
その時、耳元からノエの声がした。
『西へ二十三。森林へ戻ろうとしています』
リヴァルがそちらを見る。
「ディノ!」
黒馬が向きを変えた。セレンは慌ててリヴァルへしがみつく。
再び、リヴァルが腕を上げて構える。
「もう一度……?」
「逃がせば同じことになる」
低い声で紡がれた言葉のあと、リヴァルが深く息を吸った。
セレンの腕の中で、再び腹部が硬くなる。
来る。
今度は魔法が放たれるより先にわかった。
遠ざかろうとしていた一団の先で、地面が大きく沈んだ。次いで炎が走り、熱の塊が目の前で爆発する。
二撃目。
逃走先にあった木々が押し倒され、炎と土煙が道を塞いだ。残党たちが慌てて方向を変える。
その衝撃が、再びこちらへ返ってくる。セレンはなにかを考えるより先に、リヴァルへ身体を寄せていた。防壁が現れ、衝撃がぶつかる。それでも、ディノは退かない。
──この方を、守りたい。
セレンは荒くなり始めた呼吸を整えながら、前を見た。今度は先ほどのように突然襲われたとは感じなかった。リヴァルの呼吸が変わり、身体に力が入った時点で、次になにが起こるのかを身体のどこかで察していた。
たった一度しか、感じていないはずなのに。
そのことを不思議に思う間もなく、リヴァルがわずかに自分の手を見た。
『殿下、東側へ十二。騎兵のあいだを抜けます』
ノエの声が続く。
『こちらで回します。一度お下がりください』
リヴァルは答えなかった。ディノも動かない。
セレンには、その意味がわからなかった。
「必要ない」
『殿下? ……なにを』
「もう一発いける」
一瞬、通信が静かになった。
『もう二撃目です。連続使用は推奨しません』
「知ってる。いつもより残ってる」
リヴァルが僅かに顔を横へ向けた。その赤い瞳が、後ろにいるセレンを捉える。
「こいつが全部止めてる」
「……私が?」
セレンは自分の手を見た。
魔法を使った感覚はある。けれど、自分から防壁を出そうとした覚えはなかった。ただ怖くて、危ないと思った。そのたびに、身体が勝手に魔法を使っていた。
「掴まってろ」
「え」
「行くぞ」
リヴァルが前を向く。
セレンは反射的にその身体へ腕を回した。
『っ、東側、味方を下げます』
ノエの声が即座に切り替わった。
『第三線まで退避。──殿下の射線を空けてください』
兵士たちが動く。まるで、それまで一つの塊だった軍勢が左右へ割れるようだった。
その先に、逃げようとしていた残党たちが取り残される。
リヴァルが手を掲げた。セレンは前方だけを見据える。
腕の中でリヴァルが息を吸う。腹部に力が入る。セレンは息を呑み、再度リヴァルへとしがみついた。
三度目の轟音が響く。
地面が割れ、炎が木々を包み込む。押し寄せた衝撃に、セレンの防壁が反応する。今度は先ほどより強くて、セレンはリヴァルに精一杯抱きつく。
「……っ」
防壁が展開するたび、身体の奥からなにかを引き抜かれるような感覚がする。それでも防壁は壊れなかった。リヴァルも、ディノも、その場にいる。
そして前方では、敵の陣形が完全に崩れていた。開けた視界の中、敵が逃げ惑う姿がよく見えた。
『突破騎兵、前へ!』
ノエの鋭い声が響く。待機していた騎兵が一斉に駆け出した。その後ろから別の部隊も続く。
馬が大地を踏み鳴らす足音が響く中で、セレンはその光景を、ただ見ていた。
自分の魔法は、何十人もの兵士を守ったわけではない。母のように、広い土地を覆ったわけでもない。
守っていたのは、自分のすぐそばにいる一人と一頭だけだ。
けれどそこで、三度目の攻撃が放たれた。
そして、戦場が動いた。
セレンはリヴァルの凄まじい攻撃による反動を防いだあと、リヴァルに抱きついたまま離れなかった自分の手のひらを見つめる。
こんな使い方があるなど、一度も教えられたことはなかった。
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