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8.宴のあと-3

 リヴァルが水を持って戻ると、セレンは先ほどと同じ場所で大人しく待っていた。 「飲め」 「ありがとうございます」  言われるまま杯を受け取る。こくこくと喉を鳴らして水を飲むのを見届けて、空になった杯を預かる。普段以上に素直なのは、やはり酒のせいらしい。 「殿下は、もうお戻りになるのですか?」 「そのつもりだった」 「……左様ですか」  わかりやすく声が沈んだ。 「まだ食うんだろ」 「はい」 「なら食え。俺もまだいる」  ふとセレンの方を見ると、いつも穏やかで柔和な顔が、少しだけ子供っぽい顔で笑っていた。最初は不安や緊張で張り詰めていた、堅い顔とは違う。風邪を引いた時の青白い顔とも違う。そんな顔をするのかと、拍子抜けした。  結局、リヴァルはしばらくここに残ることにした。  セレンはまた鹿肉を取り、根菜を山羊の乳で煮込んだものまで器に入れる。魔力を使ったせいか、普段よりずっと食欲があるらしい。  先ほどの兵士たちも再びやってきて、今度はリヴァルに向けて話しかけてきた。 「三発目が来た時は、本当に驚きました」 「私もです。殿下はすごいのです」 「お前が言うのか」 「本当にすごかったので」  リヴァルは呆れたが、セレンは気にした様子もない。 「ディノも一歩も動きませんでした」 「お前の防壁があったからな」  そう返すと、セレンは途端にはたと動きを止めた。なにかと思って顔をあげると、セレンは赤くなった顔でリヴァルを見つめてくる。 「私も、すごいですか?」 「ああ。今日のお前は十分役に立った」 「……そうですか」  セレンはなにかを噛み締めるようにそう返事をしたかと思うと、その頬がゆるゆると緩んだ。そして満足したように料理へ戻っていく。  それからしばらくすると、急に口数が減った。瞬きも遅くなり、気づけば肩がリヴァルの腕へ触れている。 「眠いのか」 「いいえ」 「寝かけてるだろ」 「違います」  言ったそばから、額が肩へ触れそうになる。長い髪が肩から零れてはらりと落ちる。 「セレン」 「……殿下なので、大丈夫です」 「なにがだ」  返事はない。それでも離れようとはしなかった。 「おい」  肩を揺すろうとした時、不意に自分の手とセレンの肩に影がかかる。 「あんな残党ごときで、と言っていなかったかい?」  見上げると、ミハイルがいた。 「ずいぶん長居しているね」 「こいつが酔ったからだ。……なんだその顔は」 「まだなにも言ってないよ」  リヴァルはとうとう肩に凭れかかってきたセレンを見る。ミハイルの視線を感じる。兄王はにこにこと微笑ましそうにセレンを見ていた。 「ふふ、お疲れかな」 「うるさい、あんま見るな。おい、部屋に戻るぞ」 「んー……」  強引に肩を抱いて広間を出ると、セレンは大人しく隣を歩いた。もっとも、途中からはほとんどリヴァルに支えられていたが。 「重くありませんか?」 「そう思うなら自分で歩け」  返事はなかった。それでも、リヴァルは途中でセレンを放り出すことはしなかった。  ようやく辿り着いたセレンの部屋の中に足を踏み入れ、寝台に放り込む。けれどセレンはリヴァルの服を掴んで離さなかった。 「寝ろ」  そう言って離そうとしているのに、セレンは赤らんだ顔と胡乱げな目でこちらを見上げる。そしてふにゃりと笑った。 「殿下の黒い髪、つやつやしてます……」 「急になんだ」 「殿下は、本当に素敵な御方です……」 「……」 「殿下……」  相変わらずその手はリヴァルの服の袖を掴んだままだった。意外に力が強い。リヴァルが振りほどくべきか悩んでいると、不意にぐいと引っ張られて体が前に出た。思わずセレンのいる寝台に膝が乗り、急に距離が近くなる。酒のにおいの奥に、石鹸の匂いや、紙やインクのにおいがする。  気が付けば、柔らかそうな唇が目の前にあった。 「殿下──」  セレンの、吐息混じりの甘く小さな声がした。さらに距離が縮まって、セレンの熱を空気越しに感じる。 (こいつ……)  リヴァルはそのまま目を閉じた。  だが、思ったような感触はいつまで経っても来なかった。  ……やけに静かだ。  リヴァルが目を開けると、目の前でセレンがこてんと横になり、すうすうと寝息を立てていた。いつの間にか袖を掴んでいた手は離れ、だらりと寝台の上に乗っている。 「……チッ」  思わず舌打ちが漏れた。 「この酔っぱらいが」  そう悪態をつきながら、リヴァルは眠りこけているセレンの体に掛け布をかけてやる。なんとも手のかかるヤツだ。最後にため息をついて、セレンが呑気に寝ていることを確認してから、リヴァルは部屋から離れた。    ◇ ◆ ◇  翌朝、セレンは喉の渇きで目を覚ました。頭が重く、ずきりとわずかに痛む。身体にもまだ昨日の疲れが残っている。しばらくぼんやりしてから身体を起こしたあとで、セレンは卓上の水差しへ手を伸ばした。  水を飲んでいると、ヤオが入ってくる。 「起きた?」 「はい。……少し、頭が痛いです」 「飲みすぎ」 「ああ……やはり、そうなのですね」  昨夜のことを思い返してみる。兵士たちと話した。普段よりたくさん肉を食べた。勧められるまま何種類か酒を飲んで、途中からリヴァルも来ていた。  そこから先が、ところどころ曖昧だった。やがて、はたと思考が止まる。 「……ヤオ。私は昨夜、どうやって部屋へ戻ったのでしょう」 「リヴァル殿下が送ってきた」 「ま、またですか?」 「また」  戦場からの帰りも、眠ってしまった自分を城まで連れて帰ったのはリヴァルだった。宴のあとまで世話をかけたらしい。 「ご迷惑をおかけしてばかりですね」 「自分で送ってきた」 「そうなのですか」  セレンは杯へもう一度水を注いだ。その時、昨夜の宴での記憶が一つだけ鮮明に戻ってきた。 『魔法を使うたび、お腹がぎゅっと硬くなっていました』 「……」  注いでいた水が杯の縁近くまで来て、慌てて水差しを戻す。 「どうした?」 「私、殿下に妙なことを言いませんでしたか?」 「言ってた」 「……やはり」  思わず口元を抑える。戦場でリヴァルの腹へ腕を回していたことは覚えている。魔法を使うたび、触れていた身体へ力が入ったことも、呼吸が変わったことも。ただ思ったよりすらすらと言葉が水のように溢れては、そのまま出て行ったような記憶はある。なにを話したか、思い出す前にセレンの頬はぽっと熱くなった。 「あの、ほ、ほかには?」 「知らない」 「そうですか……」  ヤオがずっとそばにいたわけではない。それ以上尋ねても仕方がなかった。  リヴァルに酒を取り上げられたことや、水を渡されたことはなんとなく覚えている。そのあとなにを話したのかは、いくら辿ってもはっきりしなかった。 「……お酒は、恐ろしいものなのですね」 「飲みすぎなければいい」 「今後は気をつけます」  セレンは水を飲みながら、昨夜の記憶をもう一度探ってみた。けれど、やはり途中から霞がかかったように曖昧だった。  少なくとも、次にリヴァルと会った時には、謝った方がよさそうだった。

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