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9.国事ですので-2

 執務室へ戻ってからも、リヴァルはしばらくミハイルの言葉を頭の隅へ追いやれずにいた。報告書を二つ片づけ、北西部から届いた補給計画に目を通しても、ふとした拍子に同じ問いが浮かんでくる。 『でも、今も同じ?』  以前なら考えるまでもなかった。婚姻は国同士の都合で結ばれたもので、セレンと必要以上の関係を持つつもりもなかった。子供についても同じだ。兄にはすでに子がいる。それで十分だと思っていた。 「……面倒くせえな」 「なにがですか」  向かいで書類を整理していたノエが顔を上げる。 「独り言だ」 「左様ですか」  ノエは恐らく主人の考えたことには気付いているはずだった。けれどそれ以上追及してこないのが、今はありがたかった。  やがて窓の外が暗くなり、従者が夕食の用意について確認に来た。いつも通り自室へ運ばせようとして、リヴァルはふと口を閉じる。 「……セレンは」 「はい?」 「いや、お前じゃない」  侍従ではなくノエを見る。 「あいつ、夜はどこで食ってる」 「セレン殿下でしたら、特別な予定がない限りご自室かと」 「一人でか」 「ヤオが同席することもあるようですが、基本的には」 「……そうか」  リヴァルは少し考え、従者へ向き直った。 「今日は二人分用意しろ」 「かしこまりました」 「それとセレンに、こっちで食うよう伝えろ」  従者が一礼して出ていく。  ふと、机の上にある木彫りの人形が目に入った。灰髪の人形を、形をなぞるように指先で撫で、あいつが来た時の言葉を考える。  ──ふと、向かいから視線を感じた。 「さっきからなんだ、なにが言いたい」 「私はなにも申し上げておりません」 「なら見るな」 「承知しました」  ノエは素直に書類へ戻った。  ほどなくして夕食が運ばれ、その少し後に扉が叩かれた。 「入れ」  扉の向こうから現れたセレンは、室内に並べられた二人分の食事を見てからリヴァルを見る。 「お呼びと伺いました」 「ああ。座れ」 「はい」  理由を尋ねることもなく、セレンは向かいの席へ腰を下ろした。  食事が始まってしばらくは、いつもと変わらない静けさが続いた。もっとも、これまで二人だけで夕食を取ること自体ほとんどなかったのだから、いつもと同じというのも妙な話だった。リヴァルはセレンが来た時にする話を考えていたはずだが、なにを話せばいい かわからなかった。 「昨日は、ありがとうございました」  先に口を開いたのはセレンだった。 「なにがだ」 「城まで運んでくださったことです。それから、お部屋まで送っていただいたことも」 「もう昨日聞いた」 「……そうでしたか。申し訳ございません、途中から、あまり記憶がなくて。……あの、私、なにか失礼なことを言っていませんでしたか?」 「言ってた」 「……なにを」 「俺の腹が硬くなってたとか」  言うと、セレンの頬がみるみる赤くなった。目を左右にきょろきょろさせたあと、セレンは認めるように頷く。 「それは……覚えています」 「そうか。……他には、覚えてないのか」 「他? も、もしや私はなにか無礼を……っ」 「──いや。覚えてないならいい」 「……そうですか」  リヴァルは肉を切りながら、そこで話を終わらせた。  向かいでは、セレンがまだ気まずそうに根菜を口へ運んでいる。昨夜のように酒で赤くなっているわけでもなければ、自分の肩へ凭れてくることもない。いつものセレンだった。  それなのに、ミハイルに言われたせいかその仕草が妙に目につく。  こいつとの、子供。  頭に浮かんだ言葉を、リヴァルは肉と一緒に飲み込んだ。どんな子になるのかなど、想像すらつかない。灰色の髪になるのか、自分と同じ黒髪になるのか。それすら考えている自分が馬鹿らしくなった。 「殿下? ……私の顔に、なにかついてます?」 「は?」 「先ほどから、こちらをご覧になっています」 「見てない」 「そうですか」  セレンはそれ以上気にせず、食事へ戻った。  結局その夜、リヴァルは子供についてなにも話さなかった。  それでも、一緒に夕食を取ったのはその日だけでは終わらなかった。  毎日ではない。仕事が長引けば別々に食べたし、ミハイルとの晩餐や公務が入る日もある。それでも何日かに一度、リヴァルが二人分の食事を用意させるようになった。  最初の頃、セレンは呼ばれるたびに「なにかお話でしょうか」と尋ねていた。それがいつしか聞かなくなった。席へ着けば、その日にあったことを自分から話すようにもなった。 「昨日、先日お話しした本を読み終えました」 「どれだ」 「北部の城塞について書かれた本です」 「ああ。雪に埋もれて潰れないよう、屋根の角度まで工夫されているやつか」  セレンはわかりやすく目を見開いた。 「覚えていたのですか?」  それだけ言って、セレンは料理へ目を戻した。 「別に」  リヴァルの返事は、相変わらず素っ気なかった。  別の日には、食事が始まって早々、セレンが自分の骨ばった手を見ながら言った。 「今日は、練習場にいた兵士の方と剣を交えて実践をしました」 「戦ったのか」 「はい。……手に、まめができてしまいました」 「見せろ」  リヴァルが手を出すと、セレンは大人しく掌を見せてくれる。よく見るとセレンの手や指には布が巻かれていて、軟膏を塗った跡があった。以前なら、これくらいなら平気だと言って続けていただろう。だが今は違う。 「ガルドに診てもらって、薬も塗っていただきました」 「……そうか」  言いながら、リヴァルはセレンの手を再度じっと見る。城に来たばかりの頃は自ら掃除や洗濯を行っていたせいで荒れていた手は、今や剣の稽古で荒れている。リヴァルは思わずそこに自身の手を重ねた。 「殿下?」 「……無理はするな」  いつまで握り込めていたのか、リヴァルはようやくセレンのほっそりした手を離してやった。別にそういう意図はなかったのに、思わず息を呑んでいた。 「早く殿下に追いつきたいです」  ふと、前方から聞こえてきたひっそりとした声に顔を上げる。 「俺にか? 俺は六つの頃から剣を習ってたぞ」 「そんなに幼い頃からですか? では、戦場へ出られたのは?」 「十七」  セレンはしばらく考えた。 「では、もう十年ほど……」 「なんでそうなる。俺は二十二だ」 「……二十二歳なのですか?」 「そうだが」 「私より、お若いのですね」  リヴァルは眉を寄せた。 「お前いくつだ」 「二十四です」 「……二十四?」  てっきり同じくらいか、年下だと思っていた。二十四歳。もしかしたら以前ミハイルに言われたかもしれない。夫婦になってしばらく経つというのに、今まで互いの歳すら知らなかった。  考えてみれば、知っているのは本が好きなことや、剣を習いたがっていることくらいだ。まだ知らないことの方が多い。  リヴァルは向かいに座るセレンを見ながら、これから知ればいいかと思った。  セレンは根菜を一つ食べると、ふいにリヴァルの皿へ目を向けた。 「……さっきからなに見てる」 「……また残っています」  皿の端には、肉だけを食べ終えたあとに野菜がいくつか残っていた。 「腹がいっぱいだ」 「先ほど、お肉を追加されていました」 「……」  セレンはそう言って、ただじっと皿を見ている。  リヴァルはしばらく考えて、残っていた野菜をまとめて口へ放り込んだ。向かいのセレンの表情が、ふっも柔らかくなる。 「えらいです」 「子供扱いするな。年上だからって」 「していません。きちんと召し上がったので、えらいなと」 「それを子供扱いって言うんだ」  言いながら、最後の一つも口へ入れる。セレンはそれを見て声を上げた。  楽しそうにしているセレンを見て、リヴァルの胸は妙なざわめきを覚えた。  それから、いつの間にか最初は静かだった夕食が、今ではセレンがその日の出来事を話す時間になっていた。本の話、剣の練習、食堂で初めて食べた料理、ディノが今日は機嫌よく鼻先を触らせてくれたこと。大半は、わざわざ報告するほどのことでもない。それでもリヴァルはセレンの話を聞き、相槌を打った。普段は静かなのに、二人きりになるとセレンはよく喋る。  そして気づけば、セレンがなにも話さない日は、こちらから尋ねるようになっていた。

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