32 / 74

10.秘密-1

 窓の外では、風が窓枠を微かに揺らしていた。  夜の静けさが部屋を包み込み、時折屋根から雪が落ちる音だけが、ゆるやかに流れる時間を教えてくれる。  隣から聞こえる穏やかな呼吸に耳を澄ませながら、セレンはそっと瞼を閉じた。身体にはまだ触れられた温もりが残っていて、セレンはそれを閉じ込めるように自身の腕を抱え込む。  愛し合ったあとでこんな風に誰かの隣で息をするなんて、ルミナリアにいた頃には想像もしなかった。  リヴァルは、政略だからでも義務だからでもなく、自分を妻として見ていたいと伝えてくれた。その言葉を思い返すたび胸がじわじわと熱くなる。本に栞を挟むみたいに、ずっと取っておきたいぐらいの言葉だった。  隣で横になるリヴァルが、セレンの長い髪を梳いてくれる。 「……ルミナリアの民は、みなお前のような髪色なのか?」  ふと、リヴァルがそう口を開いた。セレンは振り向きたかったが、そのままでいることにした。 「その……なんだ、星の色をしているな。──綺麗だ」  リヴァルがそう続けて、セレンは思わず息を呑んだ。同時に、振り向かなくてよかったとも思った。赤くなった顔を見られなくて済んだ。 「ル、ルミナリアの民は黒髪が多いです。父も母も、黒い髪をしています。ただ私は産まれ付きこの色で……」 「そうなのか」 「はい。初めは、なにか特別な力を持って産まれたのではないかと期待されていました。ですが……そのあとはご覧の通りで」 「悪い」 「いえ」  会話が途切れても、リヴァルはセレンの髪を梳くのをやめなかった。その感触が心地よくて、セレンはつい、リヴァルの手に自身の手を重ねようとした。  その時だった。 「お前に、話しておきたいことがある」  不意に低い声が聞こえて、セレンの胸がずくりと痛む。なんの話か見えなくて、咄嗟に悪い方向へ考えてしまう。いけない、とその思考を振り払おうとした、その時。 「兄上から、お前との子について話をされたことがある」  伸ばしかけていた手が止まった。  子を望まれること自体に驚きはなかった。  王族として生まれた以上、血を繋ぐことを求められるのは当然であり、自分もそれを望まれていた。 「兄上には、王家の血を複数の枝で残しておきたい考えがある。それに、俺とお前の子ならグランディオとルミナリア、両方の魔法を受け継ぐ可能性もある」 「……」 「最初に言われた時は必要ないと思っていた。兄上にはすでに子がいるし、俺まで持つ必要はないとな。だが、今は……お前との子なら、いてもいいと思っている」  セレンはすぐには返事ができなかった。婚姻した当初は自分と必要以上に関わるつもりさえなかった人が、今では自分との未来まで考えてくれている。それは嬉しいはずなのに、続いた言葉に胸の奥でなにかが引っ掛かった。 「次の発情期は、いつ頃だ?」  その問いで、引っ掛かりの正体がわかった。セレンの息が凍る。  とうとう、セレンは自分の手を引っ込め、掛け布の中へとしまい込んだ。  自分に一度も発情期が来たことがないと知っているなら、そんなことを尋ねるはずがなかった。  まさか、知らないのだろうか。生まれてから二十四年間、セレンの体に発情期が来たことなどないことを。 「……リヴァル様。私からも、一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」  振り返ったセレンが恐る恐る尋ねると、リヴァルは「どうした」と言って目を開ける。 「その。私の身体のことは……ご存じ、なのですよね」  リヴァルの眉がわずかに寄る。 「身体のこと?」  その反応で、セレンは確信した。ルミナリアは伝えていなかったのだろうか。それとも途中でなにかが行き違ったのだろうかと考えても答えは出ない。  ああ、と嘆きに似た溜息が零れた。 「……伝わって、いなかったのですね」 「なんの話だ」  リヴァルの顔には困惑の色が見て取れた。本当に事情を知らないらしい。  セレンは数度、深く息を吸った。リヴァルの方を、見ることができなかった。 「私は、生まれてから一度も発情期が来たことがありません。何度も医師に診てもらいましたが、原因はわかりません。この婚姻も、その事情をご承知の上で結ばれたものだと、私は思っておりました」  リヴァルが息を吸う音が聞こえる。 「まさか、一度もか」 「はい」 「今後も来ないと言われているのか」 「いいえ。原因がわからないため、今後についてもなんとも言えないと。ただ、成人してからも一度もない以上、通常のオメガとは異なるだろうと説明を受けました」 「子については?」 「それも、わかりません。望めないと断言されたことはありませんが……難しいと」  口にした途端、先ほどの言葉が胸の内へ戻ってきた。 『お前との子なら、いてもいいと思っている』  リヴァルは望んでくれた。けれどその期待に応えられないかもしれないと思うと、さきほど言葉が反しのついた矢尻ように深く突き刺さる。 「……申し訳ありません」 「だから、なにを謝ってる」 「そのことをお伝えしないまま、婚姻を結んでしまったことです。グランディオが知っていれば、条件も変わっていたかもしれません」 「お前が黙ってたわけじゃないんだろう。なら、お前が謝る話じゃない」  迷いなく言われても、セレンはすぐには頷けなかった。もっと責められるべきだと思った。それでもようやくリヴァルの顔が見れるようになると、リヴァルはその端正な横顔を歪め、顎に手を当てていた。 「だが、妙だ。病弱で長く公務から離れていたとは聞いていたが、王位継承から外された理由も兄上からはそこまで詳しく聞いてない」 「……そう、なのですか」 「ああ。兄上なら資料を残している。明日にでも確認する。……もしかしたら、俺が聞き漏らしただけかもしれないしな」  リヴァルは気休めみたいにセレンの手を握り、そう言ってくれる。それを聞いて、セレンは頷いた。 「はい。不足があれば、私からはなんでも申し上げます」 「ああ」  話はそこで途切れたが、先ほどまでの喜びはもう戻ってこなかった。リヴァルに責められたわけではない。それでも、子供のことを話した時の声音を思い出すたび、胸の奥に重いものが残った。 「殿下。今日は、部屋へ戻ろうと思います」  ここにいることが嫌になったわけではなかった。ただ、一人で考える時間が欲しかった。  リヴァルはセレンの顔をしばらく見ていたが、引き止めなかった。 「……そうか。送るか」 「いいえ。大丈夫です。部屋までは近いですから」 「わかった」  身支度を整えて扉へ向かうと、背後から名前を呼ばれた。 「セレン。明日、兄上と話してなにかわかったら、お前にも伝える」 「……ありがとうございます」 「ああ。おやすみ」 「おやすみなさいませ、リヴァル様」  自室へ戻って寝台へ入っても、なかなか眠気は訪れなかった。いつも一人で眠っていた場所なのに、今夜に限って掛布の中がひどく広く感じられる。リヴァルにもらった体に残る熱も、次第に冷えていく。  なにも失ったわけではない。明日になればまた顔を合わせるし、リヴァルも自分を責めなかった。  それでも目を閉じると、どうしてもあの言葉が頭の中をぐるぐると巡った。

ともだちにシェアしよう!